銀朱の唄・二
帝都新聞社から、少し寄り道をしてから家に帰ると、玄関先で藤ノさんと千歳くんが、談笑していた。千歳くんが上がり框に膝を着いて、藤ノさんは土間の腰掛けに座っている。夕食の支度を終えた藤ノさんの帰りを、千歳くんが見送りに出て、そのまま話し込んでしまったのだろう。
「おかえりなさい、先生」
「ああ、ただいま。しまった、藤ノさんがいたか」
とっくに帰った頃だろうと思って、土産の菓子を人数分しか用意していなかった。そう言って包みを差し出すと、千歳くんが中を確かめて、大きく頷いた。
「兄は、甘い物を食べませんから」
「まあ、きんつばじゃないですか」
甘い物と聞いて、藤ノさんが嬉々として包みを奪うと、千歳はすっと立ち上がる。そのまま家の奥へ引っ込んで、暫くして懐紙を手に戻ってきた。
「藤ノさんの分を包みましょう。夕食刻ですから、すぐには召し上がらないでしょう?」
「そうねぇ、お願いするわ」
藤ノさんが微笑むと、千歳くんは心得たように頷いて、さっときんつばを一つ、懐紙に包んで藤ノさんに渡すと、残りを台所に持って行ってしまった。
「それで、若様、お仕事は見つかりましたの?」
僕の父よりも年寄りの藤ノさんは、家の手伝い役だけではなく、母が僕の様子を監視する為に当てがったお目付役でもある。そんな彼女には、なかなか本当の事が言えないのだが、ここは頷くしかないだろう。
「まあ、それはよかった。奥様にも報告しないと……」
彼女の言葉に、頬が引き攣るの感じる。
折良く、千歳くんが戻ってきて、玄関口を伺うように空を遠く見つめて、それから藤ノさんに向き直った。
「藤ノさん、今日は空豆の炊き込みをすると仰ってませんでしたか? もう日が暮れますし、ご自宅の夕餉の支度に間に合わなくなりますよ」
見れば、空は赤と青の二色に染まっている。薄い月の近くには、明星まで見えるではないか。
「あら、いけない。それじゃあ若様、また明日。お仕事の事も、聞かせてくださいませね」
藤ノさんが帰っていくと、知らず息が漏れてしまった。先程まで彼女が座っていた腰掛けに座り込む。
「ありがとう、千歳くん」
「いいえ。藤ノさんに気づかれなくてよかったですね」
「え?」
「毬子さんの所に、寄って来たんですよね?」
僕はぎょっとして小姓を見つめた。
彼が助け舟を出したのは、藤ノさんが仕事の件を母に報告すると言った事ではなかったのだ。寧ろ、僕が本当に隠そうとしていた方に気がついている。
「どうして……」
「香久夜のきんつば、毬子さんの好物だって、前に仰ってましたよね」
そこで、ようやっと思い至った。
まだ千歳くんが来て間もない頃、一度だけ買って帰った事のある土産は、僕が親しくしている女性の勤め先の近くにある、香久夜という店のものだった。それを、彼は覚えていたのだろう。
毬子の事も、彼らには話してあったので、包みを見て気がついたのだ。千歳くんが急に懐紙を取って来て、包みを変えたのも、藤ノさんに悟られない為だろう。彼女は幸い、中身に気を取られていたのか、全く気がついた様子もなかったが。
「恐れ入ったよ。千歳くんは、小説に出てくる探偵のようだね」
「そんな……毬子さんに、お仕事の報告をされたんですか?」
「一応ね。明日から早速仕事なんだ」
それじゃあ、と千歳くんが笑った。
「早めにお食事を採って、風呂に入ってしまってください。今日は早く休まれないと」
その日は、珍しく庇牙くんが食卓に現れた。とは言うものの、一緒に食事をするわけでもなく、彼は縁側に座っているだけだった。
「絵描きって、昼夜が反転するものなんでしょうか」
藤ノさんが用意してくれた食事を食べながら、千歳くんは、少しむくれた顔をしていたが、僕は気にしていなかった。僕にも、他人と食事をしたくないと思う時期があったからだ。
「明日からお仕事なら、昼食はどうされますか? 簡単なものでよろしければ、弁当にしますが……」
「ああ……うん、頼もうかな」
千歳くんの申し出に頷いて、僕は話すべきかと逡巡する。そして、話すべきだと結論付けた。
「明日からの仕事なんだが、新聞の記事を書く事になったんだ。少し、厄介な事件の取材なんだが……」
「危険なのですか?」
言葉を濁した僕を、心配そうに千歳くんが見つめてくる。彼は箸を置いて、居住まいを正した。庇牙くんも、顔を此方に向けている。
「いや、解らない。実は、前任の記事が、事件に巻き込まれて亡くなっているらしいんだ」
今、密かに帝都で噂になっている事件で、若い男が次々と、血を抜かれた、干からびた姿で発見されているらしい。
事件が起きるのは、決まって新月の夜中。路地裏や、河川敷など、人気のない所で。発見された木乃伊には、まるで野犬か何かに襲われたような噛み跡が残っているらしい。
「……若い男ばかり、ですか?」
「そう聞いているよ。二人には話しておこうと思ってね」
「どうして、断らなかったのですか?」
千歳くんの疑問は、僕自身が思っていたものだった。
仕事をもらいに行った身で、断るのはどうだろう。そう言ってから、僕はすぐに首を振った。
「いや、違うね。僕は母に生かされているだけの人生には飽きてしまっているんだ。だから、どんな仕事でもいい。自立したいのだよ」
それは、独白だった。
不可解な事件に、不安を持つ自分を、奮起させる為の言葉だった。
「……解りました、では、こうしましょう。先生の取材には、僕が同行します。どうせ、僕は暇をしていますし、役に立つと思のですが」
にっこりと笑った小姓に、僕は頷く事しか出来なかった。何故か、抗えないと思ったのだ。
*
翌朝、千歳くんを連れて帝都新聞社に行くと、橋谷さんがやはりすまなさそうな顔をして迎えてくれた。
彼は、千歳くんの姿を見ると、大きく目を見開いて、固まってしまった。
「御堂千歳くんです。助手をしてくれると言うので、連れてきたのですが……」
拙かったですか、と聞くと、橋谷さんは首を振った。
「いや、大丈夫だ。余りにも、あれだ……」
「ああ、綺麗ですよね」
お前なぁ、と橋谷さんが顔を真っ赤にして慌てた。千歳くんは、まるで絵画から抜け出したような美貌の持ち主だ。意外に文化人な橋谷さんは、大衆演劇を観る事が趣味なのだが、流行りの女形よりも美しい千歳くんに見惚れるのも解らなくもない。
実際、彼が来てから、僕の小説や脚本には、千歳くんをモチーフにした天仙や人妖がよく出てくる。人外の物として登場していると知れば、彼は怒るかもしれないが。
「まあ、なんだ。よろしく頼むよ。前任の机を使ってくれ。まだ整理していないから、取材のメモやらなんやらも残っている」
橋谷さんは、一つ咳払いをしてから、僕を席に案内してくれた。
千歳くんが、走り書きのメモが挟まれて分厚くなった手帳を見つけて、顔をしかめた。手帳には、血の跡が残っていた。
「最期まで持っていた持ち物は、その手帳だけでな。殆どの取材内容は、そこに載ってるはずだ。遺族から引き上げるのに苦労したんだが……」
「本当に、新月の日にしか事件が起きていないのですね」
千歳くんから手帳を受け取って開いてみると、開き癖のついたページには、事件の詳細が書かれていた。何度も見返したのだろう。
「……手帳の持ち主が亡くなった件については、どこに?」
手帳には、当たり前だが前任者の事件についての記載はない。橋谷さんに尋ねると、彼は自分の机を探しに行って、すぐに一枚のメモを持って戻ってきた。
「これだ。事件の日にちや場所しか、わからんが」
「いえ、ありがとうございます。早速、外に出てきます」
「……すまんな、お前に任せてしまって」
「橋谷さん、僕は嬉しいんですよ。こうして仕事をもらえて、本当は橋谷さんが追いたいくらいの事件なのでしょう」
橋谷さんは、情に厚い男だ。仲間が取材中に亡くなったとなれば、その仕事を引継ぎたいと思っているはずなのだ。
それを任せて貰えたのだと思えば、危険を伴う仕事であっても、喜んで引き受けられる。
「それじゃあ、行って来ます」
新聞社を出て、メモの住所に向かう。
彼が亡くなったのは、帝劇の近く。
手帳を見た瞬間、僕はこの事件を解決したいと、心から思った。事件が起こった場所はどれも、毬子の家から程近い場所ばかりなのだ。
くすり、と千歳くんが笑う。どうしたのかと、彼を見ると、すみません、と頭を下げられた。
「先生が、本当に解り易いので」
「……顔にでも出ていたかな」
そうなのだ。僕の脚本に出てくる人妖に怯えるような、怖がりな毬子に、安息を与えたい。
そんな思惑は、千歳くんには筒抜けのようだ。




