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銀朱の唄・三

この章は書き方を変えているので、読み辛いかもしれません。

 事件現場を回って、聞き込みをしているうちに、日は傾いて、辺りは薄暗くなり始めていた。

 有楽町の街では、ガス灯に火を灯す、灯夫が世話しなく動いている。目の前の、ルネサンス様式の壮大な建物を見つめて、僕は息をついた。

 僕の前任者は、菅沼という男で、手帳を見る限り、足を使った取材を好んでいた事はわかったが、肝心の事件については、目撃者も居なく、彼の足取りは此処ーー帝国劇場の近くで途絶えている。

 徒労に終わるだろうと思いながら、僕は灯夫の一人に声を掛けてみた。


「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」


「はい?」


 灯夫は、訝しむような目を此方に向けた。


「何時も、ここで仕事をなさっているのですか?」


「そうですけど……」


 彼はやはり、不審な者でも見るように、僕を見た。その目に当てられて、困惑していると、千歳くんが僕の肘を突ついた。


「先生、ちょっと……」


 そう言って、僕から菅沼の手帳を奪うと、千歳くんは迷いなく、手帳に挟まれていた一枚の写真を抜き取った。それを、灯夫に見せると、にっこりと笑ってみせる。


「友人を探しているんです。私どもは、今日東京に出て来たばかりで……地元の友人が、此方で所帯を持ったと聞き受けまして、祝いに駆けつけたのですが、彼の住所を訪ねても、人が住んでいるようではなくて……」


 次第に、困惑したように表情を曇らせる千歳くんを不憫に思ったのか、灯夫が写真を受け取って、まじまじと見つめる。

 写真は、初めから手帳に挟んであったものだった。菅沼が所帯を持っていたのは本当で、細君(さいくん)と二人で睦まじく並んでいる写真だ。


「ご存知ありませんか? この辺りで見かけたと聞いたのですが……」


「ああ、この人」


 灯夫の顔が、すっと曇る。


「いつも、帝劇の近くに張り込んでたよ。新聞記者だって言ってたけど」


「はい。先生……此方、私の学校の先生なのですが、先生の友人で、私の幼馴染でもあるんです。菅沼、というのですが。東京で新聞記者になると、地元を出て行ったきり、会っていなかったので」


「学校の先生だったのかい」


 途端に、灯夫が破顔した。彼の中で、学校の先生は不審者になり得ないと結論付けられたのだろう。


「この人ね……亡くなったみたいだよ」


「え……?」


 灯夫の言葉に、千歳くんが心底驚いたような顔をした。僕も、出来るだけ殊勝そうな表情になるように心掛ける。


「そんな……どうして……」


 少しよろめいた千歳くんを、僕が慌てて支える。俯いて、黙り込んでしまった千歳くんを、心配そうに見つめながら、灯夫は続ける。


「そこの路地でね、発見されたらしいんだが。俺は、他の灯夫から聞いただけだからね、詳しい事は知らんが。酷い有様だったらしいって事はわかる」


「事故、ですか?」


 千歳くんに変わって尋ねると、灯夫が軽く首を振った。


「いや、どうなんだろうな。木乃伊(みいら)っていうらしいが、干物みたいに干からびてさ、犬かなんかの噛み跡がたくさんあったらしい」


「……彼、いつもここで張り込みをしてたんですよね。何を調べていたんでしょうか」


 灯夫は、写真を突き返しながら、首を傾げた。


「さて……帝劇の女優でも追っかけてたんじゃないか? いつもそこの……ほら、あそこ、通用口になってるんだが、そこから女が出てくると、後をつけてたみたいだから」


 男が指し示したのは、確かに帝国劇場の通用口だった。


「そうですか……すみません、お時間を取らせてしまって」


 千歳くんが、神妙な顔で灯夫に頭を下げると、彼は申し訳なさそうに去っていった。


「……やはり、君は小説に出てくる探偵のようだね」


「そうでしょうか?」


 顔を上げた千歳くんは、けろりとしていた。

 しかし、なかなかの収穫だったのではないだろうか。菅沼の手帳を見る限り、彼は怪死事件の真相に、かなりのところまで近づいていたようだった。その菅沼は、帝国劇場の女優に目をつけていた。事件の関係者として。

 そこで、僕の思考が止まる。


「先生、本当に解り易いです」


 千歳くんが、少し呆れたように言う。

 帝国劇場の女優が、事件に関係しているという事は、だ。


「あら、どうされたんですか?」


 明るい声がして振り返ると、毬子がいた。

 帝国劇場の女優の一人、西条毬子だ。

 彼女は、流行りの袴を翻して、僕に駆け寄ってきた。それから、千歳くんを見て、僕を見る。


「こんな所で、浮気ですか」


「毬子、これはうちの小姓で、御堂千歳くんだよ」


「ああ、此方が……」


 途端に、毬子が微笑んだ。少しぎこちなかったのは、彼を少女だと誤解したからだろう。


「本当に、綺麗なのですね。貴方の脚本に出てくる、天仙のようだわ」


「初めまして。それでは、先生、僕は先に戻っていますね」


「ああ、すまないね、付き合わせてしまって」


 取材の事を毬子に気取られない為の配慮だろう。千歳くんは少し頭を下げて、その場を離れていった。


「あら、お帰りになられるの?」


「ああ、君を待つ間、ちょっと付き合ってもらってただけなんだ」


「まあ! 待っててくださったのね」


 毬子が、嬉しそうに手を打った。

 駆け出しの舞台女優の彼女は、地方から出て来たはずなのだが、何処か洗練されたところがある。にも関わらず、少女のようにころころと変わる表情が、僕は好きだ。


「何処でお茶でもしよう」


 そう言って腕を出すと、毬子は迷う事なく僕の腕を取った。

 帝劇の女優が関係者であるという事は、毬子の近くに、事件に関わっている人間がいるという事だ。狙われているのは若い男ばかりだが、そんな事件を起こす人間が、毬子の近くにいる事は我慢ならない事だ。

 毬子と話をして帰ると、千歳くんは一人で夕食の支度をしていた。とは言っても、藤ノさんの用意したものを温めなおしているだけなのだが。


「おかえりなさい、先生」


「ただいま。……庇牙くんは?」


「離れです」


 庇牙くんは、今日も絵を描いているのだろうか。彼は昔からああなのだろうか。そんな事が、ふと気になって千歳くんに訪ねてみた。


「二人は、どちらの出なんだい?」


「……金沢です、形式上は」


「形式上?」


 奇妙な物言いに首を傾げると、千歳くんが、ああ、と笑った。


「御堂の家が、金沢にあるんです。でも、僕達は金沢の生まれではありません。生まれは京都になるのかな。御堂の大先生……父は医者なのですが、養父なんです」


「え……?」


「大先生とは、二年程前に知り合ったんですが、それまでは兄と二人きりで生活してました。兄が描いた絵を売り出して……僕もその時になって、兄の得手に気がついたんですが、大先生が大変気に入られて、それで、養子に」


 意外な返答に、言葉が出なかった。

 判然と、千歳くんは、苦労もなく明るく生きてきたのだろうと思っていた。庇牙くんも、ただ変わった子だと。


「まあ、兄も僕も、大先生も気にしてないんですけどね。幸運ですよ、養子にしてもらって、東京に出してもらえて」


「……そう、だね」


 曖昧に相槌を打つしか出来なかった。

 食事の間、取材についての話をしていたのだが、僕の心中には(おり)のようなものが漂っていた。

 それを吐き出したくて、食後に珈琲を出してくれた千歳くんに、自分の話をする事にしたのだ。

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