白磁の朝・二
白い雪が、赤く染まっている。
野盗にでも襲われたのか、人の気配のない村には、金品や食料もなくなっていた。
「やっぱ、小物だったな」
千歳の溜息を気にする事もなく、庇牙は久しぶりの食事に夢中になっている。
山を降りて、鬼の気配を辿って着いた村には、既に生者はなく、まだ小さな鬼が村人の死骸を食い漁っていた。それを、兄が食う。
千歳は食事をする必要がないので、村を見て回っていた。食事は、気まぐれに摂る事もあるが、彼にとっては生きる為の行為ではない。故に今はやる事がないのだ。
「確かに、鬼がいなければ、こんな命も生まれなくてよかったのかもな……」
母の想いが、僅かだが理解出来る。
山際の村は、全ての家が壊されて、逃げようとしていたのだろう人々が無残にも斬り殺されている。なんの物音もしない。そう思った矢先、がさりと衣擦れのような音がして、千歳は振り返った。
居たのは、幼い子供だった。千歳よりも小さな子供だ。恐怖も何もない、胡乱な眼差しで、千歳を見つめている。
「……隠れてたのか」
彼は、怯えた風もなく、ただただ首を縦に振った。
「大丈夫、敵じゃないよ。何があった?」
村はやはり、野盗に襲われたらしい。彼は母親に、農具と一緒に納屋に押し込められて、決して声を出してはいけないと言われたのだと語った。辺りが静かになって出てきてみると、村人は殺された後で、母親も息をしていなかった。どうしたらいいのか、泣くべきか、笑うべきかと思っていると、今度は不思議な生き物がやってきて、村人の死体を食い始めた。彼は怖くなって、近くの物陰に隠れていたのだった。
「そうか……どうしようか。お前、どうしたい?」
千歳の問いの意味を考えあぐねて、子供は首を傾げた。
「ここに居ても、誰も助けには来ないだろう? 生きて行きたいのなら、街に連れて行く。そこで、自分で奉公先でも探せばいい」
どうする、と聞くと、子供は行くと答えた。
千歳が子供を連れて戻ると、庇牙は丁度食事を終えたところだった。子供の姿を見つけると、不思議そうな目を向ける。
「そこの納屋で見つけた。街まで連れて行く」
解った、と兄が鳴いた。
*
母親は、千歳に懇願する。
鬼として、自分を食えと。徳の高い人を食って、その智識を得た鬼がいる。その鬼と同じなら、千歳に食われる事で、僅かでも自らが生きた事を残せると思ったのだろう。
「私を、連れて行って……千歳」
だから、千歳は母を食った。
そうして、自分たちが生まれた意味を知ったのだ。鬼を滅するのだと、彼の中の母親がしきりに悲鳴をあげる。あれから、幾星霜。
千歳は、鬼を滅する為には生きてきた。
千歳の牙となった兄は、鬼を食う鬼だった。食えば、鬼は再生しない。だから、出来るだけ兄に鬼を食わせてきた。食い尽くした頃には、残る鬼は自分たちだけになる。
その時、弟は兄を殺すだろう。
そして、自分を……
*
庇牙に背負われて、千歳と子供は街に向かっていた。初めは庇牙に怯えていた子供も、次第に落ち着きだして、今は眠っている。
こんなに小さくても、自分で生きる事を決めたのだ。強い生き物だ、と千歳は思う。それに比べて、自分たちはどうだろう。
今様の業に、生かされているだけのように感じている。なんて弱いのだろう。
「……もうすぐ、日が落ちる。庇牙、どこか野営が出来るようなとこ、探して」
日は西に傾いて、今にも山に隠れそうになっている。赤と濃紺が、段々に重なっている。雪を降らせた暑い雲は、もう無い。
兄はひとつ頷いた。
彼はどこまで、自分の意思を持っているのだろう。やはり、話せればいいのに。千歳はそう思った。
木の根が、空のようになっているところに子供を寝かせて、千歳は息を吐いた。
庇牙が見つけたのは、千年も前からあるよつな大木だ。千歳は木を見上げる。本来、時間とはこうして重ねていくものなのだろう。
止まる事なく、重なるのだ。
「ん……」
「ああ、起こしちゃったか。夜になるから、今日はここで野営する。腹は空いていないか?」
目を擦って起き上がった子供に尋ねると、彼は首を振ったが、腹から大きな音が鳴った。
「……食えるようなものは、これしかないんだけど」
そうして差し出した餅菓子を、子供が嬉しそうに食べる。食べてしまってから、不安そうに千歳を見つめた。
「ん?」
「兄ちゃんたちは……?」
「ああ、そっか。俺たちは食わなくても大丈夫。昨日たくさん食ったから」
頭を撫でてやると、子供が悲しそうな顔をした。
「母ちゃんも、いつもそう言ってたんだ。さっき食べたから、って。でも、俺、母ちゃんがご飯を食べてるとこ、見たことない……」
撫でる手が、自然と止まる。千歳は目を大きく開いて、それから優しく微笑む。
「……そうか。でも、俺たちは本当に大丈夫なんだぞ」
「本当?」
「……お前は優しいなぁ。明日には街に着くから、そこで一緒に何か食べような」
「うん!」
日が登れば動き出すからと、子供を寝かしつけて、千歳は立ち上がった。少し離れたところで、辺りを警戒するように目を凝らしている庇牙の隣に座って、彼を見上げる。
「……俺たちが鬼じゃなかったら、連れて行くのにって思うよ」
兄が鳴く。お前、それじゃあ子供だらけになるだろう、と。
「あはは、確かにそうだな。よくある事だもんな、こんなの」
鬼と違い、人は同族である人を殺す。
そこで一人になる子供は少なくない。今までもこうして、手を貸してやっていたが、そのまま連れて行く事は出来ない。だから、手を貸すだけに留めているのだ。
*
次の日の昼前には、大きな街に着いた。
そこで、千歳は子供と約束した通りに一緒に食事をして、ついでにそこの店主に子供の事情を話して、奉公出来るようなところは無いかと聞いてみた。
「そうか……不憫だな。よし、俺が世話してやろう。一人くらい、なんとかなるからよ」
人の良さそうな店主は、そう言って胸を叩いた。
安心して、子供を任せられそうな彼に子供を預けて、千歳は食堂を後にする。
「……兄ちゃん!」
表に出ると、子供が追いかけてきた。
振り向いた千歳の胸に飛び込んできて、顔を埋めたまま動かない。困っていると、店主も出てきて、千歳と顔を見合わせた。
「……ここで、世話してもらいな」
「うん」
「大丈夫、お前、強いから」
「うん」
「ええと……」
困窮すると、子供がやっと顔を上げた。
「胡太郎。兄ちゃん、ありがとう」
そこでやっと、子供の名前を聞くのを忘れていた事に気がついた。
「千歳、だ。またな、胡太郎」
頭を一つ撫でてやると、漸く離れた胡太郎に、千歳は笑いかけて、踵を返した。
また会えるとは思えないが、また会えたらいいとは思う。だから、また。
白磁の朝、終わり。
次は終幕、銀朱の唄。




