紫黒の夜・三
御堂筋でタクシーを二台拾って、千歳達は北へと向かっていた。女の子達は昴と、千歳は庇牙とタクシーに乗り込んでいる。
「……鬼?」
兄が、嬉しそうに嗤うのを見て、千歳は嘆息する。この気性さえなんとかなれば、殺さずに済むものを、とさえ思う。
それ程までに、千歳は鬼が憎い。
半鬼である兄と、自分を殺したい程に。
「わかんねーよ、まだ」
「紫燕……」
あれは、いつの頃だったか。
日本が徳川幕府によって統治され始めて、間も無くだったと思う。伊勢参りの街道で、庇牙が言葉を使えるようになった時だったはずだ。その時に出会った、美貌の鬼。名前を、紫燕と言ったその鬼は、鶯色の綺麗な瞳で千歳を見据え、彼に恐怖を感じさせた。
その瞳に、何も映していなかったから。
他の鬼が持つ狂気も、欲望も、何もあの目にはなかった。ただ、渇望していた。
その目に映すべきものを。
「あれは、生きるって事を捜してるみたいだった……まるで……」
自分達のように。
その言葉を飲み込んで、千歳は窓の外に目をやる。御堂筋の街路樹は、電飾で飾られている。交差点を通過するごとに電飾の色が変わって、目に面白い。
大阪の中心地であるここには、高いビルが立ち並び、道沿いには高級ブランドの直営店が軒を連ねている。ショーウィンドウの中では、無機質な表情のマネキンがポーズを取っている。
「変わったよな、いろいろ」
「変わった……苦しくなった」
「あ、それわかるかも」
兄の言葉に、千歳はきゃらきゃらと笑った。息苦しくなった。いや、生き苦しくなった。
昔よりも、人の欲は増え、鬼も増えた。
鬼がどうやって生まれるのか。紫燕が求めていた答えを、千歳は知っている。
「教えてやれば、あの目にも何かが映るのか……?」
その答えを、知りたい。
*
「ごめんねー、せっかく来てくれたのに、紫燕さんは今日同伴出勤で、いつ来るかわからんねーん」
千歳達を迎えたのは、まだ若い、下手をすると十代ではないかという男だった。
「中で待つー?」
促されて店に入ろうとした昴のスーツを掴んで、千歳が首を振った。
「……酷い臭いだ」
「え? ただのお香の匂いじゃ……」
昴が、はたと気がついた。
エスニック系の、スパイシーな香りのする店内に、目を凝らす。店の中は、異様な雰囲気に包まれている。
客もキャストも、みんな力なく項垂れている。誰も、喋りもせず、笑いもしていない。ホストクラブの照明の煌めきだけが眩しい。
「……外で待とう」
「あ、ああ」
そっかぁ、ざんねーん。
若い男はそう言って、中に入っていった。閉じられた扉を見つめて、昴が顔を引きつらせる。
「んだよ、この店」
「昴くん、だから、ハーブしてるんやってば」
美咲が呆れたように言うと、昴が大きく首を振る。
「てか、それもおかしいし。ハーブしてる奴が、あんな暗いかよ。正直、うちの店の先輩にも、ブリってる奴いるけど、あんなんじゃねーよ。馬鹿みたいにテンション高くて、気持ち悪いくらい、ずっとにこにこしてんだぞ」
「そ、そうなの?」
美咲が、困惑の表情を浮かべる。
昴は一度頷いて、再び扉を見つめた。
「ハーブどころじゃねーんじゃねぇの? もっとヤバイことしてそうじゃん」
もっとヤバイこと。口の中でそう呟いて、美咲は不安そうに友人を振り返った。
「大丈夫?」
「……あたし、中で待つ」
「え?」
「あの香り、好き、なの……」
「ちょっと……」
友人の肩に手を掛けた美咲を突き飛ばして、彼女は店へと一歩踏み出した。突き飛ばされた美咲は、庇牙が受け止めてくれたが、驚いたように目を丸くしている。
正気を失った女の前に、千歳が立ち塞がる。
千歳の瞳が、金色に変わる。
その目で、彼女を見据えて、眼前に手を翳した。
「お姉さん、ダメだよ」
囁くように言うと、女が膝から崩れ落ちた。それから、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「ね、こんなとこ、楽しそうでもなんでもないでしょ?」
「……そう、ね。そうだわ。なんで、あたし……」
微笑んだ千歳を、彼女は落ち着いた様子で見上げて、頷いた。
見守っていた昴は、千歳をまじまじと見る。そして、やっと口を開いて、
「それ、今流行りのあれ? メンタリズム?」
かなりの曲解を披露してくれた。
*
結局、その日は紫燕に会う事を諦めて、千歳たちは帰路に着いた。
美咲は、友人に付き添って帰って行って、昴と庇牙も仕事に戻ることになった。彼らの目的は、美咲の友人のホストクラブ通いを辞めさせる事だったので、一応は解決した事になったのだ。
だが、千歳だけは、晴れない顔をしていた。
「紫燕って、千歳の何?」
帰りのタクシーの中で、昴が首を傾げた。
千歳は曖昧に笑って、言葉を選ぶように言い放つ。
「同胞、かな」
「どーほー?」
「そ。まさに、同じ胎から生まれたようなものだよ」
親戚か何かか、と庇牙に尋ねてみたが、彼は肩をすくめるだけだった。
「……あの店にいる紫燕は、俺の知ってる紫燕で間違いなさそうなんだ。それがわかったからって、何かができるわけないんだけど」
千歳は、悲しげに嗤う。
「ま、何かあれば、あっちから接触してくるでしょ」
要領を得ない答えに、昴は頭を捻ってみたが、それらしい答えが出なかったので、考えるのを辞めた。
街は、夜の色を濃くしていく。
まるで、何かを隠すかのように。
次は紫燕のターン。




