紫黒の夜・一
何が面白くて、こんな事をしているのだろう。
昴は、隣に立つ男を見上げて、大きく息を吐いた。
昴は、その日、出勤して早々、店長から新人教育を言い付けられた。元々、高校では運動部に所属していて体育会系だった彼は、後輩を任されて喜んでいたのだが、任された新人は、会ってみれば面白みのない、無口な男だった。
歳は、昴と同じくらいだろうか。ならば、大学生なのだろうか。昴はそう考えながら、もう一度男をよく見てみた。
背の高い、よく鍛えられた体つきの男は、店長が一目で気に入ったという程、綺麗な顔をしている。だが、無口過ぎる。
かれこれ一時間程、二人は街頭に立っているが、男は一向に声を発しない。どれだけ話しかけても、答えない。怒鳴ってみたり、媚びてみたり、思いつく限りの事を試してみたが、やはり男は答えなかった。
このままでは、仕事にならない。
そんな事を考えていると、目の前を二人組の女の子が通った。昴は、営業スマイルを浮かべて、女の子達に話しかける。
「ねぇ、どこ行くのー?」
女の子達は顔を見合わせて、弾かれた様に笑い出した。
「えー、何、標準語やん!」
「どこ行くんやろねー」
無視されないと解れば、昴は戯けたように笑う。
「標準語バカにすんなよー。行くとこ決まってないなら、うちの店行こうよ」
「うわ、ばりばりの営業やん!」
「あはは、正直やな、お兄さん」
女の子達は、どうやら営業慣れしているようだ。そういう子の相手は、昴の得意分野だ。彼は色恋営業が苦手な分、フランクな物言いで、ホスト慣れした女の子を誘うのが上手かった。
昴は、ホストだ。大学のために、関東から大阪に出てきた彼は、三ヶ月ほど前から、学費と生活費をより効率良く稼ぐためにと、この業界に足を踏み入れた。始めは、女の子と話すのにも苦労したのだが、キャッチセールスのために街に出れば、必ず客を入れられるくらいには、仕事にも慣れてきていた。
「そっちのお兄さんは、何系?」
女の子の一人が、新人の男に視線を送る。
男は、ぼんやりと女の子を見返しただけで、何も言わない。
「……無口系かー。お兄さん、愛想って大事やで」
「うーん、このお兄さん、怖いしなぁ」
女の子の顔が曇るのを見て、昴は顔を顰めた。まずい、と思う。このままでは、店に入れない。客は自分で捕まえる、それが昴の店の鉄の掟だ。
「こいつ、新人でさー。緊張してんのかな?」
何か喋れよ。昴が無言で男を睨みつける。
「あ、やっぱ兄貴、ダメダメじゃん」
急に、男の背後から幼い声がして、昴は驚いた。一瞬、男が喋ったのかと思ったが、彼の後ろから、子供が顔を出した。
「ほら、やっぱホストとか向いてないんだって。兄貴、喋んないもんなー」
きらきらしく笑う少年は、とても綺麗な顔をしていた。いや、綺麗なんてものではない。某アイドルグループなんて目じゃないくらいに、彼は美しかった。
現に、女の子達が、少年を見て黄色い声をあげている。
「君、めっちゃ可愛いやーん」
「えー、何? このお兄さんの弟くんなん?」
女の子達に迫られて、少年は男の影に隠れた。
「……うん、兄貴の仕事ぶり、見たくて」
「そっかぁ。ねぇ、お姉さん達とお喋りしようよ」
女の子の一人が、少年に顔を近づける。
でも、と少年は不安そうに兄を見上げた。
「あ、お兄さん一緒じゃないと嫌?」
「じゃあさ、私たちがお兄さんのお店行くから、一緒に行こうよ」
少年は、女の子達を窺うように見つめる。
「俺、金ないし……」
「そんなの、私たちが出したげるやん」
「そうそう。お姉さん達、こう見えてもお金持ってるんやで」
少年が、昴の方を見た。急に綺麗な顔で見つめられて、昴は困窮したが、直ぐに大きく頷いた。少年を入れて、三人の客をゲットできるチャンスだった。
「じゃあ、行く」
やったぁ、と女の子達が飛び上がった。
*
「千歳くんっていうんやー」
「顔も可愛いけど、名前も可愛いやん」
兄と二人は不安だと、彼が昴を指名してくれたお陰で、昴はキャッチセールスに行くのを免れていた。
その兄はと言えば、黙々と女の子にドリンクを作っている。愛想笑いくらいはしろよな、と昴は内心毒づいた。
「これ食べていいの?」
一方の弟は、チャームのチョコレートを指差して、昴に尋ねた。
「ああ、どうぞ」
わあい、とチョコレートを一つ摘まんで口に含み、千歳はとろけるような顔をする。
昴から見て、千歳は上手かった。
チャームがなくなると、残念そうに肩を落とす。すると、女の子達が追加のお菓子を注文する。未成年なので、アルコールは飲めないと言うと、ジュースやノンアルコールのカクテルを千歳のために頼む。それを、彼がさも美味しそうに飲むと、彼女達も同じものを頼む。
少年である自分の武器を、彼は理解しているようだ。このくらいの愛想があればな、と昴は新人を見た。
「え……」
男は、弟が笑顔になるたびに、嬉しそうに微笑んでいた。
「あ、笑ったー」
女の子の一人が、嬉々として男を指差す。
「ほんまや! お兄さん、笑った顔も素敵やん」
「うんうん、千歳くんと一緒で顔綺麗やもんなぁ」
指摘されると、緩んでいた頬が締まるのも、女の子達の興味を誘う。
「人見知りなんかなー?」
「どうなん? 千歳くん」
オレンジジュースに、グレナデンシロップを沈ませたドリンクを飲みながら、千歳が首を傾げる。
「人見知り、だよな」
男が、こくりと頷いた。
「そーいえば、昴くんと千歳くんの自己紹介は聞いたけど、お兄さんの名前まだ知らんやん? 自己紹介してよー」
女の子が、男に腕を絡ませる。
男は、困ったように弟を見た。
「名前は? ってさ」
「……庇牙」
きゃあ、と女の子が声を上げた。もちろん源氏名であろう名を名乗った彼の声は、甘く響く音をしていた。
「めっちゃ良い声やん!」
「もっと喋ってよー」
庇牙は、なかなか喋らなかった。だが、千歳が何かを聞くたびに、二言三言、少ない言葉で答える。そんな事を繰り返すうちに、十分に女の子達の興味を捕らえたらしい。
「千歳くんとのやりとりに萌えるわー」
そう、女の子達は喜んでいた。
場の雰囲気的に、置いてきぼりを食らっていた昴を、ふと千歳が見つめた。相変わらずの煌めく様な笑顔で、首を少し傾ける。
「昴さんは、大学生なの?」
「ああ、そうだよ。学費のために頑張ってます」
戯けたように、敬礼をしながら、昴は答えた。女の子達の意識が、昴に向いたのを感じる。
「大学生なんやー、うちらと一緒やん!」
「え、君らも大学生?」
「せやでー。昴くん何回生?」
大学の学年を、回生と表現するのは、関西特有なのだろうか。昴はそんな事を考えながら答えた。彼女達とは、歳も同じだった。
「女子大生がホスト遊びなんてしてていいのかよ」
「大学生がホストなんてやってていいんー?」
軽口を叩けるくらいには打ち解けて、昴はほっとする。この二人は、有名なお嬢様大学に通っているらしく、二回目の来店を狙って、昴は本腰を入れる事にしたのだ。
「いつもはさ、宗右衛門では遊ばんねんけどな」
「うん、新地が多いよね」
女の子達は、顔を見合わせて、示し合わすように頷いた。
「口座替えして、こっちに来ようかな」
「昴くん、営業っぽくなくて楽しーし、庇牙くん、無口だけどかわいーし」
「マジでー、嬉しいなぁ」
昴は内心、ガッツポーズをする。
それに、と女の子の一人が顔を曇らせた。
「最近、あっちヤバイみたいやねん」
「ヤバイって?」
千歳が、身を乗り出した。
女の子は一瞬口篭り、それから、おずおずと話し出した。
「いつも行ってたトコが、何か、怖くて……」
それは、よくある噂話だった。




