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青鈍の空・四

 ソレは、真円の目に恐怖の色を浮かべていた。

 おそらくは、初めて恐れを感じているのだろう。低い鼻をひくつかせて、逃げ場を探すように、周囲を見渡している。

 他の二匹の鬼と、絡まるようにして、庇牙は嗤っている。その目が、逃げ出そうとしていたもう一匹を捉えた。

 息を飲む間もなく、庇牙は二匹を引き裂いた。それから、にやりと嗤って、最後の一匹の腹に、腕を刺し込んだ。


「あーあ、悦んじゃって」


 長屋の屋根の上から、兄の動向を見ていた千歳が、嘆息する。

 庇牙は、鬼にとって、天敵と成り得る。

 だが、見ていて気分の良いものではないのか、千歳はどこか悲しげに顔を歪めている。


「……次は、と」


 残りの鬼の気配を探って、彼は目を閉じた。一つの町に現れるには、数は多いが、全てが脆弱な、ただの小鬼だ。それに対抗出来ない人間が弱すぎるのだと、彼は思う。

 別段、人を助けたいわけではない。

 ただ、鬼が嫌いなだけなのだ。それでも、見知った人間を見殺しには出来ないのだが。


「……あ、いた」


 殊更、大きな気配を感じて、千歳は嗤った。これなら、兄の強すぎる食欲も、抑えられるかもしれない。


 *


「……こどもたちが、しんでいく」


 娘は、悲しげに顔を歪めた。

 傍に立つ男を、庇護を求めるように見上げる。男は、困ったように肩を竦めた。


「俺に言われてもな。お前の縄張りだろ」


「ひどい……」


 この町を、彼女は根城にした。

 彼女が、人のふりが出来るようになったのは、まだ最近の事だ。それまでは、この娘も、醜い小鬼だった。

 つるりとした頭と、犬歯が異様に発達した大きな口。長い手足の、犬のような生き物。それが、少し前までの彼女だった。それが、人の形を成すようになって、彼女はこの男の子供を産んだ。

 自分よりも、強いはずの男の子供達は、昔の自分と同じ姿をしていた。それが、彼女はとても哀しく、愛しく感じていた。


「あのこたちも、つよくしてあげなくちゃ」


 それが、彼女の行動原理だった。

 沢山ご飯を食べさせて、強くしてあげなくては。一人でも生きていけるように。


「何か、来てたもんな。今回は運が悪かったんだ。諦めな」


「でも……」


「そもそも、俺が知恵を与えたのに、お前は言いつけを守らなかったじゃないか。蕎麦屋に擬態するの、なかなかいい案だと思ってたんだぞ、俺は」


 男は、射るように娘を見つめた。鶯色の目が、怒りを湛えている。


「自分でなんとかしな」


「わかった」


 娘は、小さく頷いて掛け出した。

 子供達の鳴き声が聞こえる方へ。

 それを見送って、男はくるりと後ろを向いた。そこに立つのは、人間の子供だった。

 酷く綺麗な顔の、不思議な匂いのする子供だ。男はそう思う。


「……俺は、鬼がどう生まれるのか気になったから、あれと子を成したわけだけど。鬼同士の繁殖じゃ、小鬼程度しか生まれないか」


 何者だ、とは聞かない。軽い調子で、子供に笑いかける。鶯色の目を見て、ふと、子供も笑った。


「お前、あの読売か」


「ん? 俺の話を聞きに来てたか?」


「ああ、妙な読売もいたもんだと思ったよ。鬼が人に話を聞かせるなんて、ってな」


 男は、くつくつと笑う。


「暇つぶしみたいなもんだ。あれがどうやって子供を育てるのか、見てたかったんだが。どうやら、お前、何かを連れて来てるみたいだし。俺は退散するよ」


 男が手を上げると、子供がじりと寄ってくる。


「逃がすと思う?」


「ああ、逃げれるよ。だって、お前、半鬼のくせに、牙がないんだろ」


 子供が、ぴたりと止まる。

 鬼である男には、人に擬態した鬼の、本来の姿が見える。子供の正体は、どこまでも人だった。


「ちょっと術が使えるのか? でも、弱いな。人を食った事ないんだろ。それじゃあ、強くなれないぞ」


「人なんか食えるか」


 吐き出すように言って、子供は男を睨みつける。男が、嘲るように嗤う。


「ふははっ。半分は人だから、か。連れも半分が鬼か?」


 子供は、何も言わない。


「まあ、いいや。俺は、賢い鬼だから、お前の事を見逃してやる。……そうだ、名前を聞いておこう。俺は紫燕(しえん)だ」


「……千歳」


「千歳、か。ふはは、名前の通りだな」


 そう言って、男は消えた。千歳には、消えたように見えるくらいの速さで、走り去ったのだ。

 千歳は、唇を噛んだ。

 非力な半鬼の自分では、あれは仕留められなかった。寧ろ、向かって来られれば、命を取られていたのは此方の方だ。


「まあ、幾ら殺されても、生き返るんだけどな」


 千歳は、皮肉そうに笑った。


 *


 千歳がいない。気がついた時、庇牙は恐慌した。

 いない。いない。いない。

 自分から離れるなんて。こんなに、沢山の敵がいるのに。

 何処に。

 町に放たれた小鬼を食い殺しながら、彼は町中を駆け回っていた。弟は、弱いのだ。母親の力ばかりを受け継いで、人に限りなく近い弟を、守るのが自分の役目なのに。

 まとわりつく血の匂いで、鼻がきかない。何処にいるのか。

 そうしているうちに、娘の姿をした鬼と出会った。

 嗚呼、いけない。

 弟を探さなければいけないのに。

 美味しそうな獲物が、目の前にいる。

 庇牙は、凄絶な笑みを浮かべて、悦んでいた。


 *


 道端に座り込んで食事をする庇牙を見て、千歳の目は白んでいた。鬼を食うソレは、千歳の嫌う他の鬼と変わらないように見えた。

 殺さなければ、と思う。

 だが、殺すのはまだ早い、とも思う。 

 千歳が身動きすると、じゃり、と土が音を立てた。その音に反応して、庇牙が顔を上げた。獲物を咀嚼して、悦に浸っていたはずの彼は、刹那の速さで千歳に覆いかぶさってきた。

 その目が、狂気に染まっている。

 町中の鬼を食って、その母まで殺して尚、この男の飢えは満たせないのだろう。大きく口を開く。


「……って、この莫迦!」


 千歳の拳が、庇牙の顔面に放たれた。

 避ける事なく、拳を食らった兄が、動きを止める。


「莫迦か、お前。俺を食ってどうすんだよ!」


 両手を腰に当てて、千歳が憤慨する。

 兄は赤くなった鼻を摩りながら、弟を見た。その目は、正気に戻っている。


「ほんと、お前って莫迦」


 庇牙は、弟に叱られて項垂れた。

 そして、おもむろに口を開く。


「……ち、とせ」


 千歳が瞠目する。

 兄が言葉を発したのは初めてだったのだ。共に生を受けてから、鳴き声しか発せなかった兄が、自分の名前を呼んだ。弟は、喜びと哀しみの混じった、曖昧な顔をする。


「……鬼を食って、成長する、か」


 そう呟いて、千歳は空を仰いだ。


 *


 外から漏れ聞こえていた物音が、いつの間にか聞こえなくなった。

 一太は、自分を抱き締めている姉の腕を逃れて、部屋を飛び出した。母親が、待てと叫んでいたが、気にせず外に出る。

 普段なら人で溢れかえる活気のある町並みが広がるはずのそこは、まるで戦火が去った後のような有様だった。

 強い風が吹き抜けた。

 一太は空を見上げる。

 暗く淀んだ色の、厚い雲が、空を覆っていた。


「……暗い空だ」


 雲の隙間から、光が差しているのが見えた。同時に、町の其処彼処から、人が出てきた。一太の家の者も、外を覗いている。


「……天仙は、あの光を登って、空に帰るのかしら」


 いつか夢で見た、話を思い出す。

 浮かんできたのは、あの不思議な客人だった。

青鈍の空、終わり。

次幕、紫黒の夜。

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