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白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第一章 白銀の猫
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第3話 芽生える絆

 それから数日が過ぎた。

 アイリスは毎朝、薬草採りや頼まれた用事を終えると、自然と樫の木へ足を運ぶようになっていた。

 今日も、朝食で残した黒パンを布袋へ入れて森へ向かう。

 以前は静かな時間を過ごすためだけに来ていた森だった。

 けれど今は違う。

 胸の奥に、小さな楽しみが一つ増えていた。

「いるかな。」

 樫の木が見えてくる。

 根元には、まだ誰もいない。

「まだ来てないか。」

 アイリスは少しだけ残念そうに呟き、いつもの場所へ腰を下ろした。

 布袋から黒パンを取り出す。

「今日は少し早かったのかな。」

 風が木々を揺らす。

 葉擦れの音だけが静かに響いていた。

 その時だった。


 ――かさり。


 頭上で小さな音がする。

「……?」

 アイリスが顔を上げた、その瞬間。

 ふわり。

 白い影が空から舞い降りた。

「きゃっ!」

 驚いて肩をすくめる。

 次の瞬間には、白銀の猫が見事にアイリスの膝へ着地していた。

 何事もなかったように丸くなる。

 ごろ、ごろ。

 小さく喉を鳴らしている。

 アイリスは目をぱちぱちと瞬かせた。

 そして。

「もう!」

 思わず笑い声が漏れる。

「びっくりしたじゃない。」

 ソルは知らん顔で目を細めている。

「最初から木の上にいたの?」

 耳だけがぴくりと動いた。

「返事くらいしてくれてもいいのに。」

 ソルは小さく欠伸をする。

 まるで「何のことだ」とでも言いたげだった。

「ふふ。」

「反省してないね。」

 アイリスは優しく頭を撫でる。

 白銀の毛並みがさらりと指先を滑っていった。

「でも。」

「来てくれて、よかった。」

 その言葉に応えるように、ソルは静かに喉を鳴らす。

 ごろ、ごろ。

 その音を聞くだけで、自然と笑みがこぼれた。

     ◇

 それから二人は、森の中を歩き始めた。

 ソルは少し先を歩き、ときどき振り返る。

「待って。」

 アイリスも後を追う。

 するとソルは、また少しだけ先へ行く。

「もう。」

「そんなに急がないで。」

 あと少しで追いつく。

 そう思った瞬間だった。

 白い尻尾が木の陰へ消えた。

「あっ。」

 慌てて走る。

 けれど、姿はない。

「ソル?」

 辺りを見回す。

 静かな森。

 風が吹く。

 葉が揺れる。

 どこにもいない。

「どこ?」

 その時。

 背後で小さく「にゃあ」と鳴き声がした。

「えっ?」

 振り返る。

 そこには、少し離れた場所で座るソルの姿があった。

「もう!」

 アイリスは思わず駆け出す。

 するとソルも走り出した。

 木々の間を軽やかに駆け抜ける。

「待って!」

 アイリスも笑いながら追い掛ける。

 追いつきそうになると、また少しだけ離れる。

 まるで遊んでいるようだった。

「ずるい!」

 息を切らしながら立ち止まる。

 ソルは少し先で振り返り、どこか得意そうに尻尾を揺らした。

「わざとでしょ。」

 白い猫は何も答えない。

 ただ、楽しそうに目を細めている。

 その表情が可笑しくて。

 アイリスはまた笑った。

 森いっぱいに、その笑い声が響く。

 孤児院では誰にも聞かせたことのない、無邪気な笑い声だった。

     ◇

 森へ響いていた笑い声も、やがて少しずつ落ち着いていった。

 追いかけっこに満足したのか、ソルは樫の木の根元へ戻り、その場へゆっくりと座り込む。

 アイリスも息を整えながら、その隣へ腰を下ろした。

「はぁ……。」

 肩で息をしながら、小さく笑う。

「ソル、速すぎるよ。」

 白い猫は何も答えない。

 ただ、どこか得意そうに目を細めていた。

「絶対、わざとだよね。」

 そう言って頬を膨らませると、ソルは尻尾を一度だけゆっくり揺らした。

「やっぱり。」

 アイリスは思わず吹き出す。

「負けた。」

 その一言に満足したように、ソルはアイリスの膝へ飛び乗ると、そのまま丸くなった。

 ごろ、ごろ。

 静かな喉の音が聞こえてくる。

「疲れたの?」

 頭を優しく撫でる。

 ソルは気持ちよさそうに目を閉じた。

     ◇

 アイリスは隣へ置いていた小さな本を手に取る。

 角が擦り切れ、何度も読み返したことが分かる古い本だった。

「今日は、これを読もうかな。」

 表紙をそっと撫でる。

 ソルは片目だけ開け、興味深そうに本を見つめた。

「昔話なんだけどね。」

 ゆっくりとページを開く。

 風が紙をなびかせた。

「昔々。」

「ある国に、とても勇敢な騎士がいました。」

 穏やかな声が森へ溶けていく。

「その騎士は、困っている人を見ると、どんな危険があっても助けに向かったそうです。」

 ページをめくる。

「誰かのために剣を振るえる人って、すごいよね。」

 少し照れくさそうに笑う。

「そんな人になれたら、素敵だよね。」

 少しだけ間を置く。


「私も。」

「なれたらいいな。」


 誰かを守れる人。

 誰かの力になれる人。

 自分には難しいかもしれない。

 それでも。

 そんな人になれたら素敵だと思った。

 ソルはゆっくりと身体を起こす。

 そして何も言わず、前足をそっとアイリスの胸へ乗せた。

 温かな肉球が服越しに伝わってくる。

 アイリスは少し驚いたように目を丸くした。

「どうしたの?」

 ソルは静かにアイリスを見つめている。

 まるで。

 「きっとなれる。」

 そう伝えているようだった。

 アイリスはふっと笑みを浮かべる。

「ありがとう。」

 白銀の頭を優しく撫でる。

「君は、本当に優しいね。」

 ソルは安心したように目を細める。

 風が木々を揺らし、小鳥たちが枝の上でさえずる。

 穏やかな時間だけが、ゆっくりと流れていた。


 アイリスはまだ知らない。

 自分が憧れた”誰かを守れる人”への願いが、いつしか世界中の人々を救う未来へ繋がっていくことを。

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