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白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第三章 王城

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第1話 王都へ

 神殿を旅立ってから、数日。

 若葉を揺らす風が、どこまでも続く街道を静かに吹き抜ける。

 澄み渡る青空の下、一人の少女がゆっくりと歩いていた。

 十七歳になったアイリス。

 背には小さな旅鞄。

 腰には長年使い続けた魔導書。

 肩へ羽織った深緑色のローブは、師であるゼノスから贈られた大切な一着だった。

 見慣れた森は少しずつ遠ざかり、目の前には初めて見る景色が広がっている。

 どこまでも続く街道。

 風に揺れる若葉。

 遠くには小さな村が見え、その向こうでは白い煙がゆっくりと空へ昇っていた。

 歩くたび、新しい景色に出会う。

 それだけで胸が少し躍った。

「……きれい。」

 思わず小さな声が漏れる。

 ゼノスと旅をしていた頃も、もちろん様々な景色を見てきた。

 雪国。

 港町。

 山岳地帯。

 橋を架けた村。

 どれも忘れられない思い出ばかりだ。

 けれど今は違う。

 一人だからこそ見える景色がある。

 立ち止まる場所も。

 歩く速さも。

 今日どこで休むかも。

 すべて自分で決める。

 少しだけ大人になれたような気がして、自然と口元が緩んだ。

 その時。

 一陣の風がローブを優しく揺らした。

 ふと、旅立ちの日のことを思い出す。

『魔法って何だ。』

 神殿の門の前。

 七年前、旅立った夜と同じ問いをゼノスは投げ掛けた。

『人を幸せにするものです。』

 迷いなく答えた自分。

 その答えを聞いたゼノスは、少年のように嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

『……満点だ。』

 その一言だけで十分だった。

 七年間の努力を認めてもらえた気がした。

 そして神殿を振り返れば、ゼノスもオルフェンも、見えなくなるまで自分を見送ってくれていた。

 あの光景は、きっと一生忘れない。

「……行ってきます。」

 誰にも届かないと分かっていても、もう一度だけ呟く。

 神殿もまた、大切な帰る場所になった。

 孤児院で初めて居場所を知り、神殿で家族のような温もりを知った。

 だから必ず帰る。

 その時は胸を張って、「ただいま」と言える自分でありたい。

 その未来を掴むためには、どうしても見つけなければならないものがある。

 アイリスは小さく拳を握った。

「必ず見つけます。」

 神器アイオーン。

 魔蝕病を治せるかもしれない、世界で唯一の希望。

 まだ本当に存在するのかさえ分からない。

 どこに眠っているのかも分からない。

 けれど、諦める理由にはならなかった。

 歩き続ければ、きっと希望へ辿り着ける。

 そう信じている。

     ◇

 旅は毎日が新しい発見だった。

 街道沿いの村へ立ち寄れば、焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。

 市場では色鮮やかな果物や見たこともない香辛料が並び、旅商人たちは遠い異国の話を楽しそうに語っていた。

「この先には海があるんだ。」

「東の国じゃ、この何倍も大きな市場があるらしいぞ。」

 そんな話を聞くだけで胸が高鳴る。

 世界は、自分が思っていたよりもずっと広い。

 アイリスは幼い頃から本が好きだった。

 ページをめくるたび、知らない景色を想像していた。

 けれど、本で読む世界と、自分の足で歩く世界はまるで違う。

 風の匂い。

 人々の笑い声。

 市場の賑わい。

 馬車の車輪が石畳を転がる音。

 すべてが生きていた。

「もっと見てみたい。」

 自然とそんな気持ちが湧いてくる。

 旅は楽しい。

 もちろん、不安がないわけではない。

 地図を見間違えて遠回りをした日もあった。

 宿が満室で野営をした夜もある。

 火起こしに苦戦して夕食が遅くなったこともあった。

 それでも、不思議と嫌ではなかった。

 失敗するたび、新しいことを覚えていく。

 七年前の自分なら、きっと泣いていただろう。

 けれど今は違う。

「これも旅なんだな。」

 苦笑しながら荷物をまとめる自分が少し可笑しかった。

 歩きながら、そっと首元へ触れる。

 服の下には、自ら創り上げた魔力封印術式と、オルフェンが施してくれた魔蝕病抑制術式が刻まれている。

 病は治っていない。

 今は進行を抑えているだけ。

 残された時間は決して長くないのかもしれない。

 だからこそ、一日一日を大切に生きたい。

 誰かの笑顔を見たい。

 もっと世界を知りたい。

 もっと魔法を学びたい。

 もっと、生きたい。

「大丈夫。」

 いつもの口癖が自然と零れる。

 それは誰かを安心させるためではなく、自分自身を励ますための言葉だった。

     ◇

 それからさらに数日後。

 緩やかな丘を登り切った、その瞬間だった。

 アイリスの足が止まる。

「……えっ。」

 思わず息を呑む。

 目の前に広がる景色は、今まで見てきたどの街とも比べ物にならなかった。

 視界いっぱいに広がる、巨大な白い城壁。

 その中央には、青空へ届くかのように壮麗な王城がそびえ立っている。

 陽光を受けた白い石造りの街並みが眩しく輝き、城壁の内側には無数の建物が立ち並んでいた。

 城門へ向かう街道には、旅人や商人を乗せた荷馬車が絶え間なく続き、人々の活気ある声が風に乗って聞こえてくる。

 アイリスは目を丸くしたまま、その景色に見入った。

「ここが……。」

 小さく息を吸う。

「王都アルディア。」

 アルディシア統一王国の中心都市。

 政治、経済、文化、そのすべてが集まる世界最大級の都市。

 本で何度も読んだ憧れの場所が、今、目の前にある。

 その圧倒的な存在感に、胸が高鳴るのを抑えられなかった。

 丘の上を吹き抜ける風が、アイリスの髪を優しく揺らした。

 目の前に広がる景色から、どうしても目を離せない。

 白い城壁はどこまでも長く続き、その向こうには数え切れないほどの建物が肩を寄せ合うように並んでいる。

 街の中心には、一際高くそびえ立つ白亜の王城。

 まるで空へ届く塔のようなその姿は、この国の中心であることを静かに物語っていた。

「……すごい。」

 思わず零れた言葉は、それだけだった。

 本で何度も読んだ。

 地図でも何度も見た。

 けれど、実際に目にする王都は想像を遥かに超えていた。

 アイリスは胸の前で手を組み、小さく息を吐く。

 アルディア。

 本で何度も憧れた王都が、今まさに目の前にあった。

 世界中から人々が集まり、様々な文化が交わるこの街は、想像以上の活気に満ちている。

「本当に来たんだ……。」

 実感がゆっくりと胸へ染み込んでいく。

 ここまで来る道のりは決して短くなかった。

 孤児院で過ごした幼い日々。

 森でソルと出会ったこと。

 ゼノスの弟子となり、七年間旅を続けたこと。

 数え切れないほどの出会いと別れ。

 そのすべてが、この場所へ繋がっていた。

 十七歳。

 あの頃の自分では、こんな場所へ来られるとは思ってもいなかった。

 少しだけ、自分を誇らしく思えた。

     ◇

 街道を歩き始めると、王都へ向かう人々の列へ自然と加わることになった。

 大きな荷馬車を引く商人。

 家族連れ。

 旅芸人らしき一団。

 重そうな荷物を背負った冒険者。

 それぞれが目的を胸に、アルディアを目指して歩いている。

 楽しそうな笑い声が聞こえた。

「今年の収穫祭も賑わうだろうな。」

「王都の市場は何でも揃うぞ。」

「まずは宿を探さないとな。」

 聞こえてくる会話だけでも胸が躍る。

(本当にいろいろな人が集まる街なんだ。)

 気付けば周囲をきょろきょろと見回していた。

 旅の途中では見かけなかった服装。

 珍しい魔道具。

 異国の言葉。

 一つひとつが新鮮で、まるで大きな図書館へ足を踏み入れたような気分になる。

 知らないことが、こんなにもたくさんある。

 それが嬉しかった。

「早く中を見てみたいです。」

 自然と笑みがこぼれる。

 病を抱えていることも、この瞬間だけは少しだけ忘れられた。

     ◇

 やがて巨大な城門が目の前まで迫る。

 近くで見る城壁は圧倒的だった。

 白い石を幾重にも積み重ねた壁は、人が何十人並んでも届かないほど高い。

 その上では騎士たちが巡回し、門の前では兵士たちが行き交う人々を見守っている。

(これが……王都を守る城壁。)

 思わず見上げる。

 その巨大さに、自分がとても小さく思えた。

 門をくぐる人々は誰もが自然な足取りで進んでいく。

 アイリスも列へ並び、ゆっくりと歩を進めた。

 門をくぐった瞬間――。

「……!」

 思わず目を見開く。

 眩しいほど白い石畳。

 左右へ真っ直ぐ伸びる広い大通り。

 整然と並ぶ街路樹。

 水音を響かせる噴水。

 道の両側には大小さまざまな店が立ち並び、焼きたてのパンや果物、花々、魔道具、本、装飾品まで所狭しと並べられている。

 人々の笑い声。

 商人の呼び込み。

 子どもたちのはしゃぐ声。

 馬車の音。

 すべてが重なり合い、一つの大きな活気となって街を包み込んでいた。

「すごい……。」

 気付けば立ち止まっていた。

 世界は広い。

 そう思っていた。

 けれど、この街はその"広さ"そのものだった。

 世界中がここへ集まってきたような、不思議な感覚になる。

「これが……アルディア。」

 何度呟いても足りない。

 胸の鼓動が少しずつ速くなる。

     ◇

 しかし、アイリスはすぐに視線を上げた。

 街の向こう。

 建物の隙間からでも、その姿だけははっきりと見える。

 白亜の王城。

 アルディシア王家が暮らす、この国の中心。

 アイリスは静かにその姿を見つめた。

(あの中のどこかに……。)

 神器アイオーンへ繋がる手掛かりがある。

 まだ何も分からない。

 どこにあるのか。

 どうすれば辿り着けるのか。

 その方法すら知らない。

 それでも、この街へ来られた。

 ようやく最初の一歩を踏み出せたのだ。

 アイリスは胸の前でそっと拳を握る。

「必ず見つける。」

 その瞳に迷いはなかった。

 病に負けないため。

 もう一度、大切な人たちのもとへ笑って帰るため。

 そして――。

 まだ見ぬ未来を、自分自身の手で掴み取るために。

 アイリスは大きく息を吸い込む。

 パンの香り。

 花の香り。

 人々の活気。

 すべてが新しい。

 すべてが希望に満ちていた。

「さて……まずは、王城へ入る方法を探さないと。」

 小さく笑う。

 難しい道になるだろう。

 きっと何度も壁にぶつかる。

 それでも、不思議と怖くはなかった。

 世界最大の都市で始まる、新しい生活。

 どんな人と出会うのだろう。

 どんな景色が待っているのだろう。

 どんな未来へ繋がっていくのだろう。

 期待は、不安よりもずっと大きかった。

 アイリスはもう一度だけ王城を見上げると、穏やかな笑みを浮かべる。

「よろしくお願いします。アルディア。」

 そう呟き、賑わう街並みの中へ一歩踏み出した。

 アイリスの姿は、人々で賑わう王都の中へ静かに溶け込んでいった。

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