第12話 雪国
孤児院を旅立ってから、およそ一年。
アイリスは十四歳になっていた。
世界を巡る旅は続き、季節は再び冬を迎えている。
山道には深い雪が積もり、吐く息は白く空へ溶けていった。
「さむ……。」
アイリスは両手をこすり合わせる。
隣を歩くゼノスは平然としていた。
「これくらいで寒いなんて言ってたら、この先もっと凍えるぞ。」
「師匠は寒くないんですか?」
「寒い。」
「寒いんじゃないですか。」
「寒いもんは寒い。」
あまりにも堂々とした返事に、アイリスは思わず吹き出した。
「じゃあ我慢しないでください。」
「弟子の前だからな。」
「全然格好ついてませんよ。」
二人は笑いながら雪道を歩く。
その穏やかな空気は、山を下った瞬間に消えた。
◇
雪国の小さな村。
本来なら煙突から煙が立ち上り、人々が行き交うはずの場所だった。
しかし目の前に広がっていたのは、雪に埋もれた静かな集落だった。
家の屋根には厚い雪が積み重なり、今にも押し潰されそうになっている。
道は完全に塞がれ、人ひとり歩くのも難しい。
「これは……。」
アイリスは表情を曇らせる。
その時だった。
「助けてください!」
雪をかき分けながら、一人の青年が駆け寄ってきた。
「お願いします!」
「村が……。」
「村がもう限界なんです!」
ゼノスは落ち着いた様子で青年を支えた。
「何があった。」
「三日前から吹雪が続いて……。」
「家が潰れそうなんです。」
「食料も尽きかけています。」
「老人も子どもも外へ出られません。」
青年の声は震えていた。
ゼノスは村を見渡し、小さく頷く。
そして隣のアイリスを見る。
「今回は見てるだけだ。」
静かに言う。
「俺は手を貸さねぇ。」
アイリスは一瞬だけ驚いた。
すぐに真剣な表情へ変わる。
「……はい。」
◇
まず向かったのは村長の家だった。
暖炉の火は弱々しく、部屋の中も冷え切っている。
地図を広げながら、村長が説明する。
「除雪しても追いつきません。」
「家も危険です。」
「若い者だけでは手が足りなくて……。」
アイリスは静かに頷いた。
「まず全部見せてください。」
家の数。
住人。
高齢者。
子どもの人数。
食料の残り。
薪の量。
吹きだまりの位置。
風向き。
雪質。
一つひとつ丁寧に確認していく。
ゼノスは後ろから何も言わず見守っていた。
◇
昼過ぎ。
アイリスは村の外れまで歩き、積もった雪へ手を伸ばした。
「重い……。」
指先で雪を崩す。
表面は柔らかい。
しかし内部は凍り付き、岩のように固くなっている。
そのまま屋根へ積もれば危険だった。
(力任せじゃ駄目。)
(また積もる。)
(根本から考えないと。)
橋の村で学んだことを思い出す。
魔法を見るな。
世界を見ろ。
アイリスはゆっくり村全体を見渡した。
家。
道。
山。
風。
雪。
全部が繋がっている。
「……そうか。」
小さく呟いた。
「雪を消すことじゃない。」
「人が冬を超えられるようにすることだ。」
その答えが胸へ落ちた瞬間、迷いが消えた。
◇
アイリスは村人たちを広場へ集めた。
「皆さんにお願いがあります。」
突然の言葉に、村人たちは顔を見合わせる。
「魔法だけでは、この村は守れません。」
「だから。」
静かに笑う。
「皆さんも手伝ってください。」
一瞬静まり返る。
そして村長が力強く頷いた。
「もちろんです!」
若者たちも声を上げる。
「やります!」
「俺たちも!」
「何をすればいい!」
アイリスは地図を広げながら指示を出していく。
「こちらは除雪。」
「こちらは薪集め。」
「この家から避難を。」
「子どもたちは暖かい建物へ。」
村全体が一斉に動き始めた。
ゼノスは少し離れた場所から、その光景を見つめる。
もう自分が指示を出す必要はない。
弟子は、自分で人を導けるようになっていた。
◇
その日の午後。
村中の人々が動き始めた。
若者たちは雪をかき分け、家々へ続く道を作る。
女性たちは炊き出しの準備を始め、子どもたちは運べる大きさの薪を一生懸命集めていた。
誰も立ち止まらない。
誰も諦めていない。
その姿を見て、アイリスは静かに頷いた。
「始めます。」
右手を胸の前へ掲げる。
足元に魔法陣が広がった。
白い雪原に、七つの属性を示す紋様がゆっくりと浮かび上がる。
風は雪を遠ざけるために。
土は土台を支えるために。
火は暖を生み出すために。
水は凍結を防ぐために。
それぞれが役割を持ちながら、一つの術式として重なり合っていく。
眩い光が雪原を包んだ。
やがて光が収まると、広場の中央には頑丈な木造の建物が姿を現していた。
「避難小屋です。」
村人たちは思わず息を呑む。
「すごい……。」
「一瞬で……。」
アイリスは首を横に振った。
「まだ終わっていません。」
「皆さん、中へ薪を運んでください。」
「暖炉へ火を入れます。」
「はい!」
村人たちは一斉に動き出した。
魔法だけでは完成しない。
人の手が加わって初めて、暮らしは動き出す。
◇
その後も、アイリスは村中を駆け回った。
屋根に積もった雪を下ろし、壊れた柱を補強する。
冷え切った暖炉は、熱が逃げない構造へ作り替えた。
吹きさらしになっていた広場には、防風壁を設置する。
村人たちも負けじと雪を運び、薪を割り、食料を配る。
「こっち終わったぞ!」
「次はこっちだ!」
声が飛び交い、止まっていた村が少しずつ息を吹き返していく。
ゼノスはその様子を静かに眺めていた。
(魔法だけじゃねぇ。)
(ちゃんと人を見てる。)
いつの間にか、弟子は一人で考え、一人で人を導けるようになっていた。
◇
翌日。
避難小屋には温かな空気が満ちていた。
暖炉の前では、小さな子どもたちが笑いながら遊んでいる。
「見て!」
「雪だるま作った!」
昨日まで不安そうだった表情は、もうどこにもない。
老人たちも温かなスープを飲みながら、ほっと息をついていた。
「助かったよ……。」
「このまま冬を越せる。」
アイリスはその光景を見つめ、胸をなで下ろす。
橋の村でもそうだった。
自分が創りたいのは、建物ではない。
そこに戻る笑顔なのだ。
◇
数日後。
吹雪はようやく収まり、青空が顔をのぞかせた。
村では小さな宴が開かれていた。
保存していた肉や野菜を持ち寄り、広場には温かな料理が並ぶ。
「アイリスさん!」
「これ食べて!」
子どもたちが焼きたてのパンを差し出してくる。
「ありがとうございます。」
受け取った瞬間、小さな女の子が尋ねた。
「また来てくれる?」
アイリスは優しく笑う。
「もちろん。」
「また遊びに来るね。」
その言葉に、子どもたちは歓声を上げた。
◇
宴も終わりに近づいた頃だった。
立ち上がろうとしたアイリスの視界が、不意に揺れる。
「……あれ。」
地面が遠くなるような感覚。
足元がふらつく。
思わず近くの柱へ手をついた。
「アイリス?」
ゼノスがすぐに気付く。
「大丈夫か。」
「はい。」
アイリスはすぐに笑顔を作った。
「少し立ちくらみがしただけです。」
「ここ数日、動き回ってたからな。」
ゼノスは苦笑する。
「働かせすぎたか。」
「少し休め。」
「はい。」
本人も、ゼノスも、それ以上深く考えなかった。
疲れが溜まっているだけ。
そう思っていた。
――まだ、この違和感の正体を知る者はいない。
◇
翌朝。
雪雲は消え、空はどこまでも青かった。
村人たちが村の入口まで見送りに集まっている。
「本当にありがとうございました!」
「命の恩人です!」
「また来てください!」
子どもたちが大きく手を振る。
アイリスも笑顔で手を振り返した。
「皆さんも、お元気で!」
村長が深々と頭を下げる。
「このご恩は、一生忘れません。」
ゼノスは照れくさそうに頭をかいた。
「大げさだ。」
「困ったら、また呼べ。」
「はい!」
◇
村を離れ、雪原を歩く二人。
しばらく無言で歩いたあと、ゼノスがぽつりと呟いた。
「……いい顔するようになったな。」
アイリスは少し驚いて振り返る。
「え?」
「人を助けることが、当たり前になってる。」
その言葉に、アイリスは少し照れくさそうに笑った。
「師匠のおかげです。」
「俺は何もしてねぇ。」
「そんなことありません。」
アイリスは前を向く。
「師匠が『考えろ』って言い続けてくれたから、今の私があります。」
ゼノスは照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「そういうことにしとけ。」
二人は顔を見合わせて笑う。
そのまま雪道を歩き続ける。
遠く、山の向こうに巨大な白い建造物が見え始めていた。
「師匠……。」
「あれは……。」
ゼノスは懐かしそうに神殿を見上げる。
そして、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……俺たちの家だ。」
「あの神殿は、この国の知識と祈りを守る場所。」
「世界中の知識が集まり、人々を支え続けてきた。」
アイリスは目を輝かせる。
「……すごい。」
胸が高鳴る。
これから始まる新しい日々への期待と、まだ見ぬ知識への憧れが溢れてくる。
ゼノスはそんな弟子の横顔を見て静かに微笑む。
「さあ、帰るぞ。」
二人は並んで雪を踏みしめ、神殿へ向かって歩き出した。




