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白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第二章 師弟

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20/26

第12話 雪国

 孤児院を旅立ってから、およそ一年。

 アイリスは十四歳になっていた。

 世界を巡る旅は続き、季節は再び冬を迎えている。

 山道には深い雪が積もり、吐く息は白く空へ溶けていった。

「さむ……。」

 アイリスは両手をこすり合わせる。

 隣を歩くゼノスは平然としていた。

「これくらいで寒いなんて言ってたら、この先もっと凍えるぞ。」

「師匠は寒くないんですか?」

「寒い。」

「寒いんじゃないですか。」

「寒いもんは寒い。」

 あまりにも堂々とした返事に、アイリスは思わず吹き出した。

「じゃあ我慢しないでください。」

「弟子の前だからな。」

「全然格好ついてませんよ。」

 二人は笑いながら雪道を歩く。

 その穏やかな空気は、山を下った瞬間に消えた。

     ◇

 雪国の小さな村。

 本来なら煙突から煙が立ち上り、人々が行き交うはずの場所だった。

 しかし目の前に広がっていたのは、雪に埋もれた静かな集落だった。

 家の屋根には厚い雪が積み重なり、今にも押し潰されそうになっている。

 道は完全に塞がれ、人ひとり歩くのも難しい。

「これは……。」

 アイリスは表情を曇らせる。

 その時だった。

「助けてください!」

 雪をかき分けながら、一人の青年が駆け寄ってきた。

「お願いします!」

「村が……。」

「村がもう限界なんです!」

 ゼノスは落ち着いた様子で青年を支えた。

「何があった。」

「三日前から吹雪が続いて……。」

「家が潰れそうなんです。」

「食料も尽きかけています。」

「老人も子どもも外へ出られません。」

 青年の声は震えていた。

 ゼノスは村を見渡し、小さく頷く。

 そして隣のアイリスを見る。

「今回は見てるだけだ。」

 静かに言う。

「俺は手を貸さねぇ。」

 アイリスは一瞬だけ驚いた。

 すぐに真剣な表情へ変わる。

「……はい。」

     ◇

 まず向かったのは村長の家だった。

 暖炉の火は弱々しく、部屋の中も冷え切っている。

 地図を広げながら、村長が説明する。

「除雪しても追いつきません。」

「家も危険です。」

「若い者だけでは手が足りなくて……。」

 アイリスは静かに頷いた。

「まず全部見せてください。」

 家の数。

 住人。

 高齢者。

 子どもの人数。

 食料の残り。

 薪の量。

 吹きだまりの位置。

 風向き。

 雪質。

 一つひとつ丁寧に確認していく。

 ゼノスは後ろから何も言わず見守っていた。

     ◇

 昼過ぎ。

 アイリスは村の外れまで歩き、積もった雪へ手を伸ばした。

「重い……。」

 指先で雪を崩す。

 表面は柔らかい。

 しかし内部は凍り付き、岩のように固くなっている。

 そのまま屋根へ積もれば危険だった。

(力任せじゃ駄目。)

(また積もる。)

(根本から考えないと。)

 橋の村で学んだことを思い出す。

 魔法を見るな。

 世界を見ろ。

 アイリスはゆっくり村全体を見渡した。

 家。

 道。

 山。

 風。

 雪。

 全部が繋がっている。

「……そうか。」

 小さく呟いた。

「雪を消すことじゃない。」

「人が冬を超えられるようにすることだ。」

 その答えが胸へ落ちた瞬間、迷いが消えた。

     ◇

 アイリスは村人たちを広場へ集めた。

「皆さんにお願いがあります。」

 突然の言葉に、村人たちは顔を見合わせる。

「魔法だけでは、この村は守れません。」

「だから。」

 静かに笑う。

「皆さんも手伝ってください。」

 一瞬静まり返る。

 そして村長が力強く頷いた。

「もちろんです!」

 若者たちも声を上げる。

「やります!」

「俺たちも!」

「何をすればいい!」

 アイリスは地図を広げながら指示を出していく。

「こちらは除雪。」

「こちらは薪集め。」

「この家から避難を。」

「子どもたちは暖かい建物へ。」

 村全体が一斉に動き始めた。

 ゼノスは少し離れた場所から、その光景を見つめる。

 もう自分が指示を出す必要はない。

 弟子は、自分で人を導けるようになっていた。

     ◇

 その日の午後。

 村中の人々が動き始めた。

 若者たちは雪をかき分け、家々へ続く道を作る。

 女性たちは炊き出しの準備を始め、子どもたちは運べる大きさの薪を一生懸命集めていた。

 誰も立ち止まらない。

 誰も諦めていない。

 その姿を見て、アイリスは静かに頷いた。

「始めます。」

 右手を胸の前へ掲げる。

 足元に魔法陣が広がった。

 白い雪原に、七つの属性を示す紋様がゆっくりと浮かび上がる。

 風は雪を遠ざけるために。

 土は土台を支えるために。

 火は暖を生み出すために。

 水は凍結を防ぐために。

 それぞれが役割を持ちながら、一つの術式として重なり合っていく。

 眩い光が雪原を包んだ。

 やがて光が収まると、広場の中央には頑丈な木造の建物が姿を現していた。

「避難小屋です。」

 村人たちは思わず息を呑む。

「すごい……。」

「一瞬で……。」

 アイリスは首を横に振った。

「まだ終わっていません。」

「皆さん、中へ薪を運んでください。」

「暖炉へ火を入れます。」

「はい!」

 村人たちは一斉に動き出した。

 魔法だけでは完成しない。

 人の手が加わって初めて、暮らしは動き出す。

     ◇

 その後も、アイリスは村中を駆け回った。

 屋根に積もった雪を下ろし、壊れた柱を補強する。

 冷え切った暖炉は、熱が逃げない構造へ作り替えた。

 吹きさらしになっていた広場には、防風壁を設置する。

 村人たちも負けじと雪を運び、薪を割り、食料を配る。

「こっち終わったぞ!」

「次はこっちだ!」

 声が飛び交い、止まっていた村が少しずつ息を吹き返していく。

 ゼノスはその様子を静かに眺めていた。

(魔法だけじゃねぇ。)

(ちゃんと人を見てる。)

 いつの間にか、弟子は一人で考え、一人で人を導けるようになっていた。

     ◇

 翌日。

 避難小屋には温かな空気が満ちていた。

 暖炉の前では、小さな子どもたちが笑いながら遊んでいる。

「見て!」

「雪だるま作った!」

 昨日まで不安そうだった表情は、もうどこにもない。

 老人たちも温かなスープを飲みながら、ほっと息をついていた。

「助かったよ……。」

「このまま冬を越せる。」

 アイリスはその光景を見つめ、胸をなで下ろす。

 橋の村でもそうだった。

 自分が創りたいのは、建物ではない。

 そこに戻る笑顔なのだ。

     ◇

 数日後。

 吹雪はようやく収まり、青空が顔をのぞかせた。

 村では小さな宴が開かれていた。

 保存していた肉や野菜を持ち寄り、広場には温かな料理が並ぶ。

「アイリスさん!」

「これ食べて!」

 子どもたちが焼きたてのパンを差し出してくる。

「ありがとうございます。」

 受け取った瞬間、小さな女の子が尋ねた。

「また来てくれる?」

 アイリスは優しく笑う。

「もちろん。」

「また遊びに来るね。」

 その言葉に、子どもたちは歓声を上げた。

     ◇

 宴も終わりに近づいた頃だった。

 立ち上がろうとしたアイリスの視界が、不意に揺れる。

「……あれ。」

 地面が遠くなるような感覚。

 足元がふらつく。

 思わず近くの柱へ手をついた。

「アイリス?」

 ゼノスがすぐに気付く。

「大丈夫か。」

「はい。」

 アイリスはすぐに笑顔を作った。

「少し立ちくらみがしただけです。」

「ここ数日、動き回ってたからな。」

 ゼノスは苦笑する。

「働かせすぎたか。」

「少し休め。」

「はい。」

 本人も、ゼノスも、それ以上深く考えなかった。

 疲れが溜まっているだけ。

 そう思っていた。

 ――まだ、この違和感の正体を知る者はいない。

     ◇

 翌朝。

 雪雲は消え、空はどこまでも青かった。

 村人たちが村の入口まで見送りに集まっている。

「本当にありがとうございました!」

「命の恩人です!」

「また来てください!」

 子どもたちが大きく手を振る。

 アイリスも笑顔で手を振り返した。

「皆さんも、お元気で!」

 村長が深々と頭を下げる。

「このご恩は、一生忘れません。」

 ゼノスは照れくさそうに頭をかいた。

「大げさだ。」

「困ったら、また呼べ。」

「はい!」

     ◇

 村を離れ、雪原を歩く二人。

 しばらく無言で歩いたあと、ゼノスがぽつりと呟いた。

「……いい顔するようになったな。」

 アイリスは少し驚いて振り返る。

「え?」

「人を助けることが、当たり前になってる。」

 その言葉に、アイリスは少し照れくさそうに笑った。

「師匠のおかげです。」

「俺は何もしてねぇ。」

「そんなことありません。」

 アイリスは前を向く。

「師匠が『考えろ』って言い続けてくれたから、今の私があります。」

 ゼノスは照れ隠しのように鼻を鳴らした。

「そういうことにしとけ。」

 二人は顔を見合わせて笑う。

 そのまま雪道を歩き続ける。

 遠く、山の向こうに巨大な白い建造物が見え始めていた。

「師匠……。」

「あれは……。」

 ゼノスは懐かしそうに神殿を見上げる。

 そして、少しだけ照れくさそうに笑った。

「……俺たちの家だ。」

「あの神殿は、この国の知識と祈りを守る場所。」

「世界中の知識が集まり、人々を支え続けてきた。」

 アイリスは目を輝かせる。

「……すごい。」

 胸が高鳴る。

 これから始まる新しい日々への期待と、まだ見ぬ知識への憧れが溢れてくる。

 ゼノスはそんな弟子の横顔を見て静かに微笑む。

「さあ、帰るぞ。」

 二人は並んで雪を踏みしめ、神殿へ向かって歩き出した。

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