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白銀の猫と創生の魔女  作者: 金林明莉
第二章 師弟
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第3話 孤児院

 夕暮れの空は茜色に染まり、その柔らかな光が孤児院を包み込んでいた。

 庭では仕事を終えた子どもたちが元気いっぱいに駆け回っている。

 笑い声が風に乗り、静かな森の入口まで届いていた。

「アイリスお姉ちゃん!」

 最初に気付いた小さな女の子が、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってくる。

 それを合図にしたように、他の子どもたちも次々と集まってきた。

「おかえり!」

「今日は遅かったね!」

「薬草いっぱい採れた?」

 口々に話しかけられ、アイリスの表情が自然とほころぶ。

「うん。」

「今日はたくさん採れたよ。」

 背負っていた籠を少し持ち上げて見せると、子どもたちは嬉しそうに覗き込んだ。

「ほんとだ!」

「これならお薬いっぱい作れるね!」

「院長先生も喜ぶ!」

 その時、一人の男の子がアイリスの後ろへ視線を向けた。

「あれ?」

「その人、だれ?」

 一斉に子どもたちの視線が赤髪の男へ集まる。

 アイリスは少し困ったようにゼノスを見た。

「えっと……。」

 紹介しようとして、ふと気付く。

 知っているのは名前だけだった。

 何をしている人なのか。

 どこから来た人なのか。

 それはまだ聞いていない。

 少し考えてから、小さく答えた。

「ゼノスさんです。」

 それを聞いたゼノスは、子どもたちへ大きく手を振る。

「よう!」

「よろしくな!」

 豪快な笑顔につられたのか、子どもたちは顔を見合わせた。

 知らない大人。

 それでも、不思議と怖そうには見えなかった。

 すると、小さな女の子がおずおずと尋ねる。

「アイリスお姉ちゃんのお友達?」

「えっ……。」

 思いがけない質問に、アイリスは言葉を詰まらせた。

 友達、と言えるのだろうか。

 森で偶然出会って、一緒に薬草を採った。

 ただ、それだけの関係だった。

 どう答えようか迷っていると、ゼノスが豪快に笑う。

「まあ、そんなもんだ!」

「まだ知り合ったばっかりだけどな!」

 その言葉に子どもたちは安心したように笑った。

「そっか!」

「じゃあ、お友達だね!」

 その無邪気な一言に、アイリスも思わず苦笑する。

「……そう、なのかな。」

 ゼノスは肩を揺らして笑った。

「はっはっは!」

「細けぇことはいいんだよ。」

 そのやり取りを見ていた子どもたちも、つられるように笑い始める。

 ほんの少し前まで見知らぬ大人だったはずなのに、いつの間にか庭の空気は和らいでいた。

 その時だった。

 玄関の扉が静かに開く。

「お帰りなさい、アイリス。」

 穏やかな声とともに姿を現したのは、院長のマリアだった。

 アイリスは軽く頭を下げる。

「ただいま戻りました。」

 マリアは優しく微笑み、籠いっぱいの薬草へ目を向ける。

「今日もたくさん採れたみたいね。」

「はい。」

 そして、その隣へ立つ赤髪の男へ視線を移した。

 見覚えのない人物だった。

 旅人だろうか。

 それとも薬を求めてきた人だろうか。

 穏やかな笑みを崩さないまま、丁寧に尋ねる。

「失礼ですが……。」

「こちらの方は?」

 ゼノスは一歩前へ出ると、軽く頭を下げた。

「突然押しかけて悪いな。」

「少し話があって来た。」

 ぶっきらぼうな口調だったが、不思議と威圧感はない。

 むしろ誠実さの方が伝わってくる。

 マリアは静かに頷いた。

「承知しました。」

「どうぞ、中へお入りください。」

 ゼノスは「おう」と短く返事をすると、ゆっくりと孤児院の玄関をくぐった。

 アイリスもその後へ続いた。

 まだ、この人が何者なのか。

 それを知る者は、ここには誰一人いなかった。

     ◇

 応接室へ案内されようとした、その時だった。

「ああ、そうだ。」

 ゼノスが思い出したように足を止める。

「先にこれだけ見せとくか。」

 そう言って懐へ手を入れ、一枚の銀色の紋章を取り出した。

 夕日に照らされた紋章が静かに輝く。

 中央には大きな世界樹。

 その周囲には七つの属性紋様。

 さらに三賢者を象徴する印が精巧に刻まれている。

 それを見た瞬間――。

 マリアの表情が変わった。

「……その紋章は。」

 息を呑み、一歩後ずさる。

「まさか……。」

 震える声が漏れた。


「第一賢者様……!」


 その一言で、部屋の空気が張り詰める。

 アイリスは思わずゼノスを見つめた。

「えっ……。」

「第一賢者……?」

 森で一緒に薬草を摘み、

 豪快に笑い、

 「面白ぇ!」

 そう言っていた男。

 その人が――

 王国で最も偉大な三人の魔法使い、その一人。

 第一賢者だった。

「えぇっ!?」

 思わず声が裏返る。

 ゼノスは照れくさそうに頭をかき、大きく肩をすくめた。

「あー……。」

「だから言いたくなかったんだ。」

 困ったように笑ってから、アイリスたちを見回す。

「そんな顔すんなって。」

「俺は俺だ。」

「さっきまでと何も変わらねぇよ。」

 その笑顔は、森で見せていたものと少しも変わらない。

 アイリスは紋章とゼノスの顔を何度も見比べた。

(本当に……。)

(この人が第一賢者なんだ。)

 まだ信じられない。

 けれど、不思議と怖さはなかった。

 少し驚いただけで、ゼノスという人への印象は変わらなかった。

 そんな大人たちの様子を見上げながら、子どもたちは首をかしげている。

「第一賢者?」

「すっごく強い魔法使いってこと?」

「そんなにすごい人なの?」

 まだ幼い子どもたちには、賢者という存在の重みまでは分からない。

 ただ、大人たちが驚いていることだけは伝わっていた。

 マリアは慌てて子どもたちの前へ出る。

「みんな。」

「失礼のないように――」

 しかし、ゼノスは手をひらひらと振った。

「いいって、いいって。」

「そんな気ぃ遣われる方が落ち着かねぇ。」

 そう言って子どもたちへ向き直る。

「お前ら。」

「遊ぶか!」

 あまりにも突然の一言だった。

 子どもたちはぽかんと口を開ける。

「……遊ぶ?」

 ゼノスは口元を大きく吊り上げた。

「そうだ。」

「せっかく集まってんだ。」

「難しい話なんざ後回しだ。」

「まずは楽しもうぜ!」

 そう言うと、軽く指を鳴らす。

 ――ぱちん。

 小さな火花が宙へ弾けた。

 しかし炎にはならない。

 赤や青、金色の光がふわりと浮かび、一匹、また一匹と蝶へ姿を変えていく。

「わぁ……!」

 子どもたちの歓声が上がる。

 続いてゼノスが手を軽く振ると、柔らかな風が庭を吹き抜けた。

 風に乗って無数のシャボン玉が夕焼け空へ舞い上がる。

 その間を、透き通った水の魚が楽しそうに泳いでいく。

 さらに地面からは土でできた小さなうさぎや小鳥がぴょんぴょんと跳ね回り始めた。

 まるで童話の世界が、そのまま庭へ現れたようだった。

「すごーい!」

「蝶が飛んでる!」

「お魚がお空泳いでる!」

 子どもたちは目を輝かせながら駆け出した。

「わぁーっ!」

 子どもたちは歓声を上げ、一斉に庭へ飛び出した。

 夕焼け色の空を色とりどりの蝶が舞う。

 透き通った水の魚はシャボン玉の間を泳ぎ回り、土でできたうさぎや小鳥は元気いっぱいに駆け回っていた。

 子どもたちは夢中で追いかけ始める。

 ゼノスは腕を組みながら、その様子を満足そうに眺めていた。

「ほらほら!」

「ぼさっとしてると逃げちまうぞ!」

 蝶が子どもたちの頭上をひらりと飛び越える。

「待ってー!」

「あと少し!」

 手を伸ばしても届かない。

 するとゼノスは悪戯っぽく笑った。

「遅ぇ遅ぇ!」

「ほら、もう少しだ!」

 あと一歩というところで蝶はふわりと舞い上がる。

「ずるーい!」

「はっはっは!」

「捕まえられるもんなら捕まえてみろ!」

 ゼノスは子どもたちの間を軽やかにすり抜ける。

 本気で逃げるわけではない。

 追いつけそうになると少しだけ足を緩め、手が届きそうになればまたひらりと身をかわす。

 子どもたちが一番楽しめる距離を、自然と作っていた。

 庭には笑い声が絶え間なく響く。

 ほんの少し前まで「第一賢者」と聞いて固まっていた空気は、いつの間にか跡形もなく消えていた。

 その光景を眺めながら、アイリスは思わず小さく呟く。

「本当に……。」

 自然と言葉がこぼれる。

「偉い人なのに……。」

 森で出会った時も、この人はよく笑っていた。

 薬草の話を聞けば興味津々に耳を傾け、面白いと思えば腹の底から笑う。

 あれは自分だけに見せていた姿ではなかった。

 この人は、誰に対しても変わらない。

 それが、なんだか嬉しかった。

     ◇

 やがて夕食の時間になると、子どもたちは名残惜しそうに食堂へ集まってきた。

 マリアはゼノスを奥の席へ案内しようとする。

「第一賢者様、こちらへ――」

 しかしゼノスは首を横に振った。

「いや。」

「俺もみんなと同じでいい。」

 そう言って空いていた長机へどかりと腰を下ろす。

 並ぶ料理は子どもたちと同じものだった。

 焼きたてのパン。

 温かな野菜のスープ。

 彩りを添える炒め野菜。

 ゼノスは両手を合わせる。

「いただきます!」

 一口スープを飲むなり、目を丸くした。

「うまっ!」

「マリアさん、このスープ最高だ!」

「身体の芯まで温まるじゃねぇか!」

 突然褒められたマリアは、少し照れくさそうに微笑む。

「ありがとうございます。」

「みんなで育てた野菜を使っているんですよ。」

「なるほど!」

「だからこんなにうめぇのか!」

 ゼノスは感心したように何度も頷きながら、夢中でスープを口へ運ぶ。

 その豪快な食べっぷりに、子どもたちもつられて笑い出した。

「ゼノスさん!」

「パン取って!」

「おう、ほらよ!」

 大きな手で籠からパンを取り、向かいの子へ渡す。

「ありがとう!」

「いっぱい食え!」

「でっかくなるぞ!」

 子どもたちは嬉しそうに頷き、食堂は和やかな笑い声に包まれた。

 アイリスはその光景を静かに見つめる。

(本当に……。)

(不思議な人。)

 第一賢者と聞いて思い浮かべていた姿とは、あまりにも違う。

 偉そうに命令することもなければ、自分だけ特別扱いされようともしない。

 誰とでも同じ目線で笑い、同じ食卓を囲み、同じ時間を楽しんでいる。

 その姿は、肩書きよりもずっと大きく見えた。

     ◇

 夕食を終えると、子どもたちは食器を運び始める。

 アイリスも自然と立ち上がった。

「こっちは私が持つね。」

 背の低い子から皿を受け取り、台所まで運ぶ。

 重そうな鍋があれば代わりに持ち上げ、転びそうな子がいればそっと支える。

 誰かに頼まれたからではない。

 それが当たり前になっているからだった。

 ゼノスは少し離れた場所から、その様子を静かに眺めていた。

(やっぱりな。)

 魔法の才能だけじゃない。

 薬草の知識だけでもない。

 誰かのために動くことが、この子には呼吸をするように身についている。

 だからこそ、人を助ける魔法を生み出そうとしていたのだ。

 ゼノスは小さく口元を緩める。

(間違っちゃいねぇ。)

(俺が見込んだのは、この子の魔法だけじゃねぇ。)

     ◇

 遊び疲れた子どもたちが眠そうにあくびを始める頃。

 孤児院は穏やかな静けさに包まれていた。

 マリアは湯気の立つお茶をゼノスの前へ置く。

「どうぞ。」

「おう、ありがとな。」

 湯飲みを受け取ったゼノスは一口すすり、小さく息をついた。

 マリアは向かいへ腰を下ろし、穏やかな笑みを浮かべる。


「それで。」

「本日は、どういったご用件でしょうか。」


 ゼノスは湯飲みを静かに置く。

 先ほどまでの砕けた笑みはそのままに、真っ直ぐマリアを見つめた。

「ああ。」

「その話をしに来た。」

 アイリスは思わず姿勢を正す。

 この人が何を話そうとしているのか。

 その答えを、まだ知らない。


 ――アイリスの未来を決める話が、いよいよ始まろうとしていた。

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