第七章 三人の逃避行と迫る影
朝の光が森を優しく照らす中、三人は洞窟を後にした。
血の臭いがまだ鼻に残る中、黒崎零は先頭に立ち、鬼哭丸の柄に右手を軽く置いて歩いていた。
左肩と右腕の傷がじんじん疼き、黒い羽織は乾いた血で固く重くなっていた。
そのすぐ後ろを、ルリアが零の背中に寄りかかるようにして歩いている。
零の羽織を体に巻きつけているが、前が十分に閉じられておらず、雨に透けたドレスが白い肌に張り付いたままだった。
歩くたびに柔らかな胸の膨らみが軽く揺れ、傷口から滲み出た血が太ももの内側をゆっくりと伝う様子が、朝の光に艶やかに浮かび上がっていた。
天城蓮は少し後ろを歩きながら、二人の様子を横目で観察していた。
左腕の傷を簡易的に布で縛り、二本の刀を腰に差した軽やかな足取り。
時折、零の背中を見て小さく口笛を吹く。
「へえ……本気で守ってるんだな、零。
魔王の娘を背負って逃げてる侍なんて、相当珍しいぜ。
俺が知ってる限りじゃ、お前が初めてだ」
零は前を向いたまま、低く答えた。
「侍として一度決めたことだ。理由などいらん。
蓮、お前も今は仲間だ。
ルリアを守るのが最優先。
それに逆らうなら、容赦はしない」
蓮は笑いながら肩をすくめた。
「わかってるよ。
ただ、ちょっと羨ましいだけさ。
俺は五年間、ずっと一人で剣を振るってたからな。
……守りたいものができたって感覚、久しぶりだ」
ルリアが零の背中に顔を埋めるように寄りかかり、甘く掠れた声で言った。
「蓮さん……ありがとう……
零と一緒にいてくれるなら……私、嬉しい……はぁ……っ」
歩くリズムでルリアの体が零の背中に密着し、柔らかな胸の感触が薄い布越しに伝わってくる。
零は無意識に歯を食いしばった。
(……今は移動に集中しろ。
仲間が増えたということは、守るべきものが増えたということだ。
侍の刀は、それだけ重くなる……)
三人が森を抜け、岩場が続く細い獣道に入った頃、遠くから再び金属の足音が響き始めた。
今度はこれまでより数が少ないが、動きが素早い。
十人ほどの軽装聖騎士と、二名の神官騎士。
どうやら先遣隊か、残党が合流した小部隊のようだった。
零が足を止め、低く言った。
「来る。十人前後。
蓮、ルリアを後ろに下げろ。
俺が正面を抑える。お前は横から回り込め」
蓮は二本の刀を抜き、軽く構えた。
右手に主刀、左手に副刀。
口元に笑みを浮かべながらも、目は本気の戦士のそれになっていた。
「了解。
お前の鬼哭丸が正面をぶち抜くなら、俺は隙を突いて側面を崩す。
ルリアちゃんは、俺の後ろにいろ。絶対に動くなよ」
ルリアは零の背中から離れ、岩陰に身を隠しながら小さく頷いた。
しかしその動きで羽織がさらにずれ、白い胸の谷間と傷の近くの太ももが露わになる。
蓮が一瞬視線を逸らし、零がそれを察して低く唸った。
「蓮……余計な視線は許さんぞ」
「わかってるって。
ただ……お前が守ってるものが、あまりにも無防備すぎるだろ」
聖騎士たちが木々の間から一斉に姿を現した。
軽装ながら動きが速く、聖剣に聖なる光を宿している者もいる。
後方の神官騎士がすでに魔法陣を展開し始めていた。
先頭の騎士が叫んだ。
「魔王の落とし子と侍の犬!
そしてもう一匹の野良犬か!
ここで全てを終わらせる!」
零は鬼哭丸を抜き、青白い光を刃に走らせた。
「来い」
戦闘が始まった。
零が正面から突進し、鬼哭丸を大きく横に払う。
最初の二人の軽装騎士が同時に斬りかかってきたが、零の刃が美しい弧を描き、二本の聖剣を同時に弾き飛ばした。
そのまま低く沈み、刃を逆手に持ち替えて一人の脇腹を深く切り裂く。
ザシュッ! 血が噴き上がり、騎士が悲鳴を上げて倒れる。
蓮がその隙に横から回り込んだ。
二刀流の速い動きで、もう一人の騎士の死角に入り、主刀で肩を、副刀で脚を同時に斬る。
騎士がバランスを崩したところを、零の鬼哭丸がとどめを刺した。
「いい連携だな、蓮!」
「当然だろ! お前が正面を固めてくれりゃ、俺は好きに動ける!」
神官騎士が聖なる光の槍を連続で放ってくる。
零は鬼哭丸を回転させ、光の槍を二本切り裂いたが、残りの一本が蓮の左肩をかすめた。
「ぐっ……!」
蓮が顔を歪めるが、すぐに反撃に転じる。
二本の刀を交差させて回転し、近くの騎士二人を同時に切り倒した。
血しぶきが朝の光に舞い、桜の花びらがその中に混じって赤く輝いた。
ルリアが岩陰から心配そうに声をかける。
「零! 蓮さん! 無理しないで……はぁ……っ」
その声に零の視線が一瞬ルリアに向いた。
岩陰で体を縮こまらせるルリアの姿——戦いの振動で羽織が大きく開き、柔らかな胸の膨らみが激しく上下し、血の筋が太ももを長く伝う様子が、零の胸を熱くざわつかせた。
(……今は戦え。
仲間が増えた今、守るべきものが増えた。
ルリアも、蓮も……絶対に失わない)
零の動きがさらに加速した。
鬼哭丸が連続で閃き、三人の騎士を同時に相手取る。
刃が聖剣を弾き、鎧の隙間を抉り、血を噴き上げさせる。
蓮が横からサポートし、二刀で敵の足を止め、零の攻撃を完璧に繋げる。
「零、右!」
蓮の声に反応し、零は体を捻って右からの攻撃をかわし、反撃の突きを放つ。
鬼哭丸の刃が騎士の胸を貫き、血が零の顔に飛び散った。
神官騎士が大規模な聖なる炎の渦を放ってきた。
熱風が三人を包もうとする。
零は鬼哭丸を両手で構え、青白い光を最大限に放って炎の渦を切り裂いた。
蓮がその隙に神官に飛び込み、二刀でローブを切り裂き、深手を負わせる。
戦いは激しく続き、地面は再び血と桜の花びらで埋め尽くされていった。
零の傷が開き、新たな血が滴り落ちる。
蓮の左腕の傷も再び出血し、動きがわずかに鈍くなった。
それでも二人の連携は崩れなかった。
零が正面を抑え、蓮が機動力を活かして側面と背後を崩す。
十人の聖騎士と二人の神官騎士は、わずか数分の激闘の末、全員が倒れ伏した。
戦いの音が静かになると、零は鬼哭丸を振って血を払い、荒い息を吐いた。
「終わった……か」
蓮も二本の刀を鞘に収め、左腕を押さえながら笑った。
「はあ……はあ……お前、ほんと化け物だな。
俺の二刀流とここまで噛み合うとは思わなかったぜ。
……これからも、よろしくな、相棒」
ルリアが岩陰からよろよろと出てきて、二人のもとに駆け寄った。
羽織が大きく開いたまま、透けたドレスが体に張り付き、白い肌を惜しげもなく晒している。
「零……蓮さん……二人とも、無事で……よかった……」
彼女は零の胸に体を預け、蓮の傷にも心配そうに視線を向けた。
その無防備な姿に、零は自分の鼓動が速くなるのを感じ、蓮は軽く目を逸らした。
零はルリアの肩を抱き、低く言った。
「ここで休む時間はない。
すぐに移動する。
蓮、お前の傷もまだ浅くない。
次の隠れ里でちゃんと手当てしよう」
蓮は頷きながら、ルリアの姿をちらりと見てから零に言った。
「わかった。
……ただ、零。お前が守ってるものが増えていくたび、
お前の侍の掟も試されていくことになるぜ。
俺はそれを見守るよ。
そして、必要なら……もっと仲間を増やしてもいいんじゃないか?
この世界は広い。味方はまだいるはずだ」
零は遠くの森を見つめ、静かに答えた。
「ああ……守るべきものが増えるということは、
俺の刀がそれだけ重くなるということだ。
だが、それでも……俺は侍だ。
背中を見せるわけにはいかない」
三人は再び歩き始めた。
血に染まった桜の花びらが風に舞い、三人の影を優しく、しかし儚く照らしていた。
この逃避行は、もはや二人だけのものではなかった。
天城蓮という新たな仲間を得たことで、
零、ルリア、蓮の物語は、
さらに過酷で、熱く、広いものへと広がり始めていた。
そして遠くの森の奥では、
新たな影——魔族の血を引く回復の術を持つ少女の気配が、
静かに三人に向かって動き始めていたことを、
まだ誰も知らなかった——。




