第60話 恋する乙女は②
昼休み、僕はそっと席をたった。
右手には修学旅行で買ったお土産を、左手には空を握っている。
ガヤガヤとした喧騒まみれる教室から出ると、なんとも重そうな足取りで僕は歩き出した。
廊下も思っているより騒がしい。
教室を移動して昼飯を食べに行く奴も、何人か見える。
その中を縫っていくように足を進めた。
――春馬?――
彼女の声が聞こえた気がした、ただ慌ててその思考を取っ払うと前を向く。
いるわけがない、教室から出て、数分後に後を追って僕が出たんだ、多分あの場所で待ってるだろう。
色々と言いたいことがある。
結局あの意味は何だったのかとか。
あのあと避け気味だったのはなんで?とか。
ああ、嫌だ。聞くことが怖い。
でもあの時の言葉を今も鮮明に思い出せてしまう。
――好きです
予想していなかったわけじゃない。ただ確率にしたって低いものだったし、気にしないようにしていただけだった。
走ってもいないのに心臓が痛い。
今まで僕の中で確かに蠢いているものは恋だった。
ただそれは飽くまで鳴海さんへのものだ。明へじゃない。じゃあ似ても似て非なるこれは、一体なんなのだろうか。
哀れみか、高揚か、それとも名前のないなにかか。
知りたい。
……どうなろうとも折り合いはつけなければ。
冷たい風が耳元に当たり、思わず身震い。そして両の手の握る力が強くなった。
今、明は何を考えているのだろうか。
靴を履き替え、昇降口を抜けるとまず辺りを確認。
特に、誰もいない……な?
たまり場になってるだけで一応は立入禁止区域だ。先生にバレたら、生徒指導室や反省文だなんだかんだ面倒くさいことをしなくてはならない。
コンクリートでできた道が徐々に土へと変わり、草が生え始めた。
それでも歩みを進める。
体育館の裏、冬でもジメジメとした嫌な空気が溜まるその場所。
一歩踏み入れる。
そこに彼女はいた。
「お?来た来た!」
太陽が眩しいのか、木の影に入りながらいつもと変わらない笑顔のまま、仁王立ち。
そしてビシッと指を僕の顔に向けて指す。
「遅い!」
「ご、ごめん」
本当に変わらない、あんなことがあったというのに、本当に変わらない姿のまま。
「もう!約束の時か――」
「わ!ちょっちょっ!ちょ!」
時間を示そうとスカートのポケットから取り出したスマホが中を舞う。
そして数回跳ねると綺麗に彼女の頭にぶつかり、ゆっくりと落ちた。
生きの良い魚のようだった。
「っぷ」
「……わ、笑うな」
途端に耳まで真っ赤になり、わなわなと震えた。
何だ、明も緊張しているのか。少し愛おしく感じた。
「あぁー、コホン」
スマホの汚れを払いながら、気を取り直して、と彼女は付け加える。
「ん!」
「約束の時間過ぎてるでしょ?」
「ごめんごめん」
肩の力が抜けた気がして、ゆっくりと息を吐いた。
心の何処かであの言葉が聞こえる。
「……なんで呼ばれたか、わかる?」
「まぁ、何となくね」
僕が口を開くと、明は伏し目がちに見つめた。
修学旅行が終わってすぐ僕は明に連絡を入れた、「次の月曜、いつもの場所で会おう」と。
そしたら二つ返事で了承の返答が来た。
理由は他でもない、キーホルダーを渡すためである。
……わかってる。わかってるよ!
でもいきなり聞けないって。こういう経験無いんだから。
ああ、こっからどうしようかな。
しばらく、二人の間に静寂が流れた。
「好きだよ」
ただ、何気ない日常のようにそのときはやってきた。感情もなく、無機質なその顔で彼女は告げた。
「そっか」
「うん」
先ほどまで頭の中には色々な言葉が浮かんでいたというのに、何も言うことができなかった。
というよりも、何を言えば良いのかわからなかった。
多分、振られるかもしれない、という不安要素だけでなく、彼女の心には未だ傷があるから。
僕は今から、そんな彼女を振ろうとしているから。
その言葉の意味は、重いのだろう。
「――――」
パクパクと何度か口を動かしてみるも、声が出ない。
どうして、明はそんな悲しそうに微笑むんだろう。
一度目を閉じて、ゆっくりとまぶたを開く。
僕を見透かしたように、目を見ている。
失恋なんて経験をそんな簡単に乗り越えられるとは思えない。
すくなくとも僕だったら数週間、数カ月は凹む。
それなのに、またその経験をさせてしまっては、今度こそ立ち直れないかも。
でも、ここで行動しないのは鳴海さんに失礼だ。
「……ごめん」
自分でも蚊の鳴くようなか細い声だとわかった。
「ん、知ってた」
時間にしてわずか1,2秒。
あっけらかんと、やこともなげに、のような色々な言葉が頭の中で木霊した気がした。
「っし、知ってた?」
「うん、知ってた」
「へ?な、何を……?」
声が上擦る。
トタタタッといつの間にか取り出したスマホの上に指を滑らせると、ある画面を僕に見せつけた。
そこには鳴海さんとのトーク画面が映っている。
「え、えぇ……」
どうやら「友達が告白した」の体でどうやら明に相談していたらしい。
……鳴海さん、それじゃあどう考えても自分の話だと受け取られるよ。あからさますぎる。
「っとまぁ、話しているうちに特徴がお前に一致してるし、イニシャルも教えてくれてるし、確定だ!と思ってね」
鳴海さぁん……
「ん?てことはそれをわかったうえで告白したの?」
「違う違う」
もはや何がなんだかわからない僕をからかうように笑った。
「いつ、私が恋愛的に好きだって言った?」
してやられたり、だ。よりにもよって、ともいう。
「くっ、こ、このぉ……」
そういえば、確かに、あの時は「感謝を伝える」という名目だったな。
じゃあ何だ、結局全部ぼくの勘違いだったって?
何だよそれ……
見るからに肩を落としてみせる。
ただ明にそれは効かない。
弱みを見つけたら狙ってくるようなやつだよ。
「まぁ、まぁ、気にしなさんな」
「誰のせいでこんなふうに」
「私ではないよ?」
「それはそう、かも。でも気持ち的な問題だよ」
さっきのなんとも言えない緊張感はとうに消え去り、そこには朗らかな日差しがさし始める。
顔が熱い。
面を上げると明と目があった。
目を細めたまるで狐のような顔。
いつかの魔性の魅力があるその顔。
「……?何かいつもと違う気が――――」
目元が赤いような。
ただ続けようとした言葉に重ねるように明は遮る。
「お!気付いたか!」
「メガネを変えてみたんだよ」
「……へー」
「興味を持てよ」
そう言うと、口をとがらせる。
その姿は最初出会ったときとはあまりにも違っていて、でもなんだかそれが彼女の本心そのままに見えて。
でもなんだか手放しに喜べない自分もいた。
「あ、そういえばこれ」
「んー?なに?」
「お土産、同じとこ行ってんだからいらないかもしれないけど」
「ははは、いるよ」
一歩、明が踏み込んだ。
そしてその一歩が徐々に大きくなってついに隣に並び立つ。
「ねぇ、春馬」
「また勉強会したいな。友達みんなでさ」
優しい声が耳をくすぐる。
むず痒い。
でも、なんだか悪い気はしない。
いつものように、のどかな鐘の音が鳴る。
「ああ、そうだな。岡西も、佐田も、林も呼ぼう」
「鳴海ちゃんも文ちゃんも、もちろん渚さんもね」
コツコツと靴の音が2つ。
「じゃあよろしくね」
「え?」
「全員春馬が呼んどいて」
「丸投げするなよ」




