咆哮
『射抜け人馬よ、我等が障害を排除せよ』
空中に飛ばされた身体に多数の鱗が迫る。
それをオリオンの言葉の後に後方から青く発光する矢が射抜き、俺の身体への直撃を防いだ。一体後ろで何が起きているのかは不明なままだが、今は無事に地面に着地する事が最優先。そちらにのみ意識を向け、俺は殺到する鱗を足場に落下を開始する。
そのまま落ちればいくら身体が頑丈だとはいえ、それでも怪我は避けられない。普通ならバラバラになる高度で軽傷になる時点で阿頼耶の身体強化は相変わらず異常という言葉しかないが、それでも無駄に怪我をする訳にはいかない。
魚の方へと視線を向ける。鱗を変わらず此方に放っているが、今までとは違い苦しむ声が聞こえる。
それは言葉ではなく呻き声であるが、それでも人語を用いない存在が声を漏らすという現象はどれだけ体験したとしても違和感が拭えないものだ。
先程の一撃が余程通ったのだろう。抉られた場所からは水のような液体を滝の如く吹き出し、桃色の肉が痙攣を起こしながら僅かずつ修復を行っている。
人間ならば一部分のみの肉を強引に斬られたものだろう。想像するだに痛いが、しかしその分攻撃が確り有効である事を示している。この状態にならねば通らない時点でまともな相手ではないのだが、それでも通ったのならば確実に殺しきれる事が判明した。
高威力、もしくは高貫通であれば打倒は可能だ。更なる攻撃手段は残っているだろうから油断は出来ないものの、それでも少しだけ安堵は出来た。
無数に鱗を斬り落とし、着地地点を人が集まっている場所に決める。
一度決まれば後は速いもの。さっさと行くぞとばかりに降り切り、地面に足をめり込ませながら着地に成功する。
「この中に回復可能な者は居るかッ、負傷はあまり見えないが何かしら異常はあるかもしれん」
「私が出来ますッ!」
「頼む……ッ」
声高く人を要求すれば、一人の三年の女性が此方に向かってくる。
ポニーテールの赤い髪は鮮烈な印象を覚えるが、垂れ目のお陰で厳しい風には見えない。その人物に後を任せ、さてどう攻略するかと思考を加速させる。
制限時間は三十分。それはかなり長く感じるだろうが、当然ながらそこまで時間を掛けるつもりはない。
未だ身体は軋んでいるのだ。それなのに三十分も使い続ければ間違いなく崩壊が始まるだろう。
一先ず、相手のダメージを増やして飛行能力を喪失させる。全体のどれくらいまでを削れば良いのかは不明のままであるものの、それでもあの時のダメージで苦しむ事は解った。
ならばそれ以上のダメージを与えるのみ。
『超至近で蟹の挟みを当て一撃必殺を狙うか、蠍の毒でもって時間差を狙うかだ。人馬で傷を狙うのも有効ではあるが、一撃一撃の威力を期待するよりも周辺の露払いに使った方が良い』
オリオンの説明を聞き、選択を瞬時に決定。
時間が速く終わるのであればそちらを選択するのが当然というものだろう。蟹というのが意味不明であるが、オリオンが自信を持って説明するのであれば迷うだけ無駄だ。
最速での討伐を望めば、俺の持っている武装がいきなり変化を起こした。といっても剣の形状が急激に変化したのではなく、血管のような物が刀身に広がっていたのだ。
それは心臓の鼓動のように動き、更には赤いオーラのような光を発し始める。最早それを普通の剣とは呼べず、物語に出て来るような魔剣と言った方が正しいだろう。
力は感じるが、その分禍々しさまでもある。呪いでもあるような姿形だ。周りも突然の刀身の変化に後退するし、やはりこれは一般的な武装ではない。
これが蟹の力だとするならば、また随分とらしくない。
蟹と言えば鋏と甲殻類特有の硬い装甲。これが鋏を武器として表現した結果であればある意味納得であるが、どうにも鋏には思えない。俺が力を引き出しきれていないと思う他無いか。
少なくとも、これで武器の摩耗は気にしなくて良い。罅が走っていた刀身が一気に修復されたのだ。
恐らくこの血管の所為で生物的な武装にまで変化している。生きているという訳ではなく、似たような性質を獲得したと考えるのが妥当だろう。
「これで行けるか……。よし」
「ちょっと待ってくれ!」
直ぐに行こうと決めて歩き出せば、待ったの声。
そちらに顔を向ければ、意を決した男や女の顔が並ぶ。皆武器を手に持ち、共に戦うのだという気迫に燃えていた。それは決して悪い話ではないが、しかし良い話でもない。
彼等の覚悟云々は非常に結構だ。それで戦えるのならば此方としても大助かりではある。
されども、少しぶつかって解ったのだ。あの魚は平均的な阿頼耶ではまともな傷を付けられない。例え出来たとしても、それは瞬時に修復される程度の傷にしかならない。
相手の修復が長引く程の傷を生み出せる力があればそれで良いが、かといって怯えた顔を最初にしていた者達がそんな威力の高いモノを持っているとも思えないのが実情だ。
「戦闘に参加するつもりなら最低限今の俺に近いクラスの阿頼耶が必要だ。もしくは、相手の身体に何等かの枷を嵌めれる者でなければまともな戦いにはならないだろう」
「……純粋な火力だけなら数人居る。弱体化もサポートも行える者とてある程度は揃っているさ。これなら文句は無いだろ!?」
「――ならば良し。一切何も言うまい」
警備隊員達も協力してくれる。今は能力発動中の為に完全に上から目線のオリオン口調であるが、素直に彼等の参戦を歓迎しよう。
純粋な火力を持ち、尚且つ広範囲にまで攻撃を拡大させる事が出来る者は表面の剥ぎ取り。鱗が消失すればその瞬間に攻撃の手を一つ失わせる事が出来る。依然として他の攻撃方法を取らない相手であるが、しかし鱗自体が消失していけば何かしらの行動を開始するだろう。
どれだけ馬鹿でも、一回は確りと傷を負ったのだ。流石にそれでまだ油断しているとは思えない。
サポートは全体の強化。各々が出来るモノで最大限の力を発揮し助ける。要とも言える存在達であり、故にこそ防御役の者も何人か残すように指示。
近接系の者は飛行が可能であれば無理をしない程度に相手の肉を削ぐ事に意識を向けさせる。いきなり深い部分にまで通すのは禁止だ。それでは確実に相手に武器を掴まれる。
どこまでの力を込めれば外れるのかが解っていない以上最低限の成果だけで構わない。
「おい二年……俺達も参加させろや」
更に俺の背後から声が掛かる。
そこに居るのは出発前に話した茶髪の男と子供のような男。共に身体に負傷は無く、戦意を滾らせているのが解る。他とは違うと話を持ち掛けた相手だが、こういった場面で臆さないのであれば文句は無しだ。
「そっちの武装は何だ」
「俺は拳」
「僕は槍だよ」
「近接系か。ならば他と共に相手の肉を直接削ぐぞ」
「――――面白ぇ」
拳と拳をぶつけ、獰猛に笑うその姿。
正しく狼が如き姿を見せつけられ、肉食獣特有の凶暴さが前面に押し出されている。
解り易い相手だ。しかし、決して話を聞かないような手合いでもない。特にもう片方の静かに闘志を燃やしている男については、恐らく槍以上に頭の回転の方が早いと思った方が良いだろう。
他に声を掛ける者は無し。アンナ達は逃げてくれたし、最後の五人目は姿を現さない。まぁ、本来であれば学生が参加すべき戦いではないのだから当然だ。
目標は相手の足止め、もしくは――討伐。掲げる目標だけを言葉にし、本心を胸に秘める。
殺せるなら殺した方が良いとはいえ、宣言する程の何かがある訳でも無い。運が良ければそうしようと思うだけだ。
それでも、そう思うくらいは良いだろう。
「……行くぞ」
一歩踏み出し、全力を込めて飛ぶ。
他の面々も追随を開始。今まで襲ってきた鱗は人馬の矢が貫いてくれていたが、走り出した結果その守りから抜け出す。当然そうなれば敵の攻撃が殺到するのは必然であり、されど先程よりは恐ろしさを感じない。
それは脅威ではなくなったからではないだろう。純粋に攻撃対象が他にも移ったからだ。
いくら攻撃をしなかったとはいえ、それでも攻撃を仕掛けようとする者が出れば警戒するものだ。魚もその思考を持ち、故に全員に鱗を広げている。
その為に一人当たりの数は減り、弾き続ければ十分に隙が出来るのだ。
それに次は後衛が存在している。遠距離からの阿頼耶が追加されれば攻撃力も決して負けてはない。
サポート系の強化も合わせ、少なくとも鱗には負けない程度の戦力にはこれでなった。
再度鱗を足場として走り、次点の攻撃箇所を定める。
ただ我武者羅に肉を切るのは駄目だ。それでは何時落ちるかも解らない。全員で一斉に抉り取れば違うだろうが、到達する間に鱗と衝突を起こして落ちた者も少なからず居る。
それに一回一回昇らなければならないというのも問題だ。ならばこそ、次は飛行能力を奪うべきだろう。
地に落としてしまえばこの苦行も無くなる。そう考えれば実行するだけの価値はある筈だ。
先ずは飛行能力を有していると思われる箇所を徹底的に叩く。
背ビレに胸ビレ、後は尾ビレとエラだ。声で近くに居る面々に叩く内容を伝えれば、全員が頷きでもって最も近い箇所を目指し始める。
俺が狙うのはエラ。魚にとっての呼吸器官を潰せば苦しみに喘ぐだろう。
本来であれば水中で呼吸を行う為の物であるので潰した所で意味は無いかもしれないが、何事も試してみる事は大事だ。
魚の身体に張り付き、少しでも鱗の数を減らす為に刀身を身体に突き刺してエラまで走る。
今度は何も抵抗する事無く剣は動き、間にある鱗は残らず切断された。剥がれた物は力を失ったが如く地面に自由落下を起こす。それを見る限り本体が動かそうと思う前に落とせば行動をしないのだろう。
他にも張り付いた人を見ながらエラまでの道則を進む。
今の俺達は人の身体に集る蠅のような存在だ。一人一人は強引に払えばあっさり離れる程度であり、しかし大量に集まれば途端に不快に感じるようになる。
相手もそれは同じなのか、遂に身体を動かし始めた。
空中を静かに回遊し始め、その動き自体は緩慢だ。いきなり位置が変わった所為で張り付くのに失敗した者が出ただけでそこまでの悪影響は出ていない。
――しかし行動を開始した時点で気を付けるべきだと構える事だけは忘れない。
口を開き、空気を吸引し始める。魚にそんな真似は出来ない筈なので、この動作は目の前の魚だけのものだろう。そう考えていると、次に身体が発光現象を起こし始める。
鱗も下の肉も白色に光り、その光自体に何か脅威を感じる事は無い。それでも走った予感に従い、俺は空へと身を投げ出した。
何かがある。それが何であるかは解らずとも、警戒しなければならないと頭は警鐘を鳴らす。
着地の心配だとか、周りがどうしているかとか、その瞬間には考えてはいなかった。
急に走った怖気。確実に勝てるとは思っていないし油断はしていないつもりでも、その感覚が一気に広がると自分は何か見落としをしていたのかもしれないと考えてしまう。
魚の身体は空を泳ぎながら身体を反転させ、此方へと顔を向ける。
魚の口の先に居る形となり、今の無防備な体勢は明らかに判断ミスと断ずるしかない。
「全員防御体勢を取れッ!。飛行可能な者は自力で脱出しろッ――来るぞォ!!」
発光現象が止む。しかし変わりに口内に光が収束し、それが今直ぐにも吐き出されそうとしている。
竜種特有のブレス……いや、そんな生半可なものではない。具体的な威力までは解らなくとも、あの発光がそのまま威力に直結するのであれば出て来るモノはあまりにも強力だろう。
それに開いた口の範囲も広い。今の俺達を容易く飲み込める程であり、であるからこそそんな本気を見せた姿に唾を飲み込む。
刀身に力を込める。限界まで阿頼耶を引き出し、オリオンから引き出せる分も全部引き出す。
迎撃は必至。周り全員を助けるならば、最も前に居る俺が耐える他無い。例えそれで俺が脱落したとしても、一度見る事が出来ればこれは回避可能だ。
故に全霊を此処に注ぐ。自分が生きる為にも蟹と呼ばれる者に希う。
どうか助けてくれ。どうか救ってくれ。俺はまだ死にたくないから。
『――委細承知』
刀身が更に変化を起こす。より生物的に、より赤く。
同時に身体の何処かが割れる音がした。脇腹に激痛が走り、それでもこれで生き残れるならばと痛みに耐えて体勢を整える。
それと同時に、目を焼く程の光が口内から放たれた。
一直線に迫るそれに、今確かな死の予感を抱く。それを振り払う為に、俺は思考をかなぐり捨てて剣を振り落とした。




