リミットオーバー
『制限時間はあまりに無い。止めるというのならば急ぐ必要があるぞ』
「解っている」
木の枝を跳ね、目標までの道を一直線に進む。
相手は遠くに見え、その距離はとてもではないが人間の足では縮まらない。あの巨体だからこそ接近までが速いと断じているだけで、これが普通の化外であれば俺達が何もしなくても避難は間に合っていただろう。
視界に入るその姿は正しく格が違う。これまで相手をしていた中でも最も強大な意思を感じさせ、垂れ流されている威圧感は雑魚のそれとは明らかに質も別格だ。
下手をすればあの獅子よりも相手は強い。その事実は俺にとってかなりの重圧であるが、されど一度決めた身。今更戻ろうなどとは考えもしない。
道中で出現した化外は一振りもせずに終わらせた。既に五割の出力である以上、俺の身体から噴出している炎に化外が迂闊に触れれば燃え尽きるのみだ。
走るだけで相応の被害を相手に与える事が出来るのは便利だが、その分燃費は頗る悪い。
今もそうだが、身体の部分部分に僅かながらに罅も見える。これが俺にとって害悪なのは言うまでもなく、必然的に俺自身の制限時間もかなり厳しかった。
そんな状況で討伐などかなりの難易度だが、それでもやるしかないのが現状だ。
結局グラムの想定通りにコイツと戦う事になってしまったのが悔しい。帰ったら今度は俺が殴ってやろうか。
そう思いつつも次第に警備隊員達の姿や自主的に参加している学生組の姿も見えて来る。
各人は俺の姿に大分驚いているようだが、そんな事は二の次だ。俺のグループが比較的前の方に居たからこそ魚の姿は遠かったが、急いだお陰でその巨大さが嫌でも理解させられる。
全体的な色は金の鱗のお陰で輝いている。ヒレや目玉といった部分も元々の素材名を明かさなければ十分宝石商に売れるくらいの純度を誇るだろう。
生物の段階で石とは思われないので売れない可能性もあるにはある。そうなれば普通に素材屋にでも売れば暫くは贅沢な暮らしが出来そうだ。
尤も、それはこの状況で生き残れたのならばという話になるのだが。
「――時間稼ぎに参加する。相手の反応は変わらずか」
「お、お前どうしたんだその炎!?どっかの化外に火でも噴かれたか!」
「これは自前だ。さっさと質問に答えてもらおう」
殆ど最前線。他は誰も居ないと気配で判断し、近場の学生に状況説明を頼む。
若干変な質問が飛んできたものの、それを目で黙らせて情報を吐き出させた。
件の魚は俺が見ている様子と変わらず、ただ真っ直ぐにムラトの避難民が居る場所を目指している。直ぐ近くには俺達が居るというのに、そんな事など目もくれない。
まるで路傍の石の如く、最初から意識の中に無いのだ。プライドの高い者ならば怒り心頭になるな。
気を引かせる行為も試したそうだが、相手は顔を動かす素振りすら見せていないらしい。
とくれば、純粋な攻撃しか他に手は無いだろう。
まだ誰もしていないというのならば、早速行って俺が全員分の注意を引付ける。
『あれの装甲は存外硬い。これまでの化外と同一だとは思うな』
知っているならば弱点も吐けとオリオンに告げながら、刀身に炎を纏わせる。
相手の鱗が金属質であるならば高温で溶けるし、そうでないならば単純な物理攻撃で突破するしかない。
武器の質が関係無く、そして一定の結果を出せるとするなら俺の中ではこの方法しか無いだろう。
「先ずは一手。――行けィ!」
炎と一緒に斬撃を飛ばす。俺としてはお馴染の攻撃方法となっている技だ。
しかし、オリオンが協力するようになってからは全体的に大幅な強化もされている。中距離までしか届かなかったこの斬撃も遠距離まで伸びるようになり、威力自体も当然向上済みだ。
相手が避ける気も無いのならばまず命中する。そして命中してからが……本番だ。
直撃と同時に爆炎が上がる。されど魚の動きに変化は見えず、だが煙で隠れる寸前に目が此方を向いたのは解った。
確実に意識は此方に向いている。であればこの場に留まるのは愚策だろう。
全員に退避しろとだけ告げ、今居る場所から急ぎ逃げる。煙によって一時的にでも目暗ましになっただろうが、相手はまず確実に意識を向けた方に攻撃を仕掛けてくるだろう。
その予想は現実となって現れる。
煙を強引に突破して最初の地点に飛来する物体群。極小の流れ星が如く数十の物体が地面を抉るような音が響き、枝の上にいようともバランスを崩して落ちそうになる。
晴れた場所を確認すれば、地面を抉ったのは鱗だ。切り離してから何らかの手段で加速をつけ、此処まで飛ばしてきたのだろう。
速度自体は極めて速い。だが、一度見れればそれで大分感覚は掴める。
初見かそうでないかの違いは大きい。例えこれが間違いでも、予測を少しでも立てられるというのは有難い話だ。
相手も俺の攻撃を受けて停止した。当てた箇所は見事に溶解していたので、やはり効くのは炎か。
勝機があるという訳ではないが、自身の普段から使う属性が有効であるというのは少し安堵するものだ。
「……これで確実に意識を向けさせた。これからは誰かが攻撃をしない限り俺に集中する。踏ん張りどころだな」
息を吐き、構える。
此方へとゆっくり進む魚の大きさは正しく規格外。それなりに近くに居たと思っていたのだが、相手の大きさを見る限り俺が攻撃を当てた時点でも相当離れていたのだろう。
その証拠に、地面に近付いた際の姿はただ居るだけでも圧倒される。都市が一つ分敵に回ったかのような錯覚を覚え、経験が低い者であれば簡単に気圧されていただろう。
流石は星座と王宮の人間が呼称するだけある。化外の中でも相手の強さは恐らく上。
一学生が挑むべきモノではないし、この場合逃げるのが鉄板だ。既にやってしまった手前どうしようもないが、足を止められたというのであれば後悔は無い。
『――来るぞ』
「応ッ!」
ある程度近付いた時点で、魚は自身の身体から鱗を切り離す。
直後空に向かって鱗から水が噴出し、此方へと殺到を開始した。水流によって加速を得る。
その方法は都市で多く見て来たものであるが、相手がそれを単体で行使してきたというのであれば話は別だ。しかも今度は相手が此方をずっと見ている。
最初の通りに上手くいくとも限らず、しかし試しにと鱗を限界まで引付けて回避。
地面に激突した鱗はそれで停止してくれたが、未だ空中から落下していた鱗は水流の向きを調整して逃げた俺の追尾を始めた。
やはり物事は甘くない。数十の鱗の全てを限界まで引付け回避に成功するも、直ぐに次弾は装填される。
再度放たれる鱗の数は――数えるのも馬鹿らしくなる程。
空の一部を覆い隠すとなれば、数量は三桁では足りまい。最低でも四桁はあると睨むべきだ。
逃げる手段を取るのが現実的。他がそうするのと同じく、俺もまたそれを行う。
されど、量が量だ。純粋に全てを防ぎきるなど出来よう筈も無く、またそれをする必要も無い。そもそもあの魚に肉薄しなければならないのだから、ただ回避するだけでは決着は付かないだろう。
「……足場としては中々に難易度が高いな」
最初の一枚を弾き、最短距離までの道を決める。次いで身体を跳ねさせ、未だ飛翔している鱗を足場にして空中を走る。いっそ飛べれば良かったのだろうが、俺にその手段は無い。
空中相手というのが俺にとっては痛い。遠距離攻撃もあれしかない以上どうしても接近しなければ手札は少なかった。
バランスなどにも気を取りながら慎重に、しかし迅速に足場を蹴り続ける。移動している為に最短ルートを決めたとしても直ぐに潰されそうになるのだから、さっさと通過しなければならない。
それにと、飛びながら襲い掛かる鱗を弾き落とす。
俺が攻撃をしている所為で鱗の大部分が此方を狙っている。飛んでいる間も問答無用に襲われれば、流石に辿り着く過程は楽とはいえない。
鱗自体も力を入れねば押し切れないのが余計に難度を上げている。現状では押し切れているものの、俺自身の体力が尽きればそこで戦いが終わるのは解っていた。
幸いというべきか、相手は移動を止めている。此方を容易に屠れると思ったのか、それともまったく別の理由からか。鱗の操作に思考を割かれているというのならば、それは好都合というものだ。
一回の跳躍では大して距離を稼げなかった。しかし、相手は比較的地上に近い位置に居る。
届かない道理は無く、故にこそそのまま突き進む。一太刀でも浴びせられなければとてもではないが勝負にならないだろう。
鱗を蹴り上げ即席の盾にし、剣を全方向に振るい続け、生身の人間が到達するのは難しい高度にまで至る。そこまで到着した段階で初めて解った事だが、魚のヒレの根本部分に人が倒れていた。
王宮所属の紋章を肩に付け、得物である長剣を魚に突き刺したまま気絶している人間は、僅かであれども息をしている。
助けなければなるまいと着地場所をそこに定め、横槍を防ぎながら俺も魚に剣を突き刺す。
想像よりも呆気なく刺さった剣を不思議に思いながらも倒れている人間を確保し――――そのまま引き抜こうと脱出を始めた俺は失敗した。
「――抜けないッ!?」
全力を込めても肉から剣は離れない。
これは筋肉を絞めて得物を抜かせなくする方法と一緒だ。人間とまったく異なる構造をしている所為で想像もしなかったが、そもそもそういった有り得ない部分も想定するべきだった。
恐らく倒れている人間も剣を抜こうと足掻いている内に衝撃でも食らって気絶したのだろう。となれば、目前の人物は魚が此方に来るまでの間に戦っていたことになる。
もしかすれば相手の情報も何か握っているかもしれない。オリオンが何も喋らない現状において、それはとても貴重な代物だ。
絶対に無事に帰還せねばならないと思うが、剣を手放して脱出するのは少々不味い。
今は魚の身体に居るお陰で鱗が此方に来ていないが、少しでも離れたら確実に殺到する。何かしら武器があれば弾く事も盾にする事も出来ただろう。しかし、それが出来ない現状で迂闊な真似はしたくない。
阿頼耶の出力を上げるべきか?……しかし、それは本当に最終手段だ。
今の俺が出している割合は五。これを上回るようでは命の消耗が激しくなる。以前はそれをオリオンが勝手に十割にまで上げたお陰で獅子を撃退したが、また同じ事をすればどうなるか。
――いや、そうではないな。
弱気な俺を一喝する。元より不利な戦いになるのは百も承知。
全力も出さずに勝つなど最初から不可能な話であり、どの場面であれ必ず俺は無理をしなければならなかった。
それが今であるかどうかは解らずとも、発動するだけの価値はある。何よりも肉薄している現状において、ここまでのチャンスは早々巡っては来ないだろう。
「……オリオン!カウント三十ッ!!」
『起動』
一時的にオリオンと同調。彼が出せる全霊を発揮するには双方の協力は必須だからだ。
阿頼耶は個人につき一つまで。二つ目など本来有り得る筈も無く、その無理をどうにか通す為には俺の阿頼耶をオリオンの阿頼耶に書き換えなければならない。
理屈は解らないが、それ自体は感覚で出来る。いや、一度やらされたからこそ身体で覚えたのだ。
力の発動は簡単な話ではない。これに至るには天才は俺の人生以上の鍛錬を重ねなければならないだろうし、凡人はそもそもこの域にまでは届かない可能性の方が高い。
故に身分不相応。故にこれは愚かしき技。禁忌に近く、しかしそれが無ければ俺が勝てる見込みはそもそもに有りもしない。
だから動かすのだ。そうして初めて勝てるからこそ。
誰かに卑怯だと言われようとも、俺は俺の道を進みたいから。――だから持っていくが良い。それが対価なのだから。
「制限解放。天蝎・巨蟹・人馬――阿頼耶を用いていざ行かん」
一瞬、心臓の鼓動が五月蠅い程に響いた。
それが自分の時間が削られる音であると気付き、されども俺はそこに感傷を覚えない。
自分で払った。後悔など無く、己の意思だ。ならばそこに感傷も何もある筈がないだろう。
十割解放によって俺の身体に纏わりついていた焔は消失し、代わりに俺の背後で何かが蠢く音が響く。
それが何であるかは解らず、だが不思議な事に恐怖も不安も無かった。
後ろの存在達は必ず俺を守ってくれると心の何処かで確信し、だからこそそのまま全力でもって剣を引き抜く。
そして男を片手で抱え、俺はただ力を込めて片手で斬撃を放った。
――その一撃だけで魚の肉を一気に抉り取り、しかし衝撃で身体は中に浮く。まさかここまでの威力になるとはと思いながら、俺は初めて魚の苦しむ声を聞くのだった。




