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絶望開始

 ――果たして、その声は如何なる音を立てていただろうか。

 遠い空から聞こえる絶叫。痛みに苦しむ声は純真無垢な赤子のようであり、さりとてそんな赤子がどれだけ叫んだところで彼が居る場所にまで届く筈が無い。

 必然的にそれは人ならざる者の声なのだろうと結論付けられるも、ではどんな存在が悲鳴を上げているのかについてはまったく理解が及ばなかった。

 歩き出してから既に四日目。目的までの道程は誰もが想定していた通りにはならず、未だ半分まででしかない。疲れ切った顔をする者が多く溢れ始め、食料の乗った馬車は既に老人が休憩する場所と化している。

 残る食料は後一日分のみ。このままのペースが続くのであれば食料不足は避けられず、最悪の可能性として食べずに突き進む事になってしまう。

 阿頼耶保持者であればそれにも耐えらるが、一般人にそれは耐えられない。一日二日耐えるだけで良いと言われていたのであればまだ進もうと意識を高められたが、敵の侵攻がこれから一気に増す可能性も否めないのだ。

 

 そうなれば更なる遅延は避けられない。故にこそ断定は出来ず、アルトも厳しい顔を隠さずに前を進み続けていた。

 この四日間。当然ながら死者が出なかった訳ではない。

 餓死による減少は無くとも化外からの攻撃によって死者は一戦闘毎に増え続き、被害を出してしまった場所からは常に学生達や警備隊員は罵声を浴びせられてきた。

 守ると言いながらこの体たらく。次は自分達が死ぬかもしれないと危機感を覚えるのは至極尤もな理由であり、避難民達の集まる場所は自然と固定化されていった。

 学生組の中でも突出している者が居るチームは比較的穏やかなものだったが、そこに新たな保護対象が入ってくれば守る範囲が広がってしまう。これまでは守れた者達が守れなくなってしまうかもしれない。

 それに焦燥を覚えた学生は数多く、されども説得の声は避難民には届かない。

 彼の居る場所でもそれは同様だ。現在彼を含めたチームが守らねばならない人数は最初の約二倍。

 広がった人の群れは数人で守れる規模ではなくなり、それでも彼等は無理を押して必死に死者を零へと抑え続けていた。

 

「……大丈夫か、テキス」


 疲れ切った声が石の上で座りながら整備をしている彼に掛かる。

 剣の手入れをしていた為に刀身は輝いているも、やはり所々に罅が走り始めていた。使い続けた弊害は無視出来るものではなく、出来る事ならば直ぐにでも鍛冶屋に預けるべきだろう。

 勿論そんな事は出来ない。もしも壊れたら、極少数存在する死んだ学生(・・・・・)の剣を使う他に無いだろう。

 その事実に、しかし彼としては別段何とも思ってはいない。その証拠に彼の傍には手入れが済んだ武器が数本有り、次に使えるようにと確り準備されていた。

 声を掛けた男は手入れの済んだ武器を見て気味悪がる。将来己もああして残すだけの人間になるのではないかと考えて、死人の武器に手を伸ばせない。

 

「無論だ。俺達が此処で倒れてどうする」


 彼の言葉は平時と何も変わらない。硬く鋭く、常に毅然としていて力に溢れている。

 周りは地獄の惨状ばかりだというのに彼等のチームが五体満足であるのは、正しく冷静に前を向ける者が居たからこそだろう。

 此処には精神が不安定な者も居る。所謂外れグループであるというのに、その生存率は他の追随を許さない。他でも無事な場所は無事なのだが、それは恐らく他のグループにも優秀な者が居たからだ。

 そうでなければ発狂していた可能性とて否めない。最悪の可能性として片っ端から邪魔する者を殺していく狂人へと成り果てていただろう。

 そう思ってしまえば、声を掛けた男は目前の彼に対して恩を感じてならない。

 本人はそうする意図が無かったとしても、しかし男は素直な気持ちでもって今感謝を捧げたい気分だった。


「お前は何時でも変わらないな。……有難う。そうであり続けてくれるから、俺達はまだ前を向ける」


「いきなり何だ、気持ちの悪い。感謝は無事に生き残ってからにしておけ。尤も、無事に切り抜けるつもりだがな」


「その自信は何処から出て来るんだよッ」


「無論、己の実力からだ」


 男は自然と笑みを浮かべる。彼と話せばどれだけ暗くとも希望が見えてしまう。

 今現在が地獄絵図であろうとも、蜘蛛の糸があるように思えてならないのだ。諦めきらずに生を抱き続ければ、必ず勝利はやって来る。

 正しくその実力でもって証明した人物が目の前に居るからこそ、このチームで諦めた者は居ない。

 精神が不安定?それが戦闘の所為であるのは解り切っているのだから、別の場所で活躍させれば良い話。

 貴族ではあれど、今に限って言えば上下の区別など無い。皆が運命共同体であるのだから、逆に協力するのが自然だろう。

 生きて生きて、生き続ける。皆が胸に抱える焔はただそれだけ。

 彼を頭とし、皆が足を引っ張らぬよう尽力する。学園による格差など関係も無い。

 戦い続ければ自然と対処法は身に付く。例え解らずとも、彼の方法から答えを導き出す事も可能だ。

 何事も挑戦という名の繰り返し。僅かな期間であれ、それによって戦闘に出ていた者は皆全て最初期の状態からは遥かな先に立っている。

 

「おーい、テキスさんやーい」


「どうした、アルベール」


 少し離れた場所からの声。最初に彼が会った時には弱音ばかりを吐いていた姿から、一転して陽気さすら見せるようになったアルベールのものだ。

 反応して振り返れば、アルベールの横には別の人物が居る。

 それは他のグループに居る者であり、彼が唯一比較的親し気に話していたアンナだった。

 彼女は明るい顔を本来浮かべている筈だったが、今現在は泣き腫らした者の顔となっている。赤い頬と合わせて、それはどうしようもなく悲劇的な色を周囲に感じさせた。

 一体どうしたのだと彼は近付き、言葉にする前に衝撃。

 顔を下に動かせば、彼女が嗚咽しながら抱き着いていた。その姿に普段のモノは無く、故にこそ事の深刻さが浮き彫りになってしまう。

 今は落ち着かせるべきだ。そう誰もが結論を出し、男子三人が集まって彼女を優しく石の椅子に座らせる。

 掛けるべき言葉は当然ながらありもしない。いきなりだったのだから当然だ。

 彼女が話し掛けてくれない限り、どのような言葉を放ったとしても遠くの空に行くだけだろう。

 

「どうした、アンナ」


「……ごめん。ごめんねぇ」


 それでもと絞った言葉に、彼女は謝罪を返す。

 謝罪されるような事が果たしてあったのだろうかと彼は考えるも、別段何かあったとは思えない。もしや彼女側の避難民が此方側に流れて来たのかと予測するが、それは最早今更だ。

 守るべき存在が少しくらい増えたところで構いはしない。これまで通りを貫くだけだ。

 故に、彼は彼女の謝罪の本当の部分を聞き出す。

 決して先程の事が全てではないだろう。別の事柄に対してであるというのは想像出来ることで、だからそれが一体何であるかによっては此方も考えなければならない。

 

「言ってくれ。そうでなければ何も解らん」


 強く、されど慰めるが如く。

 男としての安心感を前面に押し出した声は、それだけで他者の心を癒す。彼はまだ確りとした大人ではないが、その精神は既に大木が如く他とは違うのだろう。

 男も、そしてアルベールも、その声に何故か父親を思い出した。自分達を厳しくも優しく接してきた、尊敬すべき男の笑顔を思い浮かべたのだ。

 今の彼の顔が明確にそうである訳ではなくとも、それでもその安定感は今此処に居る誰よりも強い。

 だからだろう。彼女が一旦泣くのを止め、静かに言葉を零したのは。

 安心感を与えてくれたから。この人になら全てを曝け出しても構わないと思えたから、彼女は本当の意味で此処に来た訳を話す。

 

「……皆がね、私をずっと頼りにするの。何があっても何が起きても私の指示だけを頼りにするの」


「――それは」


「頼られるのは嬉しい。頑張ろうと思える。だけどね、同時に皆が持つべき責任も全部背負わされている気がするの。誰かが死んだらお前の所為だって、そう言われてしまう気がするの」


 現在、避難民達が集まっている場所は全部で六ヶ所。

 学生組の中でも突出した実力を保有するグループが五つに、リーダーであるアルトが仕切る場所の合計だ。それはつまり、本来拡散されていなければならない人数が一気に固まってしまっている。

 他の学生にも協力をお願いする者は居るし、役立たずと烙印を押された者は警備隊員達と共に全体の塊の外側から防衛を行っているのが現状だ。

 こうして休憩している間にも役立たず扱いをされた誰かが全体の外側を歩いて警備している。少しでも何かに貢献しなければ心が折られてしまうからこそ、彼等は危険な行動も行う。

 一方で、各々の塊の中心に居る者は個人個人によって違う指揮系統を持っている。

 

 ノースであれば全員を同格の者とし、互いに連絡を行いながら純粋なチームとして動いているのだ。

 上位者が居ないからこそ全員が自然に意見を発信する事が出来、そしてそれを激突させてより最良に近い案を生み出す事が出来る。

 力としてはノース頼りになる部分も多々あるが、それを一つの役目として割り切ればやはり各々によって出来る事には違いが出るもの。回復に近い真似事も出来る人物が居るのだ。

 誰を頭になんて考えるのは最初から存在しない。

 だが、アンナの場合ではそうはなっていないのである。

 彼女の場所は彼女こそが頂点。指示を下すのも優先順位を決めるのも、全てが全て彼女でなければならない。指揮が上手い人物であればそれは一つの動物の如き動きを見せるのかもしれないが、彼女はまだまだ経験の浅い学徒でしかないのだ。

 当然常に危機はあるし、その度に彼女は頭を回さなければならない。

 もしも失敗すれば、最初に責められるのは全て彼女だから。誰もが彼女へと責任を押し付けて、自分だけは助かろうとしているのが簡単に想像出来てしまう。

 

 それでは駄目だ。何時か必ず崩壊する。

 そうなれば殴殺される未来しか見えず、よって早々に解決策を導き出さねばなるまい。

 彼女とて責任を背負う立場に居るが、それでも全てという程ではない。学生の全てが責任を背負うものであり、故に彼女のグループに所属する者達もその責任追及から逃れられないだろう。

 空気が悪ければ責任転嫁を行い逃げに徹するだろうが、それは市民の怒りを買うだけだ。

 

「お前が全てを背負う事は無い。誰かにも考えさせ、出来る事に責任を持たせれば良い。元より学園に所属したのであれば将来は国民の命を背負う立場になるものだ。身分の上下など気にせず、今は自分も助かる事を目指して説得を重ねてみてくれ」


 助けられるならば、彼はその足で彼女の所属するグループに行っただろう。

 そして学生全てを拳で黙らせ、強制的にでも自分で考えさせるようにする筈だ。それを選択せず、敢えて彼女に自分で解決させるようにしたのは、そうしなければ今後の未来に差し障りが出ると思ったからである。一度の自信喪失がどれだけ長い時間響くかは解らずとも、折れた者に学園は手を伸ばさない。

 そうなれば彼女の未来は暗くなる。阿頼耶保持者としての資格を有していたにも関わらず去る事になるなど、貴族達からすれば格好の的だろう。

 容易に責め立てる未来が見え、故にこそ彼女が自分で今回の問題を解決出来るよう促す。

 ――されど、彼とて人間だ。決して薄情なだけの者ではない。

 隣同士で座っている彼女の肩に手を回し、一気に此方を見ていた顔を近づける。あまりに突然の行動に彼女は何も言えず、されど驚いたように彼の強烈な光を放つ黒い瞳と見つめ合った。


「辛くなればまた此処に来れば良い。愚痴を吐く程度ならば何時でも聞こう。少なくとも、このグループの中ならばお前を悪く言う者はいない」


「――――――」


 強い眼だ。男らしさに溢れた、正しく戦士の眼差しだ。

 最初の笑みを浮かべていた者の顔ではない。その強い眼差しに彼女の涙腺は刺激され、再度抱き着く。

 零れる涙はここまで。ここで全てを吐き出し、また笑顔であそこに帰ろう。自分には慰めてくれる場所があるのだから、まだまだ努力を続ける事は出来る筈だ。

 彼女の内から熱い思いが流れ出る。悪感情の悉くを駆逐し、その心の全てが清浄な輝きに清められた。

 ならば彼女はこのままでも走り続けるだろう。

 自分の身の丈に合わない事だろうと逃げ出さず、常に限界に挑戦する。そうしなければ、彼の前で涙を流す資格が無いのだから。

 

「――――伝令!伝令!」


 その時、不吉な風が彼等の間を駆け抜けていった。

 

 

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