凶風
緩やかに飛ぶ影が地面にある。
都市一つを丸ごと飲み込んでなお巨大なその影は、巨体に見合った鈍足さでもって目的地へと舵を切っていた。
太陽と同等の輝きを放つのではないかと思わせる鱗。常に忙しなく動く不気味な二つの目。ヒレの部分は蒼く煌めき、全身全てが宝石のようだと感じる者も出てくることだろう。
そんな怪物を――遙か遠くから見ている複数の影がある。
調教された既存の生態系に存在する飛竜に跨り、装備は各々に合わせた特注品ばかり。
背中にはこの集団が一つの塊であることを示す、竜に跨った騎士のエンブレムが付いている。それは王宮直属の部隊を示す物であり、英雄や準英雄を除けば最強の部隊でもあった。
しかし、今回は相手が相手。構成されたメンバー十二名と少ないが、その中の殆どを占めているのは準英雄の者達だ。
他のメンバーはバックアップの為に別の地点で観察を続けており、このチームが攻撃を成功させれば加勢する事となっている。
竜騎士舞台のリーダーは『駿足』のアルト。
阿頼耶の力によって動物も含めて高加速が行える準英雄級の人物であり、彼は今回例外的にリーダーを任せられる事となった。
その背後には王宮側の狙いがあるものの、それについては今はどうでも良い。
古ぼけた双眼鏡を覗いていた彼は苦々しげにそれを見やり、思わずといった体で舌打ちをする。
聞いていた他のメンバーも思いは同じだ。――――相手は此方を確実に捕捉しているだろうに、それを無視して進んでいる。
まるでお前達など大した存在でもないと馬鹿にしているようであり、真偽は定かではなくともそう見えてしまう以上怒りは抱いてしまう。
武器を握る腕も強く、見据える眼差しにも殺意は乗る。
普段はそうしないようにしているが、最早気づかれていると考えている彼等は抑える事をしない。そうするには、今までの被害があまりにも大き過ぎた。
ムラトもそうだが、目前の存在は以前から各地で目撃情報が上がっている。その場所に急行すれば村は最初から無かったかの如くクレーターと化し、都市は常に大出血となっていたのだ。
当然生まれた死人の数は万単位。十や二十では足りない程に目の前の魚に殺され、故に王宮の内部では黄道十二星座は最も早急に殺さなければならない存在として決定されている。
ならばこそ、止める事は無い。ムラトに到達されるよりも前に倒し、憂いの一つを終わらせる。
「各人、最大火力でもって攻撃せよ。近接戦闘者は味方の大規模攻撃が終了次第突撃し、可能であれば相手の頭部か心臓を潰せ。これをもってパイシズとの戦闘を終わりにする」
相手は恐るべき化外の内の一体。
撤退させるだけでも困難を極め、倒せば伝説に名を連ねる事になるだろう。
名誉も地位も欲しいがままだ。しかし、今この瞬間において考えるのはそんな些事ではない。
詠唱でもって十割を発揮し、各人が最大の攻撃を放つ用意をする。
百を超える大灼熱を生み出す砲身が出現され、周辺全てを氷結させながら巨大な氷塊が生まれ、晴天の空は雷鳴轟く曇天へと変化していく。
地面に広がる方陣は全員を射程に収め、各人の能力を人間を超えた先まで強化する。
回復や防御の壁も十重二十重に広がり、如何なる即死攻撃も無効化するよう整えた。それでもまだ足りないと近接戦闘を行う者達は自身の得物に各々の概念を付与させていった。
即死、猛毒、回復殺し、弱体化。出来うる限りの手を打ち、しかしこれで大丈夫なのかと全員は更なる手を考え続ける。
既にこの攻撃の余波だけで百や二百の化外は消失する程の域だ。
それだけ怪物に対して脅威に感じていたのだろうが、さりとて何も知らない者から見れば何処の世紀末戦争だと絶叫をあげて逃げ出すだろう。それだけの規模を用意したのだからこうなるのが自然である。
だが、とリーダーであるアルトは背筋に冷や汗を流す。防御壁を多数展開したとはいえ、それがこの規模の攻撃全てを凌げるかと問われると不安しか感じない。
一つか二つ間違って防御を突破されれば、その段階で彼等全員が致命傷という自爆に終わる。
重要なのは最初の一撃だが、しかし最重要なのは最初の一撃を防ぐ壁だ。展開してくれた数を見るに安心すべきなのだろうが、これだけの攻撃を仕掛けるのは今回が初めて。
故に不安になるのは当然で、されど引き下がれぬと腹を括る。
此処で負ければ人類は勢いを喪失するのだ。帰還する予定の英雄達が安心する場所を守る為にも、この地は絶対に化外の好きにさせてはならない。
「各人――これより我等は決戦を開始する。全員生きて帰れると思うな」
パイシズは未だ彼等を見ずにゆっくりと進み続けている。
明らかに異常事態が起きているにも関わらず、防御だと思われるような行動すら行わない。
常に無防備。常に無関心。何処に打ち込もうとも然程気にしないような素振りを見せる雰囲気を感じ、まずはそれを揺らがす事を目標に定めた。
最初の攻撃だけで全てが終わるとは思っていない。全員が死ぬ最悪の未来も想定しながら、アルトは片手を挙げ――
「それでは、開始」
下げる。
そして同時に放たれるは鼓膜を破壊する程の轟音。殺到する破壊の嵐に皆が閃光等によって目を潰されながら、それでも顔だけは前を向き続けた。
――――――――――
「おお、おお。やってるよ早速」
閃光が周辺を焼く。余波だけで野原は地面が剥き出しとなった荒野へと変わっていき、魚の姿はまったくもって見えていない。
それを遠目から見ている存在が一人居る。被害が比較的少ない丘の上で観察をしているのは、銀の体毛を持つ二足歩行のネメアの獅子であった。
その目は細まり、長い口は薄っすらと笑みを形作る。光と熱によって本来であれば対象を視認する事は不可能であるが、獅子は普通の範疇には収まらない存在だ。当然遠くに見える英雄候補達も捉えているし、魚も確実にそこに居続けているだろうと確信して目を動かさない。
そう、魚はまだ死なない。如何なる天変地異が起ころうとも、どれだけの強者が居ようとも、魚を倒すには余りにも足りない部分が多過ぎる。
力押しだけでは駄目だ。知識で嵌めるでも論外だ。両方揃っていたとしてもやはり勝機は無い。
「いやぁ、良い威力だ。俺なら速攻であの世に行ってそうだな」
率直な感想は獅子の紛れも無い本音である。
普通よりは頑丈な作りをしているとはいえ、天変地異にまで到達する威力をまともに食らえば消滅は免れない。既に以前の戦闘による傷も癒えているから直撃をもらう事は無いだろうが、それでも掠っただけで最低でも重傷は避けられないだろう。
それだけ広範囲に、高威力の物が惜しみなく放たれていた。数千の化外を抹消するに足る威力を持ち、故にこそ人間側はまずもって勝利の方に思考を割いていることだろう。
英雄が居ないとはいえ、それでも未来の英雄という強者が居る。慢心する程ではないだろうものの、それでも勝利を半ばまで信じてはいる筈だ。
――――だからこそ。そう、だからこそだ。
「うわっはぁ……。相変わらず頑丈なこって。いや、人間にしては結構な威力を出したと褒めるべきか?」
閃光が無くなり、全員の鼓膜と目が回復した頃に、皆が相手の姿を正確に捉えた。
魚の身体は完全には消失せず、されど鱗の大部分は溶け落ちて地面に落ちている。瞳にも亀裂が走り、ヒレの部分には幾つもの穴が開いていた。
どう見たとしても移動すら困難な状態。損壊率は安いものではないだろう。
されど、それでも魚は生きていた。雷に当たり、灼熱の魔弾に当たり、絶対零度の氷塊に襲われ、それでも尚生命を奪うことは出来ていない。
誰もが唖然とする他なかった。この目の前の相手は、例え天変地異が起きようとも生きれるのだ。
溶けていた鱗の下にはサーモンピンクの肉が見え、罅が入った瞳の隙間からは謎の液体が流れ出る。
これにより鱗を飛ばす攻撃は不可能になるが、それだけしか攻撃手段がないとは誰とて思わない。生物は危険に晒されれば必死になるものであり、それは未知の手段を新たに発生させるものだ。
そうなる前に止めを刺さねばならず、故に竜騎の者達は己が得物を構えて突撃する。それがどれだけの効果を齎すかは解らずとも、僅かな傷を付ける事は出来ると信じて。
「涙ぐましい努力だな。英雄が居なきゃ応援しても良いが、まぁ結果は見え見えだ」
突撃する者達に、ついに魚は動く。
壊れた筈の目玉は緩慢と動き、口が開く。皆が見えない部分にある鱗が切り離されるも、何も出来ずにそのまま地面にへと落下した。魚の内部にある水がそもそも無くなっているのだろう。
垂れ流され続ける水は未だ勢いを衰えさせていないが、それでも飛ばせなくなったという事は確実に減っているのだろう。
魚という枠に収まっているのならば水は必要となる。空気中に存在しているから規格外であるのは当然だが、逆に内部に水が溜まっているのだろう。
既存の方法とは異なる生態だ。解り切っているとはいえ、それでもその存在は歪に過ぎる。
そんな存在に接近するというのは恐ろしいものだろう。未だ明確な形で近接者が相手に傷を付けたという話は無く、これがもしも成功するのであれば攻略の手札も増える筈だ。
――――されども、獅子が予測するように最初の攻撃で生存された時点で結果は見えている。
『――――オ……り』
紡がれた魚の言葉は誰もが意味を理解出来ない。
何かを喋ろうとしているのだが、その何かが一切頭に入らないのだ。思考が遮られているが如く、明確に意味を理解出来る者は誰一人として存在しない。
代わりに、獅子だけはその言葉の意味を理解して眉を寄せる。忌々し気に魚を睨み、歯を軋らせた。
誰も彼も、本質を見ようとしない。見ようと思えば見れる筈なのに、考える事は殺すことのみ。
それが悪いとは獅子は思わない。現に化外は確かに人類を追い詰めようとしているし、魚は彼等を殺そうとしている。
容赦も慈悲も無く、人類など不要とばかりに殺意を昂らせているのだ。
そうしなければ自分は生き残れないと言っているようで。そうしなければ何もかもが解決しないと言っているようで。
全てを理解しているからこそ、獅子の思う事は複雑極まる。
脳裏に過るは一人の男。自身や過去の仲間達を従え、唯一共に歩んだ世界最高の英雄。
魚はそれを求めている。魚はその人物だけを探している。
もう何処にも居ないというのに、あの魚は過去の光を求めて漂い続けているのだ。獅子も同じく、本拠地に住まう者達の意思など無視して彼等は活動を続けている。
本来ならば咎められる案件だ。罰則を受けたとしても当然だろう。――されど、そんな程度で止まる程彼等の思いも浅くもない。
あの魚が狂乱へと染まったように、獅子が本質とは逆を行くように、化外も化外で己が願望を持っている。人外であるとはいえ、彼等にも相応に感情は備わっているのだ。
だからこそ、この戦いの本質を知らぬ者達に魚が負ける筈も無い。
接近する者達を視界に収め、魚は自身の身体を仄かに発光させる。何かを発動させる前兆なのは言うに及ばず、だからこそ完全に発動する前に致命傷を与えようとアルトは最大速度で突っ込む。
突き立った剣は確かな傷と衝撃を魚に与えた。
肉は想像以上に容易く入り、鱗こそが唯一の装甲なのだというのが解る。
しかし、解ったのはそこまで。相手は苦しみの声を漏らさず、そして抜こうとした剣は抜けず、目前に光る身体は更なる発光現象を見せている。
アルトの身体に嫌な予感が走った。咄嗟に剣から手を放して脱出を図るも、その予感は今もなお無くなりはしない。
早く脱出しなければならない。早く逃げなければならない。早く、早く、早く、早く。
急激に高まる死の感覚。それから逃れる為に彼等は必死に竜を動かし、しかしどれだけ離れようともその感覚は背の直ぐ傍にある。
死神の鎌は首に当たり続けているのだ。それから逃れるには相手を倒すかこの場所から逃げ切る他にない。
「――だから負けるんだよ」
逃げ続ける者達を見て、断ずる。
魚が求めるのはあの時の英雄。狂ってしまっていても、それだけは決して失わない。
またあの頃を取り戻したいと狂う程に願っているからこそ、死から最も遠い存在と化していた。
強烈な発光が辺りに一気に広がる。超広範囲を纏めて光が包み込み、中の状況を誰にも見せはしない。
それでも、結果は解っていた。そもそも逃げを決定していた時点で積みは決まっていたのだ。
溜息を吐き、獅子は歩き出す。
光が消え去った後には――――竜も人も魚の姿さえ何処にもいなかった。




