逃走開始
「諸君。予定の時刻よりは過ぎてしまったが、これよりノイタナに向かい避難を開始する。各々決められたチームで範囲内の避難民を限界まで防衛するのだ」
照らされた光に集まった者達は、その光である信号弾を打ち上げたウェッジを見る。
硬く結んだ口を重々しく開き力強く紡ぎ、此度の逃走の開始を宣言している姿は恐ろしさに屈しているようには見えない。紛れも無く一人の指揮官としての姿を晒し、毅然として立つ姿は正に皆を率いる者。
横に並ぶ警備隊員も胸を張り作戦の成功を必ず果たさんとする意思を見せ、逆に学生組はそんな彼等を不安の篭った眼差しで見つめていた。
今回の撤退は非常に危険性を伴う。死人も出るのは言うに及ばず、避難民の暴走によって死ぬ可能性も考慮しなければならない。
会話は無いだろうが、あったとしても短くしておくに越した事はないだろう。会話をしている内に避難民が勝手に何処かに逃げ出す確率もあるならば、学生もまた一人の軍人として規律を守った動きをしなければならなかった。
先に逃げ出したメンバーは全て名前も学校も把握している。
此処からノイタナに到着次第捜索を他からも頼むつもりであるが、それ以外にも罰則を与えなければならない。どれだけ戦場が恐ろしいと思っても、彼等はそこに立つ為に今まで育てられたのだ。
それが実績を積む前に逃走。完全に敵前逃亡であり、正式に軍に入っていれば銃殺刑は確実だった。
捜索し、捕獲し、学園に送り返す。罰は各々の学園に任せるが、殆どの場合は退学となる。
稀に奉仕活動のみとなる事もあるものの、それは止めさせるには惜しい逸材であるからこそだ。言い方は悪いが凡百の兵士に対してはどうしても厳しい眼差しを向けられるのは避けられない。
しかしそれらを考慮した上で彼等が逃げたとは思ってはいなかった。この環境から逃げたい一心で動いていただろう事は承知の上で、尚警備隊は職務のみを遂行する。
そこに私情を挟む余地は無い。賄賂も脅迫も全て無視し、一兵士として彼等を捕まえるのだ。
「諸君等の中には避難民との会話に難儀する者も居るかもしれない。それ以外にも今回は君達にかなり無理をさせる形となるだろう。多少なりとて君達の心労を和らげる為に警備隊の者達が一チーム一人つく。相談をしても構わないし、今後の話し合いをしても良いだろう。しかし出来れば、最後は皆で作戦を成功させたいと思っている」
その言葉を最後に、ウェッジは皆を見渡した。
多数の不安や不信の目。懐疑的なものの方が圧倒的に多く、今放った言葉とて正直には捉えていないだろう。必ず何かしらの裏があると読んで各自を行動を起こす筈だ。
だが、それは素直に受け入れるべきことである。彼等が真に生き残りたいが為に行動を開始するというのならば、それを遮る真似をしてはならない。
本当の致命に到達する瞬間に待ったをかけるだけに留め、見守る事も必要だ。
特にと、ウェッジの目は複数のグループを見る。
一人は腕を組んで無言を貫いていた。一人は裏を感じさせる笑みを見せていた。一人は犬歯を剥き出しにして此方を睨み、一人は天然な顔そのままに満面に顔を綻ばせていた。
また別の場所に居る最後の一人は余裕の顔だ。この程度は何の問題にもならないと態度が語り、その姿勢のお陰か件の人物のチームは酷く落ち着いている。
他がおかしな行動を起こしたとしても、この五チームは何も起こさず仕事を完遂しようとするだろう。
常人から見て一癖も二癖もあるような者達ばかりだが、しかし現状においては非常に頼りになる。無理をさせ過ぎる事だけを注意すれば、継続的に防衛は成功させるだろうと心から確信させてくれるのだ。
そういった人物達は貴重で、故にウェッジの心の手帳にも彼等の情報は書き込まれている。
将来的に引き抜く事を想定し、それは取らぬ狸の皮算用だと内心で苦笑してから息を吸い込んだ。
「――ではこれより、避難民達の避難を開始するッ。全体、持ち場につけ!」
『りょ、了解!!』
全員がバラバラになりながらも条件反射の如く言葉を吐き、走り出す。
それを満足そうにウェッジは眺めて自身も先頭を行く為に走り始めた。
各人の進みはチーム毎によって違い、遅い者と速い者との差は明確だ。その中でも突出して走るメンバーは最初から目的の場所についてからの予定を決めているのだろう。
阿頼耶の温存を行いつつ保存食のブロックを一つ口に放り込み、一直線に持ち場に向かう。常に背後を気にし迷子となったメンバーはいないかと確かめ、少々の時間が経過した後に全ての者達は配置についた。
それは一般の兵士から見ても遅いものだったが、さりとて隊列の動きなど本来阿頼耶保持者にはあまり関係のあるものではない。
それなりに数が居るとはいえ、こんなにも集まる機会など早々無いのだ。
故に崩れていたとしても気にする事なく、全体のリーダーたるウェッジは最後に配置についた警備隊員達の信号弾を合図に進む言の葉を口にした。
――これより五日間は敵の攻撃を防ぎながら、極限まで避難民を守る戦いが始まる。
――――――――――
前途多難、五里霧中。
状況を纏めるのであればこれ以上の言葉はあるまい。
敵が何時来るかも不明なのは百も承知であるとはいえ、それでは常に気構えを続けなければならないというのは人間である以上絶対に不可能な話だ。
そも、人には精神という限界点がある。そこに到達すれば誰であれ気を抜き、楽を選ぼうと思考を休ませてしまう。無論それは生物として当たり前の現象であり、別段不自然な事でもない。
どれだけ限界の先を超えようとしたところで、それでも限界は必ずある。
生物としての枷が存在する限り彼等の精神力も次第に衰えていくことだろう。既に士気も低い為に、訪れる最悪の事態は意外にも近いかもしれない。
「なんで俺が……」
隣で歩く上級生の愚痴は既に何回目だろうか。
二十を超えた辺りから数えるのは止め、今は努めて平静を装いながら無視を決め込んでいる。彼も別段聞いてほしいから言っている訳ではないだろうし、この手の愚痴は既に慣れているので問題無い。
自分とてそんな愚痴の一つでも吐きたいものだが、さりとてそんな真似が出来る筈も無し。
直ぐ傍には民間人も居るのだ。そんな場所で迂闊な発言を繰り返せばどうなるのかなど、一度聞けば誰とて頭に残しておくだろう。
現に隣の彼に向けられる民間人の視線は厳しいものばかり。
殴られも怒鳴られもしていないのは一重に自分達が守られる側であると理解しているからであり、その点だけを考えるのであれば民間人は比較的冷静だった。
「落ち着けヒュウガ。隣には下級生まで居るんだぞ。気持ちは解るが、それでも情けない声は漏らさないでくれ」
「そりゃそうだけど……でもよぉ」
「いいから静かになれ。俺達はまだまだ運が良い方なんだぞ?護衛とはいえ、味方は多数。少数で強力な化外を相手にする必要もない。物資は乏しいが、それでも全員でやれば一回や二回程度の襲撃なんざ問題無いから足りる。……帰ればまた楽しい日々に戻れるさ。また一緒に食事にでも行こう」
「ミナト……そうだな。頑張るさ」
気合を入れた隣の上級生の言葉を聞きつつ、励ましていた男へと視線を向ける。
制服の形状は同じ。つまり同学年の友人同士ということか。こういった組み合わせは決して狙ったものではないだろうが、結果として無事に成功している。
尤も、その励ましていた本人の顔も決して良くはない。顔に赤みはほぼ無いし、出て来た言葉の数々もまるで自分に言い聞かせているようにも感じられた。
追い詰められているのはその男も一緒だ。だが、それでは駄目だと現実的に考えている分隣を歩いている彼よりは比較的マシな部類だろう。
俺からも何か言うべきなのかもしれないが、生憎と友達ごっこはしたくない。
必要性が無いのもそうだが、無用な接触は余計な接点を作るだけだ。それを起点として何が起こるかも解らぬ以上、やはり安易な行動は慎むべきだと決めている。
それにこんな場所だ。
周りに疑心暗鬼に陥っている者とて存在するだろうし、この機に乗じて悪巧みの一つでも考えている輩が居ないとも限らない。どんな場所に居ようとも、必ず精神の強い人間はいるものだ。
先程会った男達もそうだろう。他とは明らかに違う気配を感じさせ、警戒に足ると確信させられた。
同じチームでなかったのは僥倖だ。警戒を続けなければならないというのはこの状況下において危険であり、途中で切れる事も考慮しなければならない。
最初に歩き出した段階で警備隊の人間から説明を受けたが、民間人の疲弊を考え一定の時間毎に休憩を挟む予定がある。
正直そんなものを挟むよりも歩いた方が良いのではないかと思うが、全体的にはこの休憩は賛成された。
阿頼耶保持者の体力は決して一般の軍人には負けていないというのに、それでも彼等は手を挙げたのだ。
全体の過半数がそう決めたのならば致し方無し。俺がどれだけ反対を言ったところで無意味であると判断し、呆れながらも全体と歩幅を合わせているのが現在の状態だ。
これで五日間。こんな温い速度で五日間。
実家での修行や学園の授業に比べれば、それはあまりにも温い。いや、温過ぎる。
一般人に歩調を合わせる姿勢は大事だが、かといって急がないという姿勢は眉を顰めてしまう。此処に居る人間達は皆生きる気概が無いのかと思われても仕様がないだろう。
生きたいのならば五日間程度歩き抜いて見せろ。それをして初めて生への渇望を感じ取れるのだ。
今のままではただ歩いているだけ。無駄に自分を危険に晒し、その防衛を他所に任せている。
無論守るという箇所に関しては俺達の仕事だ。その部分についてだけは確りと完遂するつもりである。
しかし、それでも今回のこの行動については正直なところ愚かとしか言いようがない。
その気持ちを正直に吐き出せばきっと嫌われるだろうが、そもそも俺の発言を嫌う時点で互いに反りが合う訳がない。
『難儀なものだな……何時の時代も馬鹿は一定数現れてしまう』
俺の反対側を歩くオリオンは、そう素直な心境を語る。
俺とコイツの意見は殆ど一緒だ。そうなるまでの過程は違くとも、それでも互いに最終的な部分が一致してしまう辺り相性が悪い訳ではないと思えて複雑だ。
俺はコイツの事が嫌いで、アイツも決して俺を好いている訳ではないだろう。最初に話した時点でそうなったし、互いに好かれようとする努力を放棄していた。
なのに荒事関係になった途端にこれだ。もしも俺が偽物の自分と同じ気質だったらかなり相性は良かっただろう。
『こんな人間共を守る価値があるとも思えんな。さっさと見捨てた方が益になるだろう』
――――そうする訳にはいかない。
俺が生きる為ならば見捨てても構わないが、今この群体の中には将来の英雄が居るかもしれないのだ。
それに一般人の中には技術者も居る。ムラトの技術者が最も素晴らしい武器を作れる以上、それを守らねばならないのは阿頼耶保持者としては当然だ。
守らねば武器の質で負けるかもしれない。どんな低い確率であれ、そうなるならば人間は死守するのだ。
その点に関してはお前も納得出来る話だろう。
『私ならば阿頼耶だけで万難を排す事は可能だ。武器の有無で勝負が決まるなど二流だろうし、それに頼った戦い方を選択するなど愚の骨頂。真の強者は拳のみだろうと勝利をもぎ取れる』
――――それが出来るのは本当の意味での人外だけだ。
阿頼耶の天才的な素質。恵まれた肉体。周囲にはそれを手助けしてくれる者が居て、折れぬ心を保ち続けられる人間こそがそんな境地に辿り着けるのだろう。
何か一つでも欠けても、お前の語るような人物は生まれない。時に人間は限界さえ突破するものだが、さりとて突破をした先にも限界はある。その域の化外と相対すれば負ける率の方が圧倒的に高いだろう。
心が強いだけでは駄目だ。肉体が強いだけでは駄目だ。
そんな難しい要求を叶えられる人間など極少数しか居らず、だからこそお前の求めるそれは只の理想に過ぎない。
『……』
静かとなったオリオンから視線を外し、黙々と俺達は歩き続けた。
既にムラトの姿は見えなくなり、恐らく見えているのはもう最後尾の人間だけだろう。
これから先、一体何人が今の状況を耐えられるのだろうか。脱落者は果たして一人も出ないままに終わってくれるのだろうか。
――無いな。そんな事は絶対に。
間髪入れずに叩き出される俺自身の言葉は、どうしようもなく現実的だった。




