急転直下
目的地までの道程は、想定していたよりも敵の襲撃が少なかった。
乗っている時間の方が長く、現れた敵も大体が低級の化外に賊のみ。中型にまでいくようであれば出ようかとも考えていただけに、この敵の質は少し呆気ないものを感じた。
無論、道中が安全であるのは良い事だ。それだけ目的地に着く時間も遅くはならないし、俺自身も安心して眠る事が出来る。
夜道を走り抜けた際でもザイディの馬の操縦は見事なものだった。まるで昼と同然の如く手綱を操り、何処かに車輪を引っ掛けるような真似もしない。
流石に鼻歌をする程の陽気さはないが、それでも彼の表情には余裕が残っていた。
さて、目的地までの間に見た光景についても述べねばなるまい。
確かに化外の質は低く、賊もそこまで恐ろしい訳ではなかった。ザイディが少しばかり阿頼耶を行使しただけで、それ以外の困難など絶無だったと言えよう。
ただ、ムラトに近づけば近づく程に周辺の環境は荒れていた。木々は衝撃波で吹き飛ばれたかのように根本から抜け広がり、道にも大小様々な亀裂が走っている。動物が居そうな地域に入っても姿は一匹も存在せず、外敵との戦闘を除けば無音になっている事の方が多い。
村の跡地のような場所も通ったが、見事なまでに家屋は全て破壊されていた。井戸があったお陰で辛うじて村と解ったものの、もしもそれが無ければ何かの建物の跡地程度にしか認識出来なかっただろう。
全てが破壊されている。
死骸が無いのがいっそ不気味に思えるくらいに、俺達が進む道は何処も彼処も滅茶苦茶だった。
これが全てあの怪物によるものだったとしたら、それはとんでもない話だ。大質量の存在が力を振るえば周辺に被害が起きるのは当然の理屈であるが、ムラトは壊滅した地点から動いていない。
距離自体もそれほど近くではないのに、この有様だ。実際にムラト目前にまで到達すればどれだけの被害痕を見せつけられるのだろうか。
きっと、俺の想像の範疇を超えているのだろう。大量の人が死ぬ現場になど一度も来た事は無く、あったとしてもそれはナグモの時のみ。
あの時は俺も途中で倒れてしまった所為で死体など見る余裕は無かった。故に、今回の戦闘で初めて俺は死体の山と遭遇するのだろう。
「恐らくまともに食べれる最後の食料だ、食べなさい」
ザイディが横に置いていた荷物から、器用に二人分の食料を取り出す。
俺には自分用の保存食があるのだがと言えば、そちらは戦場で消費しろと言われた。
それは確かにその通り。ザイディは俺をムラトに運んだらそのまま学園に戻るだろうし、そうなれば残されるのは俺ただ一人だけ。
少しでも食料を残しておけば、それが生存の可能性に繋がる。ならばその厚意を無下にするのは論外だろうと、素直に感謝を述べてから食料であるサンドイッチを頬張った。
貴族らしくない手掴みの食料は最初戸惑ったものである。今ではあまり気にせず食えるが、当時はまだまだ貴族としての自分が強過ぎてどうしても食おうと思わなかった。
本当の意味で食糧難に陥ったからこそ克服出来たのだ。それがなければ、今頃はまだ食べていなかったかもしれない。
「ムラトまではまだ遠いが、徐々に被害が酷くなっていっている。もしかすれば放置された死体も多数見る事になるだろう。その点は問題無いね」
「勿論です。でなければ直ぐに準備を整えようとは考えません」
「結構だ。これから先、君は多数の貴族に会うだろう。一癖も二癖もあるような面子ばかりで最初は戸惑うだろうが、どうか輪を乱さずに協力の姿勢を貫いてほしい。彼等の約束に従ってね」
「そうしなければ俺の未来は暗闇になりますからね。確り守らせていただきます」
忠告、というよりは応援だな。
これより先では学園の常識が通用しない。元々外に出れば通用しないものだったが、ナグムよりもムラトの方が危険度が高い所為で通常の常識ですらも無視されるだろう。
そうなった時に疑問の声を上げるようでは駄目だ。此処は戦場だという意識を確りと持ち、ムラトでのルールを頭に叩き込まねばならない。
面倒な話であるが、集団とはそういうものだ。誰か一人が自分勝手に動いて良いものではなく、協力して事に当たるのが今回の正解だろう。
皆との約束もある。記者も定期的に来るならば、俺はテキス家の代表として恥の無い振る舞いをしなければならない。その重圧は決して軽いものではないが、背負えない程でもないのが本音だ。
常と変わらぬ偽りの己を見せるだけで良いのだから楽と言えば楽だろう。
何かの肉を挟んだサンドイッチを口に入れ、視線はムラトがあると思われる地域へと向ける。
遠くに見える空は何処か薄暗く、さながら大雨が降る前兆のようにも感じられた。敵がどれだけやってくるのかも明確ではないが、いきなり雨の中の戦闘は勘弁願いたいものだ。
それでも、やれと言われればやらねばならないのが俺達である。希望である以上、臆病な姿勢は絶対にしてはならぬ事だった。
――――――――――――
世界が闇に閉ざされていく。
俺達にとっての忌むべき時間が訪れたのだと誰かが耳元で囁き、意識を研ぎ澄ます。
目的地のムラトまではもう間近。ランタンが照らす世界は僅かなもので、周辺は何も見えない。
阿頼耶でもよくは見えないだろう。それだけ暗い世界で、にも関わらず遠くの空は赤く燃えていた。
この近くに街があったという話は無い。村々も大体は破壊されている。
であれば光る筈など無く、故に結論はただ一つ。ザイディもその結論に行き着いたのか馬を更に走らせ、多少の衝突は気にしない。
その衝撃によって荷物が減っても俺は気にしないだろう。それだけ遠くに見える炎は俺に強烈な印象を与えていた。
炎の位置はムラトと一致している。つまり現在は戦闘中であり、そうでなくとも非常事態にはなっている。直ぐに消えない様子からも炎の発生源は未だ存在している訳で、そうであるならば俺達は最速で到達して加勢すべきなのだろう。
衝撃で揺れる馬車内で装備を整え、何時でも行けるように構える。
ムラトに完全に接近する前に馬車からは降りるつもりだ。大声でザイディにも伝え、暫しの沈黙の後に肯定の声が放たれた。
「何が原因だと思いますか?」
「確定は出せないな。だが、少なくとも大火事である時点で並の事態ではあるまい」
今居る地点は森の中だ。そしてムラトの停止した場所は森を抜けた平原であり、炎を消せるだけの材料が何処にも無い。消すには水を出せる阿頼耶保持者か、今現在ある水の備蓄を消費するしかない。
前者の方が負担が少ないが、そんなピンポイントな能力者など存在しているのだろうか。最悪でも炎を消すだけの能力を保有していれば大丈夫な筈だが、あんな有様が続くようであれば決して大丈夫な状況ではないのだろう。
戦闘が起きているのかもしれない。
握った柄に力が籠り、思わず引き抜きそうになる。
オリオンもオリオンで炎の方角を冷静な眼差しで見つめていた。何の感情も見せない辺り、彼にはこの炎自体に異常性は無いと踏んでいるのだろう。
であれば、この火災自体には何の特殊性も無い。純粋な炎であり、消すのは容易だ。
ムラトが少しばかり見えてきた時点で馬車を止めてもらう。
荷物を一気に森の中に放出し、後で取りに行けるよう記憶に叩き込む。最後にザイディに感謝の言葉を送ってから、俺とオリオンは一気に阿頼耶を使って目標の場所へと突撃した。
木々を搔い潜り、煙を吸い込まないよう片腕で塞ぎ、警戒を緩めずに森を突破。
見えたのは燃え盛る建物。多数の建築物が一つの円形状の台の上にある様はかなり異質であったが、今はそれよりも明らかに既存の生態系に反した存在を見つけた事で気にしない。
姿形は異なるものの、それは獅子の時にも現れた中型の化外達だ。
主な種類は空を飛ぶタイプらしく、地上で暴れている数は非常に少ない。逃げ惑う民はおらず、聞こえてくるのは誰かの指示の声だ。
住民はもう既に避難を完了しているのだろう。何処かで阿頼耶保持者達が護衛についていると見るのが妥当であり、故にそちらわ心配する必要性は薄い。
――――視界の先で、苦戦している阿頼耶保持者を発見した。
服装からして学生。しかし、グランスミスの物ではない。恐らくは他校の三年だ。
ベージュ色のブレザーを着ているという事はあれが防具代わりなのだろう。やる事は大体一緒だなと結論を弾き出し、一気に距離を詰める。
視界内に入った時点で最早俺にとっては目と鼻の先だ。起動した阿頼耶で一直線に目前の生徒の近くに居る化外へと向かい、そのまま剣を振り落とす。
獅子クラス程の硬度を持っていないのは以前の場で知っている。それでも多少力を込めて斬れば、熱したナイフでバターを切るように敵の上半身と下半身は別れていった。
それを確認し、他に襲い掛かろうとしている化外へと意識を向ける。
どれもこれも総じて雑魚一色。本気になる必要は無いと決め、先ずはと近場の飛龍へと接近する事を決めた。
相手は此方の突然の行動に未だ反応出来ていない。
世界がゆっくりに感じる程速く進んでいるのだからそれも当然だが、しかし微妙に滑稽だ。
直ぐに上昇をすれば良いものを、相手が此方の動きに気が付いたのは既に俺が首へと剣を振り落とした後だ。そのまま永遠に意識を喪失する前に相手の身体を蹴り、真横に居る群れへと吶喊する。
飛龍の叫び声が多く聞こえるが知ったことか。相手が獅子に並ばないのならば纏めて全て切るのみ。
時間が無いのだ。こうしている間にも敵が来ている。
話し合いをする時間を稼ぐ為にも迅速に急所だけを狙い、相手の死体が空中にいる間に蹴って連続して移動を行い続ける。
とても面倒で力加減が難しいが、空戦というものを俺はした事が無い。
だから剣による遠距離攻撃は無く、あるのは精々中距離の斬撃飛ばしだけ。空中戦が主体となるような戦場においてそれは役立たずとなるだろう。
ふむと思考の端で考え、目視する限りに存在していた飛龍を全て殺しきった。
「目標は後どれくらい存在している」
「――え、あ……こっちはもう大丈夫ですし、他も軍の人達が頑張ってくれているだろうから大丈夫な筈です。それよりも早く鎮火の方を済ませないと、最悪森に引火してしまいます」
困惑の表情を一転させて鋭く答えてくれた長い茶髪の女の言葉を聞き、確かにと内心頷く。
このまま敵だけを粉砕するようでは駄目だ。家はもう殆どが駄目になっているだろうが、それでも住んでいた者達の大事な品々は無事かもしれない。
生き抜くにはそういった柱は必要だ。何も無いまま生きていける者など絶対に居ないのだから。
「水系の阿頼耶を持っている人物は!?」
「副隊長なら広範囲のモノを持っています――というか貴方誰ですかッ!?」
「たった今到着した援軍だ。取り敢えずは、その副隊長とやらの元へ行くのが常道だろうな」
偶然にも居てくれて一安心である。
広域型ならば使い手が乏しくとも相応の範囲はイケる。後は火自体を何とか止める別の手段を講じる必要もあるが――――と考えた俺の思考は唐突に無駄となった。
燃えている家屋を飲み込むが如く、巨大な津波が俺達の視界に入る。
全てを飲み込まんと高くなった水の量は尋常ではない。どれだけ阿頼耶の素質が高ければ出せるのか、その津波は間違いなく一つの災害と同一だった。
あれならば火災程度は楽に消せるだろう。住人の大事な物も纏めて消えるだろうが、人命を優先するならばこれ以上無い手段だ。
俺達も巻き込まれない内に早めに移動した方が良い。
津波の方向は此方とは違うが、発生した衝撃波は十分に届く。災害クラスは余波だけでも人体にかなりの悪影響を及ぼすものだから、阿頼耶保持者でも油断をしてはならない。
一足飛びで背後の森へと戻る。女も此方へと逃げてきているが、その表情は涙目だ。
「ひやぁぁぁぁぁ!死ぬ!死ぬってあれ!!何考えてんのよ馬鹿軍人!?」
罵倒すら吐いている様子からして、どうやら誰が使ったのかの見当は付いているらしい。
もしかするならば、彼女は存外このムラトを纏める中心人物達と接点があるのかもしれないな。紹介の際に彼女の存在は有益になると記憶し、そのまま津波が過ぎ去るのを待った。
いきなりの戦闘ではあるが、身体は十分に動く。二度目の死線――無事に生き残って寮のベッドで寝てやるのだ。
そんな姿をオリオンが見ていた事に、俺はついぞ気が付くことは無かったのであった。




