責め苦
――室内は静けさを見せていた。
柔らかな朝日が差し込む窓。床に敷かれた濃紺のカーペットには汚れは見えず、足に柔らかさを伝えてくれる。金縁のガラステーブルの大きさは四人が座っても余裕がある程で、机上には白い湯気を上げる紅茶が四人分存在していた。
革製の椅子に座る者の表情は各々別だ。俺は無表情を貫き、部屋の主たる学園長は厳しい眼差しを隠しもせずに向け、それを真正面から受けたリーダー格の男は顔を蒼褪めながら下を向いている。
汗を流して胃痛に顔を顰めているのは授業の担当教師だ。丁度起きた時間が授業終盤だったこともあり、証人として此処に強制的に残らされていた。
重圧著しい部屋の中に入ってから、既に時間がある程度経過している。
今回の一件は極めて重大なものだ。将来有望な貴族が理不尽な理由で殺されかかるなど冗談で済む筈も無く、事は当然俺達だけの話では収まらなくなる。
この話は確実に両家の当主の耳に入るだろう。それを思うと俺も担当教師のように胃痛を覚えるが、まだ被害者である分マシだ。
問題なのは加害者側。男がやったのは護衛達を尋問した結果簡単に出てきてしまい、更にはそれ以外の罪状も浮上してしまった。
少し性欲が湧いてしまったからと手頃で美人な平民の女を権力を使って犯した話や、自身と能力が似通っているからという理由で退学を強制させた話。密かに殺された話も出てきてしまえば、最早同情の余地は無かった。どれだけ子供であろうとも、俺達はもう大人を間近に控えた学生だ。
相応の責任を背負える立場になれるし、既に公爵家の令嬢達には一部公的な権限が与えられている。
グランが良い例だろう。彼女は父親の代わりに警備や討伐のメンバーを決め、物資を与えて送り出している。一部険悪になるだろう要素はあったものの、それでも結果的に見れば彼女は十分成功していた。
責任を負うからこそ、恐らく隠しても大丈夫な場所を慎重に選んで行かせたのだろう。あの性格の悪ささえなければ、十分立派な貴族と褒め称えるべき手腕だ。
同じ歳でありながらも俺とは比べ物にならない。正しく貴族の中の貴族とも言えるのだ。
ならば、その男もまた貴族として責任を取らねばならない。
殺人未遂は階級によってその重さが変わる。奴隷であれば他人の所有物でない限りは無罪。平民であれば一部財産没収に加えて三年の獄中生活。貴族であれば最悪死刑で、良ければ十年間の獄中生活に加えて無償奉仕がある。
因みにこれが王族となれば迷わず極刑だ。斬首されるのは当たり前だと考えるのが妥当だろう。
最悪一族全てが殺される危険性も孕んでいる。王族故に当然とも言えるが、だからこそ俺達は王族を害する事が出来ないのだ。
さて、このまま話が進むのであれば先ず確実に男は牢屋に叩き込まれる事になるだろう。貯め込んでいた資産がもしもあるのならば強制的に国が没収する形となり、刑期を終えて戻って来たとしてもその頃にはもう居場所と呼べるものは何処にも無い。
牢屋に送られるとは、それ即ち貴族にとっての死を意味する。冤罪であれば、もしくは愛があればまだ可能性はあるものの、こうなってしまってはもう貴族としての復帰は不可能と言えるだろう。
権力の乱用のツケが此処で全て返ってきたのだ。ならばそれを静かに受け止めるのが、せめてもの貴族らしさと呼べるのではないだろうか。
「こんな筈……まだ何か……」
にも関わらず、男は顔を蒼褪めながらも逆転の一手を模索していた。
そんなものは何処にも無いというのに、それでも思考を回転させ続ける。逆境の中でもそれだけ回せるのならば大したものだろう。戦場ならば泥水を啜って生きていそうなタイプである。
だが、既にチェックメイトだ。目撃者は居ないものの、それでも情報を吐いたのは犯罪者本人。加えて明確な被害者が居るのならば、証拠としては十分だ。これで少なくとも彼の存在は学園から追放されるだろう。
学園自体にも多少なりとてダメージがあるが、膿を取るのは痛いものだ。
今回の一件は学園長にとって良いものではない。されど、学園を致命的に追い込むものでもない。
言葉を巧みに操れる者であればこれを材料にして学園の力を底上げしてくれるかもしれないが、その仕事は学園長自身が行うだろう。
故に俺がすべきは真実を明らかにする事のみ。
刀身も拾ってきた分を机に出し、ついでに毒の塗られたナイフも広げる。医務室で怒られながら傷の具合を確かめる時に毒も採取出来たそうなので、それと目の前のナイフに付着した毒を合わせれば物的証拠として無事に成立するだろう。
「ふむ、証拠は十分。何よりも普段からの行いに関して少々行き過ぎているものがあるのは聞いています。この一件をもって反省をすべきでしょう。幸いな事に貴方はまだ未成年。貴族としての責任を負う仕事も無い以上は判決結果は多少なりとて甘くなる。死ぬような目には合わないでしょう」
「しかし学園長、彼がした事は明らかに大問題です。我々がそう考えたとて、テキス卿の御父上がどのような判断を下すのかは定かではありません。最悪な事になれば……ッ」
「勿論です。彼の御仁が如何な選択をするのかは定かではありません。より重い罰を求めるかもしれませんし、慈悲を掛けて多少は優しい罰を求めるかもしれません。その点は私よりも彼の方が詳しいでしょう。――ですが」
事の判決を決めるのは俺達ではない。
両家の当主達であり、当人達であってもこれに関しては蚊帳の外に置かれるだろう。特に問題発言が多い男であれば余計な発言はするなと最悪拘束される危険性もある。
グリュンヒルドのように切り捨てられる可能性も決して否定は出来ないのだ。法を破った者は世間では冷遇される。その部分がより強い貴族社会であれば、厳しさは更に増すだろう。
俺の父はどんな判決を下すだろうか。もうかなり長い間まともな会話していない所為で予測がつかない。
貴族として冷徹な判断をするのか、それとも子供だと甘えを見せるのか。
俺は優しい昔の父しか思い出せないが為に後者を想像してしまう。しかし、現実はそうはなるまい。
学園長もその部分は敢えて言わず、そのまま口を噤んだ。
それがどうにも貴族の闇を隠すような行いに見えてしまうのは何故だろう。
『随分と甘いものだな。私ならば即刻殺していた。人殺しにはならずとも、それに近い罪を背負ったのだ。生かしておくなど考えられん』
オリオンの発言は尤もだ。尤もではあるが、些かに極端な意見でもある。
人を殺す事を計画して、そして実行した。本人には人殺しをする意識があり、俺が何もしないままであるのならば確かに死んでいたことだろう。
その点を考えれば、相手は俺よりも格上とはいえ死刑を宣告させる事は出来る。余計な弁護が入らない限りは両家の総意という形でもって裁判官に言うことは出来てしまうのだ。
されどそれで全て終わりとしても、また第二第三の男が出現するだけ。数を減らすという意味合いでは良いのかもしれないが、命を狙われ続けるのであれば結局変わらない。
殺すだけなら簡単なのだ。故に、敢えて殺すのではなく苦しめるのが一番効くだろう。
死刑による終了ではなく、貴族の階級を剥奪した上での無償奉仕。刑期が無事に終了したとしても帰れる場所が無いというのは、それはそれは悲しいものだ。
余程の例外が存在しない限りは放逐された貴族など野垂れ死ぬのが基本で、それを知る術は偶然以外に無い。
その場は判決結果を匂わせた程度に留められ、男はそのまま学園の地下にある罰則用の牢屋に入れられた。阿頼耶を無効化する素材で作られた牢という珍しい部屋の中では一切の能力が発動出来ず、身体能力に関しても二分一にまで低下する。
食事をするのも苦労する場所で、国から衛兵がやってくるのを待つのだ。それは絶望の足音を聞く時間でもあり、少なからず発狂の危険性が伴う。
そうなったらばもうどうしようもない。人間としての尊厳を守る為に死刑にするか、敢えてこのままという形を残して彼の家の名を汚すのか。
教育方針が間違っているという理由で向こう側の家も傷が付けられるだろう。殺人は貴族の誰もが一度は画策するような有名なものであるというが、周囲にバレれば叩かれるのは決まっている。
最悪爵位の低下も有り得るだろう。それはまぁ仕様が無いこととして素直に受け入れてもらうしかない。
学園長室から出た俺はその足は教室に向かう。
二時間目の授業は当に過ぎてしまい、今は三時限目の中程だろう。内容は確か軍事だった筈だ。
指揮官になった際の効率的な兵の動かし方という内容の授業は、正直苦手な分野である。逃げだせるならそうしたいし、このまま宿舎に戻って実家宛の手紙を書きたいところだ。
しかし、俺は学生なのである。その本分は学ぶことであり、それを放棄するような真似は許されない。
グラムからまた呼び出されないとも限らないのだ。それ故に、成績を最低にまで下げる事は出来ない。
また注目の的になるのだろうと自身のクラスに付けられた重さを感じる褐色の引き戸を動かす。
そうして入れば、やはりというかなんというか。
教師も含めて教室内の全人間が此方に視線を向けている。思わず一歩下がりたくなったが、英雄を目指す者として多少の注目は慣れねばなるまい。
堂々と教師に理由を話し、俺はそのまま席に座った。
内容が内容だけに黒板に書かれたモノは全て理解出来なかったが、それでも推測する事は出来る。
されど、二年生がするにしては些かステップアップし過ぎているようにも感じるのは何故だろうか。例の強力な個体を見たが為に、戦力の拡大を急務にしていると考えているのかもしれない。
実際戦力は今現在不足がちだ。俺達という未熟者を戦場に出させるくらいなのだから、早く此処に居る者達も戦力として数えたいという気持ちは理解出来る。
しかし、早めの育成では質は悪くなるだろう。何でもそうだが、早さだけを重視し過ぎるとどうしても一人一人の完成度が悪くなる。
特にこの二年生はまだまだという評価だ。本来俺がすべきではないのだが、そんな自分から見ても周りの生徒達は一部を除いて未だ浮ついている。
真実を知っている者達と元から努力をしようと決めている者達だけが、戦場に出たとしても生き残れる者なのかもしれない。
そう思いつつ、前を見る。一先ずあの一件は終了し、また勉学に励む時期となった。
時間にすれば僅かなもの。それでも、こうして平和な時間があるというのは心安らぐものだ。
学園を楽しいと思える者は少ないかもしれない。勉学そのものが嫌いで、出来れば微温湯の中で浸っていたいと考えている者の方が多いのかもしれない。
それでも、少なくとも俺はこの日常を愛していた。殺し合いをせずに済むのならばそうした方が良いと、呪われた身でも安息を享受出来る日々は決して悪いものではなかったのだ。
出来るのならばずっと勉学を続け、そのままこの学園の教師になりたい。そうするには試験や相応の知識が求められるが、殺し合いの可能性が極限まで薄れるのならば努力のし甲斐がある。
戦いは嫌いだ。まったくもって苦しさしか与えない。
鍛錬も好きではない。それをする事の意味を考えれば、憂鬱でしかないのだ。
もう何度目だろうか、こんな愚痴は。内心で吐露するだけで、本音を口に零したの十歳より先は殆ど無い。
十一から先は零だ。その時からはもう法則性が見抜けたから、あれ以降は愚痴を貯め込むだけになっている。何時かストレスで爆発しなければ良いなと思うも、それに対する自信は無い。
我慢する事が良いことである筈も無し。本で齧った程度であるが、精神的に何かしら悪影響が及ぶらしい。したくてしようと思った訳でもないのに病気とか、本当に勘弁願いたいものである。
死にたいと考えないだけまだ大丈夫だと思うしかあるまい。それを考えるようになれば、先ず間違いなく俺はもう重症だ。
少なくともまともなままではないだろう。そんな日々が訪れる事を恐ろしいと思いつつ、漸く元に戻った日常で筆を取る。
されど忘れてはならない。一度俺は成功して、確かな成果を残してしまった。
それが薄氷の上の勝利だとしても、それでも明確に全ては記録に残されている。であるならば、見ている者はしかと見ているだろう。
そして求めていない次がやって来る。
絶望の足音を立てて、俺の背後へとゆっくり迫って来るのだ。人は儚いまま散るのが良いと、ソイツは明確な目的を持って害を与えていた。
――――第二優先地帯・商業施設群ムラト壊滅。




