幸運な判決
皆が騒いでいた。
耳に五月蠅い程に誰かが何かを言い続け、されどそれを他の声が遮る。詰め寄る集団は甘い物に集る虫のようでいて、少々ばかり恐怖心が浮き上がってしまうのは致し方ないだろう。
黙ってくれと言いたいが、しかし言ったところで全員が黙るとも思えない。……まったく、此方は此方で厄介な事があったというのに。そう内心で溜息を吐く事くらいは許してもらいたい。
今日は最悪の日だった。学園で過ごす中での最上級の厄介事であり、下手をしなくとも教師が介入せねばならなくなるような事態だ。
寝静まった深夜。誰もが静かに過ごすその時間に、突如として足音が聞こえた。
此方は短い間ではあるが戦場上がりである。そういった音には敏感であり、何時如何なる場合に敵襲があるかも解らない日常を過ごしていたのだ。
起き上がるのは必然。此方に向かって来ているというのならば警戒して当然だ。
夜更けに誰かが来るような理由など数少ない。
男女が隠れて秘密の逢瀬をしているか、何か企みを働かせているか、そして誰かを殺そうとしているか。
宿舎の数は相応に多い。だが此方の二年ルームに来るというのならば、更に俺の部屋の近くにまで来ているというのならば、考えられる要素は自ずと絞られる。
木剣でどれだけ出来るものかと考えたが、無いよりはマシ。殺す事は出来ないだろうと考え、相手が部屋に侵入してくるのを待ち構えた。
時刻は深夜。ならば敵の姿を視認するのは難しいだろう。殆どを気配に頼る他無く、装備自体も艶を消して色を黒に染めればかなり見え難い。完全に気配を消しきれていない辺り本職ではないようだが、それでも場数は確実にあちらの方が上だ。
阿頼耶保持者である事も含め、相当に気を張っているのだろうと簡単に推測を立てられる。
僅かに時間が過ぎる。突入までの間は異様な静けさに支配され、針が一回進む速度が遅く感じる。
この刺客を送ってきた相手は不良グループのリーダーで間違いあるまい。明確な証拠は無いものの、それでも直近で俺を殺そうとする者なぞアレ以外にはいない筈だ。
もしも違っていたとしたら随分とタイミングの良い者が居たと笑ってやろう。時勢を読むのが上手いと、襲ってきた相手を無力化して伝えてやるのだ。
負ける事は最初の段階で考えていない。そう思うには相手からの殺意があまりにも薄過ぎる。
暗殺をやろうとしているから少ないのかもしれないが、全力で殺意を叩き付けてきたとしても今の俺にはそこまで恐怖心を植え付ける事は出来ない。
例として挙げたら彼等が可哀そうに思うものの、それでも獅子と比較してしまうのは仕様が無い。
あれに比べてしまえば大抵の生物はまったく恐ろしくは感じないだろう。肉食動物が相手であろうとも、正面からぶつかって行ける自信がある。
「――……ッ」
「そこかッ」
投げられた投擲用と思われるナイフを弾く。
方向から考えるに、放たれたのは窓から。開けた覚えは無いが、どうやら道具を使って一瞬だけ開けたのだろう。そのまま部屋に強行して狙うのかと思ったが、一気に場が静まり返る。
まるでもう来ないと言っているかの如く。それは俺の心に波を立たせるには十分過ぎた。
相手の目的は此方の暗殺。それは真実の筈だ。故に未だ姿を認識されていない以上は絶対に撤退はしないだろうし、もしもそれを選択したとすれば待っているのは自身の死のみだ。
あの男がどれだけの器かは知らないが、それでも大きくないのは解る。
帰って来た者達の首を跳ねる可能性は多分にあり、であれば暗殺者達の逃げ場は俺を殺す事だけだ。
それ以外に突入してこない事を考えるならば――――狙うべき対象は一人ではない?
『可能性としてならば高い。どうやら連中も貴様からは離れたようだしな』
「ならば考えられるのは――グランか」
俺の次に候補に挙がるとすれば、彼のみ。
俺に頼ったとでも考えたのか、暗殺の対象として定めたとしても何ら不思議ではあるまい。玄関を開き、全力でもって二階の入り口から屋根まで飛び跳ねる。
阿頼耶の力を使わなくともここまで出来るようになったのはオリオンに出会ってからだ。アイツが最初は手助けしてやると語ったように、俺の身体は明らかに通常時でも人外の様子を露わにしている。
殴れば人間以上の力を発揮するだろう。それが準英雄や英雄に並ぶ程であれば、オリオンの全力とは如何程のものなのか。
底知れぬ彼の実力に背筋を冷やしつつ、最上階にあるらしい彼の部屋を目指す。
――しかしその前に向こうから無音の刃が襲ってきた。加速を始めた身体は止められず、込めた力は普段よりも明らかに多い。故に静止は不可能。回避は出来ず、複数の刃の内何本かが俺の肩に刺さる。
走った激痛に悲鳴をあげようになるも、舌を噛んで耐え忍ぶ。獅子との戦いで大分マシになったかと想像していたが、どうやら痛みに関しては別らしい。
しかも、何やら肩から腕に掛けて痺れが襲ってきている。毒まで塗り込められていたようで、慌てて無事な方の腕で引き抜いて捨てるも、木剣を握る感覚は一気に零になった。
普通であれば解毒は必須。そうでなければ最悪腕が壊死するかもしれない。そうなるような毒を使っていれば確実になるだろうが、諸々含めて阿頼耶を起動させて無効化を開始。
いきなり感覚を零にまでしてくる以上強い毒であるのだろう。それでも阿頼耶を使えば回復速度では此方が上回る。それでも一気に全快にとまではいかず、それを狙うのは必然だ。
飛んできた黒い刃を木剣で弾き、目の前で佇む二人を見る。
双方共に所属の解らぬ格好をし、顔まで隠している。黒の装束は暗殺者に多いが、こうした闇夜の仕事であれば普通の戦士でも似たような真似はするものだ。
質問をするのは後でも構うまい。今は無力化を行うべきで、故にそちらに全力を尽くす。
口内に自決用の毒がある可能性も加味し、相手が自分の不利を悟る前に気絶させる。
相手からは阿頼耶の気配はしない。俺が発動しているのにそうしないのは、ただ純粋に阿頼耶保持者ではないからなのだろう。そうでなければ直ぐにでも使う。策も何も関係無く、使わねば拮抗にまで持っていくことすら不可能故に。
二人組が剣を引き抜き、左右に別れた。狙うは挟撃。二対一ならば基本的な構図だ。
此処は男子寮の屋上。坂になっているが為に踏ん張る箇所を間違えればバランスを崩す。そこを意識しつつ、息の合った二人は同タイミングで俺に剣を振るっていた。
視線で解るのは頭部と腕。どちらも狙われれば殺し合いにおいて致命的だ。
頭部を狙う男側に寄り、先ずは腕を回避。続いて接近したもう片方の剣を木剣で弾き、そのまま相手に詰め寄る。
基本的な性能は此方が上。速度でも強さでも、俺が負ける事はまず無いだろう。
だからこそ、俺の剣の動きも見えない。横一文字に振るい、されど直感で服を破く程度にまで収められた。
背後からは刺突の構えで突進する気配があり、刀身を傷を受ける寸前で脇の下へと通す。そうなれば後は脇を絞めれば、力の差で刀身は抜けなくなった。
主武器を捨てるのか否かをこれで考えねばならず、結局男が考えたのは武器を手放すこと。
手を放した感覚を受け、しかし一瞬以上の逡巡をしていたが故に隙が残っている。放した瞬間に剣を円の形となるように動かし、そのまま背後の男の腕と脇の骨を纏めて折った。
苦悶の声を上げるよりも前に頭を蹴り飛ばして完全に意識を飛ばす。感覚が鈍い所為で全力で叩いても骨を折るのが精々だったのは、少し反省せねばならないだろう。
さて他にと視線を外側に向けた時、もう一人の男は既に攻撃体勢を整えていた。
元々二対一だ。此方の動作が終了するよりも前に相手側が準備を完了させるのは自明の理。防御の構えをしようとも思うが、鈍った腕で完全に守れるとは断言出来ない。
それでもさっさと脇の下の武器を捨て、大上段で切り捨てに来た男に木剣をぶつけた。
普段であれば押し返せる自信があるものの、やはり鈍い腕では力が伝わらない。
「……ぜいッ!」
拮抗し、だが運が悪い事に相手の刀身が余程に素晴らしい物だったのか、俺の木剣を両断してしまった。
必然的にその先は何の防御も施していない俺の身体があるだけだ。街中で大量販売されている代物を使った代償が、こういう形で襲ってきてしまった。
次の瞬間には袈裟斬りの形で俺の身体は斜めに斬られる。肉体性能の向上によって完全に両断される事など無かったが、それでも受けた傷は重傷以外のなにものでもない。
踏鞴を踏み、一歩後退する。相手は更なる追撃の一手を仕掛けようと詰め寄り、俺を逃がさない。
此処で死ぬ。その予感が脳を駆け巡る。自分の求めぬ末路へ行かんと歯車は動いていた。
――ならば認めん。死ぬ気は毛頭ないのだ。
焼け付くような熱さに突如として支配されながら、俺は男の刀身を素手で掴む。無論そうなれば手が斬れるのは当たり前で、血が急速に流れていくような感覚を覚える。
それでも俺は止めない。相手の二の太刀を受ければ、恐らくその時点で敗北は決するだろうから。
「悪いが、こんな場所で死ぬつもりは生憎無い。大人しく下がるか、それとも此処で仲間と同じく倒れるか。好きな方を選ぶが良い」
一人は捕らえた。ならばもう一人を求めるのは贅沢という話だ。
無論捕まえられるのならばそうした方が良いのだろうが、全身に走る激痛はそれを許さない。逃げてくれるのならばその方が俺には良かったのだ。勿論、相手にはそんな余裕は無いのだろうが。
やはりというべきか、黒装束が出したのは俺への攻撃。主武器の剣を捨ててナイフを持ち出した姿は地獄へと進む鬼のようで、醸し出される気迫は死に向かう覚悟そのもの。
負ければ死ぬと考えているからこそ、ここで負ける訳にはいかない。それがどうしようもなく理解出来る俺には、同じように返す事しか出来ない。
生を尊ぶのは誰とて一緒。その気持ちを抑える事は出来ないし、決して抑えてはならない。
であればこそ、負けるつもりも当然無し。毒が抜けていく感覚は燃える感覚で消えてしまったが、今も確かに消えている筈だ。
このまま一騎打ちになったとしても、勝てる見込みは十分以上にある。
ならばと、前に出た。
攻められるよりも前に攻める。元より俺の基本姿勢は前進のみだ。受けて返すようなカウンターなど苦手であり、攻撃を繰り返して当てる事に比重を置いている。
剣は喪失した。だが、それでも俺にはまだ拳が残っている。そちらに明確な傷は無く、ならば攻撃を続ける事は必要だろう。
速度に任せての突撃。相手の視認速度よりも上回る速さは、それ故に消えたようにも見えるもの。
一瞬で背後へと回り込み、放つのは拳の二撃。首と心臓付近を狙ったそれはしかし、相手が前に出る事で回避される。
慌てて振り返る姿を見るに、やはり完全に捉えられていない。これが阿頼耶無しの英雄であれば何等かの対策を立てているものだが、それがまるで見当たらなかった。
察するに、準備が整っていない中での決行だったのだろう。何せ俺がリーダー格の男を侮辱したのは昨日で、まさかのその当日に殺せと知らされた筈だ。
準備が整わないのは当然。これで逆に準備を整えていようものなら、最初から阿頼耶保持者に対して備えていたと俺の中での相手の評価が上がる程だ。
準備も出来ず、主君は計画性の無い男。仕えるに値しないという意味では十分だ。
それでも付き従っているのは恐怖心と金か。解り易い理由だと結論を弾き出し、再度の突撃を行う。
今度は馬鹿正直に攻めるつもりはない。
屋根の上でどれだけの速度を出せるのかは解っていないが、可能な限りの速力でもって相手の意識を混乱させる。
残像だ。複数の姿形が居れば、流石に相手も硬直するもの。
どれが本物だと全部に意識を巡らすだろうと確信していて、だからこそ最後の移動は屋根の上であるという事を無視した俺の全力を出す。
意識を散らし過ぎれば、当然一ヵ所が薄くなる。意識と意識の境目には穴が生まれ、その穴を自身の残像でもって識別すれば簡単に内側に潜り込めた。
顔を驚愕に染めた男に、そのまま拳をぶつける。顔面の骨を全て圧し折る気持ちで殴り飛ばし、男の身体は屋根の下に落ちて行った。
それを見る前に、俺の身体も自動的に倒れる。
大丈夫だと思っていたが、意外に辛い。屋根を見ればそこかしこに血が見え、それは殆ど俺の物だった。
意識が次第に落ちていく。血液を失ったが故の身体の活動に意識は抗えず、そのまま瞼を閉じた。
明日は学校があるのだが、そんな思考を最後に暗闇へと泳ぎ出した。
目覚めた時には既に遅刻確定の時刻。慌てて用意を済ませるも、人目につかない林に引っ掛かっていた男と屋根で倒れ伏す男を見て言い訳の材料として使えると教室にまで連れてきた。
流石に食堂内には持ち込まなかったから騒がれなかったが、まさかここまで貴族らしくない騒ぎを見せるとは。
疲れながらも、近寄って来た教師に俺は説明を開始するのだった。




