信賞必罰
朝。
鳥の鳴き声が宿舎に眠る人間を起こし、生徒達が朝食を目指して食堂に向かい始める。
一気に増えた人員に、されど食堂の人間は誰も焦らない。既に長い時間を食堂で過ごしてきた者ばかりである為に、最早大規模混雑など大したものではないと慣れてしまっているのだ。
流れる川を冷静に捌き、数を減らしていく。食事が無くなる前に準備しておいた食材を調理し、無くなる寸前で補充する。その連続の果てに殆どの生徒が終わらせていった。
その中の一塊。
複数の席を占領していたグループは共に笑みを浮かべる。時計を見れば既に朝食が終わる時刻だ。
見渡せば、大量に食事を運んでいる者の姿は見えない。ならば、確実にあの護衛達は任務を遂行したのだろう。まだ帰ってきてはいないものの、恐らくは後始末をしている筈だ。
昼頃まで掛かれば気にすべきだろうが、今は気にせずとも良い。兎に角余韻に浸りたいと、彼は女の一人を胸の中にまで抱き込んで果実のジュースを飲み干した。
そういえばと、男は思考を別に変える。
グランは一人で食事をするのが常だった。視界に入った時も一人のままで、決して他の誰かと交わろうとしない。使い走りとして利用するには十分であり、尚且つ死んだとしても誰も気にしないだろう。
しかし、今は殺さないと肉を頬張り決める。アレはそう簡単に潰してしまうには惜しい。力量としてはさっぱりであるが、何かを取りに行かせる事に関しては存外速いのだ。
こればかりはグループの誰もが真似出来ない。駿足という意味においては多少は頷けるものだろう。
一頻り騒ぎに騒ぎ、彼等は皿を戻そうともせずに席を立つ。その姿に食堂の人員は皆眉を顰めるも、相手はかなり素行の悪い連中だ。
平等ではあれども、それでも完全とは言い難い。故にこそこうした歪みも残ってしまっている。
去って行く後ろ姿を睨みながら、そうしていても仕様が無いと意識を切り替える。
こうなってしまっているのは何時もの事。他と何も変化は無く、酷い貴族は酷いままだ。無論一概に全員を悪と断ずる事は無いので全ての貴族を嫌悪はしないが、それでも印象自体はどちらかと言えばマイナスだ。正へと傾けるには、やはりそれ相応の姿を見せなければならなくなる。
そうなった時、真に頼れるのは一人のみ。その人物の姿を脳裏に描き、はてと皆が疑問に思った。
残された食材の量を眺める。そこには本来何も残らない筈であるというのに、大盛で一杯程度ずつ残されている。
それは丁度彼の分であった。そして、彼であれば絶対に朝食の時間には来る筈だ。
にも関わらず、彼の姿を今朝は見ていない。病気か怪我でもしたのかと思うも、頭には嫌な予感が過る。
空は何時もと変わらない。朝日が差し込み、風は暖かく、どう見たとしても平和そのもの。
「――――?」
首を傾げ、何でもないかとその予感を振り払った。
朝の時間が終われば後片付けが残っている。それが終われば昼食の下準備があり、そして次の大混雑が待っていた。今日も今日とてその変化に何も間違いは無いだろう。
信じ込み、されども胸に忍ぶような不安感は消えてはくれなかった。何時も通りが何時も通りではなくなるような感覚に支配されつつも、彼等は片付けの為に道具を取り出そうとする。
その直後、扉を開く音がした。
最早誰が来るような事は無い。朝食の時間は過ぎ去り、暫くの後に授業が開始される筈だ。
教師は家の者達が食事を用意しているので来る訳も無く、であれば忘れ物をした生徒が慌てて走って来たのだろうか。
ゆっくりと歩いてくる様子には焦っている気配は無い。では誰かと一人が振り返り、その似合わなさに目を見開いた。
普段であれば必ず間に合うように来るのに、今回に限ってはそれを軽く超えるような時間だ。寝坊したのかとも考えるも、その人物の恰好を見て大声を上げた。
「その傷は大丈夫なんですかい!?一体何処のどいつが……」
斜めに袈裟斬りをされたような跡。間違いなく斬られたモノであり、されどその傷の全ては完全に塞がっている。服だけが傷を負ったような状態だが、しかしそれが阿頼耶のお陰であるのは明白。
故にこそ、彼は一回斬られたのだ。そして貴族に対して斬るような真似をする者が近くに居るということがこれで確定された。
本人は気にした風も無いが、それでも見過ごせるものではない。
教師陣への報告は当然。食堂側もそれ相応の防備をしなければならない。彼の容体も調べなければならず、事と場合によっては宿舎での強制的な生活を余儀なくされるだろう。
にわかに慌て始める食堂内で、されど彼は席に座って告げる。
「腹が減った……済まないが、誰か朝食を用意してくれないか」
あまりに場違い過ぎる言葉に、転ぶ者が続出した。何を馬鹿な事を言っているのかと彼本人を見て、されど当の本人は不思議そうに首を傾げるだけ。まるで何かの芸場の如く、一種の混沌に包まれていた。
唯一冷静に見ていたのは、彼だけに見える者のみ。それは周囲を眺め、簡潔に感想を漏らす。
それは酷く的確ではあれども、彼の姿とはとても似つかわないものだ。
「ふむ……これがカオスか」
――――――――
教室内は静かなものであった。
常と変わらず授業が進み、常と変わらず皆が黙って教師の言葉に耳を傾ける。問いを答える為に差されれば迷わず回答を口にし、教師はその言葉に納得の頷きを返して着席を促した。
傍目からすれば、それはそれは普通の授業風景に違いない。
誰もが熱心に取り組んでいる姿は違う意味で普通らしくはないのかもしれないが、それでもこうして真面目な姿勢を見せてくれているのは評価すべきだろう。
不良として有名な人物も今日この日だけは意外に真面目な姿を見せている。何か心境の変化でもあったのか、黒板に書かれた内容を書き取る姿は教師には新鮮に映った。
しかしそれは、教師だけが感じている主観に過ぎない。
実際の皆の思う事は別だ。確かに勉強に熱心になっている者も居ない訳ではないが、それでも全体からすれば僅かな数だろう。
彼等が最も意識を向けているのは、ただ一つだけの空白。
普段は全員が埋まっている筈なのに、どうしてかそこだけは誰も座らず空白地帯として存在している。
座る人物は昨日の時点では普通通りだった。鍛錬を終え、無事に男子全員が宿舎に入った筈である。
なのに朝には居らず、教師陣も理由を把握していなかった。
流石にそれでは不味いので確認の教師を向かわせる予定だが、今はまだ全員が授業中だ。行けるとするならば、それは恐らく昼になるだろう。
一体何が彼の身に起きたのかと、ナギサは考える。
可能性からして考えられるのは昨日の一件。グランを庇い、軽く相手を馬鹿にしたこと。
正直不良グループの素行を思えば足りないくらいであったが、必要以上の罵倒をすれば教室が使えなくなっていた可能性が否めない。
相手のタイプは唯我独尊。
全ては俺の為にと外身では見せないようにしているつもりだろうが、少し見れば直ぐに露見するような底の浅い人間だ。侍っている女達も彼からすれば装飾品にしか見えていないのだろうし、成績自体も殊更強調出来る要素は無い。強いて言うとするのならば、少々肉体性能が高いくらいか。
それは恐らく日々喧嘩でもしているからだろうが、その点についてはどうでも良い。
取り巻き達も特筆すべき箇所は無し。まったくもって道端の石と変わらず、故にこそ考えるのはリーダーただ一人のみ。
男の能力はナギサが覚えている限りにおいては、武器の創造だった筈だ。
強欲の特性を有している為か出て来る刀剣類は全て金銀に輝き、出現の際には発光現象が起きている。
目暗ましとしてはそれなりに優秀なのかもしれないが、本人はそこに意識を割いてはいないだろう。
ただ己の作った武具を誇りたいだけ。欲しい物は必ずこの手に収めるのだと宣言するような振る舞いは、正直なところ彼女にとっては不快なだけであった。
女の都合も、人の都合も、何もかもを考慮しない。
俺がそうしたいからそうしろというのはあまりに自分勝手で、故に嫌われやすい。そうなっていないのは彼の家がそれなりの格であるが主な原因だ。もしも彼自身が平民であったならば今頃は孤立を極めていたに違いない。
或いは全員に打ちのめされて学園を去るか。そうならない環境に舌打ちをしたくなるも、はしたないと教育された頭が抑える。実際に表に出せば何事かと近くの生徒は顔を向けるだろう。
まだ確定事項ではないとしても、それでも一番怪しいのは不良グループだ。
リーダー格の人物こそが主犯だと考えるのが妥当であり、周りは理由付けに奔走していた可能性もある。こんな日であるというのに真面目に授業に取り組んでいる姿も余計に怪しさを際立たせていた。
普段であれば碌に板書されたモノを紙に書くなど有り得ないというのに。まるで何かを成し遂げたような顔をしながら授業を受ける姿勢は、この上無く腹立たしさを抱かせた。
護衛に調査させる事は出来る。彼等の仕事の範囲外であるが、一言頼めばやってはくれるだろう。
防御の穴が出来る事になるものの、そもそも彼等の護衛はそこまでの意味を成していない。ナギサの父が心配して付けた者達であり、彼女単体でも化外でなければ十分に対処可能だ。
しかし、それでもしも気付かれれば厄介な話になる。彼女は格としては上なので権力云々は関係無いが、その結果によって彼等はナギサのやった事を誇張して自身の父に伝えるだろう。
己を謀り、陥れようとした悪女であると。
そうなれば事は学園内だけに留まらない。公爵家は常に狙われる立場だ。少しでも足元を疎かにすれば突いて来る輩が居て、それは絶対に死守しなければならない。
その為ならば友人を切り捨てる覚悟も必要不可欠。そうでなければ一族の末席に座る事も許されず、彼女は学園に通えなかっただろう。
それをここで崩すのか。大人しくしていたというのに、ここで自身を危険に陥らせるのか。――――そんな事は決まっているだろう。
長方形の紙に言葉を並べる。簡潔に、かつ慎重さに比重を傾かせるように。
安全第一でもって行動せよと文字を認め、それを三つ折りにして制服の内ポケットにしまった。
護衛の人間は今も周辺を監視していることだろう。侵入者が居れば即座に対処に走るような者達だ。足の良さも決して悪くないし、勿論護衛としての強さに不足はない。
あくまで人間の範疇の中ではになるものの、此処はそもそも阿頼耶保持者が大人数存在している。余程の連中が攻めてこない限りは教師陣で倒してしまうだろう。
故に表面上は何も心配が無い素振りを見せる。そうやって余裕を見せつけなければ、誰かが要らぬ言葉を使ってくるだろう。
背後から突き刺さる女の視線も既にナギサは感じていた。それは放課後に常に受けて来た類の視線であり、彼の大事な婚約者のものだ。
冷静そうに振る舞うつもりだったのだろうが、視線の強さだけは抜けなかったらしい。なんともらしいと思いつつ、彼女は背後からの視線を流す。このメンバーはあまりにも彼に近過ぎるが故に、不良グループに余計な疑惑を植え付けかねない。
そんな各人の思惑を他所に、授業は進んでいた。
教師としては今回の授業程嬉しいものはないと内心喜び、男は勝利の悦に酔い、女達は彼の安否を気にする。ライノールやウィンターも気にしてない訳ではないが、それでも彼女達程に重視してはいない。
どうせ風か熱でも起こしたのだろうと、特に気にした風も無しだ。後で見舞えば良いと簡単に考えていた。それこそが普通で、それこそが自然だ。
いきなり深い部分を考える筈も無し。そう考えるのは余程疑心暗鬼に陥りやすい性格をしているか、あるいは確信を抱いているかのどちらかのみ。
――――閉めていた筈の扉が授業中の静かな空気の中で盛大な音を立てて動く。
全員が背後にある扉へと振り返り、そこに現れた人物に驚愕した。最初の授業はもう残り数分。此処で来ようとも遅刻は確定である以上教師からの叱責が待ち受けており、されどその教師自身も驚きに身を硬直させていた。
反応が違うのは二つの存在のみ。
一つは男で、もう一つはナギサ達だ。正反対の表情を浮かべて見る二人に対し、部屋に入って来た者は教師へと頭を下げる。
「申し訳ありません。少々面倒な事態に遭遇したものですから、遅刻してしまいました」
両方の腕は一人ずつ人間を捕まえている。傷は無く、気絶だけをしている姿はまるで死者のようだ。
それを持ってきた男――ノースもまた、制服を斬られた状態のままで此処に来ている。
一気に授業中の静かな雰囲気は吹き飛んだ。誰も彼もが騒めき、これをどう受け止めるべきかと乱れた頭で考え始める。
しかしそれを眺めるノースの目は、何処までも何処までも冷たいものであった。




