黄道十二星座
忘れ去ったモノでも、それは世の中から消える訳ではない。
誰の目にもつかない場所に残るか、知らず知らずの内にそれを見ているだけか。誰もが知らなくとも、そこには確かに痕跡や確りとした形で残っている。
長い歴史の中で、人間が忘れていった習慣や物は多いだろう。
それは忘れるべくして忘れていくモノなのかもしれないし、或いは忘れたくなくとも忘れてしまうようなモノなのかもしれない。人とは意外に忘れ易い生き物だから、そうした情報は本か何かに残さない限りは何時か絶対に世の中から抹消される。
俺から見て、新西暦時代の最初期など知っている筈も無い。その頃はまだ生まれてもいないのだから、逆に知っていたらどれだけの高齢者だというのだろうか。
故に、グラムの語る言葉の全てを俺は知らなかった。
否。きっと今を生きる若者達にはグラムの言葉など解らなかっただろう。そして、調べる当てももう殆ど存在してはいないのだろう。
「黄道、十二星座……?」
呟き、記憶を漁るが該当する単語は見つからない。
一つ一つに単語を区切れば解るのかもしれないが、それでも最初と最後の二文字はまったくもって不明な言葉だった。それは他の者も同じであり、誰か知っている者はいないかと向けた先では困惑の二文字だけを表した顔が四つ出現している。
それはつまり、公爵令嬢であろうとも知らない言葉であるということ。
失われた言葉か、新しく生んだ言葉か。どちらにせよ、それを最初に発したグラムへと内容を尋ねる。
彼女は一人得意気な顔だった。他人が知らない情報を自分だけが知っているのは確かに優越感を抱くところであるが、それでもそのままでいられるのは困る。
現状、一番状況が不味いのはグラムだけだ。此方としては仕事を終えたのだから、有利なままである。
それでも何も変わらない辺り、やはり彼女は明確に何かしらを掴んでいるのだろう。
「知らんのも無理は無い。これは新西暦の最初期の頃までしかなかった言葉だ。当然今の者達にはまったくもって意味不明な単語でしかなく、本もまた殆ど存在しまい」
既に消えた言葉。俺達から見て古代に遡って初めて見る事の出来る言葉。
阿頼耶が無く、人類が絶望に落ちている頃までのものだ。歴史的価値としてだけならば十分に高いが、今回の一件とどのような繋がりがあるというのだろう。
俺達の件はそこまで昔に至る程の話ではない。化外を討伐するような、一般的に見る限りではそこまで特別性を孕んだ内容では絶対に無いのである。当然ナグモ自体も古代の建物であるという訳でも無く、態々遡っても数十年前程度。
その程度ならば資料など無数に存在しているだろう。歴史の教科書に載っているくらいである。
更に困惑を強めた俺達に、相手は笑みを濃くするだけ。それがどうにも癪に障るものの、相手としては話そうとしているから待つしかない。
「簡単に意味を答えるなら、夜空に浮かぶ星々の集合体のことだ。資料が少な過ぎる故に一体どのような理由でそうしていたのかまでは不明だが、当時の者達は星々の集合体に動物や神や道具の名前を当て嵌めていた。獅子座もまた同じくそうだ」
獅子座、と呼ばれれば該当するのは一体のみ。
しかし彼女の説明をそのまま当て嵌めれば一致はしない。あの獅子は星ではなく生物であり、そして遠くに居るような存在でもなかったのだから。
だが彼女は何かを確信している。あるいは、そうではないかと睨んでいる。
これがどういう事実を孕んでいるのかを、彼女は真実辿り着いているような気がするのだ。
嫌な予感が急速に増していく。何かとんでもないような事実がそこに眠っている気がして、どうしてか背筋が凍えだす。さながら背に氷柱が当てられたが如く。
これは直感だ。だから当たりもすれば外れもする。出来れば外れれば良いのだが、とある人物を見れば見る程に己の勘は外れてはいないように思えてならない。
どうしてお前は怒りの形相を見せている。どうして瞳に悲しみを乗せている。
最初に会った時は尊大だったというのに、どうして今はそんな顔を見せるのだ。どうか教えてくれないか――オリオン。
「詳細な情報は省くとするが、星座には逸話がある。その多くは神話のような内容が多く、されど阿頼耶を駆使していれば実現可能なものばかり。……私はこの星座の存在こそが、阿頼耶の中枢に繋がる何かがあると睨んでいる」
「阿頼耶だと?あれは人間の意識の集合体の筈だ。そう結論をつけて終了されただろう」
「それは表側の話だ。裏ではまだまだ研究は続けられている。そして、最近になって漸く分かった事があった。阿頼耶は人間の意識の集合体ではない」
衝撃が走った。誰もがそんな馬鹿なという顔を浮かべる。
阿頼耶が人間の普遍的無意識であるのは最早常識の範疇だ。それを今更違うと言われたところで素直にそうかと言える筈も無く、正当な理由なくして納得など出来るものか。
そもそも、その星座とやらの詳細情報が無ければ何も始まるまい。夜空に浮かぶ星の集合体だの何故か昔の人間がそういった星々を動物や神に当て嵌めていただの、理由にもならないに決まってる。
胡散臭いという比ではない。嘘という言葉すらまだ温いくらいだ。
「では何だというのだ。まさか、動物か何かの意識集合体でもあるまいに」
「星座の意思だ。この世界も一つの星の中で完結しているのは知っているだろう。大小に差はあれど、その星が他を巻き込んで協力させている」
彼女の説明をそのまま真に受けるのであれば、星には感情も思考もあるらしい。
その星が夜空に浮かぶ人々と関係のあった他の星と協力し合い、阿頼耶という形を成しているというのだ。そして今現在調査しているのは、どうして阿頼耶を形成したのか。
それを解き明かすには阿頼耶の中心部とされる場所に直接行くしかないとされている。
聞けば聞く程にスケールの大きい話題だ。流石に冷静な顔をほぼ毎日浮かべているウィンターですらも驚愕の表情を浮かべている。
この中で何とか処理しようとしている者は俺を含めて四人だけ。ライノールだけは最初から興味が薄いのか、何処か遠くを見ていた。恐らくは単に話についていけないだけだろう。
「にわかには信じ難い内容だな。嘘とも処理出来るだけに確証が欲しいところだ」
「それを調べる為にあの獅子を倒してほしかったのだ。そうすれば多少なりとて解った事もあっただろう」
「無茶言わないでよ。あれ相当強いのよ」
「解っている。それに別に卿達に任せるつもりはなかった。敵の出現時期と現在まで何も活動してこなかった結果として、卿達が出てきても相手は出てこないだろうと踏んでいたのだ。本命は例の弟子の方だよ」
「それなら我々がそこに向かう必要性も無かったのではないか?」
「まぁ確かにそうだが……卿達の性格からすれば見過ごせないだろう。ああいった哀れな人間を見れば」
最後の彼女の言葉で、漸く彼女の思惑の全てが判明した。
要するに基準を超えていれば誰でも良かったのだ。彼女が気に入り、あそこに向かって可能な限り改善をしてくれれば。化外が出てきたのは想定外で、本来であればモースが打倒しあの獅子を回収する予定だったのである。
その為だけに危険な目にあった。――到底許せるようなものではない。
胸に炎が宿るのを感じる。意識せずとも拳に力が入るのが解る。阿頼耶すら起動し始めているのを自覚し、されどそれを止める事はしない。
この女は最低だ。生かしているだけで俺の人生を危険に突き落としてくる。
サウスラーナに並ぶだろう悪女だ。鉄拳制裁だけで許して良いものではない。
グリュンヒルドやエクリプティスとはまた違った意味での外道。己の道の為ならば何を犠牲にしても構わないと即答出来る人格破綻者だ。
素直な罵倒の言葉を吐けないのがもどかしい。
変に偽っている為に感情のままの言葉を吐けず、少しばかり考えなければならないのだ。
それをするとどうしても一旦立ち止まる必要があり、半ば強制的に冷静にさせられる。そして周りを見るだけの時間も生まれ、今がどれだけ一触即発になっているのか理解してしまうのだ。
人間は身体が勝手に動くことがある。それが当然だし、感情が溢れれば俺もそうなるだろう。
だがそれ以上の人間を見ればふと我に返ることもある。特に今この瞬間に一歩詰めたライノールを見て、俺は急速に意識を冷まされた。
拳を振るうつもりなのか、彼の手は硬い。どうしようもない程に猛っているのが見るだけで解ってしまう。
ナギサのような冷静そうな子も居るのに、誰も止めない。
この学園の規則に則り誰も彼も止めないのだ。此処は平等であるが故に。
「テメェ……さっきからへらへら笑いやがって。俺達がどんなに辛い目に合ったかも解らねぇクセに」
「まぁ、遠くから確認しただけだからな。卿の苦労を私は知らん」
「ならせめてもっともらしい理由くらい付けろよ。……そんな事を考える必要も無いってか。流石は公爵令嬢様だぜ」
呆れ返るくらいの露骨な挑発だ。
感情のままに動いているのは見るだけで解るもの。しかし彼の気持ちは痛い程に理解出来る。
このまま座して待つのも良いのかもしれないが、恐らくライノールだけでは無理だ。直ぐに阻止されて苦渋を舐めさせられるだけだろう。
大体彼女が此処に居る時点で俺達など何でもないと思っているも同然だ。それは単純な実力故か、あるいは直ぐ傍に学園長が居る以上迂闊に阿頼耶を使えば巻き込むと解っているからなのか。
確かに、俺達は阿頼耶を此処で使わないだろう。学園長を巻き込んで怪我をさせれば流石に悪いと感じるし、そうでなくとも今の俺は次に阿頼耶を使えばどうなるのかを不安視している。
オリオンから力が流れて来なければ何も影響が無いのかもしれないが、それでも躊躇うのだ。またあの時のような不相応な力を発揮してしまうのではないかと。
あれを制御出来る自信は少ない。獅子相手だからこそ全力で放っていたが、それを彼女にぶつけてしまったら間違いなく死ぬだろう。
いくら嫌な相手とはいえ、殺すのは気が引ける。
故に落とし前をつけるのならば――まぁ、このくらいだな。
小さく、しかし決して軽くない音が部屋の中に流れた。
学園長はそれを見ず、実際に見たのは俺達のみ。ライノールがそのまま彼女に接近し、振り上げた拳を解いて手で頬を叩いたのだ。だが強化されている肉体は通常の人間よりも力があり、叩かれた顔を元に戻した彼女の口からは少量の血が流れている。
男爵家の男が公爵家の女に手を挙げた。普通ならば決して有り得ない話だ。常ならばそのまま問題となり、ライノールの一家丸ごと殺されていたとしても何ら不思議ではない。
悪いのは彼女であれ、それを隠されて公表されれば権力の差によってライノールは負ける。
だからこそ、今この場で叩いたのだ。これでもう終わりだと示す為に。
「今回は協力したが、次の協力は要検討とさせてもらいたい。此方の善意に悪意を返すような人間とは、正直な話関わりたくないのでな」
人間が善意ばかりの存在ではないのは知っているが、だからといって悪意塗れの存在と付き合うような存在でもない。人付き合いは選ぶべきで、その権利は人間であれば誰でも保有している。
それは俺達もそうだ。公爵家という目上の存在であれ、今此処では対等のまま。
後々の縁は完全に切れることとなるが、目の前の人間に助けを求めるくらいならばライノールは死を選ぶだろう。それを本当に選択してしまうのがライノールなのだ。
正義を肯定し、悪を憎む。人として全うなままで居たいから、そうなるくらいなら自殺する。
それを人として正しいかどうかまでは解らないものの、あくまでも善良な人間のままで居ようとする姿勢だけは真に見習うべきなのだろう。
俺が偽って守る相手も、彼のように善良な者であれば良い。
ナギサを守れというのならば、それは喜んで参加させてもらう。彼女には何も悪い事をされていないという部分が大きいが、それを含め彼女には悪意があまり無いのだ。
「……つまり、今後は私の出した話に素直に頷かないと?」
「真実、危機に陥っている場所であれば協力は検討しよう。しかし、少なくとも現段階ではお前の話を素直に受け取る訳にはいかない」
彼女の確認に肯定の意思を示し、学園長に退室の意思を告げて振り返る。
やるべき事は全てやった。もう今後彼女と関わり合いになったとしても、それは仕事だけのものとなるだろう。他の者も同様に退室し、各々の自室へと歩き出す。
帰って来た学園は懐かしさを覚えるが、素直に喜べない。複雑な気分になってしまっているのを自覚したまま、俺はふと酒でも飲んでみたいなと考えるのだった。




