一時の平穏への帰還
「荷物はこれで全てだな」
一般的な馬車に来た時よりも少ない荷物を詰め込み、皆に確認を取る。
それに対して皆は首肯を返し、各々馬車へと乗り込んでいった。
俺は俺で見送ってくれるレックスとモースへと向かう。今回の一件でもう会えない可能性はあるし、あったとしてもゆっくりしていられる時間は恐らく無いだろうからだ。
モースからの話は非常に衝撃的だった。努力して表面には顔を出さないよう努めたが、教えられた情報以外にも別に何かあれば間違いなく俺の顔は驚愕に変わっていただろう。
この大陸にはもう強力な個体はそれほど居ないと思っていた。その殆どを英雄達が駆逐し、敵本拠地へと押し変えたとばかりに考えていたのだ。
それが変化したのはあの獅子が出てきてからだが、それでもあの時点では強者は一体だけと考えていた。
そして、それだけであるならば英雄の弟子達で囲んで叩けば打倒出来るかもしれない。そう思えていただけに、新しく出てきた強敵の数には圧倒されたものである。
三体の絵と、それ以外の目撃情報。合計で何体になるかも不明であり、今この大陸には少なくとも獅子に並ぶだけの脅威が闊歩し続けている。
具体的な情報が少ないのは、発見されたのが被害者が出てからのものだからだ。
中には明らかに身を隠す事が出来ないような巨大な者も居るというのに、国のどの英雄や英雄候補も見つける事が出来ていない。さながら煙となって逃げているが如く、その動きを掴めないのだ。
都市を襲った化外の中にもその姿は無かったそうで、話をしている最中のモースの顔はかなり苦かった。
叶うならば一体でも多く減らそうと考えていたのは間違いない。
尤も、被害を多く出す存在達だ。人間からは大分逸脱しているとはいえ、人間としての形を維持している今のままでは一人だけの戦いなど無謀が過ぎる。
最低でも三人は必要と見るべきだ。相手の強さにもよるが、最悪逃げる事も視野に入れるべきだろう。
体面はかなり悪くなるものの、それでも命を拾う事は出来る。それによって新たに成長のチャンスを握れたと考えれば、まだ立ち上がれるだろう。
「僅かな時間でしたが、話が出来て光栄でした」
「此方こそ。かの英雄の息子であるならば、今後に期待も持てる。もしも私が英雄として正式に認められたのならば、その時は是非君を弟子に取りたいものだよ」
「そうなれるよう、御尽力致します」
握手を交わし、共に微笑を受けて朗らかに終わらせる。
彼の言っている事は俺にとってかなり最悪な状況であるものの、目指すべき地点へと至るには必要な事だろう。そもそも英雄として認められるには確かな功績と、周囲の納得が必要なのだ。
その為に様々な人間と関係を作っておくのは確かなことで、故に英雄の弟子となれば自身の人間関係も広がりを見せる。
王宮は常に何者かの思惑に染まっているものだ。出来れば関わりを持ちたくないのが正直な感想であるが、そもそも貴族である時点で回避など不可能。
自分ではあっさり罠に嵌まりそうだと思いながら、隣で待機をしていたレックスへと顔を向けた。
その表情は酷く悲し気で、まるで愛した恋人を失う寸前のような、表現として適切かは不明なものだ。
「レックス隊長。貴殿には非常に助けられた。グリュンヒルド家の子息はこれで無事処罰されるだろう。これで貴殿達の環境も改善される」
「それは嬉しい限りです……。しかし、別れとは寂しいものですね。ここまでの寂しさは正直初めてです」
俺とレックスの間にはそこまで深いものはない。
それでもここまで感じ入ってくれたのであれば、それを指摘するのは無粋だろう。最初から最後まで唯一敬語を使ってくれ、俺の指示した事も直ぐに行ってくれた。
兵士の全てが言うことを聞いてくれたのも彼のお陰であり、実際グリュンヒルドを引き摺り出せたのは彼が最後まで尽力してくれたからだ。もう片方のエクリプティスは途中で流石に巻き込んでは不味いと何も手を出さずに放置の状態にしておいたが、そちらもモースによって処理されるだろう。
作戦……という程でもないが、決めていたのはそこまで多くはない。
あの施設にも戦闘用の武器防具はある。そして最悪の場合として施設放棄用の爆弾もあった。
それを利用して炎上し、騒ぎが起きている間に放り投げた訳だ。もしもグリュンヒルドが慌てて逃げ始め、場所を変更したら投げ飛ばされた地点が変わっていただろう。
それが似たような場所であれば問題は無かったが、最初の俺の地点に近ければさっさと逃げられていた。
そうなれば黒の部隊達も戦わなくなり、最終的には此方だけで戦っていたのだ。きっと戦死者は今回の結果よりも多くなっただろうし、今後の活動も難しくなっていた。
確り役目を果たしたからこそ、今がある。それを忘れてはならないと自分を戒め、最後にモースと同様に固い握手を交わす。
「ご活躍をお祈りいたします。どうかご無事で」
「そちらもな」
離れ、俺もまた馬車に乗り込む。
たった五日間だけだったが、それでも濃い時間を過ごした。もう死ぬかもしれないような目にも会ったし、あまり会話をしたくないような存在とも会ってしまったが、兵士達との会話は存外悪くは無かった。
極端に自分を持ち上げるのが玉に瑕であるものの、それでも空気は悪いものではなかったのだ。
非常食を活用した若干卑怯な方法であるとはいえ、関係はこれで良好なまま繋がっただろう。これがどう今後に響くのかまでは定かではなくとも、決して悪いものにはなるまい。
確かな証拠は無くとも、俺は信じている。彼等の姿は、正しく平和の為に戦う者だったのだから。
動き出した馬車はゆっくりとナグモから離れていく。漸く解放された感覚に、全体の力が抜けていくような気分を覚えた。
それは他の者も同じようで、学園でしか見せない笑顔を浮かべている。
皆生きていた。例えその中にサウスラーナが含まれていようとも、生きていたのだから全て良し。何も疑問に思う必要も無く、ただ生を祝福すべきなのだ。
「これから帰還して、先ずは学園長殿に報告だな」
「そんで次はグラムに報告……そういや一発殴ろうと思ってたんだよ。情報が足りな過ぎってな」
「その文句については私が言っておきましょう。貴方では軽くあしらわれてしまうかも」
「そうでありますな。この馬鹿では太刀打ち出来ないでしょう」
「ウィンター!お前後で覚えてろよ!!」
車内で笑い声が響き渡る。
ナグモの中ではあまりに少なかった事だ。それだけ緊張していたのだろうから当然だが、こうして皆の朗らかな声を聞いていると酷く気分が良い。
それがずっと続けば、なんて妄想もしてしまいそうだ。絶対に叶わない事だからこそ、人というのはそういう幸せを夢想してしまう。だがそれを、決して意味の無い行為と考えては駄目なのだ。
明日を希望に繋げるには、未来の幸せな自分を脳裏に描く必要がある。それがどれだけ苦境の中であろうとも、明るい己を浮かべられなければ将来なんて思えないのだ。
今この瞬間だけは幸せに浸るくらいは許されるだろう。帰って報告を済ませれば、また何処か別の場所に飛ばされるかもしれないのだから。
学業にも気合を入れねばならない。両方こなさなければならないのは大変ではあるものの、それは最初から考えていたこと。悩む事など論外だ。進むと決めたのならば、進むのみ。
窓に映る景色は、何処までも何処までも青い空と若草色の平原だった。
長閑で、静かで、安らぎを覚えるような風景に、少しばかりの動物も見える。草を食べに来た草食動物の姿は非常に呑気なもので、それだけこの付近は襲われる事は無いと確信しているのだろう。
その動物達に多少の羨望を覚え、されど暖かさも同時に覚えていた。
何時かは自分もあんな風に暮らしたいものだ。その為にも、自分に付いた呪いを早く解除しなければならない。
決意を新たに。俺は想いを強くした。
――――――――――
「よくぞ無事に帰還してくださいました。通信機からの連絡も約束通り四日目に受信が済んでいますよ」
「有難う御座います、学園長」
一日が過ぎ、俺達全員は横一列に学園長室の中で並ぶ。
目の前で座る初老の女性は優し気に微笑みかけ、此方に労いの言葉をかけた。それに感謝し、目だけは学園長の横に立っている人物に向ける。
立った状態で紅茶を楽しんでいるのはグラムだ。服装は学園指定のそれのまま。約一週間程度しか経過していないのだから当然だが、彼女の様子に変化は見られない。
口元は弧を描き、目を瞑っているので彼女の感情は判別不可能。されど、こうして寛いでいる時点で何かしら良い事が起きていると言っているようなものだ。
そしてそれは、恐らく今回の件についてではないだろう。間接的には影響しているのだろうが、直接的には何も関係は無い。もしも直接的であれば、もう少し何かある筈だ。
例えば、何か書類を持っているとか。契約書関係だったら特に重要な案件だと思っても良いだろう。
「ご苦労だったな、諸君。何でも大分手強い相手が出たそうで……」
「ああ。敵だけでなく、味方側も大分酷かったがな。――何故何も言わなかった」
グラムを睨む。場は完全に沈黙状態となり、メンバーの誰もが彼女の真意を瞳で問いただしていた。
彼女が隠していたのは確かだ。だが何故、俺達にとって不利な情報を隠したのかが解らない。
問題を解決するのであれば相応に与えるべきであるし、実際情報が最初から全て揃っていれば道中で考えられる内容も広がっていた。
もしももっと少なければ、それだけで以前よりも酷い危機に陥っていた可能性もある。
納得する言葉を吐かなければ、今後についても話し合わなければなるまい。そういった諸々の視線を受け、暫し無言が続く。
学園長が何も言わない辺り、フォローをする気は無いのだろう。
それはそれで良い。この問題に学園長が関わっている訳ではないのだから。寧ろ邪魔となるだけだ。
「情報が少なかったのは詫びよう。……しかし、私とて全てを把握している訳ではないのだ。放った偵察が全ての情報を持って帰れなかっただけというのも、十分考えられるのではないか?」
「言い訳だな。それならばそれで事前に話をする筈だろう。しかしお前は何も話さずにいた。さて、どうしてだ。他に何か納得のいく言葉はあるのか」
全員が納得していないのだ。
管理者の件も、現場の環境も、全てが全て俺達にとって最悪だった。兵士の協力が無ければ、正直に言って不可能だったのではないかとも思えるくらいには絶望を感じていたものだ。
戦場ではそんな連続なのだろうが、それでも情報くらいはある程度揃えてくるもの。何も知らないままで戦に挑むなんてのは愚か者がすることであり、誰であれ確りとした情報は欲しいのだ。
それに、相手は相当に頭の回らない者だった。彼女が相手であれば容易に多数の情報を抜き取り、俺達に開示するくらいはやってのけるだろう。
故にこそ、彼女の詫びすら何の誠意も感じられなかった。
もしかすれば多少誠意を込めているのかもしれないが、本当に欲しいのは致し方ないと思えるだけの理由だ。それなくして何も語る事は出来ない。
睨み合いを続け、やがて彼女が紅茶を学園長の机の上に置く。わざとらしい溜息を吐く姿は俺達を苛立たせるのに十分な威力を秘めていたが、それでも何も言わなかった。
「ならば、正直に言わせてもらおう。――今回の一件で私は欲しい物があった」
「欲しい物?」
「ああ。重要な代物であり、そして可能な限り誰にも言いたくはない物だ。それを求めて世界中の人間が争う可能性もある以上、私自身の信用を落としてでも隠しておきたかった」
「それは一体どんな代物だ。お前が持っていて意味のある物なのか」
「勿論だとも。しかし、それは今回達成されなかったようだ。卿達が取り逃した事によってな」
「取り逃した?」
話の流れがよく解らないと、誰かの首を傾げる音がした。
取り逃したということは人物で間違いはないようだが、一体誰なのだろうか。グリュンヒルドやエクリプティスが即座に思い浮かぶが、あれらを手にしたとしても何ら意味があるとも思えない。
生かすだけ害を呼び込むしか考えられず、では別の誰かだろうかと意識を巡らせる。
しかし、そこまで重要な存在が他に居る筈も無い。何処かに隠れていたならば兎も角、会ってきた中では彼等は全員普通の人間ばかりだった。
俺の疑問顔に、当然とばかりに彼女は頷く。
そして次に出てきたワードに、俺の意識は半ば強制的に引き寄せられることになった。それは視界の中で佇むオリオンも同様で、俺達二名にとっては絶対に避けられない話題だったのだ。
「取り逃した対象は化外。……いいや、こう言うべきだろう。黄道十二星座・獅子座のネメアと」




