対面
目の前に立つ男の姿は、英雄の弟子として見る限りでは若かった。
明るい茶色の髪は柔らかそうな印象を覚え、首に触れる程度にまで伸ばしている。澄んだ湖の瞳には清浄さだけが残り、細見の肉体はおよそ肉体派の人間には見えない。
中世的な顔と相まって女性の印象もあるが、声は十分に男性のそれだ。
グリュンヒルドが座っていた椅子に座り、机に肘を付いて顔の前で手を組む。口元を隠し、静かに彼は目の前に立つ五人の姿を視界に収めた。
全員の制服は破損している。それを兵士の上着でもって隠しているが、明らかに人前に出るべき恰好ではない。此処が以前戦場でなければ彼も注意をしていただろう。
学園に帰還したら最初にすべきは新しい制服を用意するところからか。それと同時に更なる怪我の回復も行うべきだろう。
此処も重要拠点故に医療設備はそれなりにあるが、やはり完璧である訳ではない。
最低でも都市。一番良いのは名医の多い王国の首都だ。そこまで連れて行く必要があるかと聞かれれば、阿頼耶を稼働させた自然回復で治っている現状では不要だろう。
生徒である以上戦場は此処が初めてである可能性は高い。
中には公爵家の女性まで居る。格としては明らかに彼女が上であるが、現状は家の格よりも戦力的に有用である者の方が上だ。命令系統の混乱を招かぬように、最低限の礼節のみとした状態で立ち上がって彼は口を開いた。
「先ず最初に挨拶と謝罪を。私の名前はモース・トリア。アルスヴァラン様の弟子をさせていただいている。今回は私が遅れてしまい、君達に全てを任せてしまう結果になってしまった。大変申し訳ない」
頭を下げる姿は誠実さを感じさせる。事態が発生したのが到達予定前であるというのに、彼は全て自分が悪いと責任を持っていた。
動揺する四人。決して彼が悪い訳ではないものの、そのまま悪くないと言っただけではモースは納得しないだろう。誰もが一言話すだけで解るのだ。彼の性格は意外に頑固そうであると。
良い人なのは確かなので困る必要は無い。正当な評価だと受け取るのが一番だ。ただそれを素直にしては、モースに悪印象を植え付けてしまうのではないかと危惧していた。
それをノースは素直に受け取る。こんな程度の話で時間を無駄になど出来ないし、今後の予定についても考えるには情報が必要だ。
モースにどれだけの情報があるのかはさておき、予定であればこのまま帰還となるだろう。
ナグモの一般兵士達には好印象を与える事に成功した。ノースも含めて戦闘が終了して、身体がある程度治った段階で軽く祝勝会もしたのだ。
牢屋のグリュンヒルドが有していた食材を大分消費したが、それでも中々に楽しいものとなっていた。
皆が笑顔を浮かべたのは過去を見てもあの時だけだろう。
「有難う御座います。此方としてはこれだけ速く来ていただけただけで十分です。それよりも我々は帰還を許されるのでしょうか?」
「その件については予定通りだ。君達用の馬車は既に用意している。この話が終わり次第早速準備に取り掛かってもらい、そのまま帰還となっている筈だ。後で私の部下に馬車まで案内させよう」
当初の予定通り。正しくそう語るモースに一同の雰囲気は柔らかくなる。
最悪の場合として警戒の為の待機を命じられると考えられていたし、モースが彼等に協力を求めれば一学生でしかない身の上では断る事は難しい。どれだけ家としての格が上でも、風聞は大切だ。
この家の住人は人類を守る気が無いと言われてしまえば、例え公爵家だろうと貴族会では潰される理由となる。伯爵家や男爵家になれば逆に公爵家に潰されるかもしれないのだ。
それをこんな穏便な形で終了させてくれたのであれば、やはりモースは悪人の範疇には入らない。
それは英雄の弟子だから。悪人の如き真似をしてはならぬと心に刻み込んでいるから。
英雄の弟子には未来がある。目標に向かうに当たって障害は少ない方が良いに決まっているし、何よりも自身を鍛えてくれた英雄の恩には応えたい。
それ故に、彼等は善の人間として立つのだ。それがどれだけ辛くとも。
モースの手には一枚の書類が用意されている。
彼等が此処に来るまでの間に作成した物で、一同の安堵の波が引いたのを確認してからそれを彼等の前に出した。
書類の内容を代表としてノースが受け取り、確認する。そこに書かれているのは今回の仕事に対する報酬と、英雄の弟子としての推薦の文だ。
事態解決に成功した暁として各人には金貨百枚を贈呈され、この一件は正式に王宮に伝わる。
それがどういう意味かは、勿論皆理解していた。ウィンターやライノールのような男爵家であれば尚更にその話題には敏感である。
王宮に事が伝われば、そこに勤めている上位の貴族の耳に入る。彼等の権力は絶大であるが、重要なのはこの話題が王宮で持ちきりになるだろうことだ。有名になるだけであちらこちらから話かけられ、それは将来に対する布石にもなる。
無論正攻法で爵位を上げるつもりだ。そうでなければ後ろめたい部分だけが残ってしまう。
何かを変えるには小さな悪事が必要であると言えるが、最終的に必要なのは善性だ。今の貴族達の認識を変えたいと考えているからこそ、簡単に上がろうという気は無かった。
「金貨に関しては学園に帰還した後に、私の名義で送らせてもらおう。それなりの額なのは確かなので厳重な管理をしておくように。盗まれるなんて馬鹿な事にはならないでくれよ?」
薄く微笑む彼の言葉に皆が苦笑して、今度は全員が頭を下げる。
今回の事態は決して良い事ばかりではなかったものの、それでも無事に生き残れた。懸念事項も多いとはいえ、敵を追い払えたのは純粋に成功だと言っても過言ではない。
あの場で全滅も有り得た以上、喜びとて一入。特に一番の重傷であったノースの内心はかなりのものだ。
目の前の姿を表面上だけで読み取ればかなり落ち着いている風に見えるが、その実内側では飛び跳ねんばかりに歓喜の嵐が渦巻いている。
それは未だ彼の視界の端に存在しているオリオンが呆れる程。生存こそを尊ぶ彼だからこそ、その部分に関しては誰にも負けていなかった。
さて、残る仕事は事態の把握のみ。モースはナグモの兵士から全容を教えてもらっているが、その内容全てが合っているとも限らない。
信憑性が無いとまでは絶対に言わないが、やはり実際に戦った者達に語ってもらうのが一番モースとしても事実の把握がしやすかった。
「……さて、確か獅子だったか。君達が戦っていた相手の司令塔の存在は」
雰囲気が変わり、より真剣味が増した空気が辺りを包み込む。
自然と背筋が伸び、相手の視線を外せなくなる程度の小さな圧も起きていた。圧迫面接が如くと言うべきか、重要な話であるが故にやはりノース達としても真剣になるのは同意である。
今回の一件は獅子曰く狙ったものではない。偶発的に起きた事態である。それをそのまま鵜呑みにするなど絶対に出来ないし、獅子の存在が存在だ。
計画を立てていたと考えるのが妥当な線であるのは言うに及ばず。そして獅子が使った異能についてもまた、モースとしては聞き逃せない類の代物だった。
「阿頼耶に似た何か、か。新西暦の中においてそんな異能は確認されていない。あの獅子の固有能力と考えるのが一番可能性としては高いと思うが……」
「確かにその可能性は否定出来ません。ですが、あの時感じたのは確かに阿頼耶に近いものでした。我々全員が同じ思いを共有した以上、流石にそうではないと決めつけるのはよろしいことではないと愚考致します」
阿頼耶保持者には阿頼耶を使用した際の感覚がある。
それは具体的な説明として表すには難しく、解るのは同様の存在だけだろう。並ぶ全員がノースの言葉に頷き、あの時の感覚を思い出す。
阿頼耶を発動したものに近い、あの奇妙な感覚。己が一つの世界に接続したような、そんな意味不明に近い気分は絶対に他では感じる事は出来ないだろう。
そうであるからこそ、誰もがそうであると述べるのだ。そして誰もがそうであるとしたのならば、単純な固有能力だけで済ませて良い問題では無くなってしまう。
具体的に言えば、今後そのような存在が出現することだ。咳を一つし、彼は部下に命じて持ってこさせていた書類を机に広げる。
そこに書かれているのは文章ではなく絵だ。人類の知るどの生態系にも当て嵌まらず、かつ何処か似ている部分を持つその絵は――まず間違いなく化外の絵なのだろう。
黄金の魚。あちらこちらが繋がった二人の少女。天秤のエンブレムが彫られた女神像。
共通する部分など皆無であり、故にこれを出した意味が解らない。疑問の視線をノースが投げかければ、それについてモースは口を開いた。
「この紙に書かれているのは全て特異な行動をしていた存在達だ。全員が人語を使い、通常の化外では有り得ないような現象を起こしている」
「倒したのですか?」
「いや、無理だった。英雄達が居ない現状では打倒までは行けず、精々が撤退に追い込むまでだ。それに撤退させたと言っても、被害は甚大。魚のような生物に至っては姿を消すまでに百人以上が死んだ」
「……それはつまり」
「ああ。君達が戦った化外もそれではないかと睨んでいる」
獅子に相当する存在が現在確認されるだけで三体。更にその全てが未だ消滅されず、生き残ってこの大陸に潜伏している可能性がある。
あの獅子とどの程度の差があるかまでは解らないが、少なくとも英雄級でなければ倒せない怪物がまだそれだけ居るのだ。世間は此方が優勢だと騒いでいたが、そんなことはない。
英雄の弟子達の奮闘と、幾数百の死人の山によって平和が作られている。そしてそれでも、まだまだ一瞬でその平和が覆される場所に居るのだと誰もが理解させられた。
将来、ノース達は絵に描かれた存在達と出会うだろう。英雄達が無事帰還し倒してくれるまで、現状が続けばやがてそうなる。
そして今の英雄候補達で倒せなければ、ただの学生でしかない今の彼等では荷が重過ぎるのだ。
相手は化外の中でも間違いなく強い部類に入る。それをどうにかするなど、また今回のように多大な危険を冒さねばならないだろう。
阿頼耶の件は今回が初だ。もしも描かれた存在達が獅子と同種のモノを保有していたとすれば、その脅威度は単純な秤では測れない。
誰もが無言になる。
英雄の弟子たるモースも、初めてそれを聞かされたノース達も。世界が勝っていると言っているのは実は嘘八百で、まだまだ人類は崖っぷちに立たされ続けられている。
誰もが化外の総本山が無くなる事を期待していた。だが、そうなる前に英雄が帰る土地自体が消失する可能性が高い。現状英雄がまったく見つかっていないのだから、絶対に勝てるなどとは誰も言えないのだ。
しかし、とモースは思う。
確かに今のままでは勝てる未来は遠い。モースのような存在は数が少なく、未だ悪徳貴族も相応に存在している以上は寧ろまったく見えないと言い換えた方が良いだろう。
それでも明るい未来に繋がるかもしれない希望があった。
もしも己が死んだとしても後を任せられる、そんな男が目の前に居たのだ。
獅子を退けたのは殆どノースによってのもの。勿論そこまでの道を作った彼の仲間達を評価しない訳ではないが、どうしても彼自身の方が評価が高くなってしまう。
恐らく王宮でもそうなるだろう。難敵とされている者を撤退にまで追い込めた事実は、かなりの高評価となる。何処かの貴族が欲しいと考えるのが自然であり、そうなれば婚約であれ脅しであれ兎に角使える手札を全て切ってでも確保に走る筈だ。
これを話さなければ全てはそうならないだろう。彼等は平穏無事といかないまでも、それでも余計な邪魔に襲われる心配は薄れる。
だがそれは今だけだ。学園に在籍している間は、そんな話題は出てこない。
だが卒業し、実際に戦場に立てば。彼の異常性は一気に周囲に認知されてしまう。そうなればやはり同じ事の繰り返し。
「まだ確証には至らないが、警戒しておいた方が良いだろう。また此処に戻って来ないとも限らないしな」
それから守るのは、さて誰になるのやら。
ただの人間では騙されて終わるだけ。ただの貴族では権力によって潰されるだけ。ならば、求められるのは彼の傍で守りに徹してくれる有力貴族のみ。
既にナギサとグラムには目を掛けられているが、それだけでは他の三家が黙っているとも言えない。
然らば、全てを味方に付けるのみ。それだけの意味は、確かにある筈だ。
モースは結論を下し、彼の瞳を見る。
落ち着いた佇まいは今の若者にはない姿だ。英雄に最も近いと兵士が言っている通り、皆を纏めている様子が雰囲気だけで解る。
――王宮に居る他の英雄達に、話だけはしておこう。
そう決めて、話は別方向に進んでいった。




