英雄の弟子
「――何が起きた」
それを最初に呟いたのは、はて誰であっただろうか。
僅かな損傷さえ見られない立派な壁。されど周辺地帯には多量の人間と化外の血痕が広がり、無数に突き立つ刃毀れの多い剣や損壊した槍が近付く者を寄せ付けない剣吞な雰囲気を抱かせる。
奥の正門に立つのはこの国の正規兵が着ている灰色の軍服を纏った二人の男達。共に身体の随所に包帯が巻かれ、持っている武器にも破損が見受けられる。
明らかに戦闘のあった後だ。その証拠に周囲を睨む二名の姿は厳しく、最初に声を出した者達を見る眼差しも非常に危険なまま。このまま何もしなければ首にぶら下げられた笛を吹かれ、即座に戦闘体勢を敷かれることだろう。
そうなる前に身分を明かす必要があると、先頭を歩く者がある程度接近して声を上げる。
「遅くなってすまない!此方は王国所属のアルスヴァラン様の弟子、モースだ!!」
その声に正門を守る二名も慌てながら視線の厳しさを解く。
英雄の弟子たる者に粗相をしては失礼だ。早々にモースが持つ王国所属のエンブレムを確認し、正門を開く。揃っている人員はおよそ三百。その全てが対化外用の部隊であり、現状王国が保有する部隊の中ではかなり多い部類に入る。
本来であればその指揮権は別の者が保有しているのだが、今は彼の物だ。つい先日まで戦っていた部隊達の一部が今回付いてきてくれたのである。
彼は四日目に集合する予定の英雄の弟子だ。ナグモの兵士を含めて周囲の誰もがそれを知っていたし、例え何か異常事態が起きたとしても間に合わせるのは決めていた。
彼等の装備群が少し汚れているが、それははおよそ一日前まで戦い続けていたから。現在は五日目であり、件の都市からナグモまでは通常三日は掛かる計算だ。とんでもない強行軍であるが、それを出来てしまうのが化外を倒す部隊だと言えるだろう。
無論余裕がある訳ではない。戦闘の後に休憩を挟まずにそのまま進んだのだから。
食料が欲しいと思う者も多く、睡眠を必要とする者も大多数存在していた。しかし誰もが内部を進んでいくと共にナグモの現状を知り、その顔を憤怒の色に変えていく。
食料生産施設は貴重な場所だ。それは貴族と天秤に掛けたとしても勝てる程で、故に此処で管理をしている者の素性次第によっては容易に一族郎党まで根絶やしにすることも出来る。
ナグモを管理しているのはグリュンヒルド家。であれば、殆どこうなる可能性は薄い。唯一可能性があるとすれば悪い噂の絶えない息子のみであり、現状を見る限りにおいてはそれが正解なのだろう。
どれだけ衛生状態が悪くなっているのかも突き止めねばならない。顔を将来の英雄らしく正し、モースはグリュンヒルドが滞在している建物へと入る。
内装は貴族らしく、そして此処の施設らしくない。確実に管理者本人の意思が見え、その醜さに呆れも覚えてしまう。
その内に知らせを聞いたのか巡回していた兵士が現れ、現在の状況を報告しつつ管理者の居る部屋へと足を運んだ。
「……そうか。グランスミスの生徒が守ったのか」
「はい。我々だけでは敵に対する決定打に欠け、更に指揮官の実力が並外れていました。グランスミス学園の生徒達が尽力していなければ、今頃この施設も全壊していたと確信致します」
「……二日前か。その時間は丁度俺達自身も都市に出現していた化外の対処に追われていた。もしもグランスミス学園の生徒が居なければ、貴方の言う通りに全てが終わっていたでしょう」
彼の聞いた内容は、それはもう酷いものだった。
施設管理者の怠慢。私兵を雇い、維持する資金をナグモの運営費から使用していたこと。現地の警備兵達への心配りも出来ず、最終的には五日前に参加してくれた学園の生徒達によって助けられる始末。
これではまるで役に立っていないも同然。穀潰しなどという比ではない。居るだけで害悪と明言すべき人類の汚点である。
王宮に報告すれば早急に牢に入れられるだろう。そしてナグモの一件が王や公爵家の者達に知られれば、即刻首を落とされる。必然的にグリュンヒルド家の名も汚れる事に繋がるだろうが、モースの知るグリュンヒルド家当主であればこんな真似をする筈が無い。
であれば可能性として挙げられるのは餌だ。こんな大事な施設を餌とするのは大分不味いのではないかと思うが、逆にそうしなければ釣れないとも考えていたのかもしれない。
明確な犯罪の証拠を掴み、縁を切って赤の他人とする。それでも名が汚れるのを避けられる訳ではないが、少なくとも今後の被害を減らしたという意味では称賛されるだろう。
血が繋がっていようとも、屑であれば容赦無く処断する。恐らく治そうとする試みもあったのだろうが、それでも最終的にこうなったのならば致し方ない。
気にする必要も無しと判断し、モースの意識は次にグランスミス学園の生徒に向く。
昨今の情勢は酷く不安定だ。それもこれも敵本拠地からの英雄達の通信が途絶えた為であり、今は彼等の安否を確かめる別動隊を送る事に皆の意識が集中している。
その間に攻められないように英雄の弟子達が活動しているものの、数が足りていない。その為に他の箇所から引っ張って来るしかなく、こうして未だ学徒である者達を戦場へ引き摺り出す結果にしてしまった。
情けない話だと、モースは己を罵る。
英雄が居なくとも国を守れるように弟子が存在し、皆の期待に応える為に切磋琢磨した。
一騎当千の兵であると自負するには些かまだ自信が無くとも、並の化け物軍団には勝てるというのは確かだ。それだけ各英雄候補達は鍛え上げたのであり、そうでなければ勝てると断言は出来ない。
だというのに、結局は未熟な者に国の将来を任せる事態となってしまった。
一部の貴族の親は英雄候補達に苦い顔をするだろう。やはりまだ英雄とは程遠い存在であるとして、評価を下げてしまうのも仕様がない。
努力をどれだけ重ねても、やはり結果は必要なのだ。それが無ければ所詮人間から見れば役立たずでしかない。
その点、生徒達は頑張ったものだ。
グランスミス学園といえば阿頼耶を専門とした学園の中では最難高。最近ではその風潮も弱まっていると言われていたようだが、今回の件を考えるにまだまだやれるということなのだろう。
「アゼル殿。此度の一件は正式に王達にお伝えする。記録などは忘れぬようお願いしたい」
「はっ、かしこまりました」
彼の背後を歩む一人の壮年に声を掛け、漸く到着した目的地の扉を開いた。
やはりというべきか、本来であれば多数の書類が舞っているような部屋には何も無い。代わりにあるのは豪奢な椅子と机に、無駄に金を掛けただけの装飾家具ばかり。
無論書類が完全に無いとまでは言えないが、それでも仕事という範囲であれば全くないも同然だ。
一体どういうことだと髭の多いアゼルとモースは訝しむ。
どれだけ仕事をサボっていたとしても、それが今までバレない程度にはしていた筈だ。だというのに処理すべき書類が絶無であれば、流石にどんな馬鹿でも気付く。
背後に有力な貴族が潜んでいると見るのが自然だろう。その中で正しさを尊ばない者を炙り出し、報告を済ませれば即座に全ては解決する。
解らないながらも結論を弾き出し、今は状況の掌握をすべきと判断。
一緒に来てくれた少数のナグモ兵に生徒達を連れて来るように頼み、部下となったアゼル達に牢屋に入れられているというグリュンヒルドと彼の仲間達の尋問を任せた。
アゼルは都市の兵士達の中では階級は平民。それでも貴族と並ぶ程のリーダー適正を持っている。故に都市でも彼は皆を纏め上げるのに活躍し、今こうしてモースが連れて来た部下達を統率してくれていた。
謂わば第二のリーダーだ。人選としてこれ以上正しい者も居まい。
短い返事の後に複数名の兵士が出ていき、場は一時的に静かなものとなる。
窓から差し込む太陽は暖かく部屋を包んでくれているが、部屋全体に広がる黄金の比率が高過ぎて眩暈を起こしそうになる。
割合だけで言えば、およそ全体の六割が黄金だ。よくもそれだけ集められたものだと逆の意味でモースは座り込みながら再度呆れ、頭の痛みを抑えるように少しの間手を額に当てた。
事が終われば此処の管理者も変わる。そうなる前に目の前に広がっている黄金は全て売りに出そう。
最低限の装飾だけを残して再設計を施し、売った黄金の資金はこの施設の運営費に充てる。一部はナグモの兵士と生徒への報酬金とすれば、取り敢えずの体裁くらいは整えられるだろう。
どんな時代でも金は人間関係を円滑に回す為に必要なもの。汚くとも、それで善良な誰かが笑ってくれるのであれば金も本望だ。
「一先ず、誰か茶を入れてくれないか。流石に此度の救世主に対して何の準備もしないのでは情けないからな」
「では私が行きましょう。彼等には助けられた恩義があります」
ナグモに常駐していた兵士の一人が口を開き、退出する。
それを眺め、さてどうするかとモースの意識は一時的に思考の渦に嵌まっていくのだった。
――――――――――――
「テキス様。英雄候補の方が参られました」
「解った。直ぐに向かうから少し待っていてくれ」
はいと短い返事を聞いたノースは、全員の顔を見ながら深く息を吐き出した。
顔色は良好だ。傷は多く、特に獅子の間近に居たノースは酷いものだ。それでも動けるには動けるのだから、流石の回復速度と言う他にない。
獅子との戦闘を終えて、全体の被害はかなりのものとなった。その全ては最後に獅子が放った波動だ。
肉体を崩壊させると結論が弾き出されたそれは、正に人間にとっては致命的過ぎた。兵士が無傷だった事も含めれば、あの獅子の能力の詳細は阿頼耶保持者だけを的確に殺すものなのだろう。
現に此方側の兵士は無傷でも、グリュンヒルドが抱えていた私兵はその殆どが死んだ。激痛に悶えながら身体を分解され、最終的には灰色の塵と化して終わった。
生き残れたのは純粋に阿頼耶を高い次元で活動させられた者と、距離があった者だけ。黒の部隊も残ったのが二名だけとなり、大人しく降伏を宣言した。
ノース達もノース達で被害はある。特にノースは腕を大分分解されたものの、それでも再構築が出来た。
サウスラーナは背中。ウィンターは盾の影響で皮膚の表面のみ。ライノールは阿頼耶の完全発動に間に合わなかった所為か足の肉の大部分が分解された。
それでも全員が生きている。感謝すべきは阿頼耶に、そして固定化によって崩壊の進行を遅らせたナギサだ。
しかしナギサはナギサで俯いている。
戦場で大事に至る出来事があったというのに、彼女は彼女で後方で何もしていなかった。
己に起きた出来事に意識を傾け過ぎて、周りが見えていなかったのだ。それは彼女が初めての戦場であったとしても、決して許して良いものではない。
されど、それはノースを除いた他の面々も同じだ。肝心要の部分で何も出来ず、そしてノースに全てを任せてしまった。今ナギサを責める事が出来るのはノースのみで、その本人が特に気にした風を見せない時点で彼女に対する沙汰など決まったも同然である。
感情では納得出来ずとも、それが彼の意見であれば皆は頷く。失敗した者を責めるのは簡単だが、生産性が無い。後々に成果を残してくれればそれで十分だ。
「しかし、武器が無くなってしまったな。あれはあれでそれなりに金が掛かっていたのだが」
「一番目の前にあったんだから仕様がないでしょう?また作れば良いわ」
「命があるのだから文句は無しだ。……ナギサ殿も気を落とさなくとも問題ありません。今回はノースに全ての功績があります。我々もまた役立たずだったのです」
「ぶっちゃけ雑魚狩りしか出来なかったしな。今後の問題点はある程度把握出来たし、学園に帰還したらその部分を教師と考えた方が良い」
「お前にしてはまともな意見だ。……だが、そうだな。俺としても今回の一件で考えるべき事が出来た。学園に帰還してからは鍛錬の厳しさも上げていこう」
当然のようにノースはそう言うが、ライノールはあからさまに顔を顰めている。
彼の鍛錬は既に厳しいのだが、更にその上を行くつもりだ。そうなれば毎日の暮らしが灰色となっていくのは避けられず、溜息を吐きたくなってしまう。
無論それだけしなければ食いつけないという点は同意すべきことだ。だからこれは、ライノールにとってただの愚痴である。
短い会話を終わらせ、全員が着替える。此度の一件で今後学園での生活にどの程度の影響があるのかを考えつつ、彼等は生存の喜びを確かなものとしていた。




