犠牲になったもの
切り裂いた先から血が吹き出す。
生命の終わりを促進するが如く赤黒い血液は外へと飛び出していき、獅子の足元の地面を黒く染め上げていく。
二回の攻撃はどちらも致命傷には至っていない。傷を付けた程度で、動けるだけのダメージしか与えてはいなかった。これから大量の血液を喪失すれば解らないが、現状においてまだ勝ったと断言出来る材料は何処にも転がってはいないのである。
それでも、弱っているのは獅子の姿を見れば解った。苦しそうに呼吸を行い、刺された脇腹を片腕で押さえる姿は手負いの獣そのもの。
そんな相手程危険であるのは言うに及ばず、であればこそ油断大敵の四文字を切り捨てて構えを取る。
言う事を聞くようになった彼の身体は即座に臨戦態勢へと移行。血で染まった刀身が怪しく輝きながら獅子に向き、それを見ていた相手が鼻で笑いながら此方へと完全に向く。
「……ったく、おお痛ぇ。流石にこれは不味いわ」
何でもないように言うが、獅子は眉を顰めている。
それだけ大怪我だと自分でも認識しているのだろう。切られた傷は決して浅くはなく、深く付いたそれは通常の生物なら動きを取るのも辛い筈なのだから。それを動かせるだけ獅子の胆力も並ではない。
彼もまた生きるべき理由があるのだ。それがどんなものかまでは未だ明かされていなくとも、無理をして動こうとしている時点で小さくはあるまい。
これが化外でなければ、もしかすればノース達は見逃したかもしれないだろう。
彼等が相手にすべきは怪物のみ。それ以外の生物に刃を見せるなど、ただの虐殺でしかない。悪意ある攻撃を除けば、逃してやるのが人情と納得も出来た筈だ。
だが悲しいかな、相手は彼等が打倒すべき化物。即ち化外である以上は生かしておく理由は存在しない。
人類の未来を脅かす侵略者。それを殲滅し、未来の繁栄を勝ち取るのが今現在の人類の総意だ。
殺しきる。彼の意識は正にそれ一つ。
ここで逃がせば回復され、また何処かを襲うかもしれない。今回は偶然だと述べていたものの、そんな相手の言葉に素直に頷くような者は誰一人として存在しなかった。
そして、手負いであれば彼の攻撃を手助けすることも出来る。
最初の彼の攻撃が弾かれた以上阿頼耶を駆使したとしても絶対に通る保証は無い。ならば最も傷を付けられる者が確実に仕留められるよう、皆で一時的にでも協力するのが合理的だ。
それは今まで沈黙を貫いていた黒の部隊も変わらず、油断無く獅子を全員で取り囲む。可能であれば首を狙った一撃必殺。それが出来ねば行動不可に陥る程のダメージ。
相手が相応に怪物であるのは彼との戦闘で嫌という程に理解した。阿頼耶の出力や能力の相性次第ではあるが、少なくともこの場に居る者達では彼を除いて誰も倒せない。
「へ、ここぞとばかりに協力体制築いてら。群れてなければ何にも出来ない辺りは変わんねぇな。本当、人間って奴はどうしてこう個人の質が低いものやら……」
呟く愚痴に答えは無い。無言で突撃の瞬間を狙い、武器を相手に向けるだけ。
それは殺意に塗れた戦場だった。どうしようもないと諦めていた人間が見せた、ある種の本能が完成させた円陣だ。突破しようと動けば、即座に銃弾の嵐が襲ってくる。
たった二割しか出せないとはいえ、手負いの状況では普段の動作など不可能。おまけに今も血が流れていては時間切れで気絶まで持っていかれてしまう。そうなればそのまま獅子は終了だ。
首を切られれば、いくら生物として上位でも流石に絶命する。彼が居なければ全滅させる事も可能だったが、こうなってしまえばもうどうしようもないだろう。
諦めて死ぬか、足掻いて死ぬか。それだけだ。
吐き出す息は弱弱しい。それが自分の未来を指し示しているようで、獅子は顰めていた眉を余計に強める。こんな場で死ぬのは心底御免であり、目前には倒さなければならない障害が居るのだ。
「――漸く頭も冷えた。さっきまでの俺じゃ突っ込んで死んでただろうな。……怒って頭を鈍化させるのはこれで何度目だ。ガニュメデの奴に怒られちまうぜ」
独り言を呟く。やはりこんな状況でも冷静そのものだ。
それが皆の不安感を煽る。まだ何か奥の手があるのではないかと考えさせられ、それ故に最後の一歩を刻む事が出来ない。数では有利、質も彼が居る以上有利。負ける要素は少ないが、それでも覆る事が有り得るのが理不尽という言葉である。
その証拠に、獅子の周囲には一度は散ってしまった圧が再度上昇を見せていた。
極小の地震を発生させ、足を止めさせる程に威圧する姿はとても怪我をした獣の姿ではない。やはり何かあると構え――――それが現出する前に飛び出した者達が居た。
一人は今回の全ての立役者。最初から油断無く見ていたからこそ、そして彼の内に居る英雄によって各所が上昇したからこそ、静観ではなく突撃を選択した。
相手がどんな攻撃をしたとしても構わない。それを超えるのだと彼の背中はそう語り、英雄としての姿を周囲に見せつける。
その背を追ったのは彼の仲間達。
一人は防御に回っているのでそのまま待機としたが、ライノールとサウスラーナは同様に突っ込んでいる。ナイフである以上彼よりも近距離にならざるをえず、危険度は高い。しかしそれでも戦おうとするのは、純粋に彼の背を見て勇気をもらったからだ。
二人共に今回はかなりの敵を倒したとはいえ、彼の攻撃に参加する事は出来ていなかった。
最も危険な役回りをさせてしまったのだ。その罪悪感もあり、彼等の進む足に迷いなど無い。努力をしてきた成果を彼に見てもらいたいという気持ちもあるのだろうが、それよりも二名の中にあるのはやはり彼への負い目だ。
人間には得手不得手があり、自分で出来る事だけをすれば良い。
そういった理由がよく世の中に流れるが、それが二人の中にはあまりに薄いのだ。
確かに、人間の中には得意なことと苦手なことがある。それを双方で補い合うのは当然の道理であるも、努力をし続ければ何時かそんな道理も覆せると信じている。
馬鹿らしい話であるが、若い彼等には理想を叶えようとする気概があるのだ。大人達が捨て去った光を持ち続けているからこそ、何処までも彼等は足掻き続けるのである。
三方向からの攻撃。内二名は普段であれば捨て置いても構わないが、今は不味い。
体表に何も無ければそのまま受けても大丈夫だったものの、今では無視出来ない傷が開いている。
同様に動きもかなり鈍り、試しにと指先を動かしてみれば反応が数秒であれ遅れた。
それは戦闘という意味であれば致命的だ。僅か一瞬が命取りとなる以上それをカバーする手段を講じなければ、負けるのは必然である。
故に、獅子も獅子で何かしなければならない。そしてその手段を――獅子は持っていた。
どうにかならなければ、他所に協力を頼むのみ。通常の化外であれば不可能でも、この獅子ならばそれが出来てしまう。
だが代償が無い訳ではない。寧ろ払うべきものは多く、見返りはそれと比べれば劣るもの。
捧げた代物が何であれ、獅子にとっては至高なのだ。それと比べればどんなモノでも見劣りするのは当たり前の話だろう。
怪物にも怪物なりの想いがある。ならば、重い軽いの概念もまたあるのだ。
「零落せよ、我が御魂」
軋む音が響く。
音の発生源は獅子の身体。傷付いた状態であるが故に負荷に耐えられず、自壊に近い症状が現れようとしている。それでも獅子は己の言葉を止めはしない。この場を切り抜けるにはこれしかないと確信しているから、彼もまた人類同様に死ぬ気の覚悟を燃やしていた。
阿頼耶に似た波動が周囲に広がる。突然の行動に誰もが驚きの声を上げる中、それでも突き進む事を決めた者達は一瞬瞠目するも気を引き締めて武器を振るう。
化外が詠唱を行うなど聞いた事が無い。正しく前代未聞であるものの、しかし至近距離に居る時点でそれが発動する事は先ず不可能だ。
それを成す前に刃の方が先に届く。そしてもう既に重傷に近い身体では、次を受ければ間違いなく手遅れとなるだろう。
選択としてはおよそ愚かそのものだ。確実に失敗すると解っていて使うなど正気の沙汰ではない。
……しかしだらこそと言うべきか、この中でノースだけは獅子の目に浮かぶ勝者の笑みに気付いた。
「我は王権の象徴。王の証となる者」
最初から化外が此方の予想を上回ると解っていたならば、こうなる可能性も加味すべきである。
既に阿頼耶が人類に浸透して数百年が経過した。多数の戦場で使っていれば、何時か何処かの化外が同じような真似をする事を考えておくのは自然である。
人類だけが成しえる奇跡。怪物には出来ない行為。――どうしてそう思うようになってしまったのか。
それは長年の蓄積による洗脳だ。こうであるのが常識であるという、一種の概念に近いものとなってしまったからだ。
一度それに嵌まれば人類は永続的にそれに嵌まり続ける。時間の概念に縛られるように、空間の概念に縛られるように。
基本骨子が最初から崩れていようとも、表面上問題無ければ気付けない。
その致命的な見落としこそが、地獄を呼び込んだ。
剣が振るわれる。ナイフが突き立てられる。届いた攻撃群に三人の内の二名が喜んだ。
回避運動を行わなった為に剣は縦一筋の傷を作り、ナイフは開いた傷口に更なる傷を増やす。粘液の如く垂れた血液が手を汚していくも、勝利の余韻を静かに感じている彼等は気にもしない。
「されど全ては過去の彼方。我が身は既に闇へと落ち、王権の反逆へと転ずる者なり」
口から多量の血液を流しながらも、詠唱は止まらない。
それがどういう事実に繋がるか。解らない者は絶無であった。
傷を受けながらも完成させる。そうすることによって活路を見出し、己にとっての勝機を得るのが獅子の行動だ。致命傷に近い傷を負いながらもまだ動けているのは単純に気合や根性に過ぎない。
あるいは生物としての強者であるが故に生命力自体が高いのか。疑問は尽きないが、今はそれどころではないと彼は次の行動に出る。
腹部への攻撃が無駄となれば、やはり急所を狙うしか他にないだろう。
絶命を狙うには最早それ以外思い付かず、首へと剣を横に振るった。
しかしそれは獅子の腕に阻まれる。半分以上を切断に成功したとしても、それ以上は進まない。
驚異的な筋力だけで刀身を止め、更にもう片方の腕でもって彼の首を掴む。そのまま圧し折ろうとばかりに絞めるが、彼もまた獅子の腕を掴んで阻止を図る。
その間は完全に両者共に無防備となるも、有利であるのは獅子ではなく彼の陣営だ。完全に攻撃をする手段を失った今の獅子であれば何も恐れる事無く攻撃を行うことが出来るだろう。
「…や、めろ。ぜ…いん、離れ、ろ」
それを止めろと彼は告げる。目前の獅子はもう勝つつもりだ。
それがどのような勝利であるのかまでは予測出来なくとも、勝てると確信する目を見れば解る。そんな生き物相手に接近戦を挑むなど愚の骨頂であり、されど遠距離武器では彼との距離が近過ぎて誤射をしてしまう可能性がある。
それを見越して敢えて攻撃を許したのであれば、恐るべきは相手の耐久力だろう。
人間であれば既に死んでいる。断言しよう、確実に息の根が断たれているのだ。それにも関わらず動き、彼の目の前まで顔を近づける。
残念だったなと言いたげな瞳を見せつけ、口から溢れる血を彼に浴びせながら最後の言葉を終了させた。
「絶望の獣王は此処に在り。さぁ玉座を欲する者よ、共に王を滅ぼそうではないか」
放たれるは最初に周囲に広げていた波動に殺意を乗せたもの。
青黒く染まった波は可視化出来るようになっただけではなく、人類に牙を剥く。最も近かった彼の剣はそれに触れただけで粉と化して消え去った。
彼の身体も徐々に徐々にと身体が粉へと分解されていき、そしてそれは他の者達も変わらない。
最もダメージが大きいのは黒の部隊で、逆に何のダメージも無いのはレックス達の部隊だ。グリュンヒルドもまた無傷同然であり、黒の部隊が苦しんでいる状況に困惑を極めている。
苦しみながらも立っていられたのは僅か数名。その殆どが一気に戦闘が出来ないまでに追い詰められた。
彼もまた直撃を受け続けている所為でまともな攻撃が行えない。
今攻められれば確実に不味いと確信して、されど獅子が行ったのは彼を投げる事だった。
「完成したはしたで瓦解が速いなおい。そんなんじゃ俺以上の奴にぶつかってはいさようならだ。強くなるなら精々これを受けてもマシなようになりやがれ――じゃあ、あばよ」
そして包囲が崩れ、倒れ伏す者達を眺めて獅子は森へと逃げていく。
完全に取り逃がす形となってしまった事実に、しかしそれを気にする余裕など誰にも無かった。




