終幕
どうするのか、なんて言葉は最初から無かった。
戦いは嫌いだ、好きじゃない。逃げ出せるならそうしたいし、今だって苦痛は嫌いなままだ。誰が好き好んで英雄を目指すものかと怒鳴りたいのを必死に抑え付けて過ごしていたのだから、その気持ちに嘘など微塵も挟まれてはいない。
故に、徹頭徹尾、俺の主張は変わらないのだ。
この苦痛から逃れられるのならば身体の自由なぞ喜んで差し出そう。阿頼耶を使いたいなら好きなように使えば良いし、サウスラーナが欲しいのならば勝手に持っていけば良い。
俺は俺としての幸福が欲しいのだ。誰にも邪魔されない平和な時間を過ごしたいのだ。
如何に相手が何であれ、俺の渇望を捨て去る事は出来ない。それは勿論目の前に居るオリオンとてそうだ。
どれだけの炎に身を焦がされようとも諦めはしない。――だってそこで諦めてしまえば、この七年の間が全て何でもない空虚な時間と化してしまう。
人には自由意思がある。他者とは異なる主義主張がある。上から押さえ付けても、どれだけ自身と反する主張を持つ者を抹殺しようとも、後から確実に同じ者は出てくるだろう。
それは全て当然の摂理だ。絶対に零に至らないからこそ、俺とて容易に屈しはしない。
最後に勝つのは俺だと言っているのだから。その言葉を撤回する真似は断じて認めはしないのである。
「……そうか。貴様の言いたい事は理解した」
鋭さのある目が閉じられる。組んだ腕は何かを熟考しているようであり、それはきっと俺に対する反論なのだろう。オリオンがどのような思想を有しているかは解らずとも、今の環境で自ずと推測は立てられる。
コイツは生粋の英雄だ。どの時代の英雄かは解らずとも、獅子を相手に互角に戦う様子からは紛れも無い実力差が伝わって来る。
自分では単純な力でも弾き返せないし、阿頼耶の質も身体強化でさえまったく歯が立ちそうにない。
相性を纏めて薙ぎ払いそうな存在。複数居る英雄の特徴を俺は把握しているが、しかしそのどれとも目前の相手とは合致しない。
まったくの無名というには些かに強過ぎる。何かしらの手段でもって存在を隠していると見るのが妥当な線だろう。どうして俺を操作しているのかは定かではなくとも、そんな怪物相手であれば操られても致し方無いと納得することも出来る。
今の権限は奴が保有しているのだ。自殺させて終わらせる事も出来る現状、生殺与奪も向こうが持っている。俺を好きなタイミングで殺す事が出来るのだから、相手としては言うことを聞かせやすいだろう。
ましてや相手は生に拘っている者だ。死をちらつかせれば引っ掛かりそうだと思うのは当然である。
だが、その悉くを俺は捨てた。それは生を諦めたからとかではなく、俺の意思を捨てたくないからだ。
「成程。英雄を忌避し、そこから脱出する為にはあらゆるモノを犠牲にする事も厭わないと。好いてくれる者も、愛してくれる者も、期待している者も全て生贄に捧げてでも生を勝ち取りたいと言うのか。――それは結局逃げでしかないというのに」
逃げではない。いや、ある意味そうなのかもしれないが、そもそもとして俺は本来此処に立つべき人間ではなかった。サウスラーナに呪われなければ立つ事すら考えなかっただろう。
役者が違うのだ。本来此処に立つべきなのはお前のような人間で、俺ではない。俺はきっとお前のように熱い炎を最後までは持てないだろう。
どれだけ考えようとも答えは一緒だ。英雄を嫌う俺と英雄を嫌わないお前。どちらが最初に立つべき存在として正しいのかなど解り切っているもので、それはお前自身納得出来る筈だ。
現にこうして戦っているのもお前の影響だろう。俺に関する伝達は全て無視され、されど勝手に身体が勝利に向かって突き進んでいる。
このままであれば勝負は見えた。此方には回復の術があり、相手にはそれが無い。
体力勝負に関してもかなり互角に近い現状、先に息切れを起こすのは獅子だ。そうなれば致命傷を受けて終了する姿が目に浮かぶ。
俺では紡げない未来なのだ。努力すればどうにかなるだとか、頑張れば道は開けるだとか、そんな御伽噺めいた話を信じる程子供でもない。
――頼む。俺の内側に居るからこそ聞いてくれ。もう、無意味な努力を続けたくないのだ。
「己が全てか。よくもそんな自己中心的な考えに至れるものだ。――確かに、サウスラーナ・ライトネルが使った呪いは貴様を苦しめただろう。確かに、貴様の中身を見抜けなかった者達など信頼には値しないだろう。自分を見せられないのならば誰かが察するしかなく、されど人間はそれが簡単に出来るようには出来ていない。絆を育み、個人の悪も正も全て知って、漸く察する事が出来るものだ。七年間それに耐えたのは見事ではある。並の精神の持ち主であれば途中で自殺をしていたかもしれない」
肯定的なオリオンの意見に、だが俺は嫌な予感が浮かぶ。
確証は無い。しかしそれでも、目の前の男がただ肯定して俺の願いを叶えてくれるようには思えなかった。最初にも語っていた通り、オリオンはきっと俺のような思想を嫌っている。
ならば必然、訪れる未来も考えられるというもの。開いた瞼の中から出てきた瞳には失望の色があった。所詮こんなものかという、確かな落胆の念があった。
だがしかし、俺はそれを甘んじて受け入れる。そうだとも、俺はこんな男なのだと。
誰にも見せられなかった全て。それを曝け出せば、如何に自分が醜悪な人間であるのかが解るだろう。
これをサウスラーナが知れば同じ反応を示す筈だ。ライノールやウィンターに見せたとしても同じ。グラムやナギサ辺りは激高して攻撃してくるかもしれない。
だがそれでも、気分が良かった。出したかったモノを全て出し切ったような解放感があった。
やはり俺は英雄に向いていないのだと再認識する事が出来たのだ。それをこんなにも嬉しいと感じられた時点で、自分の中心が腐っているも同然である。
このまま俺はどうなるのだろう。生きると決めている以上足掻きはするが、それでも目の前の英雄に勝てるとも思えない。
そんな俺の思考に、相手が返したのは首を横に振る動作。呆れたような顔までされれば、如何に彼自身が残念に思っているのかが解る。
「まったく、折角の逸材が台無しだな。伸びしろがあるというのに、深層意識に食い込む程に自分を見下げ果てている。――良いか、私はお前に英雄になれと言いにきたのではない」
――――は?
「先程から何か勘違いをしているようだが、貴様自身の思想云々に関しては私が挟むべき問題ではない。感想としては情けないの一言であるが、それだけだ。貴様がそれを進むというのならばそうすれば良い。所詮人の未来など千差万別。逃げに徹する生もまた人生よ……しかし」
オリオンが一瞬で俺の目の前に現れる。そこで初めて俺とオリオンの身長差が解ったが、コイツの大きさは成人男性を遥かに超えていた。まるで巨人の如く、それはそれは大きかったのだ。
そんな巨人に上から睨まれれば、流石に俺の背にも冷や汗が浮かぶ。実際には浮かんでいない以上ただの錯覚なのだろうけれども、しかし感情は誤魔化せない。
「俺個人としては実に不快だ。嘗てはそれなりに活躍をしたと恥ずかしながら誇らせてもらうが、そんな俺から見るに貴様は原石を放り捨てているのと変わらない。磨けば光る逸材を放置するのがどれだけ愚かであるのか。貴様も貴族の端くれならば理解出来よう」
優秀な人間は今後の人類の発展には確かに必要だ。
化外がもしも消滅したとしたら、残っているのは我々人類そのものの復興。それは建物や食糧事情を元に戻すだけではなく、未来における優秀な子孫を残す事も必要である。
愚かな種は淘汰される。それは必然的な話であり、確かに貴族であれば考えることだろう。馬鹿を野放しに出来ないと思っている者を何人も見ているのだから、オリオンの言っている事は決して間違いではない。
だがだ。俺がその原石であるというのであれば話は別である。
そりゃ、頑張ればお前は実ると言われれば嬉しいものだ。それがどれだけ低い確率であれ、胸が高鳴らないなんて絶対に言えない。
しかしそれを嬉しがることも出来ないのが現実だ。何せ俺に伸びしろがある保証なんてのは目の前のオリオンでさえ無いのだから。人間がそんな未来を予知する能力なんて無いだろう。
有難かった。ただ英雄として輝けと言われなかったのは、素直に嬉しいものがある。けれども、俺自身としては自分を原石であるなどとは信じていない。
俺は道端で転がる石なのだ。それだけは、誰が何と言おうとしても変えられない。
「謙遜は美徳だ。だが、必要以上の謙遜は卑下にしか繋がらない。そのままでは貴様の可能性は潰えたままとなるだろう。それは私としても歓迎すべきことではない。――故に、助力しよう。貴様が己の可能性を認識するまで」
急速に操られていた身体に血が通うような感覚を覚える。
それに合わせて身体の各所が自分の思う通りに動き始めた。突然のこと故に身体のバランスが崩れ、獅子の一撃が頬を掠める。後方へと反射的に飛び跳ね、状況の把握に努めた。
能力が劣化した感覚は無い。だが、これ以上高まるような気配も感じない。動きが止まった俺の様子に獅子が訝し気な視線を向けるが、俺としてはそれどころではないのだ。
剣を握っている感覚がある。口を僅かに動かそうとすれば、確かに動いた。今まで当然に思っていた全てが稼働する感覚は、中々に感動すら抱くものだ。
だが一体どういうことだと、視界の端に立っている男に問う。権限を俺に戻すということは、このままあの獅子に殺されろということか。
「勘違いするなと言っている。私はそのような愚など犯さん。最初はある程度協力し、後々枷をつけていく予定だ。元々あの呪いを解除しなければ貴様の望みを叶えられない以上今は敵を退くしか他にあるまい」
確かにその通り。この男ならば俺に掛かった呪いの一つでも壊しそうではあったが、出来ないのか出来るのにやらないのか真面目な意見を話してきた。
実際呪いを壊さないのであれば確かに俺自身の手で獅子を倒さなければ、今後このクラスの相手と戦う可能性はある。どれだけ避けようと思っても、元々の呪いを解除しなければそれは変わらない。
痺れを切らした獅子が咆哮を上げて攻める。
腕を振るう動作が見えるようになった今であれば回避自体は出来るが、かといって攻めようとは思えない。まともに効くのかどうかも解っていないのだ。
今のままであれば効くのだろうが、それでも最初の傷が思い出される。治ったとしても響いているのは確かであり、それが攻める切っ掛けを失わせる。
体勢的に無理になれば剣で無理矢理爪の方向を逸らすが、やはり重い。
「おい、さっきの強気は何処いった。いきなり回避を選択しやがって、舐めてんのか!?」
違う、とは言えない。
だが問題の解決はしなければなるまい。こうなれば形振り構ってもいられないだろう。
いい加減終わらせなければ体力も切れる。既に僅かであれ息切れを起こし始めているのだ。早期決着を目標にし、攻めてきた獅子の内側へと潜り込む。
体格が大きいからこそ、その内側へと潜り込むのは比較的容易だ。真正面からの激突を考えなければ、相手の調子を外してなし崩し的に全てを終幕させることも可能である。
今なら剣が通る。そう願い、そう思い、俺はそのまま強引に身体に突き刺す。
危機感を覚えたのか獅子が背後に下がろうとするが、少々遅い。心臓を狙った一突きは外れたものの、それでも確かな肉を断つ感触と共に刀身が脇腹に刺さった。
そのまま横へと動かし、肉を切り裂く。呻き声が上から聞こえ、背後から爪が迫っていた。
殺意の方向から何処から来るのかは明白。身体を地面に倒せば、頭部を狙ったその一撃は髪を数本持っていくだけで終わった。
一旦下がって見れば、相手の傷口からは大量の血が流れている。まだまだ死なないだろうが、このまま何も処置を施さなければ失血死をするだろう。
「……てめぇ」
歯軋りの音がする。
だが、そんなものに負けはしない。そもそもからして最初に攻撃を仕掛けたのはそちらだ。
それが狙ったものではないとはいえ、最終的にそうなったのだから向こうは文句を言えない。それに、相手は油断をし過ぎている。剣によるぶつかり合いをし過ぎて次もそうなると確信していたからこそ、簡単に潜り込まれて攻撃を受けることになるのだ。
恐らく理由はそれだけではないのだろう。見れば解るが、相手は何故か此方に必要以上の殺意を向けている。一部理性的に活動しているとは思えない程のそれを見れば、本気だとしてもまともなままではない以上付け入る隙はあった。
大量の出血によって活動していく度に相手は死に近づく。このまま粘れば俺の勝ちだ。
純粋な勝利とは言えないのだろうが、そんな事は知ったことではない。最後に笑えた者こそが正しいのである。
「次は外さん。確実に息の根を止める」
「上等……ッ。やれるもんならやってみろよォ!」
愚直なまでに突き進む獅子は、どう見たとしても隙が多過ぎた。
このまま力押しのままではきっと勝負は見えなかっただろう。そう思えばオリオンのやった事は単なる時間稼ぎと見れるが、真偽のほどは不明のまま。しかしそれは後々聞けば良い。
全身に力を入れ、弾丸の如くに俺も飛び出す。獅子は最初から突進のみを選択しているのか、まるで変化を見せない。
出血が多いからこそ余裕が無いのだ。確かにそのまま直撃すれば此方が死ぬだろうが、解っている攻撃に対して何の策も無い訳も無し。自分が認識出来る限界まで加速しつつ、獅子の直前で無理矢理な方向転換を行う。
骨が急な方向移動によって悲鳴を上げているのが解った。直ぐに回復するとはいえ、その鈍い痛みに眉を顰めて俺は相手の背後を取る。
此方も必死なのだ。故に、獅子が一瞬顔を此方に向けていたのを視界で捉えていても構わず剣を振り落とす。
今出せる阿頼耶の全開でもって、己の手を握り締め過ぎて骨が砕けようと、それだけは外さない。
剣は獅子の銀の毛を刈り、そのまま肉を切り裂く。背後への攻撃故にまともな防御など出来よう筈も無く、再度の感触を味わいながら俺は致命の一撃を命中させたのだった。




