敗北者の未来
響く斬撃、煌めく一閃。
一秒に十の激突を繰り返しつつ、彼等の速度は緩みを見せない。十本それぞれの爪が兵士達には百に見え、その悉くが必殺そのもの。当たれば抉れるなどという生易しい事にはならず、本人に裂かれた事実を気付かせない結果を残すだろう。
それを剣一本だけで逸らし、弾き、鍔迫り合いでもって互いに距離を開かせるのはノースだ。
視線は一瞬たりとて逸らさない。動く爪にはフェイントも混じり、刹那の間でさえ最終的にどのような動作に繋がるのかは不明なのだから。
それに兵士達には見えずとも、同じ阿頼耶保持者であるならば見える。
相手は爪だけを駆使している訳ではない。牙を開き、拳でもって殴り、更には蹴りまでも活用していた。
そのどれもが高速の一言に尽きる。これまでの相手が全て雑魚に思えてしまう程に両方の速度は他者を逸脱しているが、目に見える違いはそれだけではない。
ノースの左拳と獅子の右拳が激突する。
その衝撃だけで大地が抉れ、衝撃波は周辺の化外を吹き飛ばす。兵士達すらも被害に合いそうになり、思わず逃げ出すものの二人の速度が異常過ぎる所為で何処に逃げても似た結果になってしまう。
動かないのが一番だ。そう結論を下したライノール達阿頼耶保持者達は一ヵ所に集まり、ウィンターの盾に隠れる。兵士も助けられたら良かったが、そうするには各人が離れ過ぎていた。
今現在はノース一人を狙っているものの、次に何時此方を攻撃してくるとも限らない。
その為にも雑魚だけに向けていた視線を全てそちらに回した。どうせ周辺に散らばる化外達は彼等の激突の余波によって簡単に肉塊になってしまう。
勝手に減っていくのであればそれで良し。集中すべき対象を一つに絞れるのはこの場において僥倖と言えるだろう。
介入の隙を伺うサウスラーナであるが、二人の動作は酷く密着している。
激突に激突を重ね、体力切れを知らぬとばかりに普段の速度を捨て去ってノースは戦い続けていた。
その彼に合わせるように獅子も肉弾戦でもって対処をし続け、双方共に一歩も退かぬ戦いを見せている。
魔の獣と勇者の死闘――絵画の題名としては些かに王道であるが、正にそれが適当だ。
動き続ける絵画は背景を切り替えながら終焉に向かって進み続け、されどそれが一体どのような終わりでもって幕を引くのかが解らない。
単純な肉体性能は獅子が上だろう。頑強な肉体は剣を通してはおらず、拳や爪に幾度となく衝突したとしてもまるで傷を付けられない。
体力面でも、やはり人間よりも彼等の方が優勢だ。生まれた瞬間から人間とは違う生命体であるからこそ、その内と外の構造もまた異なる。
人間と似たような動作で戦うが、獅子の筋肉運動はまるで通常と異なっているのだ。
「ははは、どうしたどうしたぁ!まるで届いてねぇぞ、鈍らかよ」
「舐めるな――」
獅子の態度は余裕そのもの。親が子供に対して遊ぶが如く、その声色には陽気さもあった。
先程の殺意とは別のものにそれだけ此方が舐められているのだと彼は尚更に阿頼耶から力を送り込んでもらうように祈る。
だが言葉を紡いでいない以上阿頼耶とのラインは希薄だ。どれだけ現状祈ったとしても、それで引き出せる力の量は微々たるもの。互いに力量が同一であるのならばそれが明暗を分けるだろうが、相手の様子から察するに対処するには倍以上の出力が必要とされる。
それでは負けは確実かというと、無論そうではない。こうして激突していられるのは一重に彼の弛まぬ努力の成果であり、彼が死を忌避し過ぎているからだ。
生を求め続ける餓狼にこそ、本当の性能は出現する。余裕の相手では本人の本気が出てこない為に、今の彼は普段のソレよりも明らかに冴えた動きを見せていた。
しかしそれでも現実は変化の兆しを見せない。これをどうにかするには他からの要因が必要となるが、二名の戦闘は迂闊には手を出せない激しさを保ってしまっている。
阿頼耶の保持者でさえ尻込みする程なのだから、並の兵士からすれば最早異次元だろう。
己が気付かぬ内に死ぬかもしれない恐怖からか股間に生暖かい感触も広がり、常に氷柱に触れているように全身に冷たさが広がっている。
震える身体を抑える真似が出来ず、大の大人でさえも子供のように怯えを見せていた。
「駄目。まるで構造が読めない。それに……」
遠方で見ていたナギサも何とか打開しようと能力を全力で行使するが、そもそも相手とは初見。
その構造を一気に全て解き明かすのは難しく、難航するのは必然だ。しかし、それだけではない異常がある。対象は確かに生物的構造が他とは異なっているが、それでも人型である以上似通る部分は必ず出るもの。それは真似をしたからではなく、動くにはこうする方が効率的であるからという世界からの理屈によって成り立っているのだ。
であればこそ、例え全体は無理でも一ヵ所でも停止に追い込めれば勝機は生まれるだろう。
そう考え彼女は片っ端から固定化を使用しているが、その全てにおいて効果が表れない。まるで何かに弾かれたように、お前の神意ではまるで足らんと言われているかのように。
それが彼女には屈辱的だった。これが相手に少しでも影響を与えていたのであれば別だが、完全に防御されてしまっているのである。
つまりは貴様の愛などその程度と言われているも同然であり、普段笑みを絶やさない彼女がそれによって表情を変えていくのは当然だった。
足りないのならば更に深めるのみ。知らない構造があるなら最速でもって暴く。
愛が足りぬなどとは言わせない。己の全てを賭けての阿頼耶がこの程度であるなど、そんな道理を認める訳にはいかないのだから。
冷たき相貌。瞳から光さえ失わせ、彼女の意識は深奥まで沈む。
阿頼耶とは意思力によって強弱が変わる故に、彼女は己の深層意識にすら沈み落とそうとしていた。
それは格段に彼女の能力を上昇させる事に繋がるだろう。しかし、許容を超えた力程恐ろしいものはない。それを全て受け止めようとするなら、代償を払わねばならないのは道理。
されどそれは承知の上。リスクを考慮せずに思考する筈も無く、それでも彼女はそれに手を伸ばそうとしていた。
――――――――…………待て。
遥か先。距離の開いた筈なのに、彼女の耳にそれは届く。
誰であるのか。どうして聞こえるのか。それはまるで解らず、正体はこの場の誰でもない。
まったく聞いた覚えの無い低い声に、彼女は意識を元に戻された。周辺を見渡してみるも、自分以外に動いている対象は遠くで戦っている者達だけだ。
断じて近くに誰かが居るということは無い。故にこそ、彼女は困惑した。
助けるべき者を助けようとして、それを阻害される。まるで邪魔者の出現そのものであるも、彼女の胸に不思議と敵意のような悪感情は無い。
代わりにあるのは、場違いなまでの懐かしさ。忘れてしまってはならないような、そんな想い。
無くしてはならないようにと無意識に記憶に留めようとして、しかし覚えていられたのは声ではなく言葉だけだった。
「え……?」
記憶をいきなり弄られたような不自然さ。何かの阿頼耶によるものかとも思うも、それを探る手立ては無い。今この場の状況を忘れ、彼女はそれに少し思考を費やした。それはしてはならぬ事であるというのに、大事な人物が追い込まれているというのに、彼女は没頭してしまったのである。
阿頼耶の使い手の中で、現状何かしらの変化を起こせるのは彼女だけだ。
他は全て自分にのみ対象と定めている為に、どうしても介入しようと思えば己の実力が必要となる。
それが足りないからこそナギサだけしかチャンスが無かった。なのに彼女は目先の疑問に意識を傾け――結果的に見たくないものだけを視界に収めてしまう。
何時でも何処でも逆転の芽が残されているように、何時でも何処でもその芽を摘み取る者が居る。
見つける事が出来ず、見つけているにも関わらず手を伸ばさないのであれば、その芽は結局誰かに踏み躙られるだけに終わるだろう。
ナギサはそれを、一瞬の間に起きた異常現象によって見過ごした。
もしかすれば何かが変わったかもしれないというのに、彼女はそれを自ら捨てたのだ。
結論として未来は最低のモノと化す。求められなかったのだから、その方向へと帰結するのは自明の理だ。
――――――――
上下、左右、斜め、前後――向けられる意識の全てを均等にし、相手の攻撃に備える。
その結果として彼の攻撃が一歩遅れる事となるが、それのお陰で武器の損壊は進めど肉体への物理的な傷は起きていない。
純粋な防御など論外だ。彼は拳で激突しているが、その拳は今や悲鳴を上げている。
剣の振りでは間に合わないからこそそれを選択してしまったのであるが、響く激痛は今尚剣にも影響を及ぼしていた。それは震えであり、漸く治った筈の骨へのダメージだ。
何回も近接格闘を受ければ砕けるのは明白。そうなる前に決着を付けるのが現状好ましく、されど見事なまでにその道を相手に阻まれている。
理由としては単純そのもの。あちらの実力が確実に此方を凌駕しているだけだ。
剣と拳ではやはりリーチ差がある。槍程に明確な差がある訳ではないものの長剣と拳では確実に剣の方が射程が長く、故にその差を埋めるには拳対拳以上の実力が必要であった。
そして激突している獅子は、先ず絶対の情報として剣を持つ彼の技量を超えている。
単純な移動速度。一撃一撃に込められた力の量。人間一人を殴殺するには十分極まりない。
それを一分の時間の中で百も放つのだから、並の兵士では直ぐにあの世に旅立ってしまっていることだろう。人間を止め、別の何かにならねば勝てないと言う意見にも誰もが賛成を述べるに違いない。
残像を多用し、四方八方から拳が来る。頭部から心臓、腕や足の関節。戦闘を終了させる致命的な部位ばかりを狙ったそれは、例えただの残像であろうとも衝撃波となって有効なダメージになっていた。
それらを対処するにはこの場から離れるしか選択肢が残されていないのであるが、みすみすそうしてやる程獅子は甘くない。
攻撃を多段で起こし、態と残した逃げ道へと飛び跳ねた彼の目前に獅子が爪を突き立てようとする。
一本の剣の如く指を揃えて突き出されたそれを前に、されど彼は負ける事を良しとしない。
力では負ける。特に詠唱もしていない今の段階では押されるのも当然だ。
「だが――負けん」
何百発目の剣と爪の激突。剣の摩耗が益々進み、されど盾として機能した剣に押される形で半ば強引に敵の必殺範囲からの離脱に成功。
吹き飛ばされ、地面に激突する前に体勢を整えて前を向けば――既に顔面に拳が来ていた。
反射的に頭を傾ける。直撃の一撃は空を裂き、頬を僅かに切るだけに留まった。
出来上がった極小の隙を逃す訳にはいかず、危険を承知で相手の懐に飛び込む。それに対して膝蹴りが待ち受けていたが、無理な体勢で放たれた一撃に一体どれだけの速度があるというのか。
膝蹴りを獅子の周りを回るように回避。そのまま狙うは敵の背。無防備となった身体目掛けて剣を突き刺す。
決まったとは思わない。相手の肉体は頑強そのもの。阿頼耶を全開にまで発動していない彼の身では、精々大きくない切り傷一つを残すだけだろう。
それでも、傷が通れば相手を倒せると確信出来る。希望を持てるのと持てないのとではまったく違うのだから。
「――とか、考えてたんだろ?」
急速に獅子が身体を反転させる。
今までの速度は何だったのか言わんばかりの超高速行動。目の前にあるのは獅子の顔であり、ならばつまりは誘導されたと見るのが必然。既に動作を作ってしまった彼はその顔に苦々しいものを浮かばせる。
最早止める事は出来ない。このまま突き進むしかなく、無理に止めれば反動でもっと露骨な隙を生む。
されどこのまま彼の攻撃が直撃する筈もあるまい。相手はもう何時でも対処出来る状態にあるのだから。
振り下ろした剣を視界に収め、獅子が行うは爪による攻撃ではなく拳を固めることだった。
そのまま剣の間合いよりも更に詰め、顔同士が衝突しそうな距離でそれを腹に炸裂させる。
爆発的な威力。何の防御も出来ない彼にとってその一撃は確かな致命だ。内臓を幾つか破壊され、口から血を吐き出しながら遥か後方へと吹き飛ぶ。
森の木々に激突し、その木を折りながら進む様を見れば、どれだけ相手の攻撃が強大であるのかが解るだろう。
それら全てを、阿頼耶保持者が見ていた。
サウスラーナが、ウィンターが、ライノールが、黒の部隊員が、目を見開いて戦闘の終了を見たのである。爆発音と多数の砂埃が舞うのを眺め、獅子は小さく口笛を吹く。
目を細め気持ちの良さそうな顔をする様は、正しく仕事終わりの労働者そのものだった。
「やっと終わったか。……ったく、弱いクセに無駄に頑張るから面倒臭かったぜ。やっぱアイツとは違うな」
傷は無し。無傷そのもの。
しいて負傷があるとするなら、それは剣との激突で僅かに欠けた爪くらいなものだろう。
獅子にとって完全勝利であるのは言うまでもない。このままもしも立ち上がったとしても、もう彼は死に体。たった一度の直撃であれ、それだけの傷を負わせたのだ。立ち上がって来れれば、それだけでも見事なものだろう。
故にこれにて死合いは終了。勝者は獅子であり、敗者はノースだ。
それがこの場における決定事項であり、それを歪ませるような出来事など在りはしない。他の阿頼耶保持者が何か行動を起こせば事態が変わる事も有り得たが――それは獅子の一睨みで強制的に止められた。
「止めとけ止めとけ。見た感じアイツが一番実力があったんだろ?それでこんな様なら、お前達じゃもっと無理だ。諦めて家に帰んな、俺は無差別に殺すような趣味は無いんでね」
「…………ッ!!」
「悔しいか?憎いか?……だが相手はしてやんねぇよ。そうするだけの意味が無いしな。文句が言いたいなら、相応の実力を有してからにしておけよ。弱い奴に何かを言う資格は無い」
最後は強く、されど少し悲し気に呟く。
そのまま獅子は歩いて森へと向かおうとしていた。それは彼の倒れている箇所とは別であり、どうやら本当に彼以外には興味も無いのだろう。
その後ろ姿を見て、ナイフを握り、されど動かない足を見て彼女は絶望する。
それは他の者とて一緒。唯一黒の部隊員達は喜んでいたものの、レックス達兵士もまた敗れたという事実を察して悲しみに浸った。
実力は確かに彼の方が上。否、もしかすればサウスラーナならば何かが出来たかもしれない。
運を操る関係上、僅かにせよ残っているのならばそれを十割にまで引き上げることが出来る。だがそれをする当の本人が、他の誰よりも絶望を胸に抱いていた。
呆気ない幕切れ。英雄譚の終わり。怪物を倒して輝く未来は、現実によって容易く葬られた。
誰かが歩む歴史はもう無くなったのだと、獅子の歩む音が残酷に告げている。
大事な想い人は死んだ。あの直撃で無事に済む訳が無く、生きていたとしても間も無く死ぬ。
獅子が去れば、後は遺体集めが始まるのみ。
王族に繋がる伯爵家を愚弄した結果として貴族四家は没落するだろう。如何に信頼された公爵家であるとしても、王家から直接言われてしまえば力を失うのは必然。
男爵の位も早々に消され、家族諸共に格下げされる。サウスラーナのような見た目であればグリュンヒルド家の奴隷となる可能性も零ではないだろう。
仲間達が待っている未来は暗い。グリュンヒルドとエクリプティスに攻撃する機会はまだあるであろうに、一番の格を有するサウスラーナ本人が生きる意思を捨て去っている。
英雄の居ない地に自身が生きる価値無し。彼女の中では、最早そう決まってしまっているのだ。
人間としての彼を愛するのではなく、英雄としての彼を愛しているからこそ、それが潰れれば彼女の心もまた潰れる。全て繋がり――待っているのは絶望のみとなった。
どうにもならない。これが現実なのだから。
どうにかしたい。それは現実では不可能である。
どうにか出来る筈だ。そんな可能性は一切無い。
全てが、全て。現実であるからこそ断じられてしまう。ここは物語ではない故に。
彼女が愛し、尊敬する彼は現実の人間だった。
「――――」
それら全てを世界は見ている。
人の嘆き。愛すべき者を失った悲しみは世界にとって喜ばしいものでも何でも無く、救済出来るものならば救済したい事だった。
何故人は死ぬのだろうか。それは人が脆弱だからだ。
何故人は脆弱なのだろうか。進化の過程でそれを知り、知能を優先したからだ。
何故知能を優先したのだろうか。それしか生きる術を知らなかったからだ。
そうだとも。どれだけ強くなろうとも、人の根底には死への恐怖がある。それを払拭出来るだけの何某かも無いのだから、寧ろ抱かない方が甚だ異質だろう。
だからこそ、助けが居る。今この場においての絶対的な味方が。彼を死へと遠ざけてくれる夢が。
現実に生きるからこそ人は弱い。ならば今此処に、理想を体現しよう。
天翔せよ、人の子よ。例えどれだけ今が辛くとも、最良の未来はきっと必ず訪れる。――それまでどうか、どうか生きる事を諦めないでほしい。
『……ま、だだ。まだ、やれる』
世界の願いと人の願い。
双方共に個人へと向いた、一切の邪念の入らぬ清らかな想い。それが未来を決して明るいものにしないとしても、それでも皆の願いは阿頼耶を通じて彼に届く。
稼働せよ、我が魂。焦がれた思いを忘れるな。何時か輝くその日まで、我等は今を生きるのだ。
『天に煌めく創星よ――』




