最終・Ⅱ・英雄譚
白線の外と内は、別の空気が漂っていた。
観客側の空気は真剣の如し。彼の発言を受け、少しでも変わろうとした者達が脳内で多数の分析を行いつつ勝敗を予想している。
少数はどうせ結果は見えているとだらけているが、そういった空気の読めない者達は早々に皆から無視という名の切り捨てを食らっていた。特に一番集中して見ているのは、彼の負傷の原因となったナギサとサウスラーナだ。
彼女達は彼の勝利を信じている。冷静な思考は不可能に近いと囁いているが、何事も道理だけで納得出来るものではないのだと本能の己は理性を蹴り飛ばしていた。
この勝負、傍目からすれば最初から勝敗は見えている。
剣を握る事も辛いであろう彼と、そもそも一度も戦っていないからこそ全力状態で戦えるグラム。
彼の場合はそこまで大きな技は発動出来ない筈だ。そういった諸々は放った際に走る振動によって更なる激痛を生んでしまうし、それで剣を落とせば敗北は必至。
再試験の可能性を自分から蹴った以上、この戦いが成績として反映されてしまう。その状況に追い込んだのは自分であるものの、精神状態は決して良いものではあるまい。
普通の顔をしているのがおかしいくらいだ。痛みに眉を顰めるくらいはあるだろうと思っていたのに、彼の顔にはそれさえまったく浮かび上がらない。
まるで最初から怪我などしていないような姿。
手首の痣や頬に走った傷の跡を見なければ、誰とて今回の戦いがどうなるのかなど予想出来なかったに違いない。天秤が傾いてしまっているからこそ、そもそもからしてやる気の無い観客は無駄の一言で全てを終了という結論でもって片付けていた。
その姿に怒りが沸くサウスラーナであるが、そうなったのは自分だ。
自省するのは当然のこと、これ以上彼に対して面倒な事態は起こしたくはない。
彼は休む事を否定した。その意味とて、少し考えれば解る事だ。
故に彼女は彼をひたすらに応援する。どれだけ無謀だと周囲に思われようとも激励し、必ず勝てるのだと心の中で声を張り上げるのだ。
そして、その感情はナギサとて例外ではない。
「どう。上手く操作出来そう?」
「勿論です。例え無理でも、無理矢理成功させてみせます」
彼女達二人の声は小さい。近くに居るライノール達にさえ聞こえないようにし、その内容を明かす事がないようにと行動している。
知っているのはこの二人と、そしてノースのみ。
それ以外の面子はまず知らず、だからこそ徐々に明るみに出た現象を訝しく思うだけで済むだろう。
幾人かは正体に辿り着けるかもしれないが、それでも明確な物が無ければ突っ込みはしまい。それを理解しているものの、さりとて隠し事をする者は往々にして声を潜めてしまうものだ。
それはどんなに人間の限界を超えても変わらない。
人間に備わっている本能と並ぶ程の域で、悪意を行う事には怯えるものだ。それが一般的に悪のものでないとしても、一度でも悪だと思ってしまえば人は隠す。
彼女達がしたことを酷く簡潔に纏めるのであれば、それは手助けだ。
彼の勝率を多少なりとて上げる為の手助け。反則だと思われない程度の些細なものである。
勿論気付かれた場合の心象はあまりよろしくはないだろうが、既にノースの印象が危険なものへと変わりつつあるのも事実。
無茶を承知で突き進むのは愚か者のする事であり、しかしてそれを達成すればただの愚か者にはならないだろう。それを情景するか、忌避するかは人の自由だ。
だが忌避するようであれば、それは今後彼の壁となる事も間違いない。
もしもの場合には備えなければならないだろう。
敵とは決して悪意のみによってのみ生まれるのではない。善意によって生まれる事もあるのだ。
彼女達の行いが、友人達の行いが、彼自身の行いが、まったく必要の無い害意を呼び寄せてしまう事も十分に有り得る。だからこそ、それが表面化する前に多数の者達との繋がりを確保しなければならないのだ。
既に舞台の幕は上がっている。今後は如何なる動きでも警戒を厳にしなければなるまい。
見知らぬ誰かが敵とならないように、見知った誰かが敵とならないように。
英雄への道は血に塗れている。その血の量を限りなく抑える為にも、彼女達は今こそ慎重な動きを求められていた。
白線の内側は既にグラムの戦意で満ちている。
両腰に差した二丁の銃を弄び、視線は常に彼の心臓付近。開始早々から何処を狙うのかなど簡単に予測出来てしまうもので、さりとてそれがフェイクである可能性も否定出来ない。
もしもそれがフェイクであったとしたら、最初に狙うのは何処になるのか。
木剣を握り締め、走る激痛に内心眉を顰めながら彼は思う。そして同時に、自分の行った動きに少しばかりの怒りを抱く。
あの場面ではそれしかなかった。もしかすればサウスラーナが死亡し、そうでなくともナギサという公爵家の女性に化外以外の者による怪我を負わせていた可能性もあったのだ。
そうなれば当初の予定は崩れる。サウスラーナの家が無くなる因子は無理をしてでも消すのだ。
その為に自分が不利になるのも、嫌であるが飲み込むしかない。今も帰りたくて堪らないが、ここで逃げるようであれば男が廃る。
生きたいと願うからこそ、今此処で立ち向かうしかないのである。
そうしたのは彼自身。よってこの勝負に彼は最初から敗北の二文字は存在しない。
最低限でも引き分け。最高で勝利だ。それを引き出せる程に彼女が弱い事を願うのみだが、炎熱という言葉を最初に聞いた時点で内心の彼の表情は引き攣っていた。
冗談ではない、というのが最初の感想である。
炎熱の特性は近接よりも遠距離の方が多い傾向にあるし、実際重用される使われ方としては遠距離からの大規模殲滅だ。能力の振れ幅も非常に広く、本人のテンションによっては威力が激減するという不安定な特性も兼ね備えているというのも気にしておくべきであろう。
無論そういった者達の中でも近接を多用する者も居る。その実力は正しく一騎当千であり、協力関係を結んでいるとある国においては英雄の一角として名を連ねていた。
故に、炎熱とは有名な属性なのである。運用方法も確立されていて、更に言えば炎属性であれば最初の段階のみ師を取るだけで後は勝手に成長する単純さもあった。
極めて厄介なのだ。一応相手側も大き過ぎる火力の調整を手間取る可能性が無いとは言い切れないが、目前の相手はまったく緊張している気配を見せない。
つまり能力の積極的な投入は可能。そして、自身の全力の範囲も確り把握していることになる。
「今回の戦いはグラム様にとってはご不満の溜まるモノでしょうが、どうかご理解をいただきたい」
「いやいや。不満など有る筈も無い」
女らしく、されど女らしくない低い声で彼女は笑う。
「お前の選択を私は好ましく思う。……であればこそ、一つ謝罪せねばならん事がある」
「何か?」
「お前を好いているという情報は真っ赤な嘘だ。お前自身と戦う為にサウスラーナを誘導する一手に過ぎん」
言葉に、ノースは驚きの声を上げなかった。
その程度かと首を左右に振るだけ。寧ろ驚きの声を上げたのは観客側の二名であり、その事実に少しばかりグラムの眉は跳ねた。
「俺程度の男にそんな複数の好意が寄せられる筈も無し。何よりも、自分には婚約者が居ます。その身分であるのに複数の女性と関係を持つというのはあまりに不誠実が過ぎるでしょう?」
「成程、確かに。私が婚約者であれば審議を確かめた上で場合によっては焼き払っていただろうな」
互いの会話は、所詮開始寸前の世間話だ。開始されたが最後、互いに仲の良い会話を一気に脳内から切り捨てて気絶を狙う。
それに、両名は既に最初の行動を決めていた。開始の声がもう間もなく上がる以上変に思考を割く必要などあるまい。――――考えるべきは、ただ勝つことのみ。
勝利に飢えた獣達が、今か今かと開始の声を待っている。教師の目には、ノースとグラムが鎖から解放される寸前の肉食動物の姿が見えていた。
もしも此処で開始を宣言したとして、周囲の被害は大丈夫なのだろうか。
生徒達とて決して自身が絶対大丈夫だとは思っていないだろう。普通の生徒同士の戦いならば兎も角、相手は完全に意識すらも常識の外においた存在達。
周りの被害すら無視して戦うかもしれない。英雄の卵であろうとも、戦闘が激化すれば手段は択ばない筈だ。そうなった時に止めるのは教師の仕事である。
専用の装備である短剣を握り締め、教師の意識は常よりも警戒の色を濃くした。
「それでは各人の奮闘を期待する。尚、アーケルン公爵殿は能力の関係上試験の範囲を超える火力を出した瞬間に失格とするので、調整を間違えぬようお願い致します」
「委細承知だ。それよりも、早く始めろ」
「……では、勝負開始!」
開始の声が上がった一瞬の刹那――銃弾の発砲音と木剣を振る音が周囲に響いた。
――――――――――――
無茶でもやる。不可能でも成し遂げる。
それが俺の描く英雄が英雄である為の姿だ。それが一つでも出来なければ英雄などとは呼べず、もしも一つも達成出来ていない状態で英雄と呼ばれても俺は決して認めないだろう。
伝説上の怪物を倒した。一人では相手にする事も出来ない数の敵を抑え込んだ。
英雄譚に出て来る異質な戦果とは全てそういった異常の結果である。持っている装備がどれだけ摩訶不思議でも本人が使いこなせなければ異常な結果など叩き出せない。
とある英雄は殆ど策など活用せずに兵を鼓舞するだけで困難だった戦況を覆した。
そういう、ある種の不可思議を起こす者こそが英雄という契約書にサインが出来るのだ。
「――――ッ」
よって当然、敵の最初の攻撃が如何様なものであれ、逃げるのは許されない。
一瞬だけ走る模擬弾の輝き。丸いそれは衝撃を与える事に特化した代物であり、当たれば気絶を引き起こす何とも優しい弾頭である。
彼女は早撃ちのガンマンが如くにそれを二発発射し、既に次の射撃準備を行っていた。
その顔には笑みのみ。当たっても当たらなくても構わないという意図が透けて見えるからこそ、俺は彼女の歪な期待に応える為にその模擬弾を真っ向から片手で払い落した。
時間にすれば本当に瞬間の出来事だったろう。
速い動作をする物を捉えるのは酷く大変だったが、身体に覚えさせれば出来ないでもない。
幼少の頃に虐待レベルにまでやってもらった猟師の修行が役に立った。速い相手の動きを掴むというのはやはり戦闘において重要であるからな。
続いて発射された二射目も落とし、俺は一歩を刻む。
手首は痛い。それも当然だ。この手首はきっと折れている。
それをこうして無理矢理動かしているのは俺の単なるやせ我慢であり、ナギサのお陰だ。
彼女の固定化によって強引に骨同士を結合し、これ以上の悪化を防いでいるのである。ただし、ナギサの集中力が切れればそこまでだ。
再度骨は砕け、更には振るう度に悪化していくだろう。
何とも恐ろしい話だ。だからこそ、痛みを無視してでも全力でもって最速の勝利を狙っていく。その姿の方がナギサの協力を得ているとも悟られまい。
「ふむ。撃てども撃てどもまるで意味が無いな」
彼女は撃つ。縦横無尽に距離を取りながら、様々な角度でもって俺を撃っていた。
その中には当たり前のように普通の弾頭まで込められていて、相手が最初から約束を守るような者ではないのだと嫌でも教えられる。
一発でも命中すれば気絶か傷を負う。そしてこの分では能力の範囲云々も守るかどうか定かではない。
これをそのまま告発すれば彼女は即座に失格と見なされるが、それをするつもりはさらさらなかった。
今この場を戦場と思え。そして相手は敵国の能力者であると考えろ。
相手の悉くを打破し、踏み潰し、希望を殺す。英雄とは本質的に言えば大事な者を守る為に他者を滅ぼす邪悪であるのだから、これが一番正しいだろう。
駆ける。
足に力を注ぎ続け、彼女の銃弾を超えるよう目指し、確実に捉えられる範囲へと接近する。
相手が此方を殺す武器を持っているのであれば、此方とて容赦はしなくていい。気絶狙いの方向を変え、死なない程度に後遺症の残る場所を狙う。
彼女の走る速度は速いと言えば速いが、それでもライノール程現実離れはしていない。
あの男の速さは本当に現実的ではないからな。これで能力でも発動されれば、俺が対処出来るようになるまで一体何年かかるのか見当もつかない。
よって障害物の無い場所も有利に働き、彼女へと肉薄する事にも成功する。
これで後は彼女を叩ければそれで良いのだが、そうはいかないのが戦いだ。
「――撃て」
肉薄した彼女が言葉を紡ぐ。
その後に、俺の背後で多大な熱を感じた。先ず確実に炎系なの何某かが動いているのは明白であり、このまま彼女に突撃するのは不味い。
一旦叩くのを諦め、そのまま回転するように木剣を振る。
一瞬だけ見えたのは炎の塊。対象を肉片まで焦がすと言わんばかりのそれに冷や汗が止まらないが、それでも長年虐め抜いた身体は俺の意思を無視して勝手に防御行動を起こしてくれる。
遠心力も効かせて、その背後にある塊を斬った。
直後にガラスの砕ける音も鳴り、その塊が一瞬で姿を消していく。
割れたのは方陣だ。円形であるのは割れた破片を見れば容易く解ることであり、であれば彼女が遠距離か近距離のどちらを重視しているのかも判別出来る。
……此方としてはあまり嬉しくないが、どうやら相手は武器から想像出来るように遠距離系らしい。
「模範通りの能力ですな。それでは俺は倒せませんよ」
一旦向かい合い、俺は口を開く。
少しでも自信のあるように振る舞う。演技系にも力を入れねば自分の臆病さが露呈してしまうのだ。
生来の戦い嫌いであるからこそ、脳内の一部は逃走について思考を重ねてしまっている。最終的な案としては行方を眩ませるなんてのもあったのだから、人間極まると何をするか解らないものだ。
さてはて。言い放った俺に対して、彼女は楽しそうに口元を綻ばせる。
それが彼女の素なのであれば、緩んだ目元と口の所為で最初の印象から一気に変わってしまう。
彼女もまた俺と同い年。公爵家という身分の違いだけで、中身は他の少女と大差はない。
可愛らしさを含めたその顔は十分に他者を癒す事が出来るだろう。こんな鉄火場を目指すような所よりも、蝶や花が咲き乱れた場所でドレスを着ている方がずっと似合う。
「ふむ、そうか。ではもう少し数を増やそう」
彼女の背後から数十の円形の方陣が生まれる。
その殆ど全てに人を焼き焦がす事が出来る程の熱量があり、一発でも命中すれば彼女の持っている武器よりも酷い目に合うのは確実と言えた。
これこそが炎熱の真骨頂だろう。只の火属性ではここまでの火力は引き出せない。
しかも数十の方陣を用意したとして、本人からすればまだ不満の筈だ。確か、最高火力は広大な野原を焼き払った程の筈。
彼女がその域にまで到達しているとは思わないが、近い距離に居る可能性は含めなければなるまい。
この木剣も炎を斬っていけば何時かは灰になるだろう。そもそも、もうこの木剣自体の寿命も無い。
使い切るならば此処だ。そして、休みの日にでも新しい木剣を探しにいこう。
正面突破の姿勢を貫く。
剣を構える俺の姿に、彼女は嬉しそうな顔をした。その輝かん瞳には見覚えがあり過ぎる。
サウスラーナが何時も俺を見る目だ。もっと解り易く言えば、英雄を見る目に近い。
やめろ、そんな目を向けるな。純粋な闘志だけをぶつけてくれ。いや、出来ればそっちも勘弁したいけど。
「この数に脇道突破ではなく正面突破か。実に勇ましいな!サウスラーナが惚れた理由が解る。英雄信者にお前の姿は眩しいだろうよッ!!」
都合数十の火の塊がこの世の終わりが如くに降り注ぐ。
広がる草の数々は燃え上り、爆発の衝撃で大地は抉れた。これが模擬戦などとは誰も言えず、故に誰かが止めに入るだろう。しかしそれをしたとして、彼女は果たして止まるだろうか。
否。答えは否である。
それはこの幾多の火を見ても明瞭そのもの。言葉だけで止まるようであれば、彼女の能力が炎熱である筈がない。精々が情熱的な炎くらいのものだ。
斬って、斬って、木が黒く染まろうとも彼女の炎は尽きない。
無限の火薬庫を内包しているように、彼女には弾薬という概念が通用しないのだ。
弾切れを狙う事が不可能故に防御に徹しても意味は無し。かといって突き進もうとすれば、それは多数の致死の弾頭によって燃やされる。
まるで攻防一体の攻撃だ。攻撃を最大の防御と言うのであればだが。
それを今の自分がある程度回避出来ているのは、多分に彼女が未だ手を抜いているからに他ならない。
この火力で手を抜いているとは馬鹿げているようだが、そもそもからしてこれは異能の一部が表に出ただけの状態。
本当の火力はこんなものではない。何時か実家の資料で見た時の炎熱系能力者の本気は、今でも戦慄を覚える程である。
「ック……」
五発の人間大の火球が大地に直撃し、その余波が広がる。
熱波は肌を撫で、その度に自分の肌は赤くなっていく。徐々に徐々にと火炙りにされていく様は地獄の責め苦を受けているようで――どうして自分がそんな目に合うのだろうかと叫びたくて堪らない。
何故だ、どうして自分はこうなった。悪い事は何一つとしてしていない。
俺はただ生きたかっただけなのに。野望も何もなく、ただ普通の貴族として日々を謳歌したかっただけなのに。
幼少の頃から抱く渇望。願いを叶えられないからこそ、その望みは深い。
達成出来ないからこそ人はそれを夢と呼ぶ。手に入らないからこそ、そこを目指す者達は皆執着に塗れた恐ろしい形相を浮かべるのだと嘗て何処かの本で読んだ。
自分もそうなのだろうか。ただ生きたいと願っても、それが執着ならば醜いのだろうか。
そんな筈はないと言いたい。自分の本音でもって、この呪いを付けた相手に罵倒の数々を浴びせたいのだ。
お前が居たから俺の人生は狂った。お前が望んだからこそ一人の愚か者が生まれた。
責任を取れ。取って、そのまま姿を消してくれ。…………その想いこそが、俺の力。
「――何?」
女の声が聞こえた。しかし、どうでも良い。
火球が迫って来る。しかし、どうでも良い。
このままでは死ぬぞと誰かの声が聞こえた。しかし、どうでも良い。
生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。――何処までも。
宇宙の果てまで、否それよりも。終わりの見えない平穏へと辿り着きたい。
だから斬る。何よりも斬る。自分には誰かを驚愕させるような力など無いのだから、ただ馬鹿の一つ覚えのように斬るしかない。
この何と情けない様よ。英雄になりたいというのに、自分には圧倒的に足りないものが多過ぎる。
涙を流したくて、されどそれは男に非ずと無理矢理引っ込めた。
最早怒りすら湧いて来るのだ。こうなった原因と、こうしてしまった自分に対して。そして今は、自分を危機へと陥れているあの女に対して。
「耐えるのか……あの温度を。生きている事すら困難な熱に到達しそうだというのに」
初めて、女の声の中に驚愕が混ざった。
されどそんなものなど何の意味も無い。もしも効果があるのだとしても、それはきっと心理的に追い込むだけだ。そして追い込まれれば、この女は確実に更に威力を上げる。
女の最終的な目的が何なのかは定かではない。家の格を保とうとしたいのか、それとも別の目的か。
単に戦が好きなのではないかとも思うが、何の根拠も無い理由であると即座に踏み潰す。
……方陣の数が増えた。
つまりは、更にこの炎の海が占める赤の割合が増える訳だ。何とも笑える話であり、何とも傍迷惑な話である。これは模擬戦だと最初に言っていたというのに、この女の出す炎は既に致死量。
ならば考えられるのはただ一つ。――――あの女は自分を殺そうとしているに違いない。
そうか、そうか。自分を殺そうとしているのか。
こんなに無害な奴一人を殺そうというのか。何もしないし、何も出来ない無能を。
ならば結構、是非も無し。殺しはしないが、相応の報いは受けてもらう。
全ては俺の理想の為に。文句など何処にも出ない程の勝利を頂戴させていただこう。
「お前がどれだけ火砲の威力を上げたとて構わん。その悉くを斬り、お前を絶望させてやろう」
「一歩も動けていないのにか?その口上を述べるならば、私の前まで来てからにしてもらおうか。……尤も、そうなる前にお前が先に倒れるだろう。そうなれば私の勝ちだ」
「いいや、違う。――最後に勝つのは、俺だ」
向き合ってから初めて、俺は火砲の大元目指して歩を進めた。
その一歩を抑える為に集中された幾十もの火球が迫るが、それを直撃する前に斬り裂いた。
込める力は常に最大。いや、目指すべきは最大の一歩先。
斬る毎に前に進め。斬る毎に性能を高めろ。凡人が超人に追い付く為に、限界に挑戦しなければ俺は俺のままではいられなくなる。
一度の攻撃で攻撃で複数の火球を斬れ。余波だけで大地も斬り裂いてみせろ。
それが出来ないようでは無能の極み。恥辱に塗れたまま泣き叫ぶが良い――俺よ。
大質量の存在を目指して、俺は歩く。誰よりも強くあるために、負けないために、何より己を守るために。
――――その姿を、グラム・アーケルンは酷く驚愕した眼差しで見ていた。
まさかの三話構成です。言ったことを遵守出来なくて申し訳ございません。