最終・Ⅲ・英雄譚
後一話か二話挟んで一章は終了の予定です。ここまで見てくださった皆様方、有難う御座います。
その光景は一つの絵画だった。
人間が困難に立ち向かう構図として描かれた、英雄譚の一幕を表したような姿だった。
一面を染めるは紅蓮の海。家屋が焼けただけではこうはならないだろうと思わせる、はっきりとした一つの絶望の形が今現在形成されている。
それを成すのは一人の少女。大人になりきれていない身体で、しかしその身から発生させる火球の総数は出現と消滅を繰り返す所為で正確な数値を数えられない。
辛うじて解るとすれば、確実に五十は超えている筈だ。白線の枠を超えて撃たれ続ける弾幕の嵐は対象者一名に対して過剰な程の威力を発揮し、衝撃波も起こして生徒を近づけさせない。
教師すらもこうなるとまでは予想しておらず、絶句の顔だ。
短剣を取り零し、地面へと突き刺さっても気付かず間抜けな顔を晒す様は教師という役職についている者とは思えない。
されど、誰もが似たような感想を抱いている。
今日はただの定期テスト。こうまで本格的なものになるとは想定しておらず、つまりは少なからず彼女の常識というものに頼っていた。それはもしもの可能性を考えていない愚かな思考であるが、現状こうなるような事態が起きるのは非常に稀だ。
対処をする準備を行わなかったとしても、それはそれで頷ける箇所があるかもしれない。勿論、この教師はまず確実にこの件についての責任を取らされるのだろうが。
良くて懲戒免職。悪くて最前線送り。貴族が一般兵と混じって戦うのなど屈辱の極みであろうが、そんな考えは最前線に飛ばされれば嫌でも消えてなくなる。
兎に角、現状は油断をして良いものであるとは確実に言えない。
寧ろ急を要する場面であり、最善の行動をするのであれば三年の上級生か戦闘経験が豊富な別の教師を呼ぶしかあるまい。無論それで止まるかどうかは不明だが、何もしないよりかは良いだろう。
それに恐らくは既に現場に向かって走っている者も居る筈。これだけの火が起こっていれば嫌でも学園側には見えるだろうし、そもそもからして此処は普段から学園の生徒達が授業で使う場だ。
故に絶句をしていても確認に来る者は居る。
今この場に居るのは二年と一年の教師のみであり、彼等ではまだ力不足だ。
そして、その教師が確認に来るまでは生徒達の無事は確保されているだろう。それも同じ生徒の手によってだ。
彼女達が見ているのは、何も赤い海だけではない。
そこに唯一立ち向かう男も同様だ。いや、此方に意識を向いている割合が多いであろう。
周囲一帯は全て灼熱と熱波。放たれる火球は全て彼本人に向けられ、今もまた連装銃の如く方陣からは無数の火炎が噴出している。
掠っただけでも火傷は必至。
そうでなくともここまで火の海が構築されてしまえば酸素濃度とて低い。息をするだけでも苦しい環境では生き残るというただそれだけすら不可能に近かった。
されど、今。彼は立っている。
当初は見えていた斬撃が見えない。一つしか壊せなかった火球が、今では一度振るうだけで数十もの塊を切り捨てている。木剣の刀身部分が黒く染まっていようとも、そんな事など知らぬとばかりに剣を振り続け、激痛の中を戦い続けていた。
強靭などという言葉に収めるべき尺度を既に超えている。
最早生きている事すらも困難な状況であるというのに、彼は闇雲に剣を振るうのではなく一直線に歩きながら発生源へと向かっているのだ。
焦っているのは逆にグラムの方である。
何だあれは。何だあの目は。彼女の顔に向かって放たれる眼光には、確かな怒りと信念が見える。
どれだけ出力を上げようとしてもその目が衰える気配を見せず、逆に彼の剣の冴えが光るばかり。否、現状で更に進化しているのだ。最初の段階ではまだ勝てる範囲内であったというのに、今ではもう彼女と彼の差に明確なものは無くなってしまっている。
成長の極限とでも言うのか、最速でもって勝利へと辿り着こうとする姿は努力を重ねている人間程恐ろしく見えるだろう。
人間の努力はそう簡単に成果を出してはくれない。日々毎日同じ様な特訓を繰り返し続け、それで漸く目が出るのか否かが解るのだ。
彼はその過程を全て省略している。走っている者達が努力しているのだとすれば、彼は瞬間移動をしながら前に走っているようなものだ。
一体どちらが速いのかなど言うに及ばず、ならばこそ絶望に叩き落すには十分過ぎる。
「なんだお前は……ッ!」
思わず、グラムは疑問の声を出した。
それは意図したものではないが、されど彼女の本音である。
撃てども撃てども成果は無し。逆に相手が追い込み、ここまで酷い状況を整えたというのにその全てを無駄にまで落とされた。純粋な接近戦では、彼相手であれば彼女は絶対に勝てないであろう。
正しく英雄の卵。理不尽の権化。誰もが言い放つ彼の二つ名擬きに、納得しか浮かばない。
肉体系の授業では常に最高位なのも理解出来る話だ。何故なら彼には限界値というものが存在しない。
普段から鍛えているのは基準値を上げたいからであり、一度スイッチが入れば彼の中にある限界という枷は粉砕されて軒並み上昇を始めるのだ。
そしてその進む速度は、抑えられているからこそ爆発的に加速する。
故に潰すならば完全に枷を破壊する前に仕留めるのが正道だ。それが無理ならば、此方が対処不可能になる前に倒すか逃げるかせねばならない。
このように段階的に強くなっていく者は基本的にギアが最大値に到達するまでが遅い。普段から抑えているからこそ解放した時は一気に強くなったように見えるが、それでも基準値から僅かに上昇した程度。
完全に上がりきるまでに倒せる猶予が存在し、それまでに倒すのがベストな選択だ。だが、そんな当たり前の対処策が彼には通用しなかった。
何処まで上がる。何処まで此方を上回る。
一切予測不可能な彼の上限に、彼女は戦慄と驚愕と――そして確かな高揚を覚えた。
これまで戦ってきた生徒のどれもが彼程の異常を有していない。戦い続けるだけで強くなるなど理解不能の境地であり、だからこそ燃えるモノもある。
女でありながら彼女の精神は男のソレに近い。化粧も最低限にし、己の立つべき場所も夫の帰りを待つ妻ではなく戦場の一戦士を望んだ。今でも彼女の中には、女としての感覚が薄い。
それは幼少の頃からの先天性のもの。生来の気質故に合わぬものは合わぬと捨て去り、さりとて公爵家の娘であるからこそ最低限の女としてのマナーも学ばせられた。
そんな事よりも別に学びたいものがある。
彼女の行動原理は、端的に言って精神的高揚だ。己を昂らせ、精神を活性化させてくれる。
それが何であれ、彼女の感情に直撃したのであれば学ぶであろう。そしてそれを後生大事に持ち続け、一生愛でる。
それこそがグラム・アーケルンの本性。
だからこそ、彼女が求める行動を止めるのは難しい。邪魔立てすれば一切を灰と化すのだから。
「……これ以上火力を上げても無駄か。あまりにワンパターン過ぎる」
火力を維持しつつ、迫る男に彼女は裂けた笑みを浮かべた。
そこに瞳は興奮によって烈火の如く燃え上がり、思考はそんな熱とは裏腹に冴え渡る。
そうだ、これこそが素晴らしい。そんな彼女の判断は正しく狂気以外のなにものでもない。
彼女が今興味を持ったのは眼前の男唯一人。当初の予定ではただ試すだけだったが、彼女はもう我慢出来んと最後の境界線を踏み越えた。
もしも彼女が踏み越えた時、そこが戦場であれば全ての者から賞賛されただろう。
もしも彼女がまだ理性的なものを持っていれば、ここま道理を無視した戦いをしなかっただろう。
しかし全ては最早遅い。狂ってしまった歯車がそう簡単に直らないように、今という時間軸を新たに再構成するのは現在の技術では不可能だ。
壊れたモノは壊れたままに。狂ったモノは狂ったままに。今世界で起きている常識と同じく、ここもまた世の常と同様に冷たい一手が指し示された。
「――起動せよ、我が神意」
根底に根差すは炎。
一つの道へと続く、無限の焔。彼女の感情によって威力の変わるソレは、今現在に至っては最大となっている。それはつまるところ、炎熱系にとっての理想形態だ。
「今こそ此処に供物を捧げよう。天において貴方は太陽、中空においては稲妻、地においては祭火である。遍く火の全てを司る貴方に私は膝を折り屈し、支配者たる貴方にただ平伏の意を示さん。故に祭火である彼の者よ、どうか世の神々を此処に降ろし給え。願いを叶える、その為に」
方陣の数が消失していく。同時に炎の海も消え、辺りは炭の臭いが充満する焼野原となった。
それは自体が沈静化したのではない。どの生徒も見るべき視線は場ではなくグラムであり、更に言うのであれば彼女の頭上に出現している巨大な円形の陣である。
解読不能の複雑な方陣は中央だけが何も描かれず、さながらそれは一つの穴。その部分のみは光を飲み込む闇が広がり、先がどうなっているのかも解らない。
しかし、それが一体何の役目を担っているのはかは想像出来てしまう。
そして、出来てしまうからこそ身体中を走る悪寒は止まらない。何故ならば、もしも彼女の能力がそうであるならば彼を中心として観客たる生徒達も全員巻き込まれるのが決定されるからだ。
その事実に我先へと逃げ出す者が出るのは必然だった。
正に脱兎の如く。自分の出せる最大限の速度でもって逃げる様子はいっそ情けないものである。
しかしそれもまた致し方無しと言う他にない。今現在の者達の中で、彼女の攻撃を全て防ぎきれるような猛者など存在しないのだから。
「……ウィンター」
「流石に無理だ。俺一人だけなら問題無いが、この場の全員となると盾の範囲に収められん」
唯一の例外と言えるのはウィンターのような防御タイプだ。
しかし、彼が使える盾は文字通り自分専用。誰かを守る事は難しく、特に広範囲に散っている全員が集まっても助かるのは盾に近いウィンターを含めて数人に違いない。
ならば残る手立ては後一つ。直接異能を発動している者を叩くのみ。
ナギサは彼の腕の固定化に精神を集中しているので不可能。行けるのは速度特化のライノールと、最悪間に合わない可能性を考慮しての盾役たるウィンター。そして純粋な攻撃担当としてサウスラーナのみ。
他のメンバーは正直信用も信頼も出来ない。故にやるならば自分達でやるしかない。
「――成程、そう来るか」
しかし、ここで彼が口を開いた。
その目の炎は些かも衰えず、寧ろ増すばかり。炭化した木剣は最早限界だったのか、既に刀身の半分が消えてしまっている。そんな状態ではまともな戦いは出来ないだろうと誰もが思うが、彼にはそんな事は関係無い。
グラムの異能が発動すれば、それは標的である彼を必ず燃やし尽くす。
当たれば絶命は必至。回避しようとしても、既に詠唱は終了した。であれば、後はただ始動させるのみ。
躊躇している時間は無い。走っても彼と彼女の間の距離では間に合わないだろう。
ならばどうするのか。大人しく死ぬか、それとも一株の可能性に賭けて逃げてみるか。
彼の脳内を巡り続ける弱気の言葉に、その全てを否と下して半分だけとなった刀身を前に出した。
常識外れの思考は彼もまた同じ。生き残ると決めたからこそ、彼女をこのままにはしておけない。
将来彼女は確実に何か此方に対して行動を起こす。それがどんなものであれ、此方に対して不利に傾くようであっては面倒極まりない。
よって上位として君臨し、彼女をある程度操作する。であれば敗北は先ず有り得ない。
さながら狂暴な動物を従えるように、彼もまたそれをしなければならなかった。
そしてそれを成せる自信は彼の頭には無い。最初から心にあるのは不安で――だから、彼は願うのだ。
「――起動せよ、我が神威」
己の信じる天はただ一つ。
破壊の空に興味は無く、抱く願望も決して破滅的なものではない。
彼は安らぎが欲しかった。平穏を求め、その海に浸かりたかっただけなのだ。それを引っ張り上げてしまったのはサウスラーナで、引いてはいけない引き金を押したのはグラム。
起こしてはならぬ者を起こせばどうなるのか。それが今の彼の状態だ。
夢を求めて生きていく。それは単純な人の生活であると同時に戦いの世では中々達成出来ないもの。
戦士であれば最初の内に諦めてしまう類のもので、しかし彼はそれを諦めない。
何時か必ずその日まで。俺は生き抜くのだ。
「天に描きし十二の輝き。内の一星よ、表を上げていざ参らん。冥王を支配する天の蠍こそ、我が求めし希望の星故に」
未だ空は青い。にも関わらず、そこには一つの星の集合体が居る。
蠍の形を意味するそれは彼に光を与え、そこに求めた希望を宿した。黒い刀身も、彼の身体も、まるで何か高次の力を受けたが如くに全身が輝く。
否、実際に彼は受けたのだ。阿頼耶が持つ、人や神が紡いだ神話から。
英雄たれ。蠍はそう告げ、彼もまたその意に頷く。遥か高次の果てから、その者は彼の許容を超える程の力を与え続けたのだ。
それは神と言えるかもしれないし、神に近い何かなのかもしれない。
所詮は阿頼耶が紡いだ形。真実それであるとは限らず、その者もまた彼との接続が無ければ何の意味もない存在に成り果てる。
だからこそ、よくぞ呼んだと褒め称えるのだ。
誰もが見ていながら誰も願わない星が、彼の力である。
「我が意を汲め――梨倶吠陀・火神」
「総意でもって共に歩もう――十二宮・天蝎」
グラムが発生させたのは、超巨大な砲撃だ。
単純明快。故に極大。火力という概念を究極へと近づけるその考え方は一種の狂気。
砲は悲鳴を上げ、熱は激しく己を高める。数千度の火炎がただ一人の標的と、そして周囲へと向かってその猛威を振るうのだ。
止めるなどという行動を考え付かせない。正しく絶命の一撃そのもので、近づくだけでも並みの者では肌が赤化し溶けていくのを止められないのだ。
実際にまだ発射されてもいないというのに、周辺の木々は燃えていた。
草花はそこには存在せず、生命無き大地しか在りはしない。まるでそここそが彼女が求めた地であるかのように、両の足で笑い声を上げる姿は様になっていた。
「魅せろ英雄。そうあれかしと誰もが望むのならば、私の火を突破してみせろ!!」
悲鳴が上がる。迫りくる激音に、彼もまた身構える。
闇に輝く一点の焔。噴出し、爆発し、一直線に彼へと進む様子は現実離れが過ぎている。
それを見ても、彼は引かない。さぁ来いとばかりの姿は最早狂ったようにしか見えず、実際彼の姿を見た者の中には終わったと呟く者すらいた。
その威力に、流石にサウスラーナもナギサも内心の不安を隠せない。
彼ならやれると信じていても、それでも災害というものに人は勝てないのだ。それは普遍の現実であり、異能を振るう者となろうと変わらない。
「良いだろう。ならばその目にしかと刻め」
勝って笑うのは俺だ、と天の蠍をその身に降ろした男は火山の噴火に駆け出す。
自殺志願者の如く、誉を求める戦士の如く、無謀な賭けを行う策士の如く、彼の足は止まることなくその奔流へと包まれていく――――筈だった。
瞬間、起きたのは一つの奇跡。
人間の身では成しえない超常の現象に、誰も彼もが目を疑う。それはグラムとて同様であり、一体どうなっているのかと困惑しながらも笑っていた。
炎が切られる。炎が塞き止められる。まるでそこに壁か何かがあるように、彼が火と接触した直後にその紅蓮の色は空の中へと消えていく。
何が起こったのか理解が追い付かない。ただ解るのは、彼は観客を守る為に炎の全てを消そうとしているという表面的な部分だけ。
単純な出力では圧倒的に火が勝っている筈であるというのに、光を纏った彼にはその悉くがまるで効果を発揮しなかった。
目にも止まらぬ速さで海を割るように火を断ち切り、その存在を消滅させていく。
果て無き一歩を進む様は、まさしく英雄譚の一幕。
誰もが嘗て読み、嘗て夢想した幻想が今此処に現実となって出現する。成しえぬ事など何も無いと、皆が潰してしまった夢が形となって存在しているのだ。
「――――ああ」
頬に涙が流れる。
肩が震え、総身に歓喜が流れ出す。
解っていた、彼が英雄を目指していることを。解っていた、彼の実力が既に学園を超えていることを。
それでもここまでのものを持っているとは考えていなかった。まさかここまで他者に勇気を与えるような行動が出来るだなんて、まったく思っていなかったのだ。
これはサウスラーナの理想。愛したアルカディア。
こんな人間が居てほしいと願い、想像した結果の産物。彼女の願いが成就の時を見せ始めている。
良かった――彼が婚約者で。
良かった――自分の愛した人が英雄で。
蠢く恋心は彼を見る度彼女の心臓を高鳴らせる。それを甘美なる瞬間と思い、陶酔するのだ。
染まった頬を隠しもしない。誰もが彼女の目に熱さを覚えることだろう。
しかしてそれを指摘する者は居ない。誰もが彼の歩みに憧れを抱き、畏怖を抱くのだから。
彼女の夢は未だ此処に。達成されない儚き希望に向かい、彼女は祈りを捧げた。
「頑張って――私の愛しい人」
その言葉が影響したのかは解らない。されど彼の激剣は轟音と共に広大な海を切り伏せてみせた。
無限の弾薬を保有するとはいえ、その者の精神に依存した能力である以上威力は常に一定ではない。
彼女がまだ撃つ気があるなら次弾を装填するだろう。そして実際に彼女はそれを始めている。
だが彼がそれを許す筈も無し。
強化された己が筋力でもって突き進み、彼女の装填よりも先に眼前へと辿り着いた。
そうして最後に木剣を掲げ、彼は飛び上がる。振り下ろす先はグラムではなく、頭上に未だ力強い鼓動を残した方陣そのもの。
全力でもって叩き付け、彼はその方陣に木剣を突き刺した。
されどまだその砲身は完全に壊れた訳ではない。最後の足掻きの如くグラムはその方陣を彼へと強引に動かし、自分も巻き込まれるのを覚悟の上で発射した。
その砲身は壊れた箇所から崩壊を始める。最後にサウスラーナ達が見たのは、爆発と火によって呑まれる二人の姿だった。




