最終:英雄譚
片手に持った木剣でナギサの槍を粉砕し、もう片方の腕でサウスラーナの手を握る。
地面が弾ける程の速度でもって駆けた彼女達の運動エネルギーは並のものではなく、実際に同じ真似をしたとしたら間違いなく何も認識せずに二人の攻撃を直に受けていただろう。
身体の一部が壊れただけなら僥倖。最悪は全身が粉砕される事だ。
対処するには同程度の力を有しての強引な方法か、或いは彼女達二人分の力を受け流す技術的方法のみ。
そして男がした方法は前者――つまりあの馬鹿げた出力を発揮する二人を強引に止めたのである。
突然の乱入者に皆が戸惑う中、図らずも攻撃をしたような形となった女性二人は震えながら己の阿頼耶を内に収めた。
男は見事彼女達の攻撃を抑えてみせたのだが、しかして代償が何も無い訳ではない。
槍を破壊したとしても、腕を掴んだとしても、双方の間にあった空間的な激突までは回避不可能。更に砕けた棒の一部が男の頬を切り、手を掴んだ衝撃によって手首にもダメージが入った。
「流石にやり過ぎだ……説明を聞いていなかったのか」
頬からは鮮血が流れ、垂れた赤い雫が地面を濡らす。
手首は紛れも無く無事では済まない程に青黒く染まり、恐らくただ手を動かすだけでも激痛が走っていることだろう。それでも尚本人は気にした風でもなく、二人に注意を促す。
教師も漸く我に返り、焦燥感を滲み出しながらも二人の試験を終了を宣言した。これで彼女達の結末は引き分けとなるが、これで良かったのかと聞かれれば誰でも同様の答えを返すだろう。
およそ考えられる限りの中でも二番目に最悪な事態だ。
最大は死者が発生すること。だが今回このような結果になり、少なくとも狙っての負傷ではない以上ノースは試験を受けられない。
それを教師の口から放たれ、震えたのは女性二人だ。
ノースにとっての大事な試験を潰してしまった。もっと理性的に動けば通常通りの試験で終わる筈であったというのに、彼女達自身が我を優先して半ば暴走してしまったのだ。
これに関しては言い訳は出来ず、誰しもフォローも出来ない。
仮に誰かが慰めの言葉を吐いたとして、それはまったく慰めになどならないだろう。ただの追撃にしかならず、故に沈黙を貫く事こそが最善の行動になる。
何よりも、この事態に下手に関わり合いになりたくなかったというのが皆の総意だ。
事は三つの家の問題に発展する。これでノースの戦士生命に致命的な傷が生まれた場合、ノースの父親は激怒するだろう。
責め立てるような真似をするかは解らずとも、常識的な観点から指摘をぶつけてくるのは目に見えている。それは回避不可能であり、そして彼女達両名は素直に受けなければならない。
公爵家であるならば金で握り潰すような真似も可能だろう。サウスラーナの両親はノースの父親と親しい。故に厳罰を与えない――などと、甘い道理が通らないのが世の中だ。
「至急医務室に。一時試験を中断する!」
試験規則には必要以上のダメージが禁止されている。
それは戦う者にとって致命的となるような傷を与えるという部分に関しても同様であるし、万が一にでもそのような事態になれば即刻終了を下す事も出来る権限が教師に与えられる。
教師が脳裏に浮かべているのは、ノースを除いたクラス全員の試験をまずは終了させることだった。
これで次の心配の種であるアーケルン家との戦いは回避され、別日に再試験として別の生徒を宛がう事が出来る。
再試験は評価が厳しい傾向があるが、今回は正当な理由があるので評価自体はこの試験時と同じだろう。
再試験が出来るまでの間にノースには回復に努めてもらう。出来れば回復が行えるような阿頼耶を保有している者が居れば良かったが、そういった者達は希少であるが故に専門の学校に行ってしまうのだ。
よって頼れるのは医務室の担当教員のみ。
ノースの手首の痣は勝負に支障が出る程に濃い。平気な顔をしている方がおかしいくらいで、もしかすれば骨折の危険性も十分有り得た。
これがただの打撲であれば無視されただろう。今回は特に酷いからこその処置である。
「必要ありません。テストはこのまま受けます」
しかし、彼の言葉は否定だった。
立っているまま、青黒い痣の状態で木剣を握り締める。不自然な程に正常な動作を見せる腕は、それが彼の我慢強さを見せつけていた。
余計な介入は不要。このままの状態で大事なテストに挑む。
言葉にするだけでも無謀な響きだ。そんな真似をすれば治るかもしれない傷が永遠に残り、今後の戦いが不利に傾くだろうことは簡単に想像出来る。
だからこそ、彼の言葉を素直に受け入れる訳にはいかない。あの日認めてしまったからこそ死んでしまったのだと後悔しない為にも、教師の言葉は強いものへと変わっていく。
「駄目だ。そのままでは正当な評価は出来ない。もしも此処で無理をして今後に響いたらどうする。チャンスはこれっきりじゃないだろう?」
そうだとも、チャンスはこれっきりではない。
今日が無理でも再試験がある。それをもって正当な評価とすれば、誰であれ納得する筈だ。
そこででも駄目であったとしても、まだ二年。次年度にもチャンスは転がっているだろうし、それこそ三年の方が軍の者達も注目を集めている。
そちらで彼の才能を発揮すれば、確実に我が軍にと声を掛けてくれるだろう。
頭の出来も決して悪いのではないのだ。逆に身体を完成させるのに躍起になっているだけで、確り勉学の時間も確保すればそちらも伸びる。
未来は決して暗くないのだと、教師は語った。
変に意固地にならなくても構わない。まだ此処は、戦場ではないのだから。
「教師殿」
ノースの声には、明らかな怒気があった。
どうしてそうなったのか解らない怒りが目に浮かび、教師を混乱させる。
間違えるような発言はしていない。常識的に考えれば正しく、良き教師像を抱かせるには十分だ。
彼も含め、今この場に居る生徒は未だ本格的な戦いへと出すべき環境にはいない。
無事に卒業し、その上で軍の教練も受けて初めて先輩達と共に仕事に取り組むのだ。それが自然で当たり前の流れであり、挟む言葉などありはしない。
故に、彼は怒りを抱いたのである。そんな想像をするべきではないと。
「我々は将来この国を守る重要な役割を担う一兵です。今はまだ価値が低くとも、それでも鍛えた力で誰かを守る事は出来ましょう。しかし、そこには当然絶望的な状況とて広がっている筈です」
一人で百匹の化外と戦わなければならない状況になったとしよう。
強大な化外相手に、国を滅ぼされない為に退けないとしよう。
或いは、何か大切な存在の為に命を賭ける必要が出て来るとしよう。
そんな場面でただ怪我をして下がるなど、認められる訳がない。例えどれだけの傷を抱えようとも、例えどれだけの絶望を見せつけられたとしても、立って最後まで抗うのが戦士の定めだ。
「教育の場だから、怪我をしても休んでいいなどと温い言葉は聞けません。俺を休ませたいというのなら、それこそ気絶でもさせて強制的に休ませてください」
何よりも、彼は生きたかった。
生きて生きて生き抜いて、幸せを手にする為に。誰もが求める栄光よりも、凡夫のような生活を。
その為にはこの世に幸せを齎さなくてはならない。戦う必要が無い程に、ただそこに居るだけで抑止力となるような存在にならなければならないのだ。
歩みを止めるような真似を許せる筈も無し。よってどれだけ今現在激痛が走っていようとも、彼は立ち上がって剣を振るうのだ。
正義の味方――ここに極まれり。
無謀も無茶も貫き通せば道理となると言わんばかりの姿に、彼等はただただ恥ずかしかった。
「――面白い!」
その中で、突如として女の大きな声が上がる。
皆がその方向へ顔を向ければ、立っているのは一人の女生徒だ。他の生徒と同じ制服を着ているが、唯一革製のこげ茶色のベルトとそこに繋がっているホルスターが違う。
中に収まっている武器は銃。しかしその長さが他とは違い、更に一本だけではなかった。
橙色の髪の片方をポニーテールのように縛り、もう片方の髪はそのまま背中に届く程に伸びている。
顔付きは厳しく、だが現在はそこに凶悪な肉食動物の如き笑みが張り付いていた。
近付く足音は百獣の王を連想させ、知らず知らずの内に誰もが道を開けていく。一本の長い道が出来上がった頃にはノースの目にも彼女の姿が見え、その姿に少しばかり目を見開いた。
「初めまして、テキス卿。私の名は知っていると存じますが、敢えて紹介を。――――アーケルン公爵家が一人娘、グラム・アーケルンと申します。以後お見知りおきを」
「此方こそ、アーケルン公爵殿。私の名前はノース・テキス。才の無いただの貴族です」
「ははは、貴方のような人物に才が無いというのならば、その辺の者達は全員塵以下ですな」
朗らかに笑いながら毒を吐く彼女に、ノースは直感的に悟った。
彼女のタイプは非常に解り易い。そして同時に、恐らくこの中の誰よりも危険であると。
塵発言に多数の敵意が込められた目を向けられているが、そのどれもにまったく怯まない。まるで最初からこの場に居るのは彼女と自分だけのように、グラムは彼だけに視線を向けていた。
「先程の言葉、実に見事。戦士としての何たるかをよく存じておられますな。私が入学してからは恐らく二年という枠の中では貴方だけでしょう。それ以外は皆遊んでばかりだ」
この学園は優秀な部類に入るとはいえ、時代が時代だ。どうしても半端な覚悟の者が偶然入ってしまうケースも存在するし、裏側からの手段でもって入る事も十分可能。教員達も誘惑を完全に跳ね除ける事は難しく、脅されてしまえばそれこそ抵抗は難しさを増すだろう。
よってこの学園も例外無く、そういった学園の気風に沿わない輩が存在している。
そういった者達はただ単純に学歴が欲しいだけの者達であり、卒業後はそれを自慢しつつまたもや汚い手段を活用して上を狙いにいくのだ。
そんな者達ばかりを見ていれば、成程確かに遊んでいると言われても致し方無い。現にそれはライノールも感じていたところなのだ。
だからこそ、自身の他に純粋な意味でこの学園に通っている者の存在が喜ばしいのである。
それが噂の人物であれば更に。
「さて、それでは戦うとしましょうか。貴方がそれを決めた以上他の者達も手は出しますまい。まさかとは思いますが、彼の意思を無視するような甚だ空気の読めない馬鹿は居るまいな?」
周りを殺意を込めた眼差しで睨めば、生徒全員が沈黙した。
ライノールは声を上げようとしたが、それはウィンターに止められ控えさせられる。相手は公爵家であるのだ。確かに誰もが黙ってしまうのも当然だろう。
恐怖によって場を支配するのは手っ取り早いが、それは一時的に誰も彼もが沈黙するだけだ。
このテストが終われば彼を無理をしたという情報は一気に学園全体に広まるだろう。教師自身もこの学園を収める学園長辺りに咎められるのは想像に難しくはない。
だが彼女には関係が無いのだ。重要なのは、ここで戦うという選択を取らせることなのだから。
両腰のホルスターに差している二丁の拳銃を引き抜く。
まるで護身用かと思う程に銃身が短いそれは、しかして彼女が持つだけで何処か凶悪に見えた。
「各人、今回の一件は黙ってくれると助かる。無論タダでとは言わん。後で何か奢ってやるから、今はそれで許せ」
鞭があれば、当然飴もある。
恐怖に犯された者達にノースの比較的優しい声が掛かり、全員が立っている男に好意的な視線を向けた。
その意味するところは至極単純である。であればこそ、彼もまた小さく笑みを零すだけで他に何も言いはしなかった。
歩くノースの後ろ姿を見ながら、サウスラーナは何も声を掛けられない。
謝罪をしようにも、彼はそんな事など最初から無かったと言っているように振る舞っている。それは嬉しいようにも思えるが、反面存在を無視されているようにも感じた。
そんな事はない、と彼女は思う。
今回彼は助けてくれたのだ。あんな馬鹿な真似をした自身を、大丈夫だと無理した身体で言い張ってみせたのである。それを、そんな風に疑う時点で最低だろう。
何かせねばならない。彼に報いる為に、何かを。
考えて、彼女は自身と同様に落ち込んでいるナギサを見る。次いで地面に落ちている結晶体を見て、彼女の頭の中では閃きが走った。
「――シュトロハイム公爵。少し相談があります」
「……なんでしょう」
その言葉に、ナギサは困惑しながらも聞く。
テストの終幕はすぐそこに。最早最後の戦いだと言っているような雰囲気の中、二人の女性が謝罪の為に行動に移した――――




