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枢軸型録通信販売  作者: 敵機直上急降下
枢軸型録通信販売 in 1941年12月8日

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快進撃

快進撃


 日本軍は型録を活かし戦力を人員と共に増強し、各戦線で連戦連勝を重ねていた。

 それは泥沼化した中国の戦線も同様で、兵器や物資が充実し、長らく続いた膠着状態が崩れようとしていた。


 日本軍は5月にも当初の予定にあった南方作戦を終了しようとしていた。その間にも海軍はインド方面とオセアニア方面へと進軍していた。

 型録により戦力が増加していた日本海軍は、インド方面で島嶼を占領しつつイギリス東洋艦隊を捜索し続け、セイロン島攻略をも検討していた。オセアニア方面では、米豪遮断作戦としてニューギニア・ソロモン諸島を占領し、フィジー・サモアまでの攻略が進められていった。


 南方からの資源輸入も可能となり、陸軍は本格的に支那事変解決に乗り出した。

 型録で購入できる五式戦闘機を戦闘爆撃機として採用し、川崎には三式戦闘機飛燕の完成度を高めさせつつ、戦闘爆撃機としての五式戦の生産も行わせた。もちろん中国戦線に送り込んだ五式戦のほとんどが、型録で購入したものとなっていた。


 同様に戦闘車両は九七式中戦車を中心に購入して中国戦線に送り、改修された四式中戦車は順次満洲へ送り、急速にその数を増やしながら訓練を行っていった。

 この満洲へ送った四式中戦車がソ連を警戒させ、ソ連は満ソ国境の兵力を増強する結果となっていた。


 1942年5月初めにイギリスはマダガスカル島攻略を開始した。

 アンダマン・ニコバル諸島に展開していた日本機動部隊はただちに出撃し、マダガスカル島攻略を支援しているイギリス東洋艦隊の撃滅を目指した。


 偵察の結果、イギリス艦隊の戦力は主に空母2隻と戦艦1隻であり、空母5隻と戦艦4隻の日本機動部隊の敵ではなかった。


 攻撃は四次に渡り行われた。


 第一次攻撃隊は、装甲空母と分かっていながらも英空母に対し急降下爆撃を敢行した。

 英装甲空母に急降下爆撃を行うのは、試験運用されていた6機の艦上爆撃機彗星、空冷の三三型であった。


「見せてもらおうか、イギリスの装甲空母の実力とやらを!」


 赤い日の丸を翼に抱く彗星が、次々と急降下爆撃を行っていった。

 投弾したのは、対戦艦用の500kg50番5号徹甲爆弾であった。


「命中!命中!命中!…馬鹿なッ!イギリスの装甲空母は化け物か…」


「やはり50番では力不足だったか。ドイツのように1t爆弾を投じれば撃破できたかもしれんな」


 第一次攻撃隊の彗星による急降下爆撃は、命中率は五割にも上ったが、英装甲空母を爆撃で撃破することは叶わなかった。

 英空母に対し急降下爆撃の効果が薄いという情報は、型録で購入したドイツ製航空無線機により第二次攻撃隊へ正確に伝えられ、以降は英空母に対して雷撃のみが行われた。


 日本機動部隊が英装甲空母に対する急降下爆撃を許可したのは、ひとえに枢軸型録通信販売によって余裕があったためである。


 マダガスカル島沖海戦は一方的な航空攻撃となり、日本機動部隊はマダガスカル攻略を支援していたイギリス東洋艦隊を、完膚なきまでに撃滅したのであった。


 以後はヴィシーフランス軍と連携し、マダガスカル島に上陸していたイギリス軍の掃討に当たった。


 その後、6月に空母加賀と数隻の中・小型空母を中核とする機動部隊ががインド洋へ入り、マダガスカル島への中継基地としてモルディブ諸島の占領を行った。

 ところが、モルディブ諸島のアッズ環礁にはイギリスの秘密基地があることが分かり、期せずしてイギリス東洋艦隊の隠れ家だった場所が判明したのであった。


 インド洋の制海権を日本が掌握した事で、ドイツはスエズ運河攻略に戦力を振り向けた。

 日本機動部隊も通商破壊を行う傍ら、これを支援していくことになった。


 7月。日本海軍は、太平洋方面に翔鶴型空母や大鳳型装甲空母を集中し、これを中心とした機動部隊を展開させ、インド方面にはその他の空母を投入していった。

 インド方面の機動部隊は紅海へ進出し、ドイツアフリカ軍団を支援した。イギリス軍相手にはそれで十分と考えられており、実際その通りだったのである。


 太平洋では、米機動部隊による散発的な嫌がらせのような奇襲攻撃は受けつつも、本格的な反攻作戦は行われず米豪遮断作戦が完了した。

 オーストラリアとは講和交渉が始まり、圧倒的に優勢な日本は強気で交渉に臨んでいた。


 8月。カイロを制したドイツアフリカ軍団はスエズ運河を押さえ、それが止めとなりオーストラリアは講和に応じ、イギリスではスエズ運河失陥とオーストラリアの離脱で政権交代が起きた。

 イギリスとの講和交渉が始まり、戦争の終結を予感させた。


 太平洋方面の機動部隊は、翔鶴型空母8隻と大鳳型装甲空母8隻の八八艦隊となっていた。

 そして、ハワイ方面への作戦が開始され、その圧倒的戦力で次々と中部太平洋の島嶼を占領していった。


 オアフ島へ攻撃をかける頃には、米軍は撤退した後であった。

 日本はこれでアメリカも講和に応じると考えていた。いやむしろ申し出てくるのではないかとすら考える者達もいた。


 しかし当然ながらアメリカから講和を申し出ることはなく、イギリスとの講和が成立しても、アメリカは講和に応じることはなかったのである。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
これは赤い彗星の西大尉、ソロモンでは賀東大尉が活躍したに違いない
あれ?なんかイメージカラーが赤色(ピンク)で通常の3倍(出力1.3倍)で動きそうな艦爆がいますねぇ。
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