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枢軸型録通信販売  作者: 敵機直上急降下
枢軸型録通信販売 in 1941年12月1日

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米本土上陸

米本土上陸


 イギリス東洋艦隊とアメリカ太平洋艦隊を撃滅した日本は、南方資源地帯をじっくり攻略しつつハワイ攻略を目指す予定だったが、中華民国に強く背中を押され全力で南進することとなってしまった。

 もちろん掲げるのは大東亜共栄圏であり、中華民国は東亜新秩序の構築に非常に協力的であった。


 ミンドロ島沖海戦とマーシャル沖海戦で損傷した艦艇は修理が必要なため、損傷艦を型録で新しく購入した艦で補い、南方作戦と同時にハワイ攻略も目指していくことになった。

 損傷艦で主に補われたのは翔鶴型空母、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦であり、南方作戦やハワイ攻略作戦に遅延が出ないように補われていった。


 航空機や戦車も型録で購入して改修し、生産された分と合わせてフィリピンやマレーへ送られた。

 特に艦上戦闘機烈風と四式中戦車は、改修と運用試験の末に正式採用され、生産も開始されてはいるものの、型録で購入後に改修を行い完成させるものが圧倒的に多かった。


 グアム島の攻略が終わった事で、1943年2月にはウェーク島の攻略が開始された。想定よりも手こずるも3月には占領し、ハワイ攻略に向け4月にはミッドウェー島を占領した。

 5月には、米海軍が戦力を立て直す前にハワイ攻略作戦が開始され、オアフ島以外のハワイ諸島を占領した。そしてオアフ島に対して補給を断つと同時に航空攻撃を続け、その抵抗力を奪っていった。


 6月、南方作戦も終わり、ミンドロ島沖海戦に参加した戦艦と空母を擁する艦隊はインド洋へ進出し、ハワイ攻略作戦の役目を終えた大和型戦艦8隻と翔鶴型空母8隻を擁する艦隊は、アリューシャン列島からアラスカ攻略へ向かった。

 インド洋と北太平洋を押さえることで、ソ連への支援経路が細くなりドイツへの援護になると考えられた。


 東南アジアの植民地は解放され、1945年8月まで資源に困らない日本は、形ばかりの資源輸入を行い、軍政は敷かず独立を支援していった。

 そこに当然とばかりに中国人が入り込み、商売を開始していたのだった。


 オアフ島の戦いも終わり、日本はハワイ諸島を完全に占領した。


 7月。アラスカ方面やインド方面で日本海軍を止められる米英海軍はなく、日本軍は島嶼を占領し地歩を固めていった。

 インド洋の環礁でイギリス軍の秘密基地も発見したが、滞りなく占領していった。


 8月。アラスカに上陸した日本軍は、四式中戦車などを投入し占領を進めていった。

 インド洋では日本海軍が制海権を握ったことで、ドイツ潜水艦が来航し通商破壊を開始していった。


 9月。アラスカの占領が完了し、米西海岸への攻撃を開始した。


 新たに戦力化した翔鶴型空母8隻を加え、16隻の翔鶴型空母と大和型戦艦8隻が投入された。


 米西海岸攻撃にあたり、損傷する艦載機や艦艇は人員とともに補充され続け、常に一定の戦力を維持し続けた。

 搭乗員の補充に関しては、型録により燃料を気にすることなく飛行訓練が行えるようにり、さらに空母戦力の増強のため空母への離着艦が問題なく行える操縦員が相当数確保されており、熟練搭乗員には及ばないもののある程度の練度の者達が交代要員として控えていた。


 やがて西海岸の抵抗力は低下し、航空優勢を保った状態で飛行場を破壊していき、制空権を得るに至り、戦艦部隊による艦砲射撃を各地に行っていった。


 インド洋ではイギリス軍拠点を攻撃し続け、インド方面のイギリス軍を弱体化させていた。


 ソ連への太平洋からの支援も途絶え、ソ連は追い詰められていった。


 10月。米西海岸の米軍に打撃を与え続けていた日本軍は、やる気に満ち溢れ士気の高い中華民国軍を伴い、遂にカリフォルニアに上陸を果たした。

 日本艦隊の傘の下、西海岸に上陸した部隊は占領地を広げていき、サンフランシスコの港湾の確保に成功した。この港湾から四式中戦車などの戦闘車両や航空機、兵員や物資を続々と揚陸し、占領地を南へと広げていった。


 11月。モスクワが陥落し、ソ連はウラル方面へと後退していった。


 アメリカは米本土での戦いとなっているため対独戦への派兵など行えず、西海岸での反攻作戦を続けていた。

 この西海岸のアメリカによる反攻作戦に対し日本は、機動部隊と揚陸した航空戦力、そして四式中戦車などで迎え撃ち、悉く粉砕していった。


 日本軍は米軍の反攻作戦に対し、浸透作戦による後方撹乱を実行に移した。補給物資は空中投下で届け、米軍の輸送部隊を攻撃していった。

 この浸透作戦に中華民国軍も名乗りをあげ、「中華式の撹乱作戦を行って見せる」と豪語し、米本土攻略軍司令部はこれを了承し、補給を確約したのだった。


 12月。アメリカ内陸部の各地に中華民国軍が浸透し、武器食料の現地調達も行いながら各地を荒らしまわっていた。

 それは、日本軍の浸透部隊がお上品に見えてしまう程の蹂躙ぶりであった。


 アメリカ戦線は西海岸から徐々に東へと移動し、航空機の消耗戦となっていた。

 日本軍は四式戦闘機疾風や烈風で戦闘機を抑え、四式重爆撃機飛龍や陸上爆撃機銀河などが爆撃を行い、三式戦闘機飛燕や局地戦闘機雷電が米爆撃機を迎撃していた。

 烈風などは型録で購入後に改修を必要としたが、通信機や照準器など電装品を換えるだけで済む航空機は迅速に投入できるため、日本軍は航空機の物量で押していたのである。


 日本海軍は新たに編成した戦力とインド洋の余剰戦力を用い、米豪遮断作戦を開始しオセアニアの各島嶼を占領していった。

 オーストラリアをこの戦争から脱落させるため、そしてやっかいな米潜水艦の活動を低下させるため、米豪遮断作戦は実行に移されたのである。


 ちなみに新たに編成した戦力は、型録で購入して改修された数隻の最上型航空巡洋艦と利根型重巡洋艦、そして水雷戦隊であり、いずれの巡洋艦も万能水上偵察機瑞雲を充分運用できるようになっていた。

 この艦隊が運用する瑞雲は100機を超えており、さらに複数の水上機母艦や多数の二式飛行艇も加わっている事で、インド洋から合流した数隻の小型空母や基地航空隊と連携し、ソロモン諸島などは瞬く間に占領していったのだった。


 1944年1月。依然としてドイツ軍は、抵抗を排除しながらウラル山脈へ向け進軍を続けていた。


 米本土での戦いで日米は、航空機と戦闘車両の消耗戦を行っていた。


 米本土での戦いが激化する中、大型空母や中型空母そして小型空母からなる米機動部隊がパナマ運河を通り来襲してきた。

 翔鶴型空母16隻からなる機動部隊がこれを迎え撃ち、艦載機の性能は日本が勝っていたものの、米機動部隊の高い対空戦闘能力に、多くの流星は損害を被る事になった。


 日米ともに多数の空母が損傷し、多くの艦載機を失い、カリフォルニア沖海戦は痛み分けとなった。


 ハワイを失陥し孤立しつつあったオセアニア方面は、米豪遮断作戦が成功した事によりオーストラリアは孤立し、豪州本土への度重なる爆撃も加わった事で遂に中立を宣言した。

 日本はオセアニア方面の戦力を全て米本土攻略へ向けたのだった。


 オセアニアに展開していた重巡洋艦と水雷戦隊は西海岸の機動部隊の下へ向かい、瑞雲を運用できる巡洋艦は対潜哨戒を担当する予定となっていた。

 数隻の小型空母は、航空機の輸送任務や輸送船の護衛任務に就くことになっていた。


 2月。日本海軍は、カリフォルニア沖海戦で損傷著しかった空母を躊躇なく廃棄し、新たに型録で購入した翔鶴型空母を補充人員とともに配備した。

 米西海岸の日本機動部隊は、16隻の空母を揃え西海岸の防衛に勤めた。


 3月。再度米機動部隊が来襲し、日米機動部隊同士の艦隊決戦が行われた。

 米機動部隊は戦闘機の割合が増えており、前回と同様空母に損害が出てしまった。


 米戦闘機の数が多いため、米機動部隊への攻撃に際し、対艦攻撃を行う前に流星に損害が多発してしまった。

 しかし今回は第一次カリフォルニア沖海戦の戦訓に基づき、対空戦闘能力の高い米機動部隊に対して分散した攻撃は行わず、護衛艦艇を丁寧に排除しながら攻撃を行った。


 最終的に、日本側がやや優勢な状況で海戦は終了し、米機動部隊は撤退した。


 4月。ドイツ軍がウラル山脈に到達した。そこで日本はソ連に圧力を掛ける目的で、日ソ中立条約の不延長をソ連に通告した。

 これを受けてソ連はドイツとの講和交渉を開始した。


 日本軍は中部アメリカを突破し、さらに東へと進軍を続けていった。


 5月。独ソが講和し、ドイツは東方生存圏を確保した。

 これを受けイギリスは、枢軸国と講和交渉を開始した。


 日本軍はニューメキシコ・テキサス州にまたがる油田地帯を確保すべく攻勢を強めていたが、重要拠点なだけありアメリカ軍の抵抗が強くこの方面は膠着していた。同様に北東部の工業地帯も抵抗が強く、一進一退となっていた。

 対して中部は進軍が進み、特に浸透している中華民国軍は東部で暴れていた。


 6月。イギリスが講和に応じ、アジアでは大東亜共栄圏の国家を承認し、中国には香港や租界などを返還し不平等条約が改められた。

 日本はシンガポールを得ることになり、日本軍はインド方面から撤退を開始した。


 イギリスが講和した事でアメリカとの水面下での交渉が始まったものの、日中の要求が厳しく、またアメリカも強気であったため水面下での交渉は難航した。


 日本軍は、ようやく安定した性能を発揮するようになったジェット戦闘機橘花、同じく陸軍仕様の火龍を投入した。

 型録で購入できる橘花では、多少改修しても満足できる物にはならなかったため、ドイツのジェットエンジンを参考にネ20を改良し、安定して高推力を発揮できるネ20改を完成させた。そしてそれを型録で購入した橘花に乗せ換え、ある程度機体を改修する事で、橘花と火龍を完成させたのであった。


 一方アメリカ海軍は、インド方面の日本艦隊がアメリカへ来る前に反撃を行うべく、大小寄せ集めではあるが機動部隊と、再建した戦艦部隊からなる大艦隊を送り込んできたのであった。

お読みいただきありがとうございます。

誤字報告ありがとうございます。助かります。

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― 新着の感想 ―
どう考えても人員が足りないんですが、人も型録で買ったんですか?
「誉」はやめとけ、ハ43への換装必須。
この北米侵攻ルートだとロスアラモスは恐らく疎開を強制されますね。残念ながらオークリッジには手が届きませんが原爆開発をワンチャン遅らせられるかも。仮に完成出来てもベルカ式になりますねw ところでなぜパ…
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