二つの海戦
二つの海戦
1943年1月のアメリカ対独参戦に伴い、日本は米英に宣戦布告を行う事になった。
日本は解除していた動員を再び行い、型録により資源の心配がないため、資源地帯である東南アジアはじっくりと攻略していく予定だった。
マリアナ諸島や台湾とフィリピン間では航空戦が行われ、日本軍が優勢に戦っていた。
迎撃においても、非常に頑丈なB-17爆撃機に対して、型録で購入し改修された三式戦闘機飛燕、四式戦闘機疾風、局地戦闘機雷電が、数的有利や電探を活かした迎撃で対応し、多くのB-17を撃墜破していた。
フィリピン方面に展開した日本艦隊は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻の空母と数隻の中・小型空母を中核とする機動部隊を伴っており、戦艦部隊は長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城の6隻からなっていた。
この艦隊はフィリピン攻略のために制海権を確保しており、フィリピンへの砲爆撃も行っていた。
そこへイギリス東洋艦隊が現れたのであった。
新旧の戦艦7隻と4隻の空母からなる艦隊で、一見すると日本の艦隊戦力を上回るものであった。
確かに戦艦戦力では確実にイギリスが上回っており、まともに戦艦同士の艦隊決戦を行えば、苦戦は免れないものと考えられた。
しかし、日本は漸減邀撃作戦を行う前提であり、空母艦載機と水雷戦隊により打撃を与えてから艦隊決戦に臨む予定だった。
英艦隊はパラワン島近海で艦上偵察機彩雲が捕捉し、ミンドロ島近海にまで北上した段階で攻撃を開始することになった。
日英の戦艦部隊の距離が徐々に縮まる中、日本機動部隊は英艦隊が攻撃範囲に入った段階で、第一次・第二次攻撃隊を出撃させた。
日本の大型空母には艦上戦闘機烈風、艦上攻撃機流星、艦上偵察機彩雲が搭載されていた。
中型の空母には烈風、空冷の艦上爆撃機彗星、艦上攻撃機天山が搭載され、小型の空母には零式艦上戦闘機と天山が搭載されていた。
第一次攻撃隊は、英直掩機を排除して英艦隊の空母部隊を攻撃し、圧倒的な数の艦爆艦攻の攻撃により、これを撃滅することに成功した。
第二次攻撃は英戦艦部隊を攻撃し、英戦艦部隊を満身創痍に追い込んだ。
日本海軍の方針として、航空攻撃による戦艦の撃沈はできるだけ避け、戦艦によって止めを刺す方針だった。
それは型録から窺い知れた、航空主兵の時代の到来を少しでも遅らせるためであった。
満身創痍の英戦艦部隊は撤退を開始し、日本戦艦部隊はこれを追撃した。
速度が落ちている英戦艦部隊に追いついた日本戦艦部隊は、水雷戦隊が露払いとばかりに英護衛部隊を排除し、その後英戦艦にも雷撃を加え、戦艦の数の劣勢を覆し、戦艦による砲戦を開始した。
日本の戦艦は、型録で得られたドイツの電探技術を導入し、電探を活用した射撃が可能となっていた。その向上した命中精度と損傷の有無で、一方的に近い形で次々と命中弾を与え、日本戦艦部隊は英戦艦部隊を撃滅したのだった。
そして少し遅れて、マーシャル諸島方面でも海戦が発生した。
新旧15隻の戦艦と7隻の空母からなる米艦隊と、戦艦12隻と空母8隻からなる日本艦隊の激突だった。
戦艦の数に勝る米艦隊と、最新鋭の大和型戦艦8隻を擁する日本艦隊との決戦であり、日本は戦艦の数で劣勢ではあるものの大和型戦艦が8隻もおり、さらに空母の数では勝っていた。
当然、大和型戦艦は型録で購入した分が加わっており、空母も型録により翔鶴型が追加で購入されていた。大和型戦艦8隻と翔鶴型空母8隻であることから、八八艦隊と呼ぶ者達もいた。
マーシャル沖海戦は、世界初の空母同士の艦隊決戦が発生し、日米双方ともに艦載機による殴り合いが行われた。翔鶴型空母の艦載機は、全艦共通で烈風、流星、彩雲であった。
米機動部隊がマーシャル諸島を爆撃していたため、先制攻撃に成功したのは日本機動部隊であったが、双方ともに空母が損傷する激戦となっていった。
空母機動部隊同士の戦いは、艦載機の性能に勝る日本が優勢であった。
烈風が米戦闘機を封殺し、米機動部隊への流星の攻撃を成功させたが、米攻撃隊は艦爆艦攻の数が多く、烈風が撃墜するものの追いつかず、日本機動部隊への攻撃を許してしまったのであった。
第三次攻撃隊の攻撃により、米空母を全て撃沈破することに成功し、日本機動部隊は空母同士の戦いに勝利した。
第四次攻撃隊も編成し、米戦艦部隊へ攻撃が加えられ、戦艦同士の艦隊決戦を前に米旧式戦艦に少なくない損害を与えていた。
戦艦部隊同士の艦隊決戦は、数隻の重巡洋艦が率いる水雷戦隊が米護衛部隊を相手にし、米戦艦15隻と大和型戦艦8隻金剛型戦艦4隻の12隻が対峙した。
米戦艦は新型戦艦のサウスダコダ級4隻、ノースカロライナ級2隻と、ビッグ7の3隻であるコロラド級3隻を擁しており侮り難い相手であった。しかし、サウスダコダ級とノースカロライナ級以外は速度が遅く、しかも旧式戦艦は全艦損傷しているため大和型戦艦8隻と金剛型戦艦4隻でも十分対応できると考えられた。
艦隊決戦は、射程距離の長い大和型戦艦8隻の攻撃から始まった。
大和型戦艦は米新型戦艦よりも早く交互撃ちを開始し、弾着修正を行っていき、米新型戦艦が砲撃を開始する頃には夾叉を出していた。
大和型戦艦と対峙していたコロラド級2隻は、夾叉を得る頃には複数発の46cm砲弾を受け脱落していった。
その頃には、米護衛部隊を蹴散らした重巡率いる水雷戦隊も駆けつけ、米戦艦部隊の数的有利は覆り、大勢は決したのであった。
日本戦艦の砲撃は、電探を活用しているため命中率も従来より高くなっていた。大和型戦艦の世界最大46cm砲の威力も絶大で、米戦艦部隊に全力を出させる前に数的不利を減少させてもいた。
重巡洋艦率いる水雷戦隊による雷撃で米旧式戦艦は壊滅する一方、米新型戦艦も大和型戦艦により撃滅され、日本はマーシャル沖海戦に勝利したのだった。
大本営は、ミンドロ島沖海戦とマーシャル沖海戦の勝利を大々的に喧伝し、戦艦による勝利を殊更に強調したのだった。
アメリカはこれに対し、戦艦戦力の立て直しと増強を発表した。大本営の思惑通りに事が運んだのであった。
米英の艦隊が壊滅した事で、日本の南方進出を当面の間阻むものはなくなり、日本はじっくりと東南アジアの欧米植民地解放を行う予定だった。
しかし、香港攻略に目処をつけた中華民国が、じっくりと南方進出を行おうとする日本の背中を強烈に押してきたのだった。
マリアナ諸島にあるグアム島は、マーシャル沖海戦後に滞りなく占領できたが、フィリピン攻略が開始されると同時期に、マレー半島からシンガポールへ向けた進軍が慌しく始まった。
やたらと士気の高い中華民国軍も参加しており、マレー作戦で後れを取ることはなかった。士気が高く、なおかつ勝ち馬に乗っている時の中華民国軍は、凄まじい勢いと戦闘力があったのである。
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