開戦
開戦
支那戦争を勝利で終えた日本は動員を解除し、兵士達を復員させていった。
好景気に沸く日本は人手不足となっており、兵士を復員させなければ外地人や中国人の手を借りねばならないほどであったのである。
一方、ドイツからはソ連を攻めるよう要請されていたが、日ソ中立条約を理由にこれには応じていなかった。
とはいえ同盟国の要請であるため、満洲や南樺太の兵力増強を行い、ソ連に圧力をかけることでドイツを間接的に援護していた。
この兵力増強は、関東軍特種演習の兵力規模には及ばないが、航空機や戦闘車両の数は桁違いに多く、ソ連を警戒させ充分以上の圧力をかけられたのであった。
関東軍特種演習とは、独ソ戦開始時にソ連が壊滅的打撃を受け、極東ソ連軍が対独戦に引き抜かれ、手薄になった隙を突きソ連に侵攻するという計画であった。しかし、目的とは裏腹にソ連を警戒させてしまう結果となった関東軍特種演習であったが、今回はそれを逆に利用し、極東ソ連軍を引き付けたのであった。
満洲や南樺太では、ソ連に圧力をかける演習が行われ、最新の航空機や四式中戦車の訓練が大規模に行われていった。
一方、欧州では依然として独ソ戦が継続中であり、スターリングラードでは激戦が行われていた。
ドイツはそんな激戦を勝ち抜き、1942年12月にスターリングラードを占領した。
ソ連はスターリングラードを死守すべく戦力を送り続けドイツ軍を包囲しようとするも失敗し、戦力が消耗し続け、ドイツ軍に押し切られたのだった。
そして1943年1月、遂にアメリカがドイツに対し宣戦布告に踏み切り、米英ソを中心とする連合国が結成された。
アメリカは、独潜水艦による度重なる米商船や駆逐艦への被害を受けており、米国民の対独感情は悪化し、民意は参戦には反対なもののドイツ打倒には賛成だった。
大西洋では既に米独海軍による小競り合いが続いており、それが徐々に激しさを増していき、商船の被害が見過ごせない域に達したことで、米政府は大々的にドイツによる商船の被害を喧伝し、民意を対独参戦容認に傾かせ、対独宣戦布告に至ったのであった。
日本はアメリカの対独宣戦布告に対し、三国同盟に基づき対米宣戦布告を行った。
日本は、アメリカがいずれ対独参戦する可能性が非常に高いと考え、様々な想定を行っていた。
アメリカの対独参戦に対し、まず対米宣戦布告を行うのかが議論され、アメリカまたは米英から日本に対しても宣戦布告がなされる可能性や、米英蘭ソと戦う場合までもが想定された。
いずれにしろ型録がある限り、1945年8月15日までは負けることはないと考えられたが、それ以降は困難であると考えられた。
特に型録で得られていた戦略物資が手に入らなくなると、石油をどれだけ備蓄していたとしても、いずれ限界を迎えてしまうことになるからである。
満州国と中華民国を傀儡にしている日本が、アメリカの対独参戦で対米戦争を回避した場合、さしものドイツも米英ソには勝てないと予想され、いずれ日本は米英ソによる勢力を相手にすることになる。
そこから再び経済制裁を解除した状態に戻るためには、一体どのような条件を飲まされるのか分かったものではなく、このまま孤立を深めていくか、米英ソの軍門に下るしかないと考えられた。
であるならばアメリカが対独参戦した段階で、日本は三国同盟に基づきアメリカに対し宣戦布告し、雌雄を決すべきであるとの結論に至った。
アメリカ単独との戦争であれば、型録の力があるため再び総動員をする必要もなく、早期にアメリカを圧倒できると想定されていた。
一方、米英も日本の参戦を牽制するためか、ハワイに新旧の戦艦15隻、シンガポールに新旧の戦艦7隻を配備していた。
日本を上回る戦艦数であるが、この程度であれば例え日本が対米開戦した後、もし仮にイギリスが宣戦布告してきたとしても十分対応できると見積もられていた。もちろん動員は必要になっては来るのだが。
それだけ型録の力は大きく、絶対に負けない自信と余裕を日本に与えていたのだった。
日本の対米宣戦布告を受けて、日本の傀儡であり同盟国でもある中華民国もこれに続き対米宣戦布告し、さらに中華民国はイギリスに対しても宣戦布告を行った。
この中華民国の対英宣戦布告に対し、新聞や一部国会議員そしてアジア主義者は大いに支持し、日本政府もこれに引きずられる形で容認すると共に、日本も対英宣戦布告を行ったのである。
新国民政府が中華民国となってから、日本の国会議員や軍将校には中華民国と関係を深めていく者が数多く見られていた。その者たちの中で、何らかの形で便宜を図ろうとする者も出てきていた。
そしてそういった積み重ねが傀儡であるはずの中華民国の独走を容認させ、さらには対英戦争を望む者達と中華民国の息の掛かった議員や軍将校による後押しもあり、日本の対英宣戦布告へと繋がったのである。
アメリカが対独参戦し、日中が米英に宣戦布告し、米英も日本に宣戦布告した事でオランダも日本へ宣戦布告を行った。
まさに事態は世界大戦へと発展したのである。
とはいえ日米英いずれも準備ができておらず、緒戦は航空戦に終始していた。
その航空攻撃により、フィリピンやグアムの米航空戦力に大打撃を与え、米艦船に損害をを与えていた。
ちなみに、フィリピンへの攻撃を主に行ったのは、零式艦上戦闘機と陸上爆撃機銀河であった。
日本では、2000馬力級空冷18気筒エンジンの整備が十分行える体制が整い、航空機は新型へと置き換えられ、高速陸上爆撃機である銀河も十分運用できるようになっていたのだ。
しかし、高速爆撃機とはいえ戦闘機の速度には勝てず、迎撃を受けるため結局護衛が必要になり、それを護衛できる戦闘機は航続距離の長い零戦しかなく、零戦と銀河で戦爆連合を組んでいたのだった。
日本は米英艦隊の動向に注視しつつ、フィリピン・マレー半島・グアム島・ウェーク島の攻略準備を進めていった。
艦隊はトラック島と台湾に集結し、台湾の艦隊はフィリピンの制海権を確保するため動き出した。
米英艦隊も出撃が確認され、二式飛行艇や偵察機による捜索の結果、マーシャル諸島やフィリピン方面に向かっていることが分かった。
日本艦隊と米英それぞれの艦隊との激突が、着実に近付いていたのだった。
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