支那戦争
支那戦争
突如出現した枢軸型録通信販売の存在により、経済制裁によって入手困難だった石油を始めとした戦略物資が手に入るようになり、御前会議で決定していた対米英開戦が覆る事になった。
これに伴い南仏印からの撤退も議論されたが、これは情勢を見るため保留とされ、判断は先延ばしにされたのだった。
型録を精査したところ、特攻兵器という体当たり攻撃を行う末期的な兵器を正式採用していることから、別の世界線とやらの日本は相当に追い詰められていたことが窺い知れた。
また、大和型戦艦を空母に改装したり、伊勢型戦艦を航空戦艦に改装していることから、大艦巨砲主義よりも航空主兵が優勢の世界になっていたことが分かった。
型録で購入できる枢軸国の新兵器は購入され、各種新兵器の調査解析が行われた。
同様に各企業にも枢軸国の新兵器は提供され、調査解析が行われていった。各企業で開発中であった兵器は、完成形や試作機がもたらされたことで、それを基により安定した高性能な兵器を開発していくことになった。
現行機種は、型録で購入できる安定して高性能な型のものを、調査解析して生産するよう各企業には要請した。
そして各企業への梃入れとして、型録で購入したドイツ製工作機械が提供されたのだった。
型録での購入は、当初軍の予算から出そうとしていたのだが、型録で購入した場合紙幣が消えてしまい、市場の紙幣が減少していくことが懸念された。
紙幣不足に陥れば、経済に要らぬ混乱を招くとして、いっそ消えてしまう紙幣ならば大蔵省印刷局で刷った紙幣をそのまま使えばよいのでは?という結論に至った。
つまり、紙幣印刷の費用だけで兵器や戦略物資が手に入ることになり、物価高騰も当面心配ないとされた。
さらに、昭和金融恐慌の際に発行された、銀行の取り付け騒ぎを収めた裏白二百円円札を参考に、千円札、一万円札、十万円札などといった簡易な表面だけの高額紙幣が作られていった。
石油が型録で購入できた事で、対米英戦争が正式に中止となったが、支那事変は依然として継続中であった。
そこで、これを機に正式に宣戦布告を行うことが検討され、一気に片を付けるべく改めて正式に宣戦布告が行われたのだった。
これに伴い支那事変を、支那戦争と改めたのである。
正式に戦時下となったことで、大本営は型録による兵器更新を大規模に行っていった。
陸海軍は、安定して高性能が発揮でき整備性の高い兵器に更新していき、旧式の兵器は満州軍や新国民政府に譲渡し、それら傀儡政権に治安維持を担わせることで日本軍の負担を減らしていった。
日本軍は国民政府を本腰を入れて屈服させるため、香港を除く中国沿岸部から昆明までの占領を進めていき、重慶を目指して進軍していった。
支那戦争に主に投入された兵器として、航空機は一式戦闘機隼三型、二式単座戦闘機鍾馗二型、二式複座戦闘機屠龍、九九式双発軽爆撃機二型乙、四式重爆撃機飛龍、百式司令部偵察機三型、零式艦上戦闘機五二型丙、局地戦闘機雷電二一型、空冷エンジンの艦上爆撃機彗星三三型、一式陸上攻撃機三四型などがあり、戦車は47mm戦車砲搭載の九七式中戦車改であった。
一気呵成に国民党軍を攻め立てるため、機動力を重視した布陣となっていた。
そしてそれら兵器を不足なく前線へ届けられたのは、枢軸型録通信販売の力であった。
とはいえ型録から購入してそのまま投入するのではなく、通信機などを型録で購入したドイツ製の物に換装するなどして、最低限の改修は行っていた。
ゆくゆくは、ドイツ製の通信機や照準器など型録で購入した電装品を参考に、日本で開発生産した物に置き換えていく予定であった。
さらに、燃料に関しても高オクタン価ガソリンが型録で購入できたため、日本軍は燃料不足に陥るどころか潤沢な燃料とその優良な燃料による性能向上で、全戦域において国民党軍を圧倒していった。
制空権は常に日本軍が押さえており、その制空権下で日本軍は快進撃を続けていったのである。
型録には、より高性能な空冷18気筒エンジンや液冷12気筒エンジンの機体が載っていたが、配備しても満足に整備する技術がなく、いたずらに稼働率の低い機体を増やすだけと判断された。
また、艦上戦闘機烈風は未完成といえるもので、型録で購入してもそのまま使えるものではなかったのである。
戦車に関しては、三式中戦車は戦車砲ではなく野砲を搭載しており、四式中戦車は改修を必要とする未完成品であった。
そのため、現状は九七式中戦車改で事足りるとして、四式中戦車は烈風と同様に改修して完成させてからの運用が考えられていた。
圧倒的に有利な状況で国民党軍と戦い、順調に占領地を増やし重慶包囲を進めていく中、日本は大和型戦艦の情報を公開した。それは、米英に対する牽制だった。
いまだ戦艦は戦略兵器と位置づけられており、しかもそれが世界最大の45口径46cm砲9門ともなると、米英にとって無視できよう筈もない脅威となるのであった。
大和型戦艦は型録で購入した2隻を加え現状3隻となっていた。
航空母艦に関しても翔鶴型空母を2隻購入しており、翔鶴型空母は4隻体制になっていた。
大和型戦艦を公開した事で米英は衝撃を受け、ハワイとシンガポールにさらなる戦艦が配備されることに繋がった。
そして米英の建艦計画にも影響を与え、新たな戦艦の建造が決定したのだった。
1942年8月、重慶を完全に包囲した末、遂に国民政府は降伏した。
各地の軍閥も新国民政府に恭順の意を示し、日本の傀儡の新国民政府による中華民国が成立したのだった。
これ以降、中国共産党への対応は日本の傀儡である中華民国が担うことになり、日本は戦争を終結させる事に成功したのだった。
日本は中華民国に武器支援を行い、また現地での生産も始めさせ、まかり間違っても中国共産党に後れを取ることがないよう支援した。
日本は中国を制したことで好景気に沸き、戦争が終わった事で中国人も満州・朝鮮半島・台湾・日本本土へと続々とやってくるようになった。
現在の中華民国は、日本の傀儡であり友好国であるため問題はなかったのだが、商魂たくましい中国人の数が多すぎたのであった。
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