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枢軸型録通信販売  作者: 敵機直上急降下
枢軸型録通信販売 in 1943年1月4日

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軍事大国

軍事大国


 1944年10月、日本機動部隊は東西から米本土を挟撃し、物量に物を言わせて米軍の航空戦力を削っていた。

 米軍の熟練操縦士を失わせることで、相対的に日本軍の搭乗員の練度が高い状態となってきており、制空権は日本軍に傾きつつあった。


 米東海岸に向かっている日本機動部隊は、防空戦闘を行いながらさらに東海岸に接近し、そこで米戦艦部隊に出迎えられる事になった。


 夜明け前から出撃して偵察を行っていた艦上偵察機彩雲は、大規模な米戦艦部隊を発見した。

 それは米海軍の最後の抵抗と言えるものであり、多くの直掩機に護られながら行われた、乾坤一擲の突撃であった。


 日本機動部隊に随伴していた戦艦部隊と水雷戦隊は、米戦艦部隊との艦隊決戦を望んだ。

 しかし、米戦艦部隊の戦艦の数は20隻を超えており、大和型戦艦がいくら8隻も揃っているからとはいえ、まともに艦隊決戦を行って敵う相手ではなかった。


 もちろん護衛艦艇の数は日本戦艦部隊の方が多く随伴することができるが、これまでの米航空機の攻撃で損害も出ており、いくら策を講じて勝利できたとしても、その後の東海岸への艦砲射撃に影響が出てしまうため、正面切っての艦隊決戦は認められなかった。


「戦艦部隊は艦隊決戦を望んでいるようです」


「相手は20隻以上の戦艦だぞ?しかも、その内の10隻は新型戦艦だ。…艦隊決戦をやるにしても、お膳立てが必要だな」


「はい。急ぎ流星の補充を要請し、準備させます」


「…敵戦艦の命中精度を下げるのに、三号爆弾は使えないだろうか?艦載の電探を破壊できればよい」


「電探が危害範囲に入れば、理論上は破壊は可能と思われます。…なるほど、爆撃機相手と比べれば止まっているような的ですね。事前に計算は必要ですが、大量に投下すればどれかは危害範囲に入るでしょう」


 日本機動部隊は艦上攻撃機流星の補充を行い、通信機などを交換し整備を行い、攻撃隊を編成していった。

 日本戦艦部隊はその間に米戦艦部隊を迎え撃つべく、陣容を整え機動部隊を離れた。


 日本機動部隊は、米本土や米機動部隊からの航空攻撃を捌きつつ、第一次・第二次攻撃隊を送り出した。


 第一次攻撃隊は、護衛を勤める艦上戦闘機烈風の大半が空対空爆弾である三号爆弾を装備しており、流星は三号爆弾装備の機体と噴進弾を装備している機体に分かれていた。

 第一次攻撃隊の目標は、米戦艦部隊の電探と護衛艦艇であった。


 米戦艦部隊の直掩機を護衛の烈風が抑え、三号爆弾を装備した烈風と流星が、効果的に炸裂する高角砲弾を掻い潜り、緩降下爆撃で米戦艦部隊に投下した。

 時限信管が作動した三号爆弾は、一つが直径100m以上高さが50m以上の危害範囲を持ち、米戦艦と護衛艦艇を包み込んだ。そこへ噴進弾を装備した流星が米護衛艦艇に超低空から肉迫し、高角砲弾は飛んでくるものの対空機銃がほぼ沈黙している隙を突き、噴進弾攻撃を成功させていった。


 第二次攻撃隊は、烈風が全て三号爆弾を装備しており、流星は噴進弾装備の機体と魚雷装備の機体に分かれていた。

 米直掩機の数に合わせて烈風は三号爆弾を投棄し、大多数は緩降下爆撃で米戦艦と護衛艦艇を攻撃した。そしてそこへ流星が攻撃を加え、護衛艦艇の全てと旧式戦艦の一部を撃沈破した。


 日本機動部隊は、損傷するであろう烈風と流星をあらかじめ予測し、補充して改修整備を行っており、第三次・第四次攻撃隊の準備をしていた。

 帰還した烈風と流星の損傷著しい機体は投棄され、搭乗員達は一部控えの交代要員と交代しながらも出撃した。


 第三次攻撃隊は、烈風が三号爆弾を装備し、流星は全て魚雷を装備していた。

 米護衛艦艇はほぼ壊滅状態であり、一部の烈風が米直掩機に対応し、残りの烈風が三号爆弾を投下し、そこへ流星が米旧式戦艦に雷撃を行った。これにより、全ての米旧式戦艦は複数本以上の魚雷を受けた事になり、撃沈または大破、軽いものでも中破し速度低下を起こしていた。


 第四次攻撃隊は、烈風がやはり三号爆弾を装備し、流星が魚雷で米新型戦艦を攻撃した。

 烈風の三号爆弾投下により、高角砲弾は飛んでくるものの対空機銃がほぼ沈黙している間に流星は雷撃を行い、米新型戦艦全てに損傷を負わせた。


 米戦艦部隊は半壊していた。しかし、新型戦艦はまだ戦える力を有していた。

 日本機動部隊による、戦艦部隊へのお膳立ては完了したのであった。


「三号爆弾により、敵戦艦部隊の対空戦闘能力が低下していたと報告が上がっております」


「ふむ。では敵残存機動部隊にも同じ手が使えそうだな」


「はい。逃げられなければ明日にでも仕留められます」


 日本機動部隊は防空戦闘に努めつつ、日本戦艦部隊に直掩機を送り、艦隊決戦の行方を見守った。


 日米戦艦部隊の艦隊決戦は、先行した重巡洋艦率いる水雷戦隊により始まった。

 米新型戦艦には一斉雷撃が行われ、旧式戦艦には魚雷の再装填が可能な艦が止めを刺していった。


 一斉雷撃の結果、新型戦艦10隻の内、4隻を撃沈し、2隻を大破、戦闘能力を残したのは4隻だけであった。

 水雷戦隊はそれ以上の戦闘は避け、止めは戦艦部隊に譲った。


「もう少し残しておいてくれても良かったものを」


「西海岸を攻撃している艦隊と違い、こちらは人員の補充が限られているため、艦艇の補充が利きません。この判断は正しいです」


「最後の艦隊決戦なんだぞ?華々しくいきたかった」


「お気持ちは、痛いほど、分かります」


 残った4隻の新型戦艦に対し、大和型戦艦8隻は砲撃を加え、止めを刺したのだった。

 最後の艦隊決戦は、あっさりと幕を閉じたのである。


 翌日には米機動部隊が壊滅し、やがて東海岸に対する艦砲射撃が始まり、それに抵抗する米軍機の反撃も行われたが、数こそ多いものの抵抗が弱まっていった事で、米本土への空襲も行い始めた。

 米軍の対空砲火は凄まじく、いくら航空機の補充が利くとはいえ搭乗員には限りがあり、次第に空襲は重要目標を直接狙うのではなく、その周辺の橋梁や道路といった生活基盤を破壊していく方針に変わっていった。


 そして米西海岸でも同様に砲爆撃が行われており、特に戦艦長門、陸奥、金剛、榛名、航空戦艦伊勢、日向、扶桑、山城の8隻が強力な艦砲射撃を行っていた。

 西海岸への上陸作戦も始まり、圧倒的な物量で以って推し進められていった。


 橋頭堡が築かれればそこに直接兵器が供給できるため、現地で航空機や戦車を改修し補充し続け、四式戦闘機疾風や烈風、四式中戦車が米本土で大いに暴れまわったのであった。

 もっとも、米陸軍や海兵隊の抵抗は強く、特に海兵隊の精強さには、装備が充実している日本陸軍の精鋭ですらも舌を巻いたのであった。


 アメリカでは、東海岸と西海岸が戦場となり、20隻以上の戦艦が壊滅した事も大きく響き、米国民の間に厭戦気運が急速に高まっていったのだった。



 11月に入り、正式にイギリスと講和が成立し、日本はアメリカと講和できれば戦争終結という状況になった。

 アメリカでは大統領選挙が行われており、ドイツの打倒を訴えていた現職大統領が落選した。


 米大統領選挙で選ばれたのは、保守派の孤立主義を訴えていた候補で、アメリカが劣勢となる中で共和党候補となった人物であった。


 日本は中立国などを経由し、水面下でアメリカとの講和を模索した。

 日本は真珠湾への奇襲攻撃を行ったため、それが米国民の戦意に火を着けており、講和の障害となっていた。


 日本軍は米国民の厭戦気運を高めるため、米本土への攻撃を強化していった。


 1945年1月。新たな米大統領が就任し、ソ連への支援を打ち切った。

 もはやアメリカから支援を受けられないと悟ったソ連は、これ以上の戦争継続を断念し、ドイツとの講和交渉を開始した。戦争終結が一気に現実味を帯びてきたのである。


 日本軍は、大西洋でドイツの支援を受けながら、機動部隊による米東海岸攻撃を断続的に続行し、西海岸では占領地を広げ物量で押していた。

 米本土の工業地帯へも占領地から空襲を行い、米軍の戦争遂行能力を削いでいった。


 2月。独ソが講和し、アメリカは単独で枢軸国と戦うことになり、米国民の講和を望む声が高まっていった。


 3月。アメリカは講和交渉に応じ、休戦となり、4月に講和が成立した。

 遂に戦争が終結したのである。


 アリューシャン列島は返還したものの、ハワイは独立し、ウェーク島やグアム島は日本の勢力下に入った。

 大東亜共栄圏の国々も承認され、インドでは独立戦争が継続しているものの、日本の戦争は終結したのだった。


 ちなみにインド独立軍は、現地での小銃などの兵器生産を開始しており、イギリスが再び支配するのは困難に思われた。



 日本は大東亜共栄圏に利権を得ていたため、1945年8月15日以降も好景気が続いていた。


 イギリスとの講和後に、イギリスの協力の下で行っていた満洲での油田探査にも成功し、引き続きイギリスに協力を仰ぎ満洲油田開発が進んでいった。

 イギリスとしても利権に絡めるため、戦争での負債を少しでも減らすためもあり、開発は順調に進み満洲は産油国となって発展していった。


 そして日本はその恩恵に預かりつつも、他の大東亜共栄圏と同じように満洲から軍隊を引き上げ、利権だけを手にするようになっていった。

 同様に朝鮮半島も独立させ、利権だけを得る形にしていった。これで日本は、直接国境を接するのは樺太のソ連だけとなったのである。


 日本は最新の兵器をアジアに惜しみなく販売し、独立を維持させていた。

 九九式短小銃などの簡単な兵器は、各国での現地生産が続けられていたが、航空機や戦闘車両そして艦船などは、日本が主に生産を担っていたのである。


 品質の向上や大量生産技術など、日本が欧米に遅れていた分野は多岐に渡り、日本はそれに追いつくべく様々な分野に投資を行っていった。

 特に電子技術には力を入れ、急速に遅れを取り戻していった。


 産業には力を入れていたものの、道路などの整備は遅れており、農村では戦前と変わらない風景が続いていた。

 とはいえ徐々に農業の機械化が進み、いわゆる小作人の姿は見られなくなっていった。


 日本は最新の兵器を惜しみなく輸出することから、アジアの兵器工場などとも呼ばれるようになっていった。

 日本は大東亜戦争の戦訓から、物量に物を言わせる戦いこそが重要だと認識し、常に兵器生産能力を維持するようにしていた。


 日本国内やアジアでは道路が未整備な地域が多く、自動車は小回りが利き不整地走行に適した軽自動車や軽トラックが普及し、都市部を除けば日本企業の独占状態となっていた。

 オイルショックを機に日本の自動車は低燃費化が進み、アジア以外の国々へと販路を広げていった。


 いつしか日本の産業は、武器、半導体、自動車の三本柱で支えられるようになっていった。

 さらにその三本柱の陰に隠れた産業の基盤である、工作機械、各種の製造装置、高機能な原材料も日本を支えていた。


 日本は富裕層と庶民の貧富の差はあれど、経済も人口も成長を続ける、保守的で封建的ではあるが、自主独立した軍事大国であり続けているのだった。

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― 新着の感想 ―
勝ったッ!第3部完!…お疲れさまでした!ここまでは、ゲームシステムの範囲内の攻略法でなんとかなりましたが、次からは普通の精神状態では勝てませんよねェ…
結果、どの世界線においても世界のアメリカ化は影響が少なく大量消費前提の自由主義とは違った未来になってそうだなぁ
第三部でも無事に日本勝利で終了。 どんどん型縁の使い方が容赦なくなっていきますね。
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