捲土重来、遂に為せり
捲土重来、遂に為せり
ニューギニア・ソロモン方面は、日本軍が型録を活用し航空機を送り続けて優勢を保ち、また人的損耗を抑えていることで、連合国軍の戦力を消耗させる戦場となっていた。
同様に型録の力により日本海軍の戦力が完全に立て直され、さらに大幅に増強していることから、ハワイ方面の攻略作戦が検討され始めていた。
つまりハワイを押さえてオセアニア方面への補給線を制限し、米豪遮断を完成させようとする作戦だった。
そしてそれは大本営で承認され、実行に移されることになった。
1943年12月。ハワイ方面の攻略作戦が開始された。
参加戦力は、24隻にも上る大鳳型装甲空母を中心とした機動部隊と、大和型戦艦8隻を中心とする戦艦部隊であり、日本海軍渾身の攻略部隊であった。
機動部隊の艦載機は、ほとんどが型録から購入し最低限の改修をした、艦上戦闘機烈風、艦上攻撃機流星、艦上偵察機彩雲であった。
機動部隊はこれまでの戦訓に基づき、徹底した偵察を行いながらミッドウェー島やジョンストン島などを攻略していき、ハワイ諸島へ迫っていった。
そしてハワイ沖において海戦が行われた。
米機動部隊はハワイ諸島の基地航空隊と連携し、日本機動部隊を迎え撃ってきた。
日本機動部隊は装甲空母の防御力を活かす形で迎撃に徹し、烈風及び流星による迎撃戦闘を行った。
1000機を超える迎撃機による空戦は、数による優勢と電探による迎撃機の誘導も功を奏し、練度に勝る米艦載機と基地航空隊を撃退する事に成功した。
2派に渡る攻撃を退け、日本機動部隊は反撃の攻撃隊を送り出した。
米機動部隊も電探の誘導による迎撃を行ってくるも、第一次攻撃隊は数に勝る直掩機が迎撃戦闘機を跳ね除け、流星は迎撃機に掣肘されることなく米機動部隊へと辿り着いた。
しかし、米艦隊の対空戦闘能力は非常に高く、特に効果的に炸裂する高角砲弾によって多くの流星が撃破された。
このため、この情報はただちに第二次攻撃隊に無線通信により正確に共有された。
第二次攻撃隊の攻撃は、米艦隊の高い対空戦闘能力を考慮して、攻撃を分散させず集中させ、米機動部隊の護衛艦艇を丁寧に撃破し、そして空母へ襲い掛かった。
これにより、流星の損害も軽減しつつ、米空母を確実に仕留める事ができたのであった。
とはいえ米機動部隊の一群を仕留めただけであり、第三次・第四次攻撃隊の編成が決定した。
米艦載機と基地航空隊の3派目が飛来し、反撃に転じたことで迎撃機が減少したため被弾する空母が複数出てしまうも、雷撃は全て回避し、爆弾は装甲で弾き返す事ができた。
第三次・第四次攻撃隊の編成は、再出撃困難な流星を躊躇なく廃棄し、新たな流星を型録から購入し行われた。
購入した流星は、通信機など電装品を交換し整備した後、すぐさま実戦投入が可能だった。
届け先を各空母の格納庫へ詳細な場所を指定し補充できることに気付けたのは、まさに幸運であった。
型録で購入した航空機を改修する工場で、工員が「これぐらい現地でやればいいのに」と、ぼやいているのを士官がたまたま聞き、「そうか!現地の正確な場所を指定して購入すれば、現地に運び込む手間が省ける!」と、早合点した事が切っ掛けだった。
その後、実際に試され可能であることが分かり、ならば航行中の艦船にも可能なのではないかと試され、実際に可能だったのである。
これにより、ニューギニアのウエワクとラバウルへは、直接現地に購入され改修が行われるようになっていったのである。
もちろん型録自体は大本営にあるため、無線で確実に要望を届けるため、複数個所の中継を経て大本営と交信を行っていた。
これにより、確実に空母の指定した場所へ、間違いなく航空機を届けたのであった。
搭乗員さえ無事であれば再出撃が可能なことから、第一次攻撃隊は無理をしておらず、多くの搭乗員が新たな流星に乗り換えたのであった。
そして行われた第三次と第四次攻撃は、それぞれが別の米機動部隊の一群を粉砕し、複数の空母を撃沈破したのであった。
翌日、米機動部隊は撤退しており、捜索するも捉まらず、日本艦隊はハワイ諸島攻略を進めて行くのであった。
1944年1月。激戦の末オアフ島守備隊が降伏し、日本はハワイ諸島を占領下に置いた。
四式中戦車も投入した地上戦となり、日本は物量で米軍を圧倒したのであった。
アメリカの民間人で米本土に帰りたい者達は、迎えの輸送船を受け入れ送り返していった。
ハワイを落とした事で、大本営は再び米豪遮断のために、フィジー・サモアまでの攻略作戦を開始した。
これを止められる米海軍戦力は太平洋には既になく、日本はオーストラリアに講和を迫りつつ、オーストラリア東方の島嶼の攻略を進めていった。
ガダルカナル島に対しても攻略作戦は行われ、過剰とも言える砲爆撃が加えられた後、上陸作戦を行い、遂に奪還に成功するのであった。
多くの血が流れ消耗を強いられたガダルカナル島を奪還できた事は、まさに捲土重来といえたのであった。
「餓島よ、私は帰ってきた!」
「まさに捲土重来。ケ号作戦の完遂でしたね」
「うむ。多くの英霊達が無駄死にでなかったことの証明ができたな」
3月にはオーストラリアにおける制空権を日本が手中に収め、港湾に対する12隻の戦艦による艦砲射撃を行っていった。
大和型戦艦8隻、長門型戦艦2隻、金剛型戦艦2隻による艦砲射撃であり、オーストラリアは遂に講和に応じたのであった。
これにより、日本はオセアニア方面から撤退することができるようになり、その戦力を支那事変解決へ向けることができるようになった。
しかし同時に、連合国軍に出血を強いていたニューギニア・ソロモン方面の戦線がなくなるため、米軍に余裕ができてしまうとも考えられたのだった。
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