第七幕 竜
俺は小さい頃から古武術の教室に通っていた。
両親は二人とも弁護士として働いていて、それなりに裕福な家庭だったと思う。
だから、姉さんと一緒にいくつかの習い事をしていたのはそこまでおかしいことではない。
そして、その中の一つが「古武術」だった。
昔から、体を動かすのは好きだったし、運動神経もそれなりに良かった。
必然的に、習い事のなかでは一番、一生懸命やっていたかもしれない。姉さんの方は、身体よりも頭を使う方が得意だったようで、古武術よりも算術に力を入れていて、何か凄そうな賞を取っていた記憶がある。
俺はというと、古武術を真剣にやってはいたものの、演武大会ようなものには出なかった。
特に理由もない。単に出たくなかったから出なかった。主に体術と剣術を習得したが、算術とは違い古武術は実生活に活かせることなどはあまりない。
だから、特に人に見せびらかすこともなく、ただコツコツと日々の訓練に明け暮れることが、俺にとっての古武術の全てだった。
一回だけ。奴の首を絞めた時、やっていてよかったと思ったが。
基本的に、俺は学校のクラス内では非力な男子の代表として扱われることが多かった。なにせ、低身長、ガリガリ、童顔の三拍子がしっかりそろっている。
揃ってしまっている。それがあったからこそ、もっと男らしくなりたいと、古武術にのめり込んだのかもしれない。
しかし、残念なことに古武術をやったところで、筋肉がついてムキムキになるわけでも、身長が伸びたわけでもなかった。
それでも、技術は身についた。
古武術というのは、古来より伝わる対人戦闘の技術だ。その技術に関しては余すところなく吸収した。
足りなかったのは、単純なパワー、筋力。
そして――それが今、「理術」という第二の術によって、補完された。
完全に見切っていたというよりは、防衛本能で咄嗟に反撃した、というほうが近い。
それでも、相手はかなりのスピードでこちらに突っ込んできたのだ。それに合わせる形で、強化された右腕を顔面に叩き込んだ。
ボクシングなどで言うところの「カウンター」を、偶然ではあったが、繰り出すことに成功する。
そして――結果は前述の通りである。
俺の細い腕からは到底、想像できないであろう威力のパンチがサザレビトの顔を砕きながら、その頭部ごと後方へ吹っ飛ばした。
刹那、さらに二体がすぐ側まで差し迫る。
だが、油断はしていない。
想像の数倍の威力が出たことに少なからず驚きはしたが、それもすぐに切り替える。
対処は同じ。
相手の攻撃が当たる前に、先に殴る。
感覚は既に掴んでおり、意識を極限まで右腕に集中させて、その拳を振り抜く。
一体目のサザレビトと同様、さらに二体の頭が砕け散って、吹っ飛んだ。
「……あ、あっぶなー……」
ほぼ、無意識的な行動だった。直感に従って身体が勝手に動いたのだ。俺自身もかなり驚いた。
「これが……理術……なのか?」
手のひらを見つめる。
何度か自分の手を開いたり閉じたりしながら、たった今起きた出来事を思い返す。
俺は普通に殴ったつもりだった。
もちろん、いつもより力が湧いている感覚はあったし、通常よりも強く殴れるという確信はあったにしても、それでもあそこまでの威力が出るとは思わなかった。
理術というものの底知れなさを我ながら感じる。
ついさっきまでは驚きしかなかったが、その驚きも収まってきたからか、興奮が湧いてくる。
速まる鼓動を抑えながら、この感覚を忘れないようにしようと体のなかにある『それ』に意識を向けつつ、アウレの方を見た。
「………………」
俺よりも驚いている……。
そんなに、おかしかっただろうか。
ただ、自分なりにイメージした結果だし、何より俺は理術の理の字も知らない素人だということを考えれば、驚かれるほどおかしなものだったというのは、むしろあってしかるべき話ではある。
「そんなに変でした?」
「……ああ、変……だったね」
変だったらしい。
「君は――いや、今はいいか。それよりも、よくやったね。ここで死なずに生き残れたんだ。今後の迷宮脱出計画がかなり、楽になるよ」
「そうなんですか。ということは、この迷宮にはさっきのサザレビトがこの先もいるってことですよね」
「そうだね。こっから先はさらにサザレビトが増えるけれど、彼らに知性はないからね。奇襲の心配もない。君が彼らを倒せることが分かった以上、余程のことがない限りは死ぬことはなくなったと言っていい」
何というか、ずいぶんあっさりと死亡フラグを回避できてしまった。
迷宮を出れずに死ぬ――と言われた割には簡単に。
もちろん、死にたくはないので、それを回避できたことに不満などあるはずもないが、それでも「簡単にできてしまう」ということには、つい懐疑的になってしまうものだ。
だが、それだけ。
それだけ、理術を使えるか、使えないかが運命の分岐点だったわけだ。
珍しく、とても運が良かったと言える。
「さあ、急ごうか。時間は有限だからね」
アウレのその言葉で思い出したが、そういえば、俺は何も持っていないのだ。一応、確認してみたがスマホはやはり壊れていた。それはもう、ボロボロである。
財布もびしょ濡れで、もはや中身は紙切れになっている。
ちなみに服装は溺れた時と変わらず、スウェットにパーカーという、至ってシンプルな格好である。
そんなわけで、この世界において俺は無一物、無一文、無職であり、明日食べるものに困る状況だ。
そんな状況に置かれているのにもかかわらず、さらに、今いる場所は迷宮という危険な所。
言わずもがな、俺に時間などあるはずもない。
サザレビトという危険な存在がいなくとも、死ぬかもしれないのは変わりない。
理術が使えて、興奮してる場合ではないのである。
「はい……急ぎましょう」
若干、憂鬱な気分になりつつも、俺はアウレと共に再び、歩き出した。
未だ見ぬ、外の世界を見るために。
三時間くらい、歩いただろうか。
時計はもっていないし、そもそもこの世界の時間区分がどうなのかはわからないため、正確な時間などわかるはずもないが、体感的に三時間。
それくらい歩くと見えている景色も変わってくる。
最初にサザレビトとの邂逅を果たした地下神殿は早々に見えなくなって、今は延々と続く地下道を歩いている。地下道といっても、かなり舗装されているように見える。
四方を囲む土壁と天井、歩いている床もかなり平らで、歩きやすい。これぞ迷宮!という様相を呈している。誰かに管理されているのだろうか? と思ってアウレに聞いてみると、
「迷宮についての研究はかなりされているけれど、あまり進んでいないというのが正直なところなの。誰が作ったのか、何のために作ったのか。そもそも作られたものなのか。でも、その特徴はある程度、分かっている。例えば、迷宮は人為的に変化させることはできないとかね。破壊も再生もできない。まるで何かに守られているように。だから、この整った道も誰も手を加えていないのにできたものなんだよ」
と教えてくれる。
アウレは、迷宮が何かを守っているようだとも言っていたが、迷宮そのものも何かに守られているように見えるのか。
考えてもわからないものは仕方がない。
俺はさっさと考えるのをやめる。
壁には地下神殿と同じく、苔がところどころにあって、地下道のくせにめちゃくちゃ明るい。
明かりが必要ないのはありがたいことだ。
もし、真っ暗だったらと考えると、苔の存在がどれだけ尊いものかと思い直させる。
今度、好きな植物はなんだと聞かれる機会があれば、その時は一も二もなく苔だと答えるだろう。
苔、様々である。
あまりにも進みやすいために忘れかけるが、ここは迷宮だ。
迷宮である限り、そこには侵入者を惑わす機構が備わっているのは当然で、故に道が複雑であることも当然だ。
俺だけなら、確実に迷っていた。
分かれ道の数を考えると、総当たりで出口にたどり着こうとすると、どれくらいかかるか分かったものではない。
だが、俺にはアウレが付いている。
彼女の足取りは迷いのないもので、もしかしたら迷宮内の地図が全て頭には入っているのではないかと思えるほどだ。
そのアウレにはどうやら、目的の場所があるらしく、今はそこに向かっている。
アウレ曰く、「探索者の死亡した場所」ということらしい。
なぜそんなところに、と思うがその理由は単純に装備の確保ということのようだ。
そう。「装備」である。
迷宮物のゲームなどではお馴染みのあの装備だ。
あれから、何度かサザレビトに出会い、戦闘したが、別に今までも装備はなくてもやれてはいた。
とはいえ、全く攻撃を受けなかったかといえばそんなことはない。真武を素人ながらも習得してから、何度か意識的に発動して色々試してみたが、とりあえずは筋力の上昇とそれに伴って、身体を丈夫にすることはできるようで、攻撃を生身でもろに受けるということはなかった。
だが、受けてはいるのだ。
死に直結する攻撃はなくとも、あざができる程度の攻撃は受けてしまっている。このままでは、全身あざだらけの未来もそう遠くないであろうことは分かっていた。
だからこそ、装備を取りに行こうというアウレの提案は個人的にはありがたいものだし、それに冒険をしているようで少しだけ楽しみでもある。
今から、人の死した場所へ行こうという割には少々、高鳴った気持ちを抑えて、俺は歩みを進めていた。
さらに数時間ほど歩いたところでアウレはついに、一つの部屋の前でその歩みを止めた。
部屋の中へ入っていくと、まず目にはいるのはすごい量の絵だった。
飾られているというわけではない。
壁に描かれている。
つまり、壁画である。
その壁画が半円のドーム状の部屋の壁に一面、隙間なく描かれている。部屋の中はかなり広く、例に漏れず、苔がところどころ生えていて光っている。
――まるで、プラネタリウムだな。
と、そう思う。
地下神殿とはまた違った、幻想的な光景に感動しかける。
しかし、目的のものであろうものが視界に入って、すぐに何をしに来たのかを思い出した。
「あれが……」
「そう。探索者の遺物だね」
アウレがそれを、遺体ではなく遺物といったのには理由がある。
なぜなら、死体がないから。
そこにあったのは、装備一式と持ち物であろうバッグが離れたところに一つ。
ただ、それだけだった。
死体というのは、時間とともに消えゆくものだ。
微生物を代表に様々な生物が死体を喰らい、腐敗ともになくなっていく。
だが、跡形もなく遺体だけが消えていくというのはあり得るのだろうか?
装備にも荒らされた形跡はない。
この状況に疑問を覚えていると、アウレが答えを教えてくれる。
「迷宮の特徴、其の二。迷宮内で死亡した生物は迷宮に取り込まれる。その抜け殻となった肉体のみが迷宮に吸収されてしまうんだよ。悲しいことにね」
と、本当に悲しそうな表情で言う。
たしかに、遺族からしてみれば、遺体がなくなってしまうというのは悲しいことなのかもしれなかった。
「でも、無事に装備は見つられたね。さっそく手に取って見るといいよ」
「そうですね……そうします」
見る限り、シンプルな軽装のようだ。
多分、鋼鉄であろうチェストプレートや、腕や足を守るブレーサーやグリーブ、革製のローブにポーチやゴーグルなどの小物。そして、傍らに落ちている細剣――通称、レイピア。
ただ、サイズ感とチェストプレートの形から、この装備の持ち主が女性であったことがわかる。
ここにきて、女性の装備を身につけるという行為に、少しばかり忌避感を覚える。
「えっと……これを着るんですよね?」
「そうよ。何も着ないよりはマシでしょ」
彼女の言う通り、この状況で四の五の言っていられないのはたしかである。
今こそ、勇気を出す時だ。
幸い、俺は低身長である。着れないということはない。
そう思い、落ちている装備を手に取ろうと、しゃがんだその時―――。
――急激な怖気が、俺の背中に走った。
ヤバい――死ぬ。
咄嗟にそう思わせるほどの圧倒的な重圧が背後に迫る。
早く逃げなければ――だが、身体が動かない。
動いたら死ぬから。
動けない。
あまりにも急すぎる。
同様に動けないのであろう、アウレがその口を開いた。
「ごめんね。――少年。本当なら、こうならないために私がいるのに。私が欲張ったばっかりに――本当に――ごめんなさい」
それは、逃げようと促す言葉でも、俺を激励する言葉でもない。――逃れようのない絶望の中で、何かを悟ったがゆえの――謝罪。
なんで、謝っているんだ。
わからない。
なんで、そんな本当に申し訳なさそうな顔をするんだよ?
なんで、そんな――諦めたような顔を――
部屋の入り口。
そこに一つの災厄がやってくる。
まるで、予測できない災害のごとく。
なんの予兆もなく、唐突に。
最初からその可能性はあったのだ。
この迷宮という城に、
――主がいる可能性は。
どこの世界でも、
全ての生物の頂点に君臨する――殺戮兵器。
時に厄災といわれ、時に神として崇められる。
だが、この状況においては間違いなく、災厄。
低く重量のある足音が響く。
そこに現れたのは、
絶望の象徴―――竜だった。




