第五幕 異形
「………………………………………」
「………………………………………」
「あのー………………………………」
「静かに」
「はい…………」
結論から言うと、アウレは俺のなかに両手を介して、マナを流しているようだった。
そうすることで、自分のなかに存在するエネルギーを知覚できるようになるから、ということらしい。
そしてそれは、概ね成功したと言える。
マナを流してもらった時点で、俺は自分のなかにある『それ』を少しだけ、感じることができたからだ。
ただ、完全に認識するには、もっと長い時間、マナを他人に流し続けてもらう必要があるらしい。
理屈としては、生まれたときから存在している、自分のマナやオーラには、何もしなげれば自分で気づくことはないため、他人のマナやオーラを体に押し込み、自分のなかにあるものを無理やり動かすことで、少しづつ、気づけるようになるという。
とはいえ、あくまでこれは荒治療であり、本来はもっと時間をかけて、自分のマナやオーラに慣らすらしいが、今回はとにかく時間がない。
アウレがこの方法をとったことについては異論はない。
ちなみに、この方法で認識をしようとすると、例外なく、激痛に見舞われるのが通例のようだ。
だからこそ、アウレは「最初はちょっと痛いかもだけど」といったのだと分かるが、少しばかりマイルドにし過ぎではある。
そうは言ってみたものの、彼女は「あまり不安にさせるつもりはない」と明言していたし、不安にならないように気を遣ってくれたのは理解しているところなのだ。感謝こそすれ、責めるものではない。
問題は今、この状況において、責められるのは俺の方だ、ということだ。
「ねぇ…………」
「はい…………」
「もしかして……わざとやってる?」
「いや……わざとじゃないんです……」
「じゃあ、なんで――――――、」
アウレは、今までで一番の笑みを浮かべているが、これは決してポジティブな意味ではない。
なぜなら、恐怖しか感じないからである。
そして、彼女の機嫌を損ねかけている原因が自分にあるのも確かで……、それが今、明白になる。
「じゃあ、なんで――私のマナが、君の『それ』に食べられちゃうんだい?」
はっきり言って、そのつもりは全くない。
アウレが俺のなかにマナを流し始めてから数分経つが、その間、たしかに俺の『それ』は「動いて」いた。
本来であれば、流された側のマナやオーラは対流なり、圧迫なり、体外への放出なりするらしい。
しかし、俺の『それ』はそうならなかった。
アウレのマナが体内に流れてきた瞬間、そのマナを「食った」のだ。それも、片っ端から。
アウレは「食べられちゃう」と、かわいらしく表現したが、自分に言わせれば「吸収」していると言う方が近い。
ただ、「エネルギーを動かす」という目的そのものは達せられており、そのおかげで、少しではあるが『それ』を認識することができた。
だからこそ、『それ』がアウレのマナをどんどん取り込むのを認識できるわけだが、なるほど、アウレが俺の『それ』を、気持ち悪いと称した理由がわかった気がする。
数分後、
「はあ…………」
アウレは疲れを払うように溜息をついて、両手を離した。その手の感触がなくなって初めて俺は、随分と細い手だったな、と思う。それに不思議な感触がしたな、とも。
「とりあえず、少しは感覚がつかめたようだし、これくらいにしておこう。それに、これ以上マナを消費すると、私が疲れるからね」
「すいません……。なんか」
思わず謝ってしまった俺に、アウレは呆れを含んだ表情で言う。
「さっきも言ったでしょ?そういうときは謝るんじゃなくて、礼を言うのが紳士というものよ」
「そうですね。……ありがとうございます」
「うんうん。それでよし! まあ……本当だったらもっと長くできたんだけどね。流したマナは他人のマナには干渉しないし、自分のもとに返ってくるから」
ということらしい。
やはり、何か申し訳ない気持ちになる。
日本人としての性だろうか。
「ところで、認識できたのはいいんですけど、このあとはどうなるんです?」
「ここまでくれば、もうわかってきたでしょ? それに、もうかなり長いことここにいたし、そろそろ外に出たいだろうから、続きは歩きながら話そうか」
そう言って、アウレは部屋の出口に向かって歩き出した。
言われてから、俺は転移してから一歩も外に出ていなかったんだなということに気づく。外のことを気にしている余裕はなかったし、現状を理解するのでいっぱいだったのだから仕方がないことだ。
少し長くいすぎて、もはや愛着すら湧き始めていたこの石造りの遺跡のような部屋だが、転移し、アウレの膝の上から始まった数時間を経て、ついに、俺は外の世界へと踏み出したのだった。
ここは『異世界』だ。
ということ自体はアウレからそれを伝えられた時に信じた。信じることにした。信じるしかなかった。
だから疑ってはいなかったし、それを前提として今後の行動を考えてもいた。
だが、実感が持てていたかというのはそれとは別である。
例えるなら、昨日まで一緒に遊んでいた友人が、不慮の事故で急死し、それを次の日、人から伝え聞いたときと似ている。たとえ信じることはできても、実感として友人の死を感じるのはもっと後のことだ。
そういう意味で、俺は『異世界』に来ているという実感は持てていなかったわけだが―――
「これは………………すごいですね」
「そうだね。私も初めてここを訪れた時は、随分と驚かされたよ」
俺は目の前の光景に意識を奪われていた。
一言で。もし、一言でこの光景を表すとしたら。
たとえ、この景色を一言なんかでは表せないとしても、無理にでも表すとしたら。
それは、「地下神殿」ということになるだろう。
もっと言うなら、「悠久の時を経て、自然に飲み込まれた地下神殿」だろうか。
部屋の中から見たとき、外には、木とか蔦とか石とかしか見えていなかったが、こう、いざ外へ出てみると、本当に一部しか見えていなかったのだなと思わせる。
そして、陽光が入ってきているように見えたために、見上げたらさぞ、広い空と輝く太陽があるんだろう、と勝手に想像していたのもあって、遥か頭上にある天井が、さらに驚きを加速させる。
そう。天井である。
ここは地中なのだ。
このシチュエーションだけで、大興奮の民からするとたまらないであろう場所だ。
では地中なのになんで陽光が? と思いよく見てみると、どうやらその天井だったり、壁だったりの一部がありえないほど輝いている。
アウレに聞くと、太陽苔だよ、と教えてくれる。
太陽苔……、「ヒカリゴケ」なら知っているが、そんなものとは比べものにならないほど光っている。
こんなものを、堂々と見せつけられたのだ。
ここが、ファンタジーの世界なのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
自分たちがいた場所を振り返ってみると、壁に空いた横穴なのだとわかった。とはいっても、単なる横穴ではなく、入り口とその周辺はかなり凝った彫刻が彫られ、一見すると、壁に埋まった聖堂か何かのようにも見える。なかはただの空間だったわけだが。
いや…………転移の聖痕? があったか……。
地下神殿のなかは基本的に、かなり大きい石造りの建物がそこらじゅうに建っていて、それこそ大聖堂とか、あるいは城、と言ってしまっても遜色ないものばかりだ。そして、その建造物の周りを植物が埋め尽くしている。
いったいどこから栄養を吸っているのか気になる。
まさか、苔の光で光合成とかしないよな?
気になりはするが、今はそれどころではないか。
ただ、もう一つ気になるのは、この広大な空間を埋め尽くす空気だ。いや、空間があるのだから空気ぐらいあるだろうと思うかもしれないが、そういうことではない。
綺麗すぎる。
地中といういかにも空気の薄そうな場所にしては、あまりにも清々しい、思わず深呼吸をしたくなる空気があたりを満たしている。
もしくは、神聖な雰囲気といってもいい。
何か生命の神秘を感じさせるような、そんな雰囲気をこの空間そのものが放っている。
もし泉でもあれば、ユニコーンのような神獣が水を飲みに来ているのが容易に想像できる。
ここが、完全にファンタジーであることを理解した以上、例えではなく、本当に神聖な何かに満たされている可能性もあるか。
そんな得体のないことを考えていると、隣を歩いていたアウレが、感動でしばらく口を閉ざしていた俺のほうを向いた。
ああ、また気を遣わせてしまったかもしれないな。
反省すべきだ。
「ごめんなさい、話の続きをお願いしても?」
そう聞くと、待ってましたと言わんばかりに説明を始めた。
やはり、待っていたようだ。
「はじめに言っておくと、迷宮というのは城のようなものなんだよ」
とさっき自分が思っていたようなことを言われる。
「たしかに、お城のような建築がたくさんありますね」
「ん? そうではなくて……もっとこう、在り方が城に近いんだ」
「どういうことですか」
「なにかを守るような構造で、なにかを守るように複雑で、そして―――なにかを守るように兵がいる。それが財宝と秘密の隠された場所、迷宮ということさ」
「兵……?」
「そう。侵入者を許さない、迷宮の守護者。迷宮ごとに配備された兵はそれぞれいる。だが、どれもそれが人ナラザル者であることには変わりはない。例えばそう―――」
俺が感動しているうちに、
今は、ある程度進んで、建物と建物をつなぐ渡り廊下のような場所におり、最初にいた場所と比べると高さもそれなりにある。
そして、今向かっている建物の中、その入り口の暗がりを見据えて、アウレは言う。
「例えばそう―――彼らのような―――」
静謐で張り詰めた、静かな神殿の空気の中に、唐突に何かを擦るような音が響く。
差し込んだ苔の光が、暗がりからゆっくりと出てきた「何か」を照らし、その姿を浮かび上がらせる。
複数体、石の体を持つ人間―――否、死体。
「―――異形が」




