19.ばれてる
「鏡の声に、こんなに憎しみでいっぱいだったのねって言われて……」
話すエルスティンの目から、涙がぽろっと落ちる。
「さっき言っただろ、エルスティン。あいつは鏡だから、映るものは逆なんだ」
「あ……そっか」
言われてほっとし、エルスティンは涙をぬぐった。
「鏡に憎しみだ何だと言われてたなら、それは逆にエルスティンの心に憎しみなんかなかったってことだ。だから……むしろ、誇ればいい。エルスティンの周囲に現れた人達のことを、好きだとか尊敬してるとか、そういった気持ちでいっぱいなんだって。同じ人間の顔があったのは、その人に対してそれだけ同じ気持ちを持ってるってことになる。俺はその光景を見ていないから、エルスティンが受けた恐怖は想像するしかできない。でも、それが事実だ」
遺体の山ができていく様を見るのは、魔物に襲われるよりも怖いことかも知れない。
叫ばずにはいられない程、恐怖が心を占めた。あの光景は、そう簡単に頭から離れてくれないだろう。
それでも、実際の感情は真逆だと教えてもらえた今、あの時よりは恐怖が薄れたようにも思える。
見たままではなく、その裏側を感じるべきなのだ、とわかって。
「今日は帰っていいって言われてる。俺が送っていくから」
「え、それは嬉しいけど……あたし、ずっと寝てばかりなのに」
「だから、身体もすぐには動かないだろ。これから仕事をするとしても、すぐ終業時間になるから集中もできないしな」
そろそろエルスティンが起きるであろう時刻を見計らい、ガージェスは医務室へ来た。
エルスティンが目を覚ましたら、そのまま家に送るように、とホークルから指示されているのだ。
ちなみに、ガージェスは彼女を送ったら、またハーロネルトへ戻って仕事である。
確かに、これから出勤してもまともな仕事にはならないだろうな、とエルスティンは素直に送ってもらうことにした。
両親には「魔法道具の強い気にあてられて、ハーロネルトで休むことになった」と伝えられているらしい。そう言われてみれば「魔法道具のせい」には違いない。
家にいるよりも魔法医師がそばにいる方が安心だから、という、もっともらしい理由も告げたそうだ。それで、両親も納得してくれたらしい。
なので、話を合わせるように、と帰り道で言われた。帰ってから両親に事情を聞かれたが、聞いた通りに答えておく。
詳細は言えないものの、だいたいが本当のこと。なので、後ろめたさを感じることもなく、気が楽だ。
仕事をするようになってまだ一ヶ月も経ってないのに、色々あったなぁ。
自宅へ送り届けられ、自分の部屋でそんなことを考えていたエルスティンは、さっきガージェスから聞いた話を思い返す。
鏡だから、映るものは逆。
「え……あれ……」
話を聞いていた時は「そうなのか」と思うだけで、特に深くは考えず。
エルスティンが「鏡から、憎しみでいっぱいだったのね、と言われた」と話すと、ガージェスが「憎しみなんてなかったんだ」と言ってくれた。
憎しみと言うのは鏡が使った表現だが、憎しみの逆とは何だろう。ガージェスは、好きとか尊敬という言葉を使っていた。
遺体があったということは、逆に言うと「生きていてほしい」ということになり、生きていてほしいと強く意識するくらい「好きである」とか「大切だ」ということ……になるのだろうか。
だとすれば、ストレートとはほど遠いが、もしかしなくてもエルスティンはガージェスの前で「ガージェスが好きだ」と話していたようなものになる訳で。
そのことを今更ながらに気付き、エルスティンの顔は一気に沸騰した。
ガージェスは気付いてる? さっきの話、研究班でもするよね。調査の一環だもん。って、えーっ、どうしよう。明日からどんな顔して行けばいいのよぉ。
☆☆☆
気分的にはもう一日休みたかったが、そうもいかない。心はともかくとして、身体は特に問題ないのだから。
翌日になって、エルスティンは研究班の扉を開けた。
「お、おはようございます……」
「あら、おはよう、エルスティン。具合はよくなった?」
アードリーが普通に挨拶してくる。
ホークルもローグラッドも、そしてガージェスも普通に挨拶してくれて、エルスティンは拍子抜けした。
自分だけが考えすぎていた、ということか。
例の鏡の件では「知らない男に街でおかしな鏡を見せられた」という事件として、魔警課の資料にも残っていた。その「知らない男」は、間違いなくグレバーニだ。
日誌と照らし合わせていけば、もっと他にも資料が見付かるだろう。
流れた年月から考えて被疑者死亡はほぼ確実だが、あの森の屋内に証拠品となる物があるということで、調査の続きは魔警課と一緒に行く、と聞かされた。
魔物退治班から研究班に話が来て、今度は魔警課。ずいぶん大がかりになってきている。
あんなことがあった後なので、エルスティンは今回の調査から外れていい、と言われた。
気を遣ってもらって、ありがたい。だが、一人置いて行かれる方が怖いので、一緒に行くことを希望する。
それに、時間が経つにつれ、やられたままでいるのが悔しくなってきたのだ。
周りは何もなかったようにしてくれているが、人の気持ちを周囲に暴露されたようなもの。
あの鏡についてはアードリーから「検証次第で破棄することになっていて、ガージェスが担当する」と聞かされた。エルスティンも「そこに加わりたい」と思う程に怒りがわいているのだ。
次の日になると、先日よりいくらか人数が増えた状態であの現地へ向かった。
隠し扉になっていた壁部分はややこしくなるので(実にあっさりと)取り払われ、数人があの隠し部屋へ出入りする。
前回はああいうことがあって、奥までしっかりと確認できていなかったのだが、今回調査したことによって鏡が見せたものではない「本物の遺体」が一つ見付かった。
後日調べて出た結果は、グレバーニだろうということだ。遺体は頭を抱えてうずくまるような形で、白骨化していた。
「あの部屋にあった道具類に、人を殺すだけの力はなかったと考えられる。可能性としては、何かの病気で痛みにうずくまった状態で死んだか……あの鏡だろうな」
報告書をまとめる際に、ホークルがそんな私見を出した。
「あの鏡で死ぬかなぁ」
「ローグラッドは、鏡に囚われていた時間が短かった。だが、あの場所にはグレバーニしかおらず、ガージェスが見付けた日誌から推測するに、道具の製作は一人でやっていたはずだ。で、あの状態で長時間放っておかれれば、相当精神を病むんじゃないか? どんな悪人であれ、感情が何もないなんて奴はいないだろう」
「あれって、一人じゃ絶対に戻れないぞ。誰かの声か接触、もしくは両方がなけりゃ、ずっと鏡の世界の中だ」
ローグラッドの意見に、同じ目に遭ったエルスティンも賛成だ。
自分では覚えていないが、ガージェスが何度も名前を呼んで頬を叩いて、ということを繰り返してくれていた、と聞いた。
それでも、エルスティンの意識が戻るまで、かなり時間がかかったのだ。ローグラッドでさえ、アードリーに頬を叩かれて正気になった。
長く囚われていればいる程、戻るのは難しいのだろう。
「確かに、あの時のローグラッドの様子だと、放っておいたらあのままでしょうね。じゃあ、グレバーニもやっぱり、大切に思う人が亡くなっていくのを鏡の世界で見ていたのかしら」
「そういう奴がいればそうだろうけど、俺はいなかったと思う。日誌を読んでると、一匹狼みたいな奴だったし。たぶん、人を信用しないタイプだ」
何がきっかけで、魔法道具を売りさばこうとしたのか。
あの製作所とも言える建物の中には、それがわかる資料は見付かっていない。
ガージェスが読んだ日誌にあった名前は、あくまでも顧客だけ。誰かと共同研究していた様子は全くなかった。
日誌の半分が販売名簿のようになっていたのも、色々な用心のためだと思われる。自分の名前があったのも、中身が改ざんされないようにする魔法が文字に込められていた、と判明した。
とにかく、用心深い人間だったようだ。





