18.鏡
エルスティンが目を開けると、見慣れない天井が映った。
ん……朝? 今日って、何曜日だっけ……。
目覚まし時計の音は、聞こえなかった気がする。時間より前に起きたのだろうか。そんなことは、一年に一度か二度くらいしかないのに。
「目が覚めたか」
横からそんな声が聞こえ、エルスティンはびっくりしてそちらを見た。
「え、ガージェス?」
自分が寝ているベッドの横にガージェスが座っているのを見て、エルスティンは飛び起きた。
「おい、急に起き上がらない方がいいんじゃないのか?」
「そ、そんなことより、どうしてガージェスがここにいるの? ……あれ?」
自分で言ってから「ここ」が自分の部屋ではないことに気付いた。
ベッドの周囲が、薄いクリーム色のカーテンに囲われている。ベッドのシーツは白で、模様が何もない。
さっき目に映った天井も、見慣れないオフホワイトののっぺりしたもので、ちょっと高かった気がする。
「ここって……」
「ハーロネルトの医務室だ。調査から戻って来てから、エルスティンはここで休んでいたんだ。調査のこと、覚えてるか?」
調査と言われ、記憶をたどる。何か怖い目に遭って、それから……。
思い出すにつけ、エルスティンの頬が赤くなる。
前後のことはまだしっかり思い出せないが、ガージェスにしっかり抱きついていたことが頭に浮かんだのだ。
ここへ来た時も「一人にしないで」と彼の服をしっかり握りしめて。
よりによって、最初に思い出したのがそれ。
「ご、ごめん、ガージェス……あたし……」
頬を押さえ、うつむくエルスティン。とてもではないが、ガージェスの顔をまともに見られない。
「謝らなくていいんだ、エルスティン。あの時は、このままエルスティンが壊れるんじゃないかと思って……その、俺も抱きしめてたし」
かすかに覚えている。
すがりつく自分をガージェスは抱きしめ、背中を叩いてくれていた。昔も同じことがあったっけ、と頭のどこかで思い出しながら、そうされたことで少しずつ気持ちが静まっていったのだ。
「夢を見る暇もないくらい眠るって、ここの先生は言ってたけど。身体はどうだ?」
「ん……たぶん、何ともない」
起きたばかりで判断できているのか怪しいが、どこかが痛いとか苦しいといったものは感じられない。疲れはない……ように思う。
それより、今はこの火照りすぎた顔を何とかしてもらいたい。首から上だけが熱くて。
「眠るって、どれくらい眠ってたの?」
「ほぼ一日、かな。今は調査に向かった日の翌日だ。もう昼を過ぎてる」
「ええっ、そんなに眠ってたのっ?」
「魔法に関連した疾病の時は、少し長めに眠らせるそうだ。エルスティンが眠りすぎてたって訳じゃないからな」
それを聞いて、ちょっと安心する。
丸一日眠るなんて、どれだけ眠ったら気が済むんだ、と本来なら叱られかねない話だ。
「あ、あの……あそこの調査はどうなったの?」
ガージェスとのこと以外でも、徐々に思い出してきた。
おかしな部屋へ入り込んでしまい、そこで……。
その後、ハーロネルトへ戻って休まされたが、たぶん調査はまだ終わっていなかったはずだ。
「一旦撤収だ。明後日、再開されることになった」
「あたしが、おかしなことをしちゃったから……。ごめんなさい」
あの部屋にあった、ほこりだらけの鏡。
いくら突然別の部屋へ入ってしまい、戸惑っていたとは言え、よく知りもしない鏡に言われるまま、ほこりを拭き取るべきではなかった。
いや、戸惑うような状況だったからこそ、安易に触れるべきではなかった。
自分の知らない、危険な道具があるかも知れないのに。どんな影響があるかもわからないのに。
実際、鏡に触れたことで、こんな目に遭ってしまったのだ。
でも、正直なところ、エルスティンはどうしてあの鏡に触れてしまったのか、全然わかっていない。
何か起こるのでは、という想像もできず、言われるままにほこりを拭き取ってしまった。
あの声を聞いた時点で、あの鏡の術中にはまってしまった、ということだろうか。意識を声に向けるべきではなかった、ということなのか。
「エルスティンが入ったのは、グレバーニの隠し部屋だ。わからないままに入れば、戸惑って対処の遅れがあっても仕方ない。ああいう場所の調査は、今回が初めてだったしな。それに、あの後でローグラッドも同じようにやられたんだ」
「えっ、ローグラッドも?」
「エルスティンより見付かるのが早かったから、そんなに被害はなかったけどな。だけど、そのまま調査を続けるのは無理って判断になった。だから、撤収したんだ」
それから、ガージェスは「あれからわかったことを話してもいいか」と尋ねた。
あの鏡に見せられた光景を思い出すことにもなるが、こういう鏡だったと知らなければ、ずっと心の中でもやもやするだろう。
ただ、エルスティンはショックが大きかったようなので、話すのはまだ早いかも知れないと考え「聞きたくない」と言われれば、後にするつもりだった。
しかし、エルスティンは聞かせてくれるように頼む。あんな怖い目に遭わせる鏡は、一体何だったのか。
ハーロネルトへ戻ってからガージェスが日誌を調べた限りで言うなら、あの鏡は姿を映した者の心を映す作用がある。そこは鏡が言っていた通りだ。
しかし、製作者であるグレバーニの意図とは作用が少し違ったらしい。
グレバーニの計画としては「目的や予定、今持っている感情について聞かれた時に浮かぶ心の中」が鏡に現れるはずだった。いわゆる「心を見透かす道具」を作るつもりでいたようだ。
相手の計画や考えていることがわかれば、自分が有利に動ける。
誰かを出し抜きたいと考える人間はどこにでもいるものだし、これで一稼ぎできるはずだった。
しかし、実際は鏡が「映す」とエルスティンに豪語していた「心の中」は、第三者に見えない。つまり鏡に映っていないので、わからない。
だが、映された本人だけには見えるのだ。しかも、本人の感情とは逆に映っているらしい。
グレバーニは、街で実験してみた。
あの部屋にあった鏡と同じ物を、手鏡サイズにして持ち出したのだ。
恋人もしくは夫婦であろう二人連れで歩いている人間に「好きな人が映る鏡だ」と言って、覗き込ませる。
無作為に選ばれた恋人達は、映るのが当然相手の顔だと思って見るのだが、しばらくすると泣き出す、もしくはショック状態で放心する者が続出。
残った相手が「これはどういうことだ」と詰め寄ろうとするが、そこは魔法使いなので、証拠も残さず逃げてしまう。
最初の計画とは違うが、これはこれで使い道をうまく考えれば売り物になる。
グレバーニはそう考えたが、思わぬ事態が起きた。
鏡が自我を持つようになったのだ。しかも、しゃべり出して。
私に顔を見せろ、姿を映せとしきりに誘う。これでは怪しすぎて、誰も近付かなくなってしまうではないか。
どういう作用で自我を持ったのか、は不明。魔物が鏡の中に入り込んで、何かおかしな作用でも起こしたのかも知れない。
黙れと言っても黙らないので、売り物にするのは一旦中止だ。
鏡の自我を消す方法、もしくは黙らせる方法が見付からなければ、割ることも辞さない。
製作日誌には、そういった内容が書かれていた。
「あの時……周りの人がどんどん死んで」
話を聞いていたエルスティンが、ぽつりぽつりと話す。
ガージェスは「無理をして話すな」と言いかけたが、もしかしたら話すことで少し気持ちが楽になるのかも知れない、と考え直し、口を閉じた。
「あなたが怒ったり憎んだりして、みんなはこうなったんだって言われた。そのうち、ガージェスの遺体がいっぱい増えて……」
ローグラッドも「アードリーの遺体がいくつもあった」と話していた。やはり同じようなことが、二人に起きていたのだ。
ローグラッドは時間が短かったが、エルスティンはどれくらいの時間、そんな光景に囲まれていたのか。
その後の様子を思い返せば、本当に怖かっただろう。見付かるのがもう少しおそければ、本当にエルスティンは壊れていたかも知れない。





