17.ひとまず帰って
「ああ……まだ少し放心状態みたいだけど」
ガージェスは極力冷静な口調で、声をかけてきたアードリーに答えた。
それにしても、いつから見られていたのだろう。
「ケガは……たぶん、してないと思う。ずっと意識を取り戻そうとしてたから、確認はできていないけど。血の臭いはしてない」
「そう。それなら、ひとまず安心していいかしら」
それを聞いて、アードリーはほっとした表情を浮かべた。
「調査途中だけど、ローグラッドもやられちゃったことだし、今日はもう仕事にならないわ。ホークルもそう判断したから、ハーロネルトへ戻りましょう」
ここへ来て、まだ数時間。昼を少し過ぎたくらいだろうか。中に何があるかをメモしたくらいで、予定の半分も作業はできていない。
しかし、二人はもう仕事ができる状態ではないし、自分達だけで帰るというのも無理そうだ。
それに、エルスティンは無理でも、ローグラッドからこうなった経緯を聞く必要がある。
「一人では無理でしょうから、エルスティンはあなたが連れて帰ってちょうだい」
「ああ、わかった」
応えてから、ガージェスはエルスティンの顔を見る。
泣きはらした目でぼんやりした表情をしているが、ガージェスに抱きつく手にはまだ力がこもっていた。
怖くて離れたくないのか、今まで力を入れすぎていたから手がこわばってしまったのか。
「エルスティン、今から協会へ帰るぞ。俺と一緒なら、魔獣にも乗れるな?」
ガージェスがそう尋ねると、エルスティンは小さくうなずく。
抱きつかれたままで立ち上がるのは少し苦労したが、それ以外は問題なく、一行は魔法使い協会へと戻った。
☆☆☆
ハーロネルトへ戻ってもエルスティンの顔は真っ青だったため、ガージェスは医務室へ連れて行った。ホークルも一緒に向かう。
「ガージェス……一人にしないで」
ベッドで休むようにガージェスから言われたが、エルスティンはそれをかたくなに拒否した。
うながされてベッドに腰掛けたまではいいが、このまま一人になるのがいやだと言うのだ。
行くなとガージェスの服を握るエルスティンの手は、細かく震えている。まだ話は全然聞けていないが、あの場で相当怖い目に遭ったようだ、とは想像できた。
「ハーロネルトへ帰って来たんだぞ。一人じゃないんだ。ここなら、安心して休める。もう何も怖くないから」
「わかってる。わかってるけど……いやなの」
ガージェスが諭しても、エルスティンは首を振る。まるで子どもに戻ったかのような仕草だ。また泣きそうな表情になる。
「はーい、失礼。ちょっと診察するわね」
声をかけながらカーテンをあけ、医務室の女性医師が現れた。
普通のケガだけでなく、魔物による呪いや毒を含んだ疾病などを治療する、医療班の魔法使いだ。
「ああ、その前にこの香料をかいで。気分が落ち着くわよ」
医師は小さな瓶に入った白いクリームのようなものを、エルスティンの鼻の前に出す。言われるままにエルスティンがかぐと、ガージェスの服を握っていた手から力が抜けた。そのままベッドに倒れてしまう。
「あの、これって……」
あまりにもあっさりとエルスティンが眠ってしまったため、見ていたガージェスは目を丸くする。
「怖い目に遭ったんでしょ? しばらく夢も見ないくらい、ぐっすり眠れるようにしてくれって言われたから」
斜め後ろを見る医師の視線を追うと、ホークルが立っていた。
エルスティンがまだ混乱状態にある、と確信した彼は、ガージェスが相手をしている間に彼女の状態を医師に説明していたのだ。
今はとにかく休ませるため、強制的に眠らせるように頼んだのである。
魔物退治などで興奮・混乱している魔法使いを眠らせることはよくあるので、医師の方も心得たものだ。
もちろん、副作用など起きない眠り薬を使っている。その薬で、エルスティンをあっさりと眠らせてくれた。
「眠っている間に、しっかり診察しておくわ。この薬を使うと一日近く起きないから、今日はここに一泊ね。明日になれば、すっきり目覚めるから。後はまかせておいて」
「お願いします」
エルスティンのことは医師にまかせ、ホークルとガージェスは研究班の部屋へ戻った。
「ローグラッド、具合は悪くないか?」
イスに座ってぼんやりしているローグラッドに、ホークルが声をかける。
「あ……ああ。まだちょっと頭の中が混乱してるけど、身体は何ともない」
「今も話を聞いていたんだけれど、あそこにあった鏡にやられたそうよ」
「やっぱり、か」
たまたま壁を抜けたローグラッドは、鏡の近くで倒れているエルスティンを発見した。
街の中ならともかく、こういう得たいの知れない場所なのだから、先にホークル達に不明者と隣室の発見を知らせるべきだった……と落ち着いた今なら思う。
しかし、壁をすり抜けるという不測の事態に加え、ずっと捜していた仲間がすぐそこで見付かり、ローグラッドの意識はエルスティンのみに向いてしまったのだ。
とにかく保護しなければ、とエルスティンへ駆け寄った。その時、ホークル達も聞いたあの声が、ローグラッドの耳に入ったのだ。
顔を見せて、と。
ホークル達と違ったのは、ローグラッドは状況を把握しないまま、エルスティンに駆け寄ったため、ほこりが拭き取られた部分の鏡に姿が映ってしまったこと。
そして、声に反応して鏡を見てしまった。
「あなたの心を見せてあげる、とか言われて、気が付いたら鏡の壁に取り囲まれていたんだ。最初は当然、自分が映っていたんだけど」
その中で自分とは違う姿を見付け、敵が現れたのかと警戒した。
よく見れば、それは自分の両親。さらに、仲のいい友人知人が増えてゆく。
だが、誰もが死んでいたのだ。
その中にアードリーの姿を見付け、さらに何人ものアードリーが死んでいるのを見て呆然となっていたところで、自分の名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声で、周囲の鏡や遺体がぱっと消える。
生きているアードリーが声をかけてきている、とゆっくり夢から覚めるような感覚で彼女を見ていると、頬を叩かれた。
そうされて、ようやく正気に戻れたのだ。
まだぼんやりとはしていたが、さっきの光景は現実ではない、と理解できるだけのまともな感覚はあった。
「そうか。同じことがエルスティンに起きていたとして、だから俺が生きてるのかって聞いてきたんだ」
ガージェスは、意識を取り戻した時のエルスティンを思い出す。
「エルスティンがいなくなってから見付かるまでの時間は、ローグラッドの倍以上はあっただろう。ローグラッドが見たような光景を、エルスティンはずっと見せられていた、と考えられる。ショック状態になるのも、当然だ」
「あの鏡、叩き壊してやりたい……」
ガージェスが、ぼそりとつぶやく。
エルスティンに意識が集中していたから、板のようなものが立てかけられていたことも、はっきり言ってうろ覚えのガージェス。ローグラッドの話で、それが鏡だったと今知った。
いつも元気で明るいエルスティンをあんなに追い詰めた鏡に、ガージェスは強い憤りを覚える。できるなら、自分の拳で叩き割ってやりたい。
「気持ちはわかるが、もしあの鏡の中に面倒な魔物が封じられていたりすると、割るのはまずい。抜け出して、さらに悪さをする恐れがある。魔物の有無を調べ、廃棄することが決まれば、壊すのはガージェスにまかせる」
とりあえず「もう少し待て」ということだ。
「とにかく、もう一度しっかり調べないといけないわね。あそこが魔法道具売買をしていた犯罪者の拠点のようだし、そうなるとうちだけの問題ではなくなるわ」
「ああ。だが、今は最優先であの鏡の調査だ。エルスティンに後遺症が残っては、大変だからな」
言いながらホークルが出したのは、ガージェスが見付けたグレバーニの製作日誌だ。
今回はこんなことがあったので何も持ち帰らなかったのだが、この日誌だけは持ち出したのである。
「ガージェス、ここには失敗作について書かれていたんだろう? あの鏡について調べてくれ」
「わかった」
日誌を受け取ると、ガージェスはホークルに確認した。
「本当に、廃棄は俺にやらせてくれよ」





