2.白い少年
妖精の祝福。
それは妖精王が年に一度、この国に祝福を撒き、国民に妖精王は変わらずこの国を守っていることを知らせるものだ。目に見ることのできない祝福は、適応者を見つけると自然と適応した部位に宿る。宿った部分は人の身ではありえない力を発することができる。
レジーの足は祝福が宿ったおかげで風のように走ることができた。
走ること30分くらいで、レジーはノクチルカに到着した。
ノクチルカは住むのに適した穏やかな街だが、イルメリアは商売の活気に溢れる街だ。生活用品ばかりのノクチルカの街に比べ、イルメリアには娯楽品の店が多い。
街へとついたレジーは走ることをやめ、ゆっくりとした歩みで目的の屋敷を目指した。いくつかの店を抜け通りを超えれば、レジーの住んでいる家が10個入るのではないかと思わせるほどの大きな屋敷が見えてくる。
「フィリに手紙のお届け物です」
「おう、久しぶりだな。ウィルからか?」
「はい」
ガタイの良い男が2人、門番として立っていたが、レジーの姿を見ると気さくに話しかけてきた。よく届けに来ているレジーと門番は顔見知りの仲だった。コクリとうなずいたあと、2人いるうちの1人がフィリを呼びに行ってくれる。
「こんな時間にきて帰りは大丈夫か?」
「大丈夫。子供扱いしないでくれる?」
「14歳はまだガキだな」
「15歳だよ!」
「変わんねぇよ」
本来はレジーからフィリ本人に渡す必要はなく、門番に渡せばいいものだ。そうすれば門番から執事へ、そしてフィリにきちんと渡される。しかし、フィリは毎回受け取りに現れる。
残っている門番とレジーは待っている間の暇を潰すかのように他愛のない話を続けた。数分待つとお屋敷の方から、おっとりとした優し気な女性が現れた。金糸雀色の髪を靡かせ、たおやかに歩くその姿は領主の娘として行き届いた教育を覗かせる。
「まぁ。いつもお手紙ありがとう。よかったらご飯食べていかない?」
「いや、遠慮しておきます。帰りが遅くなってしまいますので」
レジーが手紙を差し出せば、そっと白魚のような手がレジーの手を包むようにして手紙を受け取る。青い瞳が熱っぽくとろけて手紙を受け取っている姿に、そんなに手紙が嬉しかったのか、とウィルとフィリの仲を感じさせた。
ウィルの手紙を届ける度に会っているので、フィリとも顔見知りのような関係だ。
本来、捨て子と言われているレジーとは関わるような人ではないのだが、フィリはレジーに敬語はいらないと言ってのけた。しかしレジーは身分を理由に申し出を辞退したが、フィリは食い下がり様をつけないことで妥協してもらった経緯がある。
押しの強さと落ち着いていて余裕のある態度はさぞウィルとお似合いなことだろう。フィリを見ていると卑屈になりそうな自分が嫌いで、早く帰りたかったレジーは誤魔化すように笑いかけてその場を後にした。
イルメリアから帰る最中、レジーは森をのんびりと歩いていた。森は熊や狼が住み着いており、狩りだって行われる場所だ。
通常の道を通るよりも森を抜けたほうが早く行き来できるのだが、レジーが立ち入ることは危険だからと街の住人から禁止されている。けれど、夜が近くなってきたため、レジーは森を通り抜けることを選んだ。
このことがバレればこっぴどく怒られることは想像に容易い。
危険をはらんだ森なのだから、早くに走り抜けてしまえばいいのだが、突発的な仕事だったこともありそれなりに疲労を感じていた。もし獣が出たとしても逃げればいいだろうと思い、休みがてらのんびりと歩きながら帰っていたのだった。
夜が近い森は薄暗く不気味だが、レジーは雪で白く化粧がされている森は大好きだった。木の葉から雪が落ちるどさりという音も、さくっとした踏み心地も、ひんやりとした風も、駆けて温まった体には心地よいくらいだ。
グルル――。
匂いも感じようと、空気を吸い込んだとき、獣の鳴き声が耳に入った。喉を鳴らす声はそれほど遠くないところから聞こえたように感じる。ゆったりとしていた時間は終わったのだと、走りだそうと足に力を込めた時、少し先に転がっている塊に気が付いた。
「んん?」
転がっている塊をよく見れば、その塊は白く雪に紛れかけている。けれども、目を凝らしてみればそこにいるのは子供であることがわかった。そしてその塊の近くには1体の銀狼がいることも見て取れた。暗い森の中でも銀色の毛並みは目立って見えて、先ほどの獣の声はきっとこの銀狼だろうと見当がつく。
レジーは妖精の祝福もあり、足には自信があるがそれ以外はからっきしだった。武器だって鞄に入れている護身用のナイフ一本しかない。銀狼に立ち向かうのは危険なことには代わりがなかった。
「~~~~!あぁ!もう!」
知らない子供と己の身を天秤にかけようとしたとき、銀狼がぴくりと動く様子を見せた。悩んでいたことさえ忘れて、レジーは銀狼と子供の間へと身を滑り込ませる。
「頼むからこれでもう死んでましたとかはなしにしてね」
突然現れたレジーの姿に飛び掛かる寸前だった銀狼がひるむ。鞄から取り出したナイフが光を反射してきらりと光り、銀狼は様子を伺い始めた。
膠着状態のうちに、銀狼から目を離さないようにしながら、じりじりと子供へと近づいた。そっと触れた顔は、硬く目を閉じているものの、温かみがまだあって生きていることを教えてくれる。
「はぁ……、よかった」
安堵のため息を吐いて、さて、ここからどうしようかと思案する。レジーが走り出すのが先か、銀狼が襲い掛かりに来るのが先か。子供を抱きかかえなければいけないことを思えば、銀狼が襲いに来るの方がきっと早いだろう。
「イチかバチか……」
銀狼と睨みあいながら、右手でナイフを握りなおした。左腕を少年へと伸ばしてすぐに抱きかかえられるようにする。
膠着状態は雪に冷やされた空気よりも冷たく、張り詰めていた。銀狼が動いたのと同時に、レジーは反射でナイフを銀狼へと投げた。残念なことに投擲の才能がないためにナイフは銀狼の横をかすめただけだ。それでも銀狼はナイフを避けるため、横へと一度跳ねる。跳ねた隙にレジーは子供を片手で抱きかかえ、ナイフを持っていた右腕で体を庇った。
「イッ……アァ!」
肉に食い込む牙の痛みに涙がにじんだ。
熱を持ったように痛む腕に食いついた銀狼と、至近距離で目があう。
「こ、の…ッ!」
妖精の祝福を受けた足は何も駆けることだけに秀でているわけではない。思いっきり銀狼の体目掛けて足を突き出し、蹴りつける。胴体にうまく当たったようで、銀狼はキャインと鳴き声を上げ、雪の上を転がった。
銀狼が立ち直る前に、レジーは態勢を立て直して、高く飛び近くの木へ飛び移った。眼下を確認すると銀狼が木の周辺をうろうろとしている。どうやら木には登れないらしい。安心はできないが、一旦銀狼から目を離して子供を確認する。
子供は少年で、見たところ怪我は負っておらず、胸を撫で下ろす。
「血がついたこと、怒らないでよ」
木をひっかき、吠える銀狼を尻目に、レジーはぐっと足に力をいれて走りだした。銀狼に噛まれた手には力が入らず、左腕で少年を抱きしめながら走る。それが不安定で落ち着かないのか、腕の中で少年がもぞもぞと動くので、落とさないように強く抱きしめた。