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夢幻の塔  作者: ねぴあ
【深雪の塔】
15/19

雪山の主

「私たちは三日後の昼過ぎに雪山の方の主を倒しにいくわ。もし一緒に戦うのなら北側の門の前に来て。……無理はしなくていいわ」


 初めてあった日、イリーナさんは私にそう言い残して去っていった。


 結局その日、私を責める言葉がイリーナさんの口から出ることはなかった。安易に慰めの言葉をかけるということもなかったが、同時に無理に戦うように言うこともなかった。言われたのはただ一つ……戦うかどうか、自分で考えた方が良いということ。


 今回行かなくてもこの先戦えるようになったら一緒に戦えば良いと言う人もいるかもしれない。だが私にはわかる。今日を逃したら私はもう二度と戦うことができなくなるだろうということが。

 仲間を失った傷が癒えてから、戦いへの恐怖が消えてから戦えば良い?――いったいそれはいつだ?

 今日踏み出すことができずにイリーナさん達の手によって塔を突破してしまったら、私はおそらく二度と扉を潜ることができないだろう。そして、窓もカーテンも締め切ったこの部屋の中で、ずっと息を殺すようにして過ごすのだ……誰かがこのゲームをクリアしてくれることを願って。


 おそらくそれはイリーナさんも分かっている。分かっているからこそあんな提案をしたのであろう。そしてさらに多分それは自分にも……。


 だから行かなければならない。立たなければならない。

 だが、もう既に約束の刻限は一時間以上も過ぎていた。


「なんで……なんで私は」


 立てないのか。

 頭ではわかっている。わかっているが震えるのだ。体が言うことを聞かないのだ。まるで全身に重しをつけられているかのよう。


 あの時から考えて考えて。前に進もうと決意をして、やっぱり折れて。その繰り返しだ。

 イメージが湧かない。自分が戦っている想像ができない。モンスターと対峙している図が描けない。今も頭の中に浮かぶのはただただ漠然とした暗闇と……恐怖の象徴となった骸骨のみ。


 だから、トントンと。扉にノックがされたのにもすぐに気づくことができなかった。


「……起きてる?」


「君は……」


「何度も来てごめん。バロウ達とさっき偶々会って……お節介かと思ったけど少し話をしに」


 耳を震わせるのはまだ青年への階段を登り切ってないであろう、少年じみた声。これで三度目の会話となるであろう少年――リヒトは部屋の中には入ろうとしなかった、どうやらそのまま扉を挟んで話をするらしい。


「……バロウさん達は何か言ってた?」


「バロウというか……イリーナさんだけど一言だけ。先にいくから来れるようになったら来なさいって」


「……」  


 その言葉はイリーナさんらしい圧がありながらも、どこか優しさを感じさせるものだった。今日中に立ち上がって追いついてこいという言い方にも取れるが、多分、行けなかったとしてもイリーナさんは怒らないだろう。


 だからこそ、絶対に甘えたくはない。

 

 黙る私に少年は少し口を噤む。だがしばらくしてまた話し出した。


「……この戦いが終わった後さ、何かやりたいことある?」


「え?」


「向こうの世界に帰った後でも、この塔をクリアした後でも良い。具体的に何かやりたいこと」


「そんなこと……」


 言われて気づく。ぱっと頭に思い浮かばない。やりたいことなんていっぱいあるはずなのに、私は何も言葉を発せないでいた。

 詰まる私に少年は更に言葉を繋げる。


「……『目の前が絶望で覆われた時は、未来で何をしたいかを想像する』」


「……え?」


「『小さなことでも良い、望みの未来に辿り着けたとして、その時何をしたい?その希望が今を生きる力になる』……前に俺を助けてくれた人はそう言ってた」


 どこか嚙み締めるように言う。それは初めて聞く声色だった。冷たいという訳ではないが、いつもどこか淡々としているイメージだったから。


「その人は『希望を考える』ってちょっと独特な言い回しをしてたけど……。大きな希望をただ漠然と持つんじゃなくて、辿り着いた未来で具体的に何をしたいかを考えることが重要だって、そう言ってた」


 少しフラグちっくだけど。そう苦笑する少年の声を頭の片隅で聞きながら、言われた言葉を反芻する。


「希望を……考える」


 希望を持つという表現は良く聞くが、考えるという表現は初めて聞いた。


 何がしたいのか?決まっている……向こうの世界に帰りたい。その希望は常に持っている。当然だ。そのために戦っていたのだから。だが、帰って具体的に何がしたいかは確かに考えたことがなかったかもしれない。

 帰った後、やりたいことはなんだろうか。


 考える。考えて……すぐに答えは出た。

 友達と会いたい。休み時間に昨日見たテレビの話をして、放課後に話題になっているカフェに一緒に寄りたい。

 美味しいご飯を食べたい。家族そろって、いつも通りのちょっと水分が多いご飯を食べて、野菜たっぷりのスープを飲みたい。

 また音楽を……歌を歌いたい、ピアノを弾きたい。曲を作りたい。……夢を追いかけたい。


 考えれば不思議なもので、するするとやりたいことで脳内が埋め尽くされていく。

 それらは当然今までずっと頭の中にあったことだ。だが何というか、意識をして考え出したら、それはどこか具体的なイメージとなって頭に染み付いた。そしてそのイメージは……大げさかもしれないが世界を拓くような感覚をもたらす。


 少年の言ったことの意味が、少しわかったような気がする。

 

「偉そうにごめん」


「ううん……」


 言葉一つで全てが劇的に変わるなんてことはない。けれどきっかけにはなる。

 今頭に浮かんだ考えも、この体に入った活力も、少年の言葉がなかったらきっとなかったであろう。


 何をしたいのか、そしてそのためには何をすべきなのか。

 ……何のために戦うのか。


「ありがとう」


 震えはいつの間にか収まっていた。


***


 狙って、射る。

 

 弓を武器として選んだのは最初に装備していたからということの他に、高校時代部活で弓道を行っていたという理由もあった。主将として活動し、三年の最後には全国大会に出たこともある。

 だからといって最初から余裕を持って戦うことができたわけではないが、確実にその経験はこの世界でも活きた。


 射出した矢は標的の肩に吸い込まれ……その太い腕に叩き落される。


 目の前に佇むのは体長四メートル程の熊型モンスター。≪メドベル≫という名が刻まれているアイコンは黒色。おそらくこの雪山の主であるボスモンスターであるこの熊は、取り巻きなども連れずにただ一匹で現れた。


『バァァァ!!』


 白色の熊は大きく叫ぶとその巨大な腕を振り回す。左右に展開していたバロウとギルがそれぞれ引いたのを確認すると、イリーナは装填していた次の矢を射る。矢は≪メドベル≫のわき腹を捉え、勢いよく突き刺さった。

 だが、出血はしない。外皮に弾かれたという訳ではない、矢は深くではないものの、確かに突き刺さっている。

 先ほどからずっとだ。攻撃は確かに通っているはずだが、生物型のモンスターにしては珍しく出血しない。多少疑問が生じるが考えていても仕方がない。頭を切り替えて次の矢を装填する。


 戦闘が始まって十分ほどが経過しただろうか。今のところ戦いはこちら側が優勢と言って良い状況だった。

 ≪メドベル≫は見たところ典型的なパワータイプのモンスターで、その膂力だけで言えば≪キング・トレント≫に相当するかもしれない。だが、その分小回りの利く攻撃や遠距離攻撃はしてこない。その上機動力も並であるためそこまで脅威ではないというのが今の印象であった。


 だが油断してはならない。ボスには第二段階があるのが常であるし、バロウの話によると、この塔は特にプレイヤーの不意を突く設計になっているかもしれないということだった。

 だからこそイリーナは自身の遠距離攻撃がボス攻略の要であることを自覚する。ほぼ一撃必殺の威力を持つ≪メドベル≫の安全圏から攻撃できる弓は、今のパーティでは貴重なダメージソースだ。特に今はヒーラーがいない。そのため、回復はアイテムで済ますしかなく、前衛の二人は特に大きなダメージを受けることができないのだ。


 以前までならばセレナがすぐに回復してくれたが今はもう……。


「イリーナ!」


 思考を切り裂くように自身の名を呼ぶバロウの声。意識を戻すと≪メドベル≫がこちらに向かって突進してくるところだった。慌ててその場を離脱すると、一拍遅れて丸太のような腕が先ほどまでイリーナのいた場所を勢いよく通過する。

 巻き込まれた木が粉々になるのを見て冷汗が垂れる。集中しなければならない。


 あの時からずっとこうだ。

 ふらついている。上滑りしている。足は地面を踏みしめているはずなのに、どこか体が浮いているような気がしていて、思考はずっと同じ経路を廻っている。


 予感がある。自分はこのまま戦い続けていたらいつか死ぬだろうという。

 自分には芯がない。戦いを続けるだけ……いや戦い抜けるだけの理由がない。ユキナに偉そうなことを言っておきながらも自分が一番迷っているのだ。


 迷いを断ち切るように矢を番える。一気に三本。弓道では考えられないことではあるが、この世界で上昇した能力はその荒業を可能とする。

 一刻も早く削らなければ……。その焦りを切り裂くように矢を射出した。


 その瞬間、≪メドベル≫が大きく吠えた。同時に白色の肌に何かが廻っていく。蜘蛛の巣のように複雑な線が折り重なっているそれは……青色の線と五角形の盾型の紋章。

 体の表面に発生したそれらが一斉に光る。飛来する三本の矢は光る紋章に吸い込まれていき……勢いよく弾かれた。

 

「な……!?」


 反射能力。これまで何も特殊な能力を使ってこなかった突然の力。それはイリーナの完全な意識外であり、跳ね返ってきた矢の一本が、前のめりになっていた左足の腿に突き刺さる。


「きゃああ!!」


 引き裂くような痛みに悲鳴が上がる。足から力が抜け、引きずられるように地面に崩れ落ちた。

 そこにすかさず迫る白色の悪魔。ぎらついた眼差しに空恐ろしいほど鋭利な爪。


(ああ…)


 死ぬのか。ここで。振り下ろされる腕がスローモーションのように見える。バロウとギルの叫び声がどこか遠くに聞こえた。


 絶体絶命というのにどこか心は穏やかであった。それはずっと予感があったからであろう、自分はいつか心半ばで死ぬという予感が。

 あの時からずっと囚われている。ありもしない泥沼に足を取られて、空想の蝋に全身を固められている。

 ユキナに偉そうなことを言った癖に自分が一番見失っているのだ。戦う理由を、その目的を。


 思い浮かぶのは失ってしまった仲間達の顔。その誰もが穏やかな顔をしていた。

 私もすぐそっちに行くと。そんなことを思った。



 だから、迫りくる腕の根元に勢いよく何かが突き刺さった光景が、どこか他人事のように思えた。


『バァァァ!?』


 突然の側面からの一撃に怯む≪メドベル≫。イリーナも何が起こったかわからず一瞬思考が停止する。

 突き刺さっているのは……銀色の槍。一瞬、失ってしまったパーティの顔がちらつくが、ジャミルの槍とは形が違う。


 そんな考えが頭の片隅に浮かびつつ、呆然とそちらを見る。


「……ごめんなさい。遅くなりました」


「あなた……!?」


 突き刺さる槍の先を目で追う。人の身長ほどもあるだろう金属特有の光沢を宿すそれを持つのは、およそ不釣り合いとも言える可憐な少女であった。艶やかな銀髪を一つに結び、白色の戦闘服に身を包む少女———ユキナはその得物を強く握り、正面から≪メドベル≫と対峙する。


 白色の大熊は突然の乱入者に苛立ったように咆哮し、その剛腕を振り回す。ユキナはその攻撃を避けながら切り結ぶ。槍の間合いの長さを活かし、≪メドベル≫のリーチ外から堅実に、だが決して臆することなく攻撃を仕掛ける。


「イリーナ!大丈夫か!?」


 呆然とその光景を見ていると、バロウとギルが慌てて駆け寄ってきた。


「え、ええ……」


「よかった……!それよりもあの子は……」


「……ユキナ」


 ≪メドベル≫と激しい戦闘を行う少女を見てギルが驚いたように呟く。それもそうだろう。少し前までは戦うどころか外にも出てこれなかった少女なのだ。現在目の前で槍を振り回す少女とは似ても似つかない。

 確かに一緒に戦うならば来てと言ったが……正直ここまで人が変わったように戦えるとは思っていなかった。


「ボーっとしてる場合じゃねえ!俺らも加勢するぞ!」


「あ、ああ!」


 回復が終わり次第援護を頼むと、そうイリーナに言って戦闘に参加する二人。それらを無言で見送っていると、暫くして入れ替わるようにユキナが姿を現した。


「足……見せてください、回復します」


 かがんでこちらを覗き込むユキナが心配そうに眉を下げる。


「……来たのね」


「はい……心配かけてすみませんでした」


 ユキナはイリーナの傷口に手を当てると、目を閉じる。そして一呼吸した後、


「……ライト・ヒール」


 そう呟いた。すると手のひらから山吹色の光の粒があふれ出し、傷口を照らし出す。それと同時、イリーナの足から痛みが引いていく。


「回復魔法も使えるのね」


「簡単なものです、私は回復役(ヒーラー)ではないので……」


 謙遜するがイリーナからすれば回復魔法を使えるだけで凄い。回復魔法を使える人間は希少なのだ。イリーナ達のパーティでも回復魔法を扱えたのはただ一人……セレナだけであった。

 だから通常『加護持ち』はアイテムで回復を行う。だが、アイテムにもよるが基本的に回復の効率は魔法の方が良い。特にパーティを組む場合はそうだ、集団回復を行う魔法があれば、その回復効率は雲泥の差となる。


「ありがとう、もう大丈夫よ」


 そう言ってユキナの手を抑える。傷もふさがり体力も戻った、もう十分戦える。バロウ達の援護をしなければ。

 逸る気持ちと共に立ち上がろうとして、足に力をいれ……途中で膝ががくりと折れた。


 傷は確かに塞がったはずでは……と自分の足を見ると。


「……え?」


 震えていた。


 意図せず疑問の声が漏れる。何故、どうして、疑問の声が頭を駆け巡る。今まで何度も傷を負うことはあった。今よりも酷い怪我をすることもあった。死にそうだったことも、逃げ出したくなる場面だって何度もあった。

 それなのに何故、今更。


 何度も立ち上がろうとするが、腰を抜かしたように下半身が言うことを聞かない。


「イリーナさん?」


「……なんで……」


 知れず口から疑問が漏れ出す。心配そうなユキナの声がどこか遠くに聞こえた。

 意味が分からず動揺しているイリーナをユキナは少し見つめた後、置いていた槍を持ち、立ち上がる。


「少し……休んでいてください。前に出ます」


 そう言って進む少女には少し前に見た儚げな面影は露程も無かった。その姿がとても眩しく思えた。


「ユキナ……あなたは、どうして……」


「イリーナさん」


 名前を呼ばれ顔を上げる。


「この戦いが終わったら、ご飯にでも行きませんか?」


「……えっ?」


 思いもよらない言葉に驚きが口に出るイリーナ。発言した本人であるユキナは少し困ったように眉を下げていた。


「聞かせてください。今までの話を……これからの話を」


 その言葉に、表情にはっとする。少女は気付いていたのだろう、いつか死ぬであろうというどこか私の達観的、破滅的な考えに。

 ユキナはそれ以上何も言わず、歩いていく。


 イリーナはただその姿を見送るしかなかった。

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