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レストラン《りんごの木》の白雪姫  作者: ゆちば
番外編
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番外編③ 白雪りんごのチキンステーキⅡ【白雪凛悟】

りんごおじさん視点の過去~本編その後です。

 

 10歳のときだ。忘れもしない。


 お盆の親戚の集まり。狭い田舎に長年暮らす叔父や叔母、従兄弟、関係性の分からないような遠縁の子どもが、平屋の和室にわいわいと勢集まる毎年恒例の宴会だ。


 料理が好きな母さんが中心になって作るたくさんのご馳走が、僕は大好きだった。年配者向けの筑前煮や魚の煮つけももちろん好きだったが、僕が好んでいたのはもっと子どもらしいものだった。

 唐揚げ、コロッケ、グリルチキンにハンバーグ……。小食なので、少しずつたくさんの種類を皿に取っていた。

 従兄弟たちから遊びに誘われても、「もうちょっと食べたいから後で」と言って断っていたくらいだ。


 それが気に障ったのか、中学生の従兄がぽろりと口にしたのだ。


「ま、凛悟はしっかり食べて体力つけた方がいいぜ。じゃないと、本物の母ちゃんみたいにぽっくり死んじまうよ」、と。


「本物の、母ちゃん……?」


 僕が反芻した単語に、親戚連中がそろって凍り付いた。あれほどシンと静まり返った実家は、後にも先にもなかった。全員が青ざめ、呼吸を忘れていたのだと思う。

 なにがなんだか分からず、僕は助けを求めるように父さんと母さんの顔を見た。だが、2人が誰よりも蒼白になっていることに気づいてしまい、従兄の発言が正しいことを悟ってしまった。


 地獄のような沈黙を破ったのは、姉の美姫だった。


「はい! お開き!」


 姉さんはパンッと手を叩いただけで、実家の人間以外の全員を帰路につかせた。

 3歳年上の姉さんは、僕と違って気も体も強く、中学校でも優等生。僕の憧れの存在だった。自慢の姉だった。


 ――本当の姉ではなかったことが分かってしまったけれど。


 その後の家族会議で、僕の実の母は、母さん――白雪海子の妹であることを知った。

 名前は雪子。都会に働きに出て、結婚せずに僕を産んだ。そして産後、僕の名前を付ける時間すらないままに亡くなった人。


 父さんと母さんは自分たちの子として、僕を引き取って育ててきたと言った。僕が物事を理解できるようになったら、事実を話そうと思っていた――とも。


 親戚の大人たちはみんなそのことを知っていて、一律にかん口令が敷かれていたのだが、結局は人の口に戸は立てられないというやつだ。

 思ってもみない形で出生の事実を突き付けられた僕は、いったいどんな顔をしていたのだろう。


 母さんは僕を抱きしめた。


「凛悟は母さんの息子よ。お腹を痛めたかどうかなんて、関係ないの」


 父さんは覚悟を教えてくれた。


「お前には、わしの『悟』の字を付けた。自分の子として立派に育てると決めたからだ」


 僕はむしろ、母さんと父さんの反応が想像以上に大袈裟に感じられて戸惑った。多分、自身の中に渦巻く濁った感情を受け止め切れなくなったのは、そのせいだろう。

 顔は笑顔を作り、口では「大丈夫。僕は家族が大好きだから」と言いながら、僕は心にすっと厚い壁を作った。


 何をしていても、もし僕がいなかったら――と考えずにはいられなくなった。

 母さんが職場復帰を諦めることも、父さんがたくさん残業してまで稼ぐ必要も、子ども部屋を作るための家の増築も、姉さんが私立高校の推薦を蹴ることも、きっとなかった。

 自分は彼らが得るはずだった幸福を奪いながら生きてきたのだと、当時の僕は僕自身を呪った。


 しばらく経ってから、僕は父さんと母さん、親戚たちに敬語を使うようになった。

 学校で流行っているんです、なんてわかりやすい嘘をついてまで、僕は作り笑顔でかしこまった言葉遣いを貫き続けた。


 父さんと母さんは、そんな僕に変わらずに「親」として接してくれた。

 けれど、それが実子の姉さんと同等の扱いをわざわざ意識しているように見えて、僕は余計に申し訳なかった。

 いつ、何をしていても、自分の存在が異物に思えてしまった。父さん、母さん、そして姉さんから、生まれてきたことを恨まれているんじゃないかと何度も考えては、消えたくなった。


 でも、非行に走ったり、不良になったりすることはなかった。僕は家族にこれ以上迷惑をかけたくなかったから。素行もよく、成績もよく、愛想もいい。存在価値のマイナスをゼロに近づける方法を、毎日必死に探していた。


 その息苦しさを見抜いていた姉さんは、中学3年生になった僕に進路の助言をくれた。


「家を出て、寮のある高校に行きなよ。凛悟に田舎は向いてない」

「それって、僕を追い出したいってこと?」

「どうしてそうなんのよ。のびのびした方がいい、ってことよ」


 姉さんは、僕が敬語を使わない唯一の身内だった。

 理由は、「凛悟がいなかったら、私が姉さんぶれないじゃない」という図太い主張で慰められたからだ。


「年上の私の方がお年玉が多いとか、おやつの量が多いとか、新品のものを私だけ買ってもらって、あんたがお古とか、そういう優越感がなくなる」なんてことを茶化して告げられた。


 僕は、この人の弟として育ててもらえたことに感謝した。

 僕は姉さんから奪ってばかりじゃなかったんだと思えたことが、心の底から嬉しかったのだ。


 そんな姉さんが、僕が実家から出ることを勧めてくれた。

 感謝と申し訳なさで家に縛り付けられる必要はない。県外には、アルバイトをしながら寮生活ができる高校があるから、いつか気持ちに整理がついたらまたみんなに顔を見せればいいのだ、と。



 ***


 僕は高校進学と共に、田舎を出た。遠方での一人暮らしは新鮮だった。道が狭く、地面が灰色。建物の背が高くて、空が低い。けれど、田舎よりも息がしやすかった。


 その後、僕はほとんど帰省しなかった。アルバイトで高校の学費と大学入学資金を貯めると、さらに遠くの大学へ進学した。両親からの電話には出ず、手紙でさらりと生存報告をするのみ。姉さんとはメールで繋がっていたので、季節が変わるくらいのタイミングで近況報告を入れた。


 大学3年生の時に一度だけ、姉さんが僕の学生マンションに泊りに来たことがあった。その時には姉さんはすでに田舎を出ていて、すっかり都会で働く会社員になっていた。僕のところに顔を出したのは出張のついでだと言い、一段と背が伸びた弟に驚いた様子だった。


 父さんと母さんは決して身長が高い方じゃない。娘の姉さんも小柄だった。なら、僕のこの背の高さは顔の知らない父親に遺伝しているのだろうか――なんて考えていると、表情が曇っていたらしく、姉さんに「そんな陰気な顔してたらモテないぞ」と強めにデコピンを食らわせられた。


 姉さんは明るく、ハキハキした性格のままだった。


 僕は変わらない姉さんに会えたことが嬉しくて、彼女の好物のコロッケを作った。とんかつ屋の調理のアルバイトをしていたので、作り方は熟知していた。そこに母さんの味付けを思い出しながら一工夫を加え、姉さん好みに仕上げると、思っていた以上に好評だった。


「めちゃくちゃ美味しい! 凛悟って舌が鋭いんだね。料理人、向いてるんじゃない? お店やってよ!」


 テーブルの向かいで、笑顔でぱくぱくとコロッケを頬張る姉さんのひと言。


 冗談混じりだったのだろう。けれど、ちょうど進路に悩んでいた僕にとっては、彼女のまぶしい笑顔が、暗闇に差す太陽のように見えた。


 僕が奪ってばかりではなかったことを教えてくれた姉さんが、さらに新しい可能性を教えてくれたのだ。

 今思えば、若干シスコンが入っていたのかもしれない。呆れるくらい単純で従順な自分に驚かされる。


 けれど、自分にも、こんなふうに誰かを喜ばせることができるなら――。


「じゃあ、挑戦してみようかな。いつか、姉さんが家族で来れるようなお店にしたいな」

「いいね。『家族』と食べるご飯は最高だから」


 僕が照れながらそう言うと、姉さんは笑いながら左手の薬指の婚約指輪を撫でていた。



 ***


 姉さんに子どもが生まれたと聞いたのは、フランスで料理修行をしている頃だった。


「すっごく可愛い女の子。平仮名で『ましろ』っていうの」

「おめでとう! いい名前だね。美鏡さんと決めたの?」

「うん。生まれた日が大雪でさ。景色が一面まっしろだったの。この雪の上に、自分らしい色や大きさの足跡を付けていってほしいと思って」


 電話越しに聴こえる姉さんの声は本当に幸せそうで、僕まで胸がぽかぽかと温かくなった。


 本当は、姉さんの娘に会ってみたかった。けれど、結婚式にすら顔を出さなかった僕に、その資格はないだろうと思い、「お祝いを贈らせて」とだけ告げた。


 僕が姉さんとましろさんに贈ったものは、【白雪りんごのチキンステーキ】のレシピだった。鶏もも肉をグリルして、りんごを使ったソースを添える一品で、料理があまり得意でない姉さんでも作れるくらいシンプルな内容をメールで送った。


 ましろさんのことを思って考えたけれど、まだ赤ん坊の彼女は食べられないと気づいて、僕と姉さんは電話で一緒に大笑いした。


「いつかましろが大きくなったら、我が家のとっておきのメニューにするね。ありがと!」




 そして月日が経ち――。


 日本でレストランを営み始めて2年。店も軌道に乗り出した頃、僕は姉さんがその時の言葉通り、【白雪りんごのチキンステーキ】を家のとっておきの料理にしてくれていたことを知った。


「お母さんと、同じ味がする」


 眼に涙を溜めてそう言ったのは、姉さんの娘のましろさんだった。


 難病で亡くなった姉さんの忘れ形見。父親にはとっくに置いていかれていて、必死に孤独に耐えている少女――。


 その姿が当時の自分と重なって見えて仕方がなかった僕は、久しぶりに会った父さんと母さんの反対を押し切る形で、ましろさんを引き取った。


「今日からは、僕がましろさんとご飯を食べます。ご飯は『家族』と一緒に食べると、いっそう美味しいですから」


 どの口が、と思わずにはいられなかった。

 けれど、きっと姉さんならこう言うから。


「うん、美味しいです。『家族』と食べるご飯は最高です!」



 ***


 それから、何年経っただろう。すっかり大人になったましろさんは、リトルシェフとして《りんごの木》で料理の腕を振るってくれている。

 小さく震えて、涙をこらえていた女の子が、こんなに立派に育ったことが、僕は今でも信じられない。いつか店を継ぐのだと息巻く彼女が頼もしく、自分はなんて恵まれているのだろうといつも思う。


 店の電話が鳴り、ましろさんが「はい。《りんごの木》です」とハキハキと明るい声で答える。


「りんごおじさん、おじいちゃんから。今週末、結婚記念日のディナーの予約がしたいってさ」

「分かった。代わってくれる?」


 子機を受け取り、父さんと会話をした。

 今では両親とのわだかまりも消え、2人が旅行ついでに店に顔を出してくれることも増えている。


 両親との仲が回復したのは、ましろさんとの出会いのおかげだ。

 血の繋がりがなくても、その人の家族になれる。手放し難い居場所になれる。

 それを教えられたのは幼いましろさんではなくて、ほかならぬ僕の方。彼女は僕の心の穴をそっと優しく埋めてくれた。


「またね、父さん。母さんにもよろしく」と受話器を置くと、ましろさんがニヤニヤしながらこちらを見つめていた。


「やっぱりねぇ、すごくいいと思うんだ。りんごおじさんの砕けた口調」

「何をいまさら。さぁさぁ、忙しくなるよ。結婚記念の特別コースを考えないと。アリス君にもデザートの注文をしましょう」

「うんうん。じゃあ、とっておきのデザートも作ってもらわなきゃね! じゃあ私、パティスリーにひとっ走り行ってくるよ!」


 話題を変えると、ましろさんは面白いくらいに食いついた。

 アリス君はパティスリーに勤めていて、《りんごの木》のデザートを納品してくれている。お店への連絡は電話で十分なのだけれど、ましろさんは喜んで商店街の外へと駆け出していく。


 その無邪気な姿は、小さな女の子と変わらない。


 彼女が10歳のときだ。忘れもしない。

 僕はましろさんが幸せな巣立ちを迎えるまで、そばにいると誓った。もう彼女は覚えていないかもしれないけれど――僕は絶対に忘れない。


「――ありがとう、ましろさん」

「ん? これくらい、お安いご用だよ!」


 ましろさんはくるりとキッチンを振り返り、白雪に咲く一輪の花のような笑顔を見せた。




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