番外編② 鏡の国のプラムケーキ【有栖川白兎】
「アリス君、それは……?」
なぜか軽く衝撃を受けたような表情をしているのは、店長の姪っ子・白雪ましろだ。
視線はテーブルの上に一直線に注がれている。ずらりと並んでいるのは、手作りのチョコレート菓子だ。生チョコ、ブラウニー、カップケーキ……。どれもこれも、売り物のようにきれいで可愛らしい出来に見える。
「え? もらいもんのお菓子だけど」
「そ、それは見たら分かるし!」
オレは《りんごの木》のバックヤードでチョコ菓子を食べていただけなのだが、ましろの纏う空気はなんとなくひりひりとしていた。
中学1年生のましろは最近少しませてきた感じがして、男のオレでは何を考えているのか想像もできないことが増えてきた。出会ったばかりの頃は、何でも素直に話す――というか、思ったことをすぐ口にして実行に移してしまうような分かりやすい子だったのに。
「あ、分かった。一緒に食べたいんだろ~? いいぜ。どれがいい?」
「うぅん。私が食べたらダメなやつだよ。だってそれ、バレンタインデーのチョコでしょ? 相手の人はアリス君のために作ったんだから」
そう指摘されて、「うん、まぁ」と歯切れ悪く返した。
今日は2月14日。バレンタインデーだった。
「アリス君って、すごくモテるんだね。専門学校の女の子から?」
「そうだけど……、別にモテるとかじゃないって。製菓の学校だと、みんなバレンタインは張り切って何か作りたくなるんだよ。絶対友チョコだよ、友チョコ」
「友チョコかどうかは、決めつけない方がいいんじゃない?」
「う……っ。そりゃあな……」
なんだかましろの発言が鋭い。中学1年生に圧倒されている。
実際、友チョコではないものも確実に混じっていた。つい数時間前の放課後、何人かから告白されて、丁寧にお断りをしてからここに来ているのだ。
「でもオレ……今は恋愛したい感じじゃなくて。もうすぐフランス留学もあるし、製菓に専念したいからさ」
「そうなんだ……うん、そうだよね」
ましろが「フランス留学」という単語に顔を曇らせた気がして、オレは大袈裟に明るい声で笑ってみせた。
今回のフランス留学は学校のカリキュラムの一環なので、長期で日本を離れるわけじゃない。それでもやはり、オレとましろは数年間毎日のように顔を突き合わせてきた仲だ。お互い、寂しくないと言ったら嘘になるだろう。
「そうだ! モーニングコール代わりに毎日電話してやろうか? 時差7時間だし、意外と上手い具合にいくんじゃね? ましろ、朝弱くて、店長のこと困らせてるだろ? うんうん、これ名案かも――」
「子ども扱いしないで!」
ましろがムッと目を吊り上げて、頬を膨らませた。兄貴分として真面目に提案したというのに、酷いものだ。
オレはすぐに言い返そうとしたが、ましろはそれよりも早くスクールバッグをから何かを取り出し、目の前に突き出してきた。片手で持てるサイズの赤色の紙包みだった。
「これは……?」
「【鏡の国のプラムケーキ】だよ!」
「へ……?」
「アリス君なんて嫌い」
「えっ」
突然「嫌い」と告げられたショックで目の前が真っ白になり、オレは椅子から転げ落ちてしまった。自分でもびっくりするほど動揺していた。
「ちょ……、ましろ! なんで……⁉」
わけを聞こうとしたが、ましろは逃げるように店から出て行ってしまった。
いったい何が起こったのか分からなかった。残されたオレは一人でなんとか立ち上がり、頭がぐらぐらしたまま椅子に座り直す。
答えはましろのが置いていった紙包みの中にあるに違いないと、封の役目をしているリボンの形のシールをぺりりと剥がした。
中身は、ドライプラムの入ったフルーツパウンドケーキだった。程よい厚さにカットされたものが2切れある。
たしか『鏡の国のアリス』でライオンとユニコーンが食べていたのが、プラムケーキだったはずだ。
オレの名前に合わせて作ったのかなと思うと、なんだか早く食べたい気持ちになって、そのままプラムケーキにかじりついた。
フルーティーな洋酒の香りが鼻に抜け、芳醇なバターの風味が口いっぱいに広がる。しっとりと舌触りの滑らかなケーキの中には、プラムだけでなく、食感の楽しいドライフルーツやナッツが数種類入っている。噛めば噛むほど新しい味わいを感じられて、贅沢な逸品に仕上がっている。思わず唸りそうになってしまう。
まだましろ一人では、ここまで上手なお菓子は作ることができないはずだから、きっと店長が手伝ったのだろうなと思っていると――。
「お味はいかがですか」
不意に後ろから声が聞こえ、オレはまた椅子から転げ落ちそうになった。すんでのところでバランスを取って振り返ると、そこにいたのはメガネをキラリと光らせている店長だった。
「店長。忍び寄るのは勘弁ですよ」
「人を忍者みたいに言わないでください」
店長はいよいよガッツリアラフォーだというのに、相変わらずスマートで若々しい。少しだけ、目元のしわが増えたような気はするが、印象はオレが高校生の時から変わらなかった。
「このケーキ、めちゃくちゃうまいです。店長が手伝ったんですよね?」
「ほんの少し、作り方を教えただけです。アリス君が思っているより、ましろさんは成長していますよ。僕が寂しくなってしまうくらい」
「マジっすか」
店長は目を丸くするオレに向かって、「マジですよ」と言って微笑んだ。
店長はましろを可愛がってはいるが、評価を甘くする人ではない。きっと本当のことなのだろうと、オレが感心していると。
「知っていますか? 鏡の国では、すべてがあべこべなんですよ」
不意に話題が変わり、オレはきょとんとして店長の顔を見上げた。
「アレでしょ? 『鏡の国のアリス』の。とどまりたければ走る、喉が渇けばクッキーを食べる、文字も言葉も反対……とか」
「そうなんです。『言葉』も反対なんです」
メガネをクイと押し上げながら、店長が意味深に強調する。
そして、無音の時間が数十秒――。
「あっ! あぁ~、なるほど! ましろがオレのこと『嫌い』って言ったのって……、そっかそっか、なるほど……」
プラムケーキを見下ろしながら、コクコクと何度も頷いた。
なーんだ、オレ嫌われてなかったじゃん。よかったよかった……と。
「いや、待て……」
ましろの言葉を思い出し、オレはむむっと眉根を寄せた。
『友チョコかどうかは、決めつけない方がいいんじゃない?』
少しませてきた女の子を思い浮かべて、あたふたしたバレンタインデーだった。




