第45話 本当の気持ち
***
「まさか、親父さんだとは思わなかったぜ。ましろと雰囲気違いすぎるし……」
「うん。私、お母さん似だからね」
アリス君は私を《かがみ屋》に連れて来てくれた。旅館の裏にある竹林を歩きながら、ぶらぶらとしゃべる。背の高い竹に太陽の光が遮られているからか、竹林は少しだけ涼しくて、なんだかぐつぐつと煮えていた気持ちが落ち着いていく気がした。
「ごめんな、ましろ」
不意にアリス君が謝ってきたので、驚いてその横顔を見上げた。きれいに整えられた眉が申し訳なさそうにハの字になっていて、声はしょぼしょぼとしている。
「なんで?」
「……オレさ、店長と小折シェフのこと、始め、面白がってたんだ。すごいニュースなんじゃないかとか、カップルってハッピーだよな……くらい軽い気持ちでさ。でも、本当に店長に何か変化があるかもしれないって思ったら、茶化せる内容じゃないって気づいたんだ」
小折シェフの名刺がりんごおじさんの手に渡った後、アリス君が固い表情を浮かべていたことを思い出した。
あの時私は、アリス君が何を考えているのか分からなくてモヤモヤしていた。けれど、やっと理解できた。
「私のこと、気にしてくれたの?」
「……うん。店長に恋人や奥さんができたら、ましろはどうなるんだろうって……。店長とましろ、仲良いだろ。それが崩れるのかもって想像したら、なんか嫌で……。いや、他人のオレが口を出していい話じゃないって分かってんだ。でも、ましろが傷ついたら悲しいじゃんか」
「アリス君……」
「だからって、何ができたわけじゃないんだ。もし、店長がましろを蔑ろにするようなことがあったらひと言言ってやらないとって思って……。今日、店長を尾行してた。そしたら、ましろが近くにいて……親父さんとどっか行ったから……」
アリス君は恥ずかしさを振り払うように、サンダルの先で地面を何度か蹴った。土の匂いが濃くなった。
アリス君の行動の経緯が分かると、彼の優しさがささくれ立っていた胸にいっそう沁みた。
私がお父さんに言われるまで目を逸らしていた、起こりうる様々な可能性。それをアリス君は先に考えて、私のために動いてくれていたのだ。
「ありがとう。アリス君」
「……何も解決してねぇし」
「うぅん、それでも。ありがとう」
私がぐすんっと鼻をすすると、アリス君は「な、泣くなよ?」と慌ててティッシュを取り出した。
「オレが泣かしたみたいになる」
「あながち間違いじゃないかも」
「やめろって……。んで、結局行きたいのかよ。親父さんのとこ」
「だって、姪の私がいつまでもいると、りんごおじさんの迷惑になっちゃうでしょ? それにお父さんと私は血の繋がった親子だしね。ヨウイクギム? ってのはお父さんんいあると思うんだよね」
できるだけ明るく、なんてことないふうに答えてみた。
「あっ、ほら! りんごおじさんも小折シェフとお付き合いしやすくなるんじゃない? アイドルのコンサートも行きやすくなるなぁ!」
さも、それが当たり前のことのように。
「アリス君も遊びに来てよ! 東京にしかないお菓子屋さんあるだろうし。恩田さんも、家族で来てくれたら嬉しいなぁ」
多分、そう答えるすることが一番丸く収まるから。
「ね。アリス君。絶対……、絶対に来てね」
「……行くもんか。バーカ」
突然、アリス君の鋭いデコピンが私のおでこに飛んできた。
「いたっ!」
「オレに嘘ついたお仕置き。もう一度聞くぜ。店長と離れて、親父さんのところに行きたいか?」
おでこの真ん中がじんじんと痛み、私は涙目でアリス君を睨む。耐えきれず、ほろほろと温かな雫が零れていく。
痛い。すごく痛い。
でもこの涙はおでこが痛いからじゃなくて、心が悲しいから。アリス君は泣きたい私を泣かせてくれたのだ。
私はズキズキと痛む胸を押さえ、震える唇を動かした。
「……私、御伽町が好き。《りんごの木》が好き。アリス君や恩田さん、商店街のみんなも好き。……りんごおじさんが大好き……。ほんとはどこにも行きたくない……っ」
まだたった数か月しかいないけれど、御伽町での生活は、私にたくさんの栄養をくれた。かけがえのない出会いと、忘れたくない思い出、大切な家族の存在――。
そうだ、と思い出す。
りんごおじさんは、来年こそあじさいモンブランを食べようと言っていた。約束したのだ。私がそれを破るわけにはいかない。
「私、まだまだりんごおじさんとやりたいことがいっぱいあるんだ……。行きたい場所、食べたいもの、教えてほしいこと……まだまだ一緒にいたいよ」
「じゃあ、行こうぜ、《りんごの木》に。店長、今日は臨時休業にするけど、店にはいるってさ」
「えっ?」
アリス君はスマートフォンの画面を確認している。りんごおじさんからのメッセージを見ているのだろう。他にどんなことが書かれているのか気になったけれど、アリス君は善は急げと言わんばかりに、私の背中をポンと押した。
「オレに親とちゃんと話せ、って言ってくれたのは、ましろだったよな。なら、お前も店長と話して来いよ。きっと大丈夫だぜ!」
「ありがとう! 行ってきます!」
アリス君の力強い言葉が嬉しかった。
竹林に爽やかな夏風がサァッと吹き抜け、気が付けば鬱屈とした気持ちは吹き飛ばされていた。




