第44話 迷いと決断
ホテルのカフェを出て、おとぎ商店街をふらふらと歩いていた。
真夏の午後の日差しはとてもきつくて、帽子を被ってこなかったことを後悔した。今朝、りんごおじさんから「外出するなら帽子を忘れずに」と言われていたのに。
(やだな……りんごおじさんに怒られちゃう)
「ましろさん!」
不意に、目の前にりんごおじさんが現れて、私は「え」と目を丸くした。幻覚かと思った。
りんごおじさんは走って来たようで、肩で大きく息をしていた。
「りんごおじさん、どうしてここに?」
「あなたが見慣れない男性と歩いていったと、アリス君から聞いて……ッ。よかった、無事で……」
アリス君にお父さんといるところを見られて、その情報がりんごおじさんに届けられたらしい。そりゃそうだ。お父さんのことを知らないアリス君からしたら、私が謎のおじさんについて行ってしまったように見えるだろう。
「ごめんなさい。私、この通りピンピンしてるよ。一緒にいたのはお父さんだよ」
「美鏡さんが……?」
りんごおじさんの目の色が変わった。
「美鏡」は私の旧姓で、お父さんの苗字だ。その名前を聞いたりんごおじさんが、明らかに嬉しくなさそうなに顔を歪めたので、私は思わずドキリとした。
(りんごおじさんも、こんな表情するんだ……)
私の知らないりんごおじさん――。
そんな一面がたくさんあることを思い知らされて動揺していると、小折シェフが商店街の反対側から駆けてきた。
「凛悟君! 姪っ子さん、いたのかい?」
「はい。花衣里さん、ありがとうございました」
「よかった。安心したよ。……ふふっ。あんなに慌てる凛悟君は初めて見たからね」
小折シェフは艶々の黒い髪を耳にかけ直しながら、申し訳なさそうにしているりんごおじさんの背中をポンと軽く叩いた。
やっぱり2人は一緒にいて、私はデートを邪魔してしまったらしい。
告白は無事に済んだのだろうか。それとも有耶無耶に?
ズキズキと胸が痛む。お父さんとの会話が思い出され、言葉がぐるぐると回る。
「詳しい話は家で聞かせてもらいますね」
「でも、小折シェフと出掛けてたんじゃないの……?」
「僕の用事はいいんです」
りんごおじさんは、笑顔で私に右手を差し伸べた。帰りましょうと告げる大きな手のひらだった。
けれど、私はその手を取ることができなかった。
私はりんごおじさんに自己犠牲を強いてしまった。私がそばにいる限り、これからも何度も同じことが起こるだろう。私はりんごおじさんに不自由を与え、自由を奪ってしまうから――。
「私……、お父さんのところに行く」
「ましろさん?」
りんごおじさんの右手は行き場をなくす。りんごおじさんは私を問いただした。
「美鏡さんから、そんな提案をされたんですか? 何を言われたんですか?」
「今、弁護士をしていて……一緒に暮らそうって……」
「今のましろさんの保護者は僕です。そんな大切な話を、勝手に……」
「だってりんごおじさんは、『叔父さん』でしょ!」
想像していたよりも、強くて大きな声が出てしまった。
りんごおじさんの顔が青くなったのを見て、思わず「やだよ、そんな顔しないで」と叫びたくなったけれど、ぐっとこらえて飲み込んだ。
「『娘』が『お父さん』のところに行くのは、自然じゃない? 姪の私がいたら、りんごおじさんは不自由になっちゃうし。ほら、デートのひとつものびのびできないじゃん?」
「ましろさん……!」
「私のこと、可哀想だから引き取ってくれたんでしょ? ありがとね。りんごおじさんは優しいから、お母さんがいなくなって心細かった私を放って置けなかったんだよね?」
「ましろさん、僕はそんなつもりでは……! いいから、一度帰りますよ!」
りんごおじさんの手がガシッと私の腕を掴んだ。驚くほど力強くて、私の口からは「いたっ」と小さな悲鳴が漏れた。
「あっ。ましろさん、ごめんなさい!」
「凛悟君。今の君は、冷静さを欠いている」
慌てて手を放すりんごおじさんに、小折シェフが冷水を浴びせるかのような言葉をかける。小折シェフは唇を噛み締めるりんごおじさんと、掴まれて赤くなった手首を体の後ろに隠す私を交互に見つめた。
沼のように重く、ピリピリと張り詰めた空気が苦しくて、私は今すぐ逃げ出したかった。
りんごおじさんを悪者なんかにしたくないのに、どうしてこんなことに――。
「ちょっとたんま! 店長、ましろのこと、ちょっくらオレが預かってもいいですか?」
息苦しい空気を吹き飛ばすようにして現れたのはアリス君だった。
「家族の話に口を挟まないようにと思って待機してたんですけど、小折シェフも割って入られたんで」
「アリス君……」
「大丈夫ですよ、店長。オレにとってましろは、妹みたいなもんですから」
りんごおじさんは心配そうな顔をしていたけれど、アリス君は自信満々に私の手を取った。ニヤッと弧を描く口元が普段通りで、なんだかとても安心できた。




