第42話 ふたつの再会
小折花衣里。東京生まれの33歳。22歳の時にフランスに渡り、27歳でフランスのグランメゾンのシェフとなる。去年はフランス料理のコンクールで優勝し、満を侍して日本で《テーブル・ディ・エスポワ》をオープンした若き女性オーナーシェフ。国内に自身がプロデュースする料理教室をいくつも展開し、高級フレンチシェフの育成にも熱心――。
「調べれば調べるほど、すごかったなぁ」
昨晩、私はりんごおじさんのいないスキを狙って、家のパソコンで小折シェフのことを調べていた。
お店の予約が数年先まで埋まっており、テレビや雑誌の取材でも引っ張りだこ。キリリとかっこいい中性的な見た目も相まって、小折シェフのファンは爆増中らしい。
小さな町でのんびりお店をしているりんごおじさんとは、大違いだ。
けれど、以前、りんごおじさんは、フランスのグランメゾンで働いていたと話していた。小折シェフとの接点はそこかもしれない。
(一緒に働いていた時は好き同士だったけど、料理の方向性が違ってて、結ばれなかった……とか?)
格式高い店で上品で美しい高級料理を作る小折シェフと、大衆レストランでわくわくな創作料理を作るりんごおじさん。相容れない部分があった可能性がある。
だからこその、小折シェフの「今度こそ、君を手に入れてみせる」発言だ。いよいよ本気で、りんごおじさんを口説き落とそうとしているに違いない。
(少女漫画みたい。これが本当だったらどうなるんだろう……!)
友達が貸してくれた『恋らびゅ』を思い出して、私は緊張しながら商店街の物陰に身を潜めていた。お店から出て来るりんごおじさんを待ち伏せしているのだ。
恋愛ごとに浮かれる性格ではないし、冷やかすつもりもない。けれど、りんごおじさんと小折シェフの関係が気になって、夜も眠れなかった。
気になって気になって仕方がない。それなら自分の目でたしかめるしかない――という結論に至ったわけだ。
もし、小折シェフとりんごおじさんが両想いになったら――?
漫画の主人公カップルは、お付き合いして、結婚していた。なら、りんごおじさんも?
「あっ!」
そうこうしている間に《りんごの木》の裏口から、恩田さんとりんごおじさんが出て来た。2人は「お疲れ様です」と互いを労い合うと、頭を軽く下げて解散していく。
りんごおじさんはスマートフォンで時間を確認すると、商店街を軽やかな足取りで移動し始めた。現在時刻は14時40分。そのまま小折シェフとの待ち合わせ場所に向かうようだった。
私は物陰から飛び出し、電信柱に隠れながらりんごおじさんを尾行した。
一瞬見えたりんごおじさんの横顔は、口の端が嬉しそうに持ち上がっていた。不意に、りんごおじさんが恋の話をしてくれた時のことを思い出す。
「相手の喜ぶ顔を想像するだけで、心が踊って、あたたかくなる」、そうりんごおじさんは言っていた。
今のりんごおじさんは、心が踊っているのだろうか。
そう考えると、胸の中にあった興味本位の塊の端がチクリと痛んだ。「気になって気になって仕方がない」を覆い隠していた皮が剝がれ出すような感覚がして、私の脚は急激に重たくなった。泥沼にスニーカーごと突っ込んでしまったかのような気持ちだ。
(何、この気持ち。わたし、変だ……)
クリーム色の壁の建物の前で、小折シェフが壁にもたれていた。カーキ色のノースリーブシャツにハイウエストの白いパンツを合わせたスタイルがかっこいい。色付きのサングラスのおかげで顔はよく見えないけれど、小折シェフは自然に周囲の注目を集めていた。
一方、りんごおじさんはハイブランドではないけれど、すらりとした体形に似合うシンプルな洋服だった。長い脚で颯爽と小折シェフに歩み寄る姿はなんだか様になっていて、小折シェフにも引けを取っていない気がした。
「お久しぶりです。花衣里さん」
「やぁ、凛悟君! 会いたかったよ!」
(名前で呼び合ってる……)
建物の陰から慎重にのぞいてみると、2人は顔をほころばせて笑い合っていた。見るからに仲が良い。
心臓がばくばくと脈打つ。息が苦しくなってきた。
りんごおじさんは、どうして私に小折シェフのことを話してくれなかったんだろう。
やっぱりただ仲が良いだけじゃなくて、それ以上の関係だから?
もし、そうだとしたら、りんごおじさんは――。
「……もしかして、ましろか?」
背中側から名前を呼ばれて、私はびくりと振り返った。
低くてよく響く声。忘れられない男の人の声。反射的に、体が縮こまってしまう声──。
「どうして、ここに……」
そこには、スーツ姿の男の人が立っていた。清潔感のあるオールバックヘアに太めの吊り眉の凛々しい顔。見覚えはほとんどない。
けれど、声と瞳は覚えていた。
それはかつて、「自由になりたい」と力なく言い放った、ガラス玉のような目をした人――私のお父さんだった。




